4.
「悠理、もうすぐ中間試験ですね。勉強会は僕の家でいいですか?」 清四郎の問いかけに、スナック菓子を貪るように食べていた悠理は思わず身を固くした。
昼休みの生徒会室。 皆弁当を食べ終え、それぞれ雑談やメールのチェックなどを始めたところであった。
「…それとも、あなたの家の方がいいですか?」 清四郎は重ねて問う。 悠理は黙って、手に持ったスナック菓子をひとつ口に放り込んだ。 ゆっくりと噛み砕き、ごくん、と飲み込むと口を開いた。 「あたい、今回は野梨子に見てもらう。いいだろ?野梨子」 「え、ええ。いいですけど…」 突然悠理に指名され、野梨子はうろたえたように清四郎をちら、と見た。
「…そうですか。じゃあ野梨子、後で擬似問を渡しますのでよろしく」 全く表情を変えずにそう答えると、教室に戻ります、といって清四郎は出て行った。 残されたメンバーの視線が、悠理に集中した。 「どうしたのよ、清四郎と何かあったの?」 「ここのところ、二人とも変ですわよ」 可憐と野梨子が問いかけた。
「…別に、なんもないよ。けどあいつさ~、あたいが問題とかわかんないと、頭とかバンバン叩くんだもん。もうヤダ」 悠理は俯いたまま、バリバリとスナック菓子を食べ続けた。 「清四郎がお前をぽんぽん叩くなんて、今に始まったことじゃないだろ?それも、お前のためを思ってだぞ」 「ふ~ん。それでも今までは、なんやかんや言っても結局は清四郎に頼ってたくせに。ずいぶん急に嫌になったんだね」 魅録が眉をしかめて諭すように話しかけ、美童が青い瞳に怪訝そうな色を浮かべて悠理を見つめた。
「ごちそーさま~。あたいも教室に戻ろっと」 その視線を避けるように、悠理は空になったスナック菓子の袋をクシャ、と丸めてゴミ箱に放り込み、部室から駆け出していった。 4人がその後姿を見送る。
「ありゃ、何かあったな」 「たぶんね……」 「何があったのですかしら?」 「さぁ…でも、変にこじれてなきゃいいけど…」
4人は溜息をつく。 あの二人のことだ。何があったか、なんて清四郎に聞いてもおそらく話しはしまい。 となると単細胞の悠理に、カマをかけて聞き出せばいいことだが… なんとなく、無理に聞きだしてはいけないような、そんな気が4人はしていた。
*****
生徒会室を飛び出した悠理は、教室へと廊下を駆けていた。 ふと、その足が止まった、すぐ横の教室の中。 窓際の席で机に頬杖を突いて、ぼんやりと考え事をしている整った横顔がある。 その横顔を見ただけで、今は胸が痛んだ。
溜息をついて、清四郎が顔を廊下側に向けた。
そして、廊下に立ちすくむ、華奢な姿に気がついた。 ガタンッ!と立ち上がった拍子に、椅子が後ろ向けに倒れた。 周りにいた生徒達が、驚いて彼を見つめた。
お互いに、声も出せずに見詰め合う。 切ない視線が絡み合う。
「悠…理」 声にならない声で、清四郎は彼女の名を呼んだ。 悠理はビクッと肩を震わせ、きびすを返してまた駆け出した。振り向きもせず。
ぎゅっと一度目を瞑ると、清四郎は倒れた椅子を起こして腰掛けた。 また小さく、溜息。 机の上に置いた教科書をぱらぱらとめくり、読んでいる振りをした。
周囲の生徒達が、そんな彼の様子を不思議そうに見つめていた。 その中に、偶然教室の前を通りがかった野梨子もいた。
*****
「ふえ~ん、野梨子ぉ。お腹空いたよ~」 「もう少しで終わりますでしょ。さっさと問題を解く!」 悠理の泣き言に、野梨子がパシッ、と丸めた教科書で机を叩きながら言った。 「うげ、清四郎そっくり。さすがは幼馴染だな、お前ら」 「清四郎よりも厳しいかもしれませんわよ。私が勉強を見ていたのに、いつもよりも点が下がったら困りますもの」 涼しげに答えると、野梨子は今朝清四郎から受け取った、悠理の勉強スケジュールを読み返した。
