4.
広い前庭を通り抜けたタクシーが、門を出ると左に曲がっていった。 清四郎の乗ったタクシーが見えなくなるまで、あたいは手を振って見送った。 ふぅ…軽く、溜息。
幸せな、一日。 清四郎とショッピングをして、お茶して、夕ご飯を一緒に食べて。 まるで「デート」してるみたいだった。 清四郎は、今日一日ずっと優しかったし。
「お嬢ちゃま…」 玄関口に立ったまま、ぼーっと今日のことを思い出していたあたいに、五代がそっと声をかけてきた。 なんか、気遣わしげな声。 「何?」 「圭一様が、おいでになっておられます」 はっと振り返ると、そこに青ざめた圭一の姿があった。
*****
コーヒーを一口のみ、あたいはほぉっと息を吐いた。 目の前に座った圭一は無言だ。 あたいの部屋に入ってから、ずっと、無言。メイドがコーヒーを持ってきたときも。 なんだか、マジで居心地悪い。
「なぁ……」 沈黙に耐え切れずに呼びかけると、圭一がコーヒーの碗越しに上目遣いでこっちを見た。 「なんか、言ってよ」
コト。テーブルにコーヒーカップが置かれた。 「…嘘は、ついて欲しくなかったな」 「へ?」 「清四郎君と一緒だったんだろう?僕が電話した時も」 「……?」 「”ダチと一緒”って言ったよね?」 「だって、そうじゃん。清四郎は"ダチ"だもん。あたいの大事な……」 勢い込んで、そう答える。嘘をついたわけじゃない。
「本当に?」 圭一の切れ長の瞳が、あたいをぐっと見据える。 「本当に”ダチ”というだけ?」 「……何が言いたいんだよ」
心臓が、ドキドキとうるさく鳴り始める。 あたいのやましい心の内を、圭一には全部読まれているみたいで。
「指輪……」 「え?」 「この間悠理が欲しいって言ってた奴、サイズの直しが出来たって連絡があったから、二人で取りに行こうと思ったんだ」 「……」 「でも、もういらないのかな?」
―――この前デートした時、たまたま入ったジュエリーショップで見つけた、かわいいリング。 「これかわいい〜」って言ったあたいに、圭一が言った。 「僕と、ずっと一緒にいるって約束してくれるなら、買ってあげるよ」 あたいは無邪気に答えた。
「え〜、だったら今買って!」
正直、そんなに深く考えて言った言葉じゃなかった。 でも、圭一のことが好きなのは事実だったし、ずっと一緒に入れたらいいとも思っていた。 その時にはまだ、清四郎に対する自分の気持ちには気付いていなかったから―――。
あたいは唇を噛み、圭一から目を逸らした。 まともに、彼の顔を見ることが出来なかった。
ずるい。あたいはずるい。
清四郎を好きなのに、圭一を失うのも嫌だと思ってる。 清四郎の気持ちはわからないから。圭一は優しいから。 こんな態度は、どっちにも失礼なことだってわかっているのに。
「ごめん…」 圭一の言葉に、驚いて顔を上げる。 「こんなこと、言うつもりはなかったんだ。でも…」 言葉を繋ぐ圭一の表情はとても苦しそうだ。
「僕は、悠理を離したくない。たとえ……勝ち目はないとしても。もう一度、悠理の気持ちを僕に…僕だけに、向けさせたい」
無理かな?圭一は寂しそうに微笑むと、首をかしげて見せた。 言わなきゃ…ちゃんと、自分の気持ちを伝えなきゃ。
「圭一、あたい…」 「いい、言わなくて」 優しい顔立ちに、不釣合いなほどにきっぱりとした圭一の声。 「今はまだ…君の答えを聞きたくないんだ」
おやすみ、と言って、圭一は部屋を出て行った。 取り残されたあたいは、ソファに腰掛けたまま呆然としていた。 ふいに涙が浮かんできたけど、歯を食いしばって押し留めた。 あたいに、泣く資格なんてない。
圭一に悪いと思っている、今こんな時でさえ、あたいの心に浮かんでくるのは清四郎の姿だった。 今日一日、ずっとあたいは清四郎のことしか頭になかった。 圭一と電話で話をしていたあの時でさえ、あたいが気にしていたのは隣に立っていた清四郎のことだった。
清四郎が好き。清四郎が好き。 優しい瞳も、イジワルなものの言い方も。 あたいの髪を掻きまわす、あの大きな手も。清四郎の、全部が好き。 清四郎に触れたい。もっと一緒にいたい。
…わかってる。 清四郎に思いを告げるためには、圭一を傷付けなければならないってこと。 でもその時を、まだ先延ばしにしたいと思っている、ずるいあたい。 何かを手に入れるためには、別の何かを失うしかないっていうのに。
…違う。 あたいは怖がっているだけ。 清四郎に思いを告げても、応えてはくれないかもしれない。 「友人としか思えない」そう、言われるだけかもしれない。 圭一に別れを告げて、清四郎に拒絶されたら……あたいはひとりぼっちになってしまう。 そうなることを避けたくて、あたいはどっちつかずの態度のままでいる。
一人になるのが怖いなんて、あたいはいつからこんなに弱くなってしまったんだろう?
*****
部屋に戻ると、僕は着替えてからパソコンを立ち上げた。 マウスを操作し、先日魅録からのメールで届いた写真を表示させる。 画面に広がる、悠理の笑顔。 ワインのグラスを持ち、振り返る格好でカメラに向けて笑っている。 その隣には、僕。グラスを掲げて見せている。
無意識のうちに、微笑が浮かぶ。 手を伸ばし、ディスプレイの中の悠理の頬にそっと触れてみる。 指を滑らせて、赤い唇に。
さっきは、本当に触れることが出来そうなほど僕の近くにあった、この唇。 「楽しかった」と、笑顔で囁いたこの唇。
―――悠理が欲しい。 ごまかしようのない、強い感情。 今日一日、ずっと僕の中で疼いていた思い。
悠理が欲しい。悠理が欲しい。 たとえ、かなわない思いだとしても、この気持ちを打ち明けたい。 あの秋の日からずっと、僕が胸の内に抱き続けてきた思いを。 他の誰も、とって代われはしなかった、僕にとっての悠理という存在のことを。 僕が抱いた諦めも、後悔も、お前に対するすべての感情を、今、打ち明けたい。
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