〜野梨子編〜

   作:hachiさま



 

 


野梨子は、けたたましい携帯電話の着信音に、無理矢理起こされた。

なかなか開かない眼をこじ開けて、枕元の時計を見れば、午前三時少し過ぎたところだった。一瞬、このまま着信を無視しようかとも思ったが、性格上、野梨子に居留守など使えるはずもない。布団の中から手を伸ばして、液晶の明滅する携帯電話を取った。

「も・・・」

「野梨子!!助けて!!」

携帯電話から聞こえてきたのは、友人の悲鳴だった。



「悠理!?悠理ですの!?」

「助けて!早くしないと、清四郎が死んじゃうよ!!あたい、どうしたら良い!?ああ・・・血が、血が・・・お願い!清四郎を助けて!!」

一気に眼が醒めた。

野梨子は飛び起きると、食いつかんばかりの勢いで、携帯電話に向かって叫んだ。

「悠理!落ち着いてくださいな!!清四郎が怪我をしているんですの!?」

「どうしよう・・・清四郎が死んだら、あたいも生きていけないよ!!お願い!早く助けて!!」

駄目だ。悠理は酷く混乱している。

「悠理!よく聞いてください!今、どこにいるんですの!?自分がどこにいるか、分かります!?」

「清四郎の部屋・・・昨夜から、ずっと離してもらえなくて・・・だから、だから、あたい、逃げようと・・・ただ、逃げたかっただけなんだ!もう、耐えられなかったんだよ!だけど、清四郎は許してくれなくて・・・!!嫌だ!清四郎が死ぬなんて!野梨子!助けて!あたいはどうなっても良いから、清四郎を助けて!!」


話の途中で、野梨子は駆け出していた。


事情は分からぬが、清四郎が生命の危機に晒されているのは、確からしい。

普段は決して音を立てて歩まぬ外廊下を駆け抜け、庭に飛び降りる。寝巻きの裾が肌蹴て、足が露わになったが、構っている余裕はなかった。裸足のままで庭を抜け、裏木戸から表に出た。菊正宗家に向かうなら、表門から回るより、こちらのほうが近いのだ。


 

泣き叫ぶ悠理の声が、携帯電話からではなく、菊正宗家の二階から聞こえてきた。

普段なら聞こえぬ声も、深夜の静寂の中なら屋外まで響くのだろう。

野梨子は隣家の門に飛びつくと、暗記しているダイヤルロックの番号を押した。残念ながら、野梨子が知っているのは、門の暗証番号だけだ。その先の玄関扉を開けるには、鍵が必要となる。

流石の幼馴染も、隣家の鍵までは持っていない。

「悠理!清四郎!」

野梨子は玄関扉に貼りついて、狂ったようにチャイムを押した。

しかし、内側からの反応はない。

二階からは、悠理の絶叫が聞こえてくる。

野梨子は意を決し、庭へと回った。


そして、寝巻きの袖をたくし上げると、手頃な縁石を拾い上げ、菊正宗家の居間の窓に向かって、思い切り投げつけた。

夜空に、ガラスが割れる音が響いた。

「ごめんなさい!」

誰に言うわけでもなく、小さく断りを入れてから、屋内に侵入する。入った途端、硝子の破片で足の裏を切ったが、痛みを堪えて二階へと駆け上がった。



悠理の悲鳴は、清四郎の部屋から聞こえていた。

「悠理!清四郎!!」

清四郎の部屋にも、ドアに鍵が掛けられていた。

「悠理!悠理!ドアを開けてくださいな!!」

何度呼びかけても、悠理は泣き叫んでいるだけで、野梨子に応えようとしない。このときほど、非力な自分を呪ったことはない。それでも諦めずに、何度も、何度も、悠理にドアの鍵を開けるよう、呼びかけた。

