2.
「名輪、もうここでいいよ。後は走っていくから」
クリスマス・イブの夜。 予想以上の渋滞に巻き込まれた車の中で、悠理は焦りの色を浮かべながら、運転手にそう告げた。 待ち合わせの時間を、もう10分過ぎている。時間にはうるさい清四郎のことだ、きっとイライラしながら待っているだろう。
このまま進まない車の中にいるよりも、自分の足で駆けた方がいい。 悠理は、路肩に寄せられた車からあわただしく下りると、行きかう人の間を縫うように、小走りで待ち合わせ場所へと向かった。 着慣れないドレスのスカートが、足にまとわりついて邪魔をする。
―――いっそ、捲り上げて走ろうか。 そう考えた悠理の脳裏に、女友達の笑顔が浮かんだ。
*****
一週間前の夜。 悠理の部屋は、笑い声と華やいだ空気に満ちていた。
「やっぱり、このドレスがいいんじゃない?」 「ええ、私もそれがいいと思いますわ」 「そーかな?でも、なんかあたいのキャラと合ってないんじゃない?」
部屋の床を色とりどりのシルクの海にして、女三人で悠理が着ていくドレスを選んでいたのだ。
「あら、そんなことないわよ。清四郎はきっと若さのカケラもないスーツ姿だろうから、あんたもそれに釣り合うような大人っぽい服にしなきゃ」
可憐が手にしていたのは、ワインレッドのスレンダーなラインのドレスだ。 大きく開いた胸元には細かなギャザーが寄せられ、悠理の寂しい胸元をふっくらと見せ、くびれたウェストからすとんと落ちるシルエットは、悠理のスタイルのよさを引き立てる。
「それを着て、この白いラビットファーのコートを羽織れば、クリスマスらしくて素敵ですわ」 「そうそう!靴はこれがお揃いっぽくていいわね。髪は、まとめる?」 「そうですわね。このビーズのコームを後ろにつけると、綺麗ですわよ」 「え?え?なんか、あたいじゃないみたい…」
次々にイブの夜のコーディネートを決めていく友人達に、悠理はやや戸惑い気味だった。
「いいのよ。普段女らしさのカケラもないあんたが、こんな女らしい格好で目の前に現れたら、あいつだってあんたを見直すわよ」 「そうかなぁ…似合わないって、笑われそうだじょ」 「そんなことありませんわよ。さぁ、これで完璧ですわ」
野梨子にぽんと背中を叩かれ、改めて姿見に向き合った。 そこには、一分の隙もなくドレスアップした自分の姿。 普段の自分とあまりにも違うことに悠理は驚き、まじまじと鏡の中の自分を見つめた。 その後ろで、可憐と野梨子は自分たちの見立てに満足そうに頷いていた。
「さぁ、イブの日はあたしはデートのかけもちで来られないから、ちゃんと自分で支度するのよ。野梨子は、イブはどうするの?」 「例年通り、家族で食事ですわ」 「あんたも、色気がないわねぇ。来年は、あんたにロマンチックなクリスマスを用意してあげないといけないわね」 可憐は、テーブルに置かれたままになっていたティーカップを手に取り、すっかり冷めたミルクティーを一口飲んだ。 「結構ですわ。清四郎とのデートなど用意していただいても、嬉しくありませんもの」 野梨子も同じようにカップを手に取りながら、きっぱりと言い切った。 その言葉を耳にした途端、悠理の肩はびくり、と動いた。
「清四郎は、駄目よ。ねぇ?」 可憐が、悠理の後姿を見やりながら、含みのある調子で言った。 「……」 無言のままの悠理は、自分の頬が、首筋が、真っ赤に染まっていくのを感じた。
「まぁ、そうでしたの?」 その様子を見た野梨子が、顔を輝かせて可憐に聞いた。 「相変わらず鈍感ねぇ。そうでなきゃ、誰がこんなに骨を折って、お膳立てなんかするもんですか。大変だったのよ、あのレストランの予約取るの」 「そう、そうですの。よかったですわね、悠理」 つんとして答える可憐をよそに、野梨子は優しく微笑みながら、悠理に何度も頷いて見せた。
*****
―――あいつらの気持ちを、無にしちゃ駄目だよな。 悠理は、スカートをまくろうとしていた手を止め、出来る限りの早足で歩道を歩き始めた。
可憐は、いつから気付いていたのだろう? いつのまにか清四郎の姿を目で追うようになっていた、あたいの気持ちを。
ずっと、友人だとしか思っていなかった清四郎のことを、悠理が特別に意識したのは、高校生活も終わりを告げようとしていた、ある冬の日のこと。 放課後の音楽室で、一心にピアノを弾く清四郎の姿を見てからだった。 いつも悠理をからかって、ペット扱いする嫌味な男の奏でる、思いがけない優しい音色。 傍で聞いていると、すっと心がほぐれていくような、身体が、温かくなるような。
あの音色を聞いてから、悠理の清四郎に対する感情が、少しづつ変わっていった。 今まで知らなかった、よく見えていなかった彼の本来の姿が、悠理に見えてきた。
彼の辛らつな口調の裏に隠された、相手の事を強く思う心。 余裕たっぷりで、倶楽部の誰より大人びて見えても、本当は彼も、年相応に大人になりきれていないところが多々あること。
そんな清四郎の姿に気付く度になんだかひどく嬉しくて、気がつけば、ずっと彼の姿を追うようになっていた。 そして、ふと気付いた。
―――あたいは、清四郎のことが好き?
