2.
前庭に面した広い窓の側に立ち、あたいはずっと庭を眺めていた。 所々に立つライトが、昼間はやや悪趣味な庭をも幻想的に見せている。 なんだか頬が熱い。 ガラスに頬を押し付けてみる。 冷たい。いい気持ち。 目を閉じて、しばらくそうしていた。
「…悠理?」 やさしい声に呼びかけられて、あたいは振り返る。 声の主は、先程までと−ちゃんとかーちゃんと話していたようだ。
「用事、終わったのか?」 「ああ、でも今日はもう帰るよ。悠理も疲れているんだろう?」 「へへ…ちょっとな。久しぶりに皆に会えて嬉しかったんで、はしゃぎすぎちまったかも」
そっと、手が頬に触れる。 「赤くなってるぞ」 つ、とキスが頬に落ちた。 唇が離れ、指が名残惜しげに後を追う。 「おやすみ。送らなくていいよ。ここで見ていて」 「おやすみ、圭一。また明日な」 軽く手を振り、部屋を出て行く後姿を見送りながら、あたいは幸福な溜息をつく。 また窓に向き直り、ガラスに額をつけて、庭に目を凝らす。 玄関に圭一の姿が現れるのを待つ。 あいつったら、今日は仲間と久しぶりに集まるんだって言ってたのに、いきなり来るからびっくりしたじょ。
*****
「ごめん。悠理が探してたCDを見つけたから、早く渡したくって」 そういって圭一が部屋に入ってきたとき、あたいは可憐と美童と話してたんだ。 「あ、ありがと。入ってよ、あたいのダチ紹介するからさ〜」 あたいはCDを受け取って、皆に圭一を紹介しようとした。
「可憐と野梨子は知ってるよな。こいつが美童」 「吾妻嶺(あずまみね)圭一です。よろしく」 「美童・グランマニエです、よろしく」 "世界の恋人”は、完璧な笑顔を作って圭一と握手した。 「そんで、こっちが……」 あたいは、美童の後ろに立っていた清四郎と魅録を紹介しようとした。――けど。
「はじめまして、清四郎…君、ですね?悠理さんとお付き合いしています、吾妻嶺圭一です」 圭一はあたいの横を通り過ぎ、清四郎に手を差し出した。 清四郎はちょっと片眉を上げたけど、すぐに仲間以外の人に対してみせる儀礼的な笑顔を顔に貼り付けた。 「はじめまして、菊正宗清四郎です」 「いつも悠理から、あなたの噂を聞いています」 「悠理が話すのでは、きっとろくでもないことなんでしょうね?」 「いえ、そんなことはありませんよ」
二人が話すのを見ていて、あたいはなんだか胸がどきどきしていた。 普通の人に比べると背の高い圭一でも、180センチを超える清四郎の顔は見上げざるをえない。 少し茶色がかったさらさらの髪をした圭一と、黒い髪をオールバックにした清四郎。 柔らかい雰囲気を持つ圭一と、硬質なムードを漂わせる清四郎。 二人の姿は、まるで対照的で。 二人とも、なんだかえらく慇懃無礼で。 清四郎はともかく、圭一は普段そんな話し方する奴じゃないから、どうしたんだ?って思って。
「松竹梅魅録です、悠理と付き合うなんて勇気がありますね」 二人の間の空気を察したのか、魅録が割って入るように圭一に手を差し出した。 はっとしたように、その手を握る圭一。 「そんなことありません。悠理は…僕にはもったいないくらいの人です」 「吾妻嶺さんは、今何をしてらっしゃるんですか?学生ですか?」 「いえ僕は、剣菱電気で新製品の技術開発を…」 「へぇ、俺もメカにはちょっとうるさいんですよ。今、どんなものを開発しているんですか?」 「そうなんですってね、悠理から聞いていますよ。今はね…」 圭一が自分の専門分野について話し出し、魅録がそれに聞き入る。 清四郎にも興味深い話だったらしくて、やがて3人はなんだかわけのわからない話で盛り上がり始めた。
「話には聞いてたけど、いい男だね、悠理」 美童がそう言って、あたいのグラスに酒を注いだ。 「ほんと、悠理にはもったいないわよぉ」 「清四郎に向かってあんな風に話すなんて。愛されてますのね、悠理」 たおやかに笑いながらの野梨子の言葉に、あたいは少し顔を赤くした。 「びっくりしたじょ。何ムキになってたんだ?圭一の奴」 「それがわからないとこが、悠理の罪なとこだよね」 美童言う意味が、あたいには本当にわからない。 助けを求めるように可憐を見たけど、可憐はちょっと肩をすくめただけだった。 でも、ま、いいか。 今は楽しそうに話してるし、圭一がこいつらと仲良くなってくれるのはうれしいもんな。
その後は皆で集まったときの常どおり、飲んで騒いで日が暮れていったんだ。
*****
……今日は、ほんとに楽しかったな。 久しぶりに集まった、倶楽部の皆。 可憐、野梨子、魅録、美童、清四郎。 あたいの大好きな、仲間達。 まるで、昔に戻ったみたいだった。 また…ちょくちょく集まれたらって、皆言ってた。 暇が出来たら、NYの可憐のとこに行こうって。 へへ…楽しみ。
ふと、さっき仲間達を見送った時の事を思い出した。 別れ際の清四郎の言葉。 ―――じゃあ、悠理。また。 頭にぽん、と手を置き、くしゃっとかき混ぜられた。 清四郎の、癖。 懐かしくて、嬉しくって、あいつの顔を見上げたら、びっくりするくらいに優しい瞳がそこにあった。 あいつって、あんな優しい目をしてたっけ? 随分久しぶりに会ったけど、ぜんぜん変わってなかったなー。あいつ、昔っから老けてたもんなぁ。 クスクス笑いが漏れる。 ライトに照らされた、庭の風景に目が行く。 家の前に作られた、池から流れ出している小川の流れ。 急に、目の前に高等部時代に清四郎と行った知らない町の情景が浮かんだ。 きらきら光る川面、倒れた自転車、草の匂い、あたいの髪についた枯れ草をそっとつまんだ清四郎の指―――
ぼたぼたぼたっ。 え?何これ。 あたい……泣いてる? 何で? フラッシュバックのように、思い出が浮かんでは消える。 帰り道、屋台から漂ううまそうな匂い。清四郎の苦笑い、帰りの電車、もたれた清四郎の肩のぬくもり…… 「ふ…ひっ…く……う…」 嗚咽が漏れる。 何でこんな…しゃくり上げて泣くなんてこと、最近なかったのに。
霞む視界に、玄関口に立つ圭一が映った。 訝しげに、こっちを窺っている。 手を振らなきゃ。 圭一に向かって小さく手を振ると、大きく振り返してくる。 そのまま車に乗り込んで、圭一の姿は消えた。 あたいは窓に背を向け、まだぼろぼろ零れ落ちる涙が足元の絨毯に染み込んで行くのを見つめていた。
「清四郎……」 自分の口から出た名前に、びっくりした。 でも、わかってしまった。 あの、秋の日。 あたいは、清四郎の事が好きだったんだ。 多分あの日よりもずっとずっと前から。 大好きだった。それはもう、憧れに近いぐらいに。
こんなにも泣けるのは、きっともう、お互いの道が離れてしまったことがわかっているから。 あの頃は、あんなに近くにいたのに。 今、清四郎は自分の人生を歩き始めていて、あたいは圭一との人生を歩き始めている。
もう、戻れない。あの秋の日には―――
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