1.



それはいきなりの提案だった。
受話器の向こうで、野梨子が告げた。


『可憐がしばらくアメリカに行きますの。向こうでジュエリーのデザインを勉強するそうですわ』
「そうですか。本格的に家業を継ぐ決心をしたんですね」
『それでね、久しぶりに皆で集まろうということになりましたの。来週の土曜なんですけど、よろしくて?』

「…土曜、ですか。ええ、大丈夫だと思います」


―――悠理も来るんですか?

そう聞きたい気持ちは、野梨子の次の一言で消えた。


『よかった。じゃあ、場所は悠理の家ですわ。おじ様やおば様も楽しみにしてましてよ』


悠理の家、か。
それならば、彼女がいることは確実。
突然、信じられないくらいのスピードで心臓が鳴り始めた。
何年ぶりになるのだろう?悠理…悠理に会える。
悠理は…変わっただろうか?


「僕も楽しみですよ。本当に久しぶりですからね」
電話の向こうにまで、この動悸が聞こえているのではないだろうか。
そんな僕の気持ちに気づくこともなく、野梨子はただ『じゃあ、当日は迎えに来てくださいね』とだけ言って電話を切った。





*****





久しぶりに皆で集まることになった日の朝、僕は念入りに身支度をしていた。
―――遅夏の一日。
勝手知ったる家に行くのだから、それほどめかし込む必要もない。
けれど……


あれこれと洋服を手にとって思い悩む自分に、我ながらおかしくなってくる。
初めてのデートに望む少年少女でもあるまいに。
何を着ていこうが、たいした問題ではないだろうに。
結局一時間近くも迷った末、細かいチェックの織地のオフホワイトのシャツに、ベージュのスラックスを合わせた。

ネクタイは締めずに、麻のジャケットを羽織って家を出た。



―――悠理に、会えるのだ。




*****





濃紺に白い襟のついたワンピースを纏った野梨子を乗せ、僕の車は剣菱邸の門をくぐった。
相も変わらず珍妙な外観のこの家も、なぜかとても懐かしい。
車を下り、僕たちは邸内へと入っていく。
まるで5年の月日が流れていることなど、なかったかのような気がした。


「おお、いらっしゃいませ。清四郎様、お久しぶりでございます。ご立派になられて」
「ご無沙汰していました。変わりませんね、五代さん」
「ええ、おかげさまで。ささ、じょうちゃまがお待ちかねですぞ」


五代は、昔と変わらぬ笑顔で僕を迎えてくれる。
案内されたのは悠理の部屋ではなく、剣菱邸にいくつかあるパーティルームの内のひとつ。
僕は野梨子をエスコートして、開け放たれたドアからその部屋に足を踏み入れた。
剣菱邸の中では小さめのその部屋には、いくつかのテーブルクロスをかけたテーブルが置かれ、所狭しと料理や酒が並べられている。

部屋の奥、壁際に優美なラインのソファに腰掛け、談笑していた女性がこちらに気付き、立ち上がった。



「清四郎!」



僕の名を呼び、彼女が早足で近づいてくる。
満面の笑みを浮かべ、嬉しくてたまらないかのように。


―――あの秋の日の、風が吹いたかと思った。
腰掛けた草原の土の匂いや、川面に映る陽の煌めきさえも蘇ったかと。


悠理が、目の前に立っていた。
5年の歳月を経て、大人になった悠理が。




*****





「お前ってば、すっごい久しぶり!生きてたのかよ〜」
「生きてたのかとは、ひどい言い草ですな。久しぶり。元気そうですね、悠理」
「おう、あたいはいつでも元気だぞ」


相変わらずの乱暴な言葉遣いとは裏腹に。
僕は驚嘆の目で悠理を見下ろした。
いつもあちこちに飛び跳ねていたセミロングの髪は、襟足につくくらいのショートカットに整えられていた。
ライトブルーのノースリーブのカットソーは、裾が幅広のリボンになっていて、ウエストでたくし上られている。
光沢のある白い細身のズボンを穿いて、ヒールのあるブルーのサンダルを履いていた。
ヒールのせいか、学生時代に僕を見上げていたのよりも少し緩やかな角度で顔を上げ、僕を見つめる。

もともと背の高い悠理だが、そうしているとまるで一本のカラーの花のように、すっきりと美しい立ち姿だ。


「清四郎、今何やってんだ?」
「大学院に通っていますよ。悠理はもう卒業したんでしょう?豊作さんを手伝ってるんですってね。野梨子に聞きましたよ」

「へへ…手伝ってるって言っても、たいしたことしてないけどな。野梨子、なんか飲むか?」


悠理の視線はすぐに僕から離れ、隣に立つ野梨子に向けられた。
女同士で楽しげに話しながら、壁際へと歩いていく後姿を、僕はその場に立ち尽くして見つめた。
視界の端に、こちらに手を上げてみせるピンク色と金色の頭髪が見え、僕はそちらへと歩いていった。


「よぉ、久しぶりだな」
「ほんと。僕なんか、会うの2年ぶりぐらいじゃない?何してんだよ」
「色々と忙しくてね、無沙汰は詫びますよ」
「今日はゆっくりできるんだろ?ま、飲もうぜ」
「久しぶりの再開を祝って乾杯といきますか?」
「それは可憐が来てからだよ。…あいつ、遅いな」


随分会わなかったにもかかわらず、全くよどみなく流れる会話。
これだからこそ、親友というのであろう。
しかし、仲間との会話を楽しむ一方で、僕の視線はずっと悠理を追っていた。
察しの良い美童や、こういうことには疎い魅録にさえも、気付かれるかもしれないと思いながらも。

 

僕の目は、心は、悠理に捉われていた。
美しい、その姿に。


 

何故か、僕は悠理はずっと変わらないと思い込んでいたようだ。
だがそんな筈は無論なく…
悠理は、変わった。驚くほどに。
目を見張るほどに美しく、たおやかに女らしくなった。
そして悠理をそんな風に美しく変えたのは…
僕ではない、他の男。


女性というものは恋をすると美しくなると言われるが、全ての恋が女性を美しくするわけではない。

良い恋をして、良い男に愛されてこそ、女性は美しくなるのだ。
ならば、悠理の恋人は素晴らしく良い男なのに違いない。
あのいつもいつも飛び跳ねていた山猿を、ここまで美しく変えたのだから。



ずきん、と胸が痛みだす。
わかりきっていた筈の事実を、目の前に突きつけられて。
ここにいるのは、僕の知らない時間を過ごしてきた悠理。
僕ではない、誰かに愛されている悠理。
僕ではない、誰かを愛している悠理。
そして―――


僕ではない、誰かに抱かれている悠理。




「ごめ〜ん!遅れちゃった。あら、清四郎ってば、久しぶり。生きてたのね」


華やかな声に、僕の思考は遮られた。
華やかな声、華やかな姿。
「相変わらずですねぇ、可憐。ニューヨークに留学とは、玉の輿は諦めたんですか?」
「何言ってるのよ。向こうに行ったほうが、よりスケールの大きな玉の輿がつかめるかも知れないじゃない?」

明るく笑いながらそう言うと、可憐は友人達の輪の中に入っていく。


昔どおりに、たわいもない会話が交わされ、酒が酌み交わされる。
心地良い酔いがその場を支配し、暖かい空気が流れる。
昔に返った―――そんな気分を、そこにいる皆が味わっていた。
その中で僕は、自分の心も、昔に還っていくのを感じていた。



悠理が、僕の手の中にいたあの頃に。
諦めも、後悔も感じることなく、ただ、彼女の傍にいられたあの頃に。


 

 

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