3.

 




「悠理?」

秋晴れの土曜の午後。
雑踏の中、周囲の女性達よりも頭ひとつ飛び抜けたふわふわとした髪の後姿を見つけた。
僕の声に怪訝そうに振り返ったのはやはり、悠理だった。
僕の姿を見つけるといつもの、太陽のような笑みがその顔一杯に広がる。
「せーしろー!偶然だな。何やってんだ?こんなトコで」
相変わらずの乱暴な言葉遣い。
けれど…それが嬉しいと感じている自分に苦笑してしまう。


「少し涼しくなってきたのでね、秋物の衣類を購入しようかと思いまして…悠理は?」
「んー、あたいは暇だから、ぶらぶらしてた。服買いに行くの?あたいも付き合ってもいい?」
「いいですけど…」
少し、言いよどむ。
「彼との約束は、ないのですか?」
悠理は何故か一瞬、きょとん、とした顔を見せた。
「んーん。だって、あいつは今日は仕事だもん」
「それで暇なんですか。じゃあ、買い物をして、お茶でもご一緒しますか」
「うん!」


僕達は、並んで歩き出した。
僕の隣を、手を振ってすいすいと悠理は歩く。
こうして隣り合って歩くなど、本当に久しぶりだ。
今日の悠理は、黒の襟ぐりが大きく開いたニットに細身のジーンズ。
ローライズの腰には太い紫色のウエスタン調のベルトを巻いている。
足元は、ベルトと同じ紫色のショートウエスタンブーツだ。
こういったロック調の服装は高校時代もよく着ていたが、やはりぐっとシックに、洗練された雰囲気になっている。
昔はただただ奇抜な趣味だったのに、ずいぶんと落ち着いたものだ。
横目で見ながら歩いていると、悠理が僕の視線に気が付いた。
「何?」
「…いえ、悠理のセンスもずいぶんと落ち着いたな、と思いまして」
「そーかな?あんまり変わったつもりもないんだけど?」
小鹿の様な瞳をくりっとさせて、悠理は僕を見上げた。
そのかわいらしさに、思わず抱きしめたくなる衝動を必死で抑える。
「変わりましたよ、本当に。ああ、そこの店です」


行きつけの紳士服店。

英国調のトラッドな品揃えが気に入っている。
店内に一歩入ると、顔なじみの女店員達が一様に驚いた顔を見せ、挨拶をしてくる。
「いらっしゃいませ、菊正宗さん」
「こんにちは。涼しくなってきたので、秋物をいただこうかと思いまして…適当に見させていただきますよ」

悠理はきょろきょろと店内を見回している。
「へ〜、お前ってこういうとこで服買ってたんだ。結構お洒落な店じゃん。高校の時から?」
「いや、あの頃はお袋や姉貴に任せてましたね。あまり着るものには興味はなかったので…」

とりあえず、手直にディスプレイしてあるシャツを手に取りながら僕は答えた。
「だろうな〜、お前のセンスってオヤジ臭かったもん」
「…悠理に言われたくありませんね。一体どういう所で洋服を買っているのかと、いつも思ってましたよ」
「普通のとこだったぞ。あ、コレお前に似合いそう!」


悠理が手に取ったのは、黒いタートルニット。
前に幾筋か、ケーブル編みの模様が入っているだけのシンプルなものだ。
「ほら。お前ってこういうの似合うよな」
悠理はそういいながら、僕の胸にセーターを合わせて見せた。
悠理の手が僕の胸に触れ、僕の心臓が一つ大きく跳ねる。
悠理にそれを気取られないように、僕は悠理の手からセーターを取ると、鏡に向かった。
大きな鏡の中にセーターを胸に当てた僕と、一歩後ろで鏡に映る僕を笑顔で見ている悠理。
「ふむ、いいですね。じゃあ、コレにしますか」


他にもシャツや、ジャケットなどを二人で選んだ。
以外にも、悠理が選ぶものはどれも僕にしっくりと馴染むようなものばかりであった。
やはり、長い付き合いで僕の好みをよくわかってくれているせいかと思うと嬉しくて、僕の口元は緩みっぱなしだったかもしれない。



「かわいらしい方ですね。菊正宗さんの彼女ですか?」
レジで支払いを済ませていた時、店員がそう聞いてきた。
「いえ…友人です。偶然近くで会ったもので」
答えながら、そういえばいつもは店員達が少しうるさく感じる位に接客をしてくるのが、今日は遠巻きに眺めていただけだったな、と思う。
「あら、てっきり彼女だと思ってましたわ。とてもいい雰囲気だったので」
「そうですか?」
忍ぶれど、色に出にけり…ですかね?
どうやら、傍目にみても僕の心が浮き立っているのは丸分かりらしい。


「お待たせしました。喉が渇きましたね。お茶でもしましょうか?」
「うん!近くにケーキがうまいカフェがあるぞ!」


それから僕達はカフェでお茶をし、何軒かの店を回った。
僕のお気に入りの店や、悠理の行きつけの店。
お互いの服や小物を選び合い、互いのセンスを批評し合った。
まるでデートだと、僕は思った。
はたから見れば、僕らは恋人同士に見えるのだろうか?
先程の、店員に言われたように?




