3.

 

 

 

きらめく大きなツリーの下。

清四郎は、次第に冷えてくる身体を少し縮めるようにして、悠理を待っていた。

 

悠理が約束の時間に遅れるなどいつものことなのに、ひどく落胆している自分自身が不思議に思えた。

途中まで車で来ていたのは確かなのに、こうまで遅れるのはおかしい。携帯電話も繋がらないし、何かあったのでは?

ふいに胸騒ぎを覚え、清四郎はもう一度携帯電話を取り出して、悠理の携帯にかけてみることにした。

 

プルルルル…

静かに、呼び出し音が聞こえる。

清四郎は、携帯電話を耳に押し当てたまま、人々が行き交う歩道へと目をやった。

三度目の呼び出し音。カチャ、と音がして、また自動音声に切り替わる。

 

―――おかけになった電話番号は……

 

相変わらずこちらの感情を逆撫でするように明るい、自動音声。

けれど清四郎の耳に、その音声はまったく届いてはいなかった。

 

きらめくイルミネーションの向こう、行きかう人の波の中に、待ち焦がれていた人の姿を捉えたから。

 

 

 

「ゆう、り……?」

 

呆然と、携帯を下ろす。

ヒョコヒョコと足を引き摺りながら歩いてくる悠理に、清四郎は早足で駆け寄った。

近づくにつれ、悠理が遅れて来たわけも、携帯が繋がらなかった理由も、清四郎は見て取った。

 

 

ワインレッドのスレンダーなドレスに、白いラビットファーのコート。

その、ドレスのスカートは、裾から腰近くまで大きく裂け、コートは泥だらけ。

きちんと纏められていただろう髪は、片側が大きく崩れて、ビーズのコームが情けなくぶら下がっている。

足を引き摺っているのは、片方のヒールが折れている所為。

 

 

「ごめん、清四郎。遅れて、ごめん」

「悠理……」

 

驚きと、会えた事への安堵感がない交ぜになって、清四郎は妙に意地悪な気分になった。

「何ですか、その格好は。おまえのことだ、またどこかのチンピラとでも一戦交えてきたんだろう?人がずっと待っているというのに…」

心配させられた分、そう言って悠理をいじめてやりたくなった。

けれど、上目遣いに自分を見上げていた悠理の顔がくしゃくしゃと歪むのを見て、彼は口を閉ざした。

 

 

「ごめん。道がすごく混んでて、途中で車を降りて走ってこようと思ったんだ。でも途中で、チンピラに絡まれてるカップルを見て、思わず…」

ぽろぽろと、大粒の涙をこぼしながら、悠理が話す。

「それで、その格好ですか?まさか、負けたんじゃないでしょうね?」

「なわけないだろ!相手は五人だったけど、楽勝だったぞ」

清四郎の言葉に、悠理は思わず大声で言い返したが、すぐに俯いて小さな声になった。

「…ただ、飛び蹴りしたときにスカートがビリッていって…回し蹴りしたときに、ヒールが折れて…コートも邪魔で脱ぎ捨ててたら、逃げようとした奴に踏んずけられて…。清四郎に電話しようと思ったんだけどさ、コートのポケットに入れてたから、踏まれた拍子に壊れちゃったみたいで…」

「……」

 

清四郎は、いわく言い難い気持ちで俯く悠理を見つめた。

小さな肩が、震えている。声も立てずに、悠理は涙を零している。

 

 

ふと気付くと、周りの人たちが皆、清四郎と悠理に注目していた。

ただでさえ目立つ長身の美男美女。しかも片方が泥だらけで破れた服装ときては、周囲の耳目を集めるのも無理のないこと。

 

「とにかく、ここを離れましょう」

清四郎は着ていたコートを脱ぐと、悠理の細い肩にかけ、コートごと抱くようにして歩き出した。

とりあえず、悠理の家まで送っていくしかない。すぐにタクシーがつかまるだろうか?

歩道に出た清四郎は、左右を見回してタクシーを捜した。イブの夜、空車のまま走っているタクシーはなかなかない。

眉根を寄せ、車道を見渡していた清四郎の目が、ふと一軒の店で止まった。

 

 

 

清四郎に肩を抱かれた悠理は、俯いたまま、ひどく落胆していた。

もうこのまま、家に帰るしかないことはわかっていた。こんな格好では、何処へも行けない。

人の為にしたこととはいえ、清四郎とのクリスマスをフイにしてしまった。

せっかく悠理のためにあれこれと奔走してくれた可憐に、喜んでくれていた野梨子に、なんと言えばいいのだろう?