がちゃり、とドアの向こうで音がした。

野梨子は躊躇うことなくドアを開けて、その場に広がる光景に、愕然とした。


ナイトランプの仄かな明かりに照らされていたのは、一糸纏わぬ悠理の裸身だった。


「ゆ・・・」

「野梨子!助けて!!」

裸身の悠理が、抱きついてきた。その瞬間、悠理の身体から、男の汗の匂いが漂ってきた。はっとした野梨子の眼に、床に転がる清四郎の姿が飛び込んできた。

それを見た野梨子は、そのまま卒倒しそうになった。




イラスト By 千尋さま




清四郎も、何も身につけていなかった。


仰向けに横たわっているため、男性の象徴までランプの明かりに浮かび上がっている。しかし、野梨子が衝撃を覚えたのは、清四郎の裸身ではなく、その逞しい腹に突き刺さったナイフの存在だった。

 


刃物と肉の間から、血が溢れ出している。

あまりにも無防備な姿に、清四郎が事切れているのかと思った。

しかし、ナイフが微かに上下している。

彼の命がまだ消えていない証拠だ。

野梨子はすぐに携帯電話で救急車を呼んだ。

清四郎の頚動脈に触れてみて、脈を探る。思ったよりも規則正しく、強い脈拍だった。

腹部のナイフは、そのままにしておいたほうが出血しないはず。

しかし、このままでは眼のやり場に困る。野梨子は出来うる限り視線を逸らして、清四郎の下半身を落ちていた服で覆った。


 

そうだ。救急隊が到着する前に、もうひとつしなければならないことがある。

悠理の裸を、救急隊員に晒すわけにはいかない。

野梨子は部屋を見回し、悠理のものらしき服を探し出した。それを手に取ろうとして、足元に散乱する写真に気づいた。

「ひっ・・・!」

思わず声を上げそうになるほど、忌まわしい光景が、そこに写し出されていた。


写っていたのは、清四郎と悠理だった。

しかし、それは明らかに友人同士の姿ではなかった。


二人は裸体を絡め、享楽に耽っていた。


野梨子は思わず仰臥する清四郎を見、そして、彼に縋って泣き叫ぶ悠理を見た。

いくら否定したくとも、彼女の太腿を濡らす液体が、二人がここで何をしていたかを、証明していた。


 

昨日まで、二人に変わった様子はなかった。

生徒会室を出るとき、悠理は、清四郎の家で泊り込みの勉強会を行うのだと、嫌そうに顔を顰めていた。清四郎はいつもより口数が少なかったものの、それでも普段と同じ様子だった。

なのに、何故?

どうして、こんな―― 


野梨子は眩暈を堪えながら、悠理の肩に服を着せかけた。

悠理は清四郎の顔を抱いて、死なないで、死んだら嫌だ、と繰り返している。


遠くから、救急車のサイレンが聞こえてきた。




 


〜病室編〜

   作:hachiさま




 

菊正宗病院に搬送された清四郎は、一命だけは取り留めた。

しかし、昏睡からは醒めなかった。


野梨子は半狂乱の悠理のために、別に病室を準備してもらおうとしたが、彼女は決して清四郎の傍から離れようとしなかった。

涙で顔をぐしゃぐしゃにし、ただ、清四郎の名を繰り返す。

その白い咽喉や、キャミソールから覗く背や腕には、淡い鬱血の痕が散っていた。

野梨子は彼女を抱きしめて、宥めてやりたかった。

でも―― 悠理の身体に染みついた清四郎の体臭が、野梨子を躊躇させていた。



昨日までの二人は、釈迦と孫悟空、師匠と弟子―― 表現は色々あれど、気の置けない仲間同士だった。

それが、たった一日のうちに、あの写真のような・・・


おぞましい想像に、野梨子はぎゅっと眼を瞑った。

今、一番、守ってやらねばならぬのは、他の誰でもない、悠理なのだ。

野梨子は悠理の肩を抱き、そっと頭を撫でた。

「悠理・・・清四郎は大丈夫ですわ。だって、強いひとですもの。私たちを置いて、死んだりなどしませんから。」

悠理が振り返った。大きな瞳から、絶え間なく涙が零れ落ちるのを見て、野梨子は胸を突かれた。

「野梨子・・・」

悠理が上半身を捻って、野梨子に抱きついてきた。すぐに寝巻きの襟まで、涙が滲みてくる。

「あたい・・・清四郎が怖くて・・・ただ、清四郎から逃げたかっただけなんだ。なのに、気がついたら、ナイフが刺さって・・・どうしよう?清四郎が死んだら、あたいも生きていけないよ・・・」