最後の店を出たときには、二人とも両手に紙袋を幾つも提げていた。
「ふう。ずいぶんと買い込んでしまったな。こんなに買うつもりはなかったんですけどね」
「あたいも、今日は買い物する気はなかったんだけどな」
二人で顔を見合わせ、笑った。
真顔に戻ったとき、僕達はなんとなく見詰め合った。
―――もう少し、一緒にいたい。
浮かんできた思いに、素直に僕は従った。
「悠理、よかったら、夕食を食べて帰りませんか?買い物に付き合ってもらったお礼に、ご馳走しますよ」

「ほんと?やった!何を食べ……」


♪〜

ふいに、悠理の携帯が鳴り出した。
悠理が慌てたように携帯を取り出し、耳に当てる。
「もしもし…ああ、圭一」
ズキン…胸が、押しつぶされるように痛んだ。
そう、悠理は僕のものじゃない。


「今?買い物してた。仕事終わったの?そう…夕ご飯?まだだけど……」
悠理がちらっと、僕の顔を見上げた。
僕は眉を下げ、2度、軽く頷いて見せた。
……聞かなくてもわかる。電話の内容は、彼からの夕食の誘い。
タイムリミット。
僕の夢の時間は終わり。
これからは、恋人達の時間だ。


「うん…ごめん、あのさ……」
悠理が携帯に向かって話す言葉に、僕は片眉を上げた。
「今、ダチと一緒なんだ。で、夕ご飯食べようって言ってたとこだから…うん、ごめん。後で電話する」
じゃあな、と悠理は電話を切った
「ごめん。何食べに行く?」
「って…いいんですか?今の電話、彼からだったのでしょう?」
「うん。でも…清四郎のが、先だったからさ……」
照れたように俯く悠理に、僕は自分の耳を疑った。
彼よりも、僕を優先してくれるのですか?





*****






マグロのカルッパチョ、海老のマリネ。
季節のサラダにラタトゥイユ、パスタ各種にピザ・マルガリータ。ワインはバローロ・リゼルヴァの1990年物。
イタリアンの店で夕食をとりながら、僕達はとりとめもなく会話を交わした。
卒業してからの自分のこと、仲間のこと、今の自分の毎日。


「圭一さんとは、どこで知り合ったんですか?」
僕は、ずっと聞きたかったことを口に出した。
「ん?始めて会ったのは剣菱電気のパーティの時かな。優秀な技術者だって、にーちゃんが一目置いててさ」
「パーティでですか…」
「あたいもさ…その、あたいが剣菱の娘だからかなーとか思ったんだけど、あいつって、そういう打算とかあんまりないみたいで…」
僕の言葉に含みを感じたのか、悠理が上目使いに僕を見ながら答えた。
「わかりますよ」
ワインを、ぐっと飲み干す。
「悠理は…とても綺麗になりました。きっと、いい恋をしているからだと思いますよ。…素敵な人とね」
悠理の顔を見ずに、僕は言った。少し、寂しい。認めるのは悔しい。
「そーかな……」
顔を上げると、本当にゆでダコのように真っ赤になった悠理と目があった。


「ぷ。くくく……なんて顔してるんです?」
「だ、だって、お前がヘンなこと言うから!」
「おや、僕は褒めたんですよ。あの、猿で犬で性別未確認物体だった悠理でも、恋をすると変わるものだと思いましてねぇ」
「って、それ、褒めてないじゃん!」


変わらない、悠理。

変わらない、僕達の関係。
昔どおりの会話は、少し胸に切なく―――





*****






夕食を終え、僕はタクシーで悠理を剣菱邸に送っていった。
玄関前で車を降り、向かい合う。
「じゃあ、悠理。今日は本当に楽しかったですよ。ありがとうございます」
「ん。あたいもすごく楽しかった」
ポン、と悠理の頭に手を置き、くしゃっとかき混ぜる。
高校時代からよくしていた、僕の癖のようなしぐさ。
本当は、あの頃から僕は悠理に触れたくて、こうしていたのかもしれない。


悠理の頭に置いた手を、離せない自分がいた。
くしゃ、と、もう一度かき混ぜ、そのまま手を滑らせて髪を撫で、細い肩に手を置いた。
悠理が、僕の顔をじっと見つめる。僕も、見つめ返す。
もっと触れたい。口づけたい。
僕のものに、したい。
たとえ、叶わない想いだとしても―――
「悠理……」



「おじょうちゃま、お帰りですか。おや、清四郎様。ご一緒でしたか?」
五代の声に、僕ははっと我に返った。
「ああ、こんばんは。外で偶然会いましてね、食事を一緒にしていたんです。じゃあ、悠理。また…」
「うん。またな、清四郎…」

僕は軽く会釈をすると、タクシーに乗り込んだ。
車が走り出す。
手を振る悠理の姿が小さくなっていく。



僕は、何を言うつもりだったのだろう?
悠理を、困らせるだけの告白?
車の窓に映る自分の顔が、酷く歪んで見えた。

 

 

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