〜鬼畜編〜 作:hachiさま
遠くから、話し声が聞こえる。 ―― ええ、大丈夫です。気をつけていってらっしゃい。 聞き慣れた、友人の声だと、すぐに分かった。
ややあって、車が発進する音がした。 家人が出かけるらしい。濁った意識の中で、悠理はぼんやりとそう思った。
重い頭を持ち上げて、ベッドから半身を起こす。 シーツが滑り落ちた拍子に、胸の突端に熱い痛みを感じ、うっと短く呻いた。痛みの理由が分からず、自分の身体を見下ろした。 そして、自分が一糸纏わぬ姿をしているのに気づき、愕然とした。
混乱しながらも、周囲を見回して、居場所を確かめる。 壁面を覆う書棚、訳の分からぬ精密機器の群れ。間違いない、ここは――
清四郎の、部屋だ。
それを認めた瞬間、昨夜の記憶が甦った。 「や・・・」 記憶とともに、男の感触が甦り、身体が熱くなる。 すべて夢だと思いたかった。 しかし、全身に残る倦怠感や、未だに残る痺れが、昨夜の出来事が夢ではないと証明していた。 しかも、シーツには、男の精と混じった純潔の証が、点々と散っている。 男を受け入れたのは、はじめてだった。 それどころか、素肌に触れられたことも、キスしたことすら、なかった。 なのに、悠理は。 悠理の身体は―― 淫靡な記憶から逃れたくて、すべてを忘れたくて、とにかく現実に戻りたくて、情事の名残が纏わりつく裸身を覆う服を探した。
悠理の服は、まとめて椅子の背に掛けられていた。 無我夢中でベッドから起き、立ち上がる。 一歩を踏み出そうとしたとき、太腿の奥から、熱いものが流れ出す感触がした。 その正体は、確かめなくても、すぐに分かった。 溢れる液体を堰き止めるため、その場に屈んだものの、これからどうして良いのか分からない。それでも裸身を隠したくて、涙を堪えて椅子に手を伸ばす。 服を掴んで、手前に引く。すると、机上にあった紙片が、ばらばらと落ちてきた。 それは、写真だった。
「いやああっ!」 悠理は、悲鳴を上げた。 そこには、清四郎に玩ばれる悠理の姿が、何枚も写っていた。
悠理は意味不明の叫び声を上げながら、写真を引き千切った。 意識が混濁していたはずなのに。 合意も、了承もなく、無理矢理に蹂躙されたはずなのに。 確かにあれは、陵辱だったはずなのに。
写真の中の悠理は、快感に顔を歪め、喜悦の涙を流し、清四郎にしがみついていた。
「やだ・・・やだ・・・やだ!どうして、こんな・・・」 「綺麗に撮れているでしょう?最近のカメラは、リモコンで操作できるのですよ。」 悠理の背後から、静かな、男の声した。 「それに、プリンターの性能も格段に向上しました。粒子が細かくて、ざらつきもないし、発色も自然です。被写体の姿を、ありのままに再現してくれる。」 咄嗟に服で裸の胸を覆い、憎しみの滾る瞳で、男を振り返った。 「清四郎!てめえ、よくも・・・よくもこんな!!」 清四郎は、きっちりと服を着て、髪も普段の通りに整えていた。 いつもと同じ、皮肉な笑顔が、悠理を見下ろす。 「いくら写真を破ろうが無駄ですよ。貴女が眠っているうちに、記録メディアの複製をいくつか作っておきましたから。」 薄い笑みを浮かべたまま、清四郎が近づいてくる。 その暗い双眸には、情欲の炎が宿っていた。 だから、彼が何をしようとしているのか、すぐに分かった。 悠理は片手で胸を隠し、残ったもう片方の手をがむしゃらに振って、清四郎から身を守ろうとした。しかし、清四郎は、怯みもしない。どんどん悠理を追い詰めてゆく。
座ったまま後退する足が、体内から溢れた和合液に滑る。 暴れる腕を掴まれ、服を奪われ、押し倒されて、拘束される。