野梨子はごくりと息を呑んだ。

確かめたくはない。でも、真実は、確かめなければならない。

「悠理・・・教えてくださいな。もしかして、貴女が清四郎を―― 」

上ずりそうになる声を、必死に落ち着かせる。

「清四郎を、刺したのですか?」


悠理は、嗚咽しながら頷いた。


ああ―― やはり。


野梨子の予想は、的中してしまった。


悠理は激しく泣きじゃくっている。彼女の精神状態を考えても、これ以上の追及は、無理だろう。当事者の片割れである清四郎は、まだ昏睡状態にあるため、事情など聞けるはずがない。


悠理は加害者なのか、それとも被害者なのか。

清四郎は本当に被害者なのか、それとも―― 


どちらにしても、真実を知る二人は話せる状態ではない。


しばらくして、悠理の両親が執事を伴って現われた。

しかし、悠理は両親を病室から追い出した。仕方なく野梨子が応対に出たものの、寝巻き姿のうえ、足元は裸足である。慌てていたので、スリッパを履くのさえ忘れていた。

病院を裸足で歩くのは自殺行為だと、以前に清四郎が言っていたのを思い出す。

こんなときなのに、否、こんなときだからこそ、穏やかな笑みを浮かべた幼馴染の顔しか浮かばないのだろう。



野梨子は、言葉を選びながらも、見たことをすべて話した。そして、悠理が清四郎を刺したらしい、ということも。

いくら隠そうが、すぐに二人の関係は発覚するだろう。写真だけは掻き集めて引き出しの中に押し込んだが、清四郎の部屋には、生々しい情交の跡が残っているのだから。

それを聞いた万作は卒倒し、百合子も椅子に倒れこんだまま動かなくなった。

そんな二人が見ていられなくて、野梨子は清四郎の病室に逃げ込んだ。

悠理は、清四郎の枕元で、まだ泣きじゃくっている。

その姿を見て、野梨子は途方に暮れた。


 

悠理を守るためにも、そして、清四郎のためにも、このことは秘密にしなければならない。でも、野梨子ひとりで背負うには、重すぎる秘密だった。

仲間たちにだけ、仲間たちにだけなら―― 

駄目だ。仲間たちまで、苦しめるわけにはいかない。

野梨子は途方に暮れたまま、いつまでも立ち尽くしていた。



知らせを受けた菊正宗家の両親は、早朝、病院に駆けつけた。

しかし、息子の顔をひと目見ると、すぐに剣菱家との話し合いの場へと向かっていった。


両家が事件を明らかにするはずがない。きっと、示談に持ち込むのだろう。差はあるとはいえ、両家ともかなりの資産家には違いないし、どちらが責任を取るにしても、金銭的にはすぐに解決ができるはずだ。

問題は、どちらが悪いのか―― だった。


悠理は、とにかく清四郎が怖くて、逃げ出したかったと言った。恐らくは、怯えて逃げたくなるほどの性交渉を強要されていたのだ。その結果、清四郎は刺された。今の日本の法では、刺した悠理のほうが罪になる。でも、はっきりはしないけれど、悠理は処女だったはず。そんな彼女との情交を撮影するなど、鬼畜のような所業である。


野梨子は泣き疲れて眠った悠理の寝顔を眺めながら、溜息を吐いた。

ソファに横たわる彼女の姿は、とても小さく見え、痛々しかった。

「・・・せいしろ・・・せいしろぉ・・・」

眠りながらも、悠理は清四郎を呼んでいる。

清四郎は、まだ目覚めない。


 

二人の間に、いったい何があったのだろう?

悠理の異様な憔悴ぶりは、加害者のものではない。

それに、普通ならば、陵辱した相手に怯え、少しでも離れようとするものではなかろうか?悠理の場合は、それとまったく逆である。まるで恋人のように、彼のために涙を流し、枕元から離れようとしない。眠っている今でさえ、清四郎の名を繰り返している。


もしかして・・・?


野梨子の胸に、新たな疑問が湧いた、そのとき。



清四郎が、ゆっくりと眼を開いた。

 

 

 


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