気付いたことで、悠理の恋心は加速して行った。 けれど、今まで「男同士の付き合い」をしてきた清四郎に、自分を女として見て貰えるわけがないこともよくわかっていた。 だから、今まで以上に彼の前ではガサツで色気のない振る舞いをするようになり、清四郎の呆れた顔を見ては、深く落ち込んだりしていた。
そんな悠理の姿を、見ていられないというように手を差し伸べてきたのは可憐だった。 自称、恋愛の達人。情に厚く、面倒見のいい友だ。
「あんた、清四郎のことが好きなんでしょ?」 単刀直入に聞かれて、真っ赤になって口ごもる悠理をよそに、可憐はどんっと胸を叩いて、ウィンクして見せた。
「大丈夫、可憐さんに任せておきなさいって!」
そうして、彼女はさっさとクリスマス・イブに清四郎と二人で過ごす約束を取り付けてきてくれたのである。 「あんたを扱えるような男は、あいつしかいないんだから、取り逃がすんじゃないわよ!」との、お言葉つきで。 そうして野梨子も、最初はわけがわからないままに、悠理を女らしくする為に、色々と手伝ってくれた。
こうまでしても、清四郎が自分の事を女として見てくれるとは期待してはいないが、せめて、あいつらの気持ちには応えたい。 今日のデートを、清四郎と楽しく過ごしたい。
そんなことを思いながら、悠理は待ち合わせ場所へと急いだ。 携帯電話を取り出して時間を見ると、もう7時過ぎ。 もう一度、清四郎に電話を入れて置こうと、携帯を操作しようとした時―――
「きゃーっ!」
すぐ脇の路地から、女性の悲鳴が聞こえた。 声のした方を見ると、恋人同士らしい男女二人が、見るからにチンピラ然とした男たち数名に取り囲まれていた。 「やめてください!」 カップルの男の方が毅然とした口調で言っているが、チンピラたちは二人への距離を縮めていく。
悠理は立ち止まり、躊躇した。 このまま無視して歩けば、10分ほどで待ち合わせの場所に着く。 清四郎が、待っている。でも……
「おうおうおう、カッコつけてんじゃねぇよ!」 チンピラの一人が男の頬を叩き、男に縋ろうとした女の手から、小さな紙袋を奪った。 おそらくは、男が贈ったクリスマスプレゼントだろう。 楽しいイブを過ごすはずが、とんだ災難に会ったものだ。
「チッ」 悠理は舌打ちすると、チンピラたちに向かって歩き出した。 「おい、お前ら、何やってんだ!」 「なんだ、てめぇ?」
突然表れたドレス姿の美女に、チンピラたちが間の抜けた声を上げた。
「カタギの人に迷惑かけてんじゃねーよ!痛い目にあいたくなきゃ、さっさと消えな!」 「な、なにぃ、女の癖に!」
チンピラたちが、悠理の周りを取り囲む。 悠理はゆったりと腕を組み、彼らをねめつけた。
「この!」 チンピラの一人が、拳を振り上げて向かってきた。
「ふざけんな、あたいを誰だと思ってる!」
悠理はスカートを捲り上げ、ふわりと宙に飛んだ。
|