試験3日前の放課後。 臨時で悠理の家庭教師を引き受けた野梨子は、悠理の部屋に来ていた。 ガシガシと頭を掻きながら、おとなしく試験の擬似問題に取り組んでいる悠理を見つめ、野梨子は小さな溜息をついた。
綺麗にパソコンで作られた擬似問題。 きっちりと悠理の弱点を掴んで、その克服のために組まれたスケジュール。 余白には几帳面な字で、野梨子への連絡事項が書き込まれている。 これだけの物を作るには、ある程度の時間が必要だろう。 あの「冷たいところのある」幼馴染が悠理の為に、毎回試験の度にどれ程の時間を割いていたのか。
先日の、教室での出来事を思い浮かべた。 二人の、互いを見つめる切ない視線。 いつから、二人はあんな目で見詰め合うようになったのか? あの視線にも、この擬似問題やスケジュールにも、幼馴染の悠理への思いが詰まっているような気がした。
―――清四郎は、悠理に恋をしていますのね。 一番近くにいながら、初めて知った幼馴染の恋情。 清四郎は恋愛の出来ない体質なのではと、人事ながら心配していた野梨子は、素直にそれを嬉しく感じた。 相手が他ならぬ悠理であったことにも。 けれど、最近の二人の様子はどうしたことだろう。 ―――悠理は清四郎が好きではないの?いえ、そんな筈はありませんわ。 何故とはいえないが、野梨子には確信があった。 でも、お互いに思い合っているのなら、ここのところの二人の様子はどうしたことだろう。
―――私には、わかりませんわね。 思わず深く溜息をついた。 恋愛上手な美童や可憐ならいざ知らず、清四郎と悠理と同じく、恋愛不得手な自分では。 でも…… 大切な幼馴染達が、このまますれ違ったままでいるのは嫌だった。 二人には、うまくいって欲しいから。 ―――私に出来ることは?
「悠理」 問題が難しいのか、頭を抱えている悠理に声をかけた。 「んー?」 「清四郎はいつも、こんな風に悠理に擬似問題を作ったり、勉強スケジュールを立てたりしてくれますの?」 「うん。いつもそうだじょ」 「……清四郎は、悠理のことをとても大切に思っていますのね」 穏やかに、言って聞かせたつもりだった。
「違うっ!あいつはあたいのことなんて、ちっとも大事に思ってやしないっ!」 だから、言い返してきた悠理の言葉の勢いに、野梨子は驚いた。 「でも…」 「何にも知らない癖にっ!大事に思ってたら、大事に思ってたら…何で、何で……」 ぼろぼろと、悠理の瞳から涙が零れ落ちた。 子供のように泣きながら、自分を見上げる悠理に、野梨子の胸がぎゅっと痛んだ。 悠理の肩を抱き、ゆっくりと髪の毛を撫でてやった。 「ごめんなさい。清四郎と何かあったんですのね?でも、悠理も清四郎が好きなのでしょう?」
野梨子の言葉に、悠理は目を見開いた。 ―――好き?あたいが、清四郎を? すとん、と、パズルのピースが嵌ったかのような感覚。 ああ、そうか。と。 清四郎が好きだから、抱かれることに抵抗がなかったんだ。 好きだから、清四郎のあの言葉が許せなかったんだ。 そして、好きだから―――今、触れ合えないことが、こんなにも辛いんだ。
野梨子の手が優しく、悠理の髪を撫で続ける。 肩を抱く手の暖かさに、悠理の心が凪いでいく。涙も止まった。 「……ありがとう、野梨子」 野梨子の顔を見上げ、微笑んで見せた。 野梨子もにっこりと笑う。 「清四郎と、きちんと話をなさいませ。今のままでは、辛いでしょう?」 野梨子の言葉に、素直に頷いた。
そういえば、一度も清四郎に聞いたことがなかった。 「何故、あたいを抱くんだ?」と。 一度も答えたことがなかった。 「何故、僕に抱かれるのですか?」という問いに。
「へへ…泣いたら、腹へっちゃった。何か食べてもいーい?」 「まあ、悠理ったら。問題を解き終えるのが先ですわ!」 いつもどおりの会話を野梨子と交わしながら、悠理は決心していた。 清四郎と、きちんと向き合うことを。
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