ごめん、可憐。ごめん、野梨子。

 

考えるほどに悲しくなって、思わずぎゅっと目をつぶって大きくしゃくりあげた。

ふぇ…という泣き声が、唇から漏れる。

そのとき、悠理の肩を抱く清四郎の手に力がこもり、彼の足が止まった。

 

 

「悠理、あそこに寄りましょう」

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「いらっしゃいませ」

「いらっしゃいませ。まぁ、菊正宗の。先日はお母様とお姉さまにドレスをオーダーいただいて…」

 

にこやかに出迎えた店員達が、悠理の姿を見たとたんに困惑したような表情に変わった。

二人が入ったのは、待ち合わせ場所から道一本隔てたところに建つ、瀟洒な店構えのブティック。

女性オーナーの趣味のよさで知られるこの店は、清四郎の母と姉の行きつけの店であった。

 

 

「こんばんは。ちょっとアクシデントがありまして…。彼女の格好を、何とか整えてもらえませんか?」

にこやかに笑いながら、清四郎は悠理を一歩前に押し出した。

「まぁまぁ、どうなさったんです?素敵なドレスが台無しになって…」

気のよさそうな店員が、悠理の前に来ると、彼女の手をとった。

「このドレスを今すぐお直しするというのは無理ですので…他のドレスを選ばれますか?」

「……」

悠理は無言で振り返り、意見を求めるように清四郎を見た。

 

「ええ、お願いします。髪の毛も、何とか…」

清四郎は悠理に頷いてみせると、店員に軽く頭を下げた。

「かしこまりました。さ、お嬢様、どうぞこちらへ」

 

 

店員に手を引かれて悠理の姿が見えなくなると、清四郎は店の片隅のソファーに腰掛け、携帯を取り出してあちこちに電話をかけ始めた。

何件目かの電話を終えて、彼が満足そうに携帯を閉じたとき、「お待たせしました」という声がした。

先ほどの店員と共に現れた悠理の姿に、清四郎は目を見開いた。

 

 

悠理は、赤いシルクタフタのドレスに着替えていた。

スクェアカットの胸元から、悠理の形のよい鎖骨が覗く。きゅっと締まったウェストは脇に大きなリボンが結ばれている。

ギャザーではなく、大き目のプリーツで広がったスカートは、ちょうど膝の上丈。

折れてしまったヒールの代わりに、膝下丈の茶色いブーツ。

ドレスのかわいらしい印象に合わせてか、髪はまとめずに下ろされ、アイロンでゆるくウェーブが付けられていた。

 

 

「どうでしょう?ちょっと着ていらしたドレスとは、イメージが変わってしまいましたけど」

店員の明るい声が、仕上がりに満足していることを表している。

 

「…素敵ですよ、悠理。とてもかわいらしい」

清四郎の素直な褒め言葉に、悠理は照れくさそうに視線を反らす。

 

「コートの方は、ブラシをかけたら汚れは綺麗に落ちましたわ。とてもいいものですわね、このコート」

店員がそう言って、ラビットファーのコートを悠理に着せ掛けてくれた。

「ありがとう」

悠理は礼をいい、袖を通した。

 

 

「さぁ、では行きますか。お腹が空いたでしょう?」

「うん!」

清四郎の言葉に、悠理は顔を輝かせた。

「あいにく可憐が予約してくれたレストランは、遅れたのでキャンセルされてしまって、何軒か他のレストランを当たってみたんですけど、クリスマス・イブなので何処もいっぱいで。

でもこの近くに、僕の知人がやっている店がありましてね、席を用意してくれるそうですので、そこでもいいですか?」

「どこでもいいよ!腹減ったし…」

「よかった。じゃあ、行きましょう。どうも、世話をおかけしました」

 

店員達に軽く会釈すると、清四郎は悠理の背中を押して歩き始めた。

悠理も振り返って頭を下げると、急に思いついたように声を上げた。

 

「あ、このドレス代…」

「大丈夫、うちに請求書を回すようにお願いしましたから」

「え、そんな…悪いよ」

「まぁまぁ、ここは格好つけさせてくださいよ。まぁ、後でうちから剣菱に請求書を回させてもらいますけど」

「なんだよ、それ!」

 

軽くウィンクしながらの清四郎の台詞に、悠理は今日はじめての、明るい笑い声を上げた。

 

 

 

 

 

 

清四郎に連れられて行った先は、裏通りにある小さなビストロ。

心霊研究会で知り合った人の店だと清四郎に言われ、一瞬青くなった悠理だったが、心霊とは縁のなさそうな明るい店の造りにほっとし、供されたコンソメスープのおいしさに、目を細めた。

暖かい店内、おいしい食事。心がほぐれ、二人とも饒舌になる。

 

「それで?なんでチンピラと喧嘩する羽目になったんです?」

「だから、カップルが絡まれてたんだって。どうしようかと思ったけど、放っておけなくってさ、つい…」

「あのドレスで飛び蹴りをすれば、どうなるかはわかりそうなものだが。まったく、お前らしいというか馬鹿というか単細胞というか…」

「おい、言いすぎだぞ!でもさ〜、やっぱスカートって、戦闘に向かないよな」

「あたりまえでしょう?まったく、おまえは…」

 

清四郎が呆れたように言う。でも、その瞳はあくまでも優しくて、悠理は幸せな気持ちで一杯になった。

―――あの、絡まれてた二人も、今頃楽しいイブを過ごしているかな?

チンピラたちが逃げ去った後、悠理に何度も何度も礼を言っていた二人の姿を、悠理は思い浮かべた。

 

 

「どうしました?ぼーっとして。