「いやだ!誰か助けて!」 「この家にいるのは、僕と悠理の二人だけですよ。両親も、姉も、明日まで帰ってきません。ですから、いくら泣こうが叫ぼうが、誰も助けてはくれませんよ。」 淡々とした説明の途中から、強引な愛撫がはじまった。 嫌なはずなのに、これからはじまる行為を想像するだけで、身体が熱く痺れた。 心とは裏腹な反応をする身体が怖くて、悠理は嗚咽した。 「やだ・・・どうして、こんな・・・」 清四郎は、それを自分に向けられた言葉だと思ったのだろう。涙を流す悠理に頬を寄せると、哀しげな笑みを浮かべた。 「・・・貴女を愛していることに気づいたからですよ。」 そう囁きながらも、指は愛撫をつづけている。 「だから、どうしても貴女が欲しかった。まだ誰も受け入れたことのない貴女の身体に、僕という存在を刻みつけたかった。それが、卑怯な手段だと分かっていても、自分を止められなかった・・・」 清四郎は、壊れたステレオのように、愛している、と何度も繰り返した。
その言葉を聞いているうちに、悠理の脳髄は蕩け、思考は停止した。
*****
「数時間前まで処女だったとは、信じられませんね・・・」 汗に濡れた髪を梳きながら、清四郎が甘く囁く。 「何もかもが素晴らしい。もう、手放せない。」 情欲を宿した手が、悠理の身体を這い回る。僅かに声が掠れているのは、疲労のせいか。 昨夜から、何度、二人は交わっただろう? 高みに登りつめた数など、数え切れないほどだ。 「愛を注げば注ぐだけ、貴女の身体は応えてくれる。いくら愛しても、愛し足りませんよ。貴女を抱けるなんて、夢のようです・・・」 清四郎は、悠理の耳元で、何度も愛を囁いた。 でも、今の悠理には、清四郎のどんな声も、心に届いてはいなかった。
悠理は彼の手を払い除け、枕に顔を埋めた。 口惜しさとともに、涙が込み上げてくる。 「愛している」という偽善的な言葉を建前にして、悠理を蹂躙する男が憎かった。でもそれ以上に、意思とは無関係に反応する身体が、恨めしくて、気が狂いそうだった。 確かに、心は清四郎を拒絶していた。 なのに、身体は、清四郎にすっかり篭絡され、女の悦びに溺れていた。
清四郎が、身体ぜんたいを使って、悠理を抱きしめる。 四本の足が深く絡み合い、思わず悠理は恍惚の吐息を漏らした。 貫かれてもいないのに、身体が熱く痺れていく。 悠理の身体は、飽くことなく、貪欲に清四郎を求めている。 それを認めるのは、屈辱だった。
「悠理・・・僕を見てください。」 頑なに瞑った瞼に、キスの雨が降り落ちる。 「愛しています・・・僕はずっと、お前だけを愛してきました・・・」 信じるものか。嘘に決まっている。 そう思っていても、繰り返される魔法の呪文に、悠理の心は麻痺しそうになる。 「嘘吐き!お前が欲しいのは、あたいじゃなくて剣菱の財産だろ!?」 眼を瞑ったまま、腕を振り回して、清四郎を追い払おうとした。 がつん、と握った拳に、衝撃が走った。 「つっ・・・」 清四郎が呻く。 はっとして眼を開けると、清四郎は顔を顰めながら口元を押さえていた。 指の隙間から、くちびるに滲んだ血が見えた。
ごめん。 謝る前に、清四郎からくちびるを塞がれた。 金気臭い接吻から逃れたくて、必死に顔を逸らそうとするが、男はそれを許さない。 息もできないほど狂おしく求められ、酸素不足に頭が霞んだ。
「悠理・・・僕を愛していると言いなさい。」 くちびるを重ねながら、清四郎が囁く。 「僕だけを愛していると、僕にしか抱かれないと、そう言いなさい。」 清四郎の血が、悠理のくちびるを赤く染める。 悠理は、くちびるに唾液ではないぬめりを感じ、顔を顰めた。 「やっ・・・誰が、そんなこと・・・」 悠理の拒絶は、最後まで続かなかった。 「痛い!!」 乳房を鷲掴みにされ、強い力で、潰される。 「さあ、言いなさい。僕を愛していると。」 「だ、誰が・・・はうっ!」 乳房を掴む腕に、さらに力が篭もった。 いびつに歪んだ乳房が、荒い息に上下する。 「言うのです。写真をばら撒かれたくなかったら、さあ―― 」 瞬間、悠理の頭は真っ白になった。
「そんなことをしたら、お前だって・・・」 「僕はいっこうに構いませんよ。それどころか、二人の仲を公表できる、良い機会と思っているほどです。」 「そんな馬鹿な・・・強姦している写真なんか公表したら、お前のほうが・・・」 「強姦?どこがです?」 清四郎は冷たく笑って、ベッドの下に散らばった写真を拾い上げ、悠理に突きつけた。
写真の中の悠理は、男の腰に足を絡め、恍惚としていた。 誰が見ても、和姦と思うはずだ。 悠理は、絶望に目の前が真っ暗になるのを感じた。
昨日までは、確かに友人だった。 どんな危機でも助けてくれ、いつでも守ってくれる、最高の仲間だった。 ずっと、ずっと信じていた。 まさか、こんなかたちで、裏切られるなんて――
無理矢理に悠理を抱いて、何度も犯し貫いて、その挙句、恐喝するとは。 皮肉屋だけど仲間思いだった友人の姿が、鬼に見えた。 なのに、その鬼は、とても哀しげな瞳をしていた。
「さあ、言いなさい。僕だけを愛し、僕以外の男には、決して抱かれないと。永遠に、僕だけだと。」 「・・・愛してる・・・」 悠理は口惜しさに涙を流しながら、忌まわしい言葉を声にした。 「清四郎を、愛している。清四郎以外の男には、抱かれない・・・」 乳房を掴んだ手が、緩んだ。 だけど、酷い嘘を吐いたせいで、悠理の心臓はきりきりと締め上げられる。 辛くて、辛くて、死んでしまいそうだ。 それでも嘘を吐かなければ、痴態の様を公表されてしまう。 気の良い仲間たちに、このことを知られるのは、死んでも嫌だった。 「・・・永遠に、清四郎だけ・・・清四郎だけを、愛して・・・」
ふたたび愛撫がはじまる。 それは、労わるような、優しい、優しい、愛撫だった。 悠理を脅していることが、申しわけないと言わんばかりに。 勝手に反応する身体が情けなかった。 悠理を脅し、その身体を勝手に貪る清四郎が、憎くて堪らなかった。 なのに、心のどこかでは、清四郎を手に入れたと、狂喜する自分がいた。
相反する感情に、心がばらばらになりそうだ。 いっそ、心を閉じてしまえば、楽になれる。
悠理は自分の心を檻に閉じ込め、乞われるまま、愛の言葉を繰り返した。
「愛してる・・・清四郎、愛してる・・・」 「僕もですよ。悠理。貴女だけを愛しつづけると、誓います―― 」 清四郎が囁く愛の言葉も、悠理の閉ざした心には、届かなかった。 それが、清四郎の本心だと分かっていたら、二人の運命は、変わっていたかもしれない。
カーテンを閉め切った、暗い室内。 夜が更けるまで、悠理の嬌声と、肉が肉を打つ規則的な音が、止むことはなかった。
*****
悠理は酷い空腹に目覚めた。 ベッドサイドの時計は、午前三時を示している。 食事を摂ったのは、いつだったか―― 混濁した意識の中で、記憶を辿る。 確か・・・昼間、林檎を食べたっきりだ。 その記憶に、悔し涙が滲んでくる。 足の上に跨って、清四郎と交わったまま、口移しで林檎を与えられた。 今までの人生では考えられなかった、屈辱的な行為。
イラスト By たむらんさま
この責め苦は、いつまで続くのだろう? 明日になれば、清四郎の家族も戻ってくる。 でも、それであの男が、関係に終止符を打ってくれるとは、思えない。 清四郎は、悠理の痴態を写した写真を握っているのだ。 それを材料にして、もっと酷い要求を突きつけてくるかもしれない。 彼が欲しいものは、悠理なんかじゃない。 彼の狙いは、剣菱だ。 愛しているなんて嘘を吐いてまで、剣菱の身代が欲しいというのか。
ならば、嘘など吐かずに、はっきりとそう言って欲しかった。 そうすれば、心置きなく、彼を憎むことができるのに。
悠理は自分の裸体を抱いて、激しく嗚咽した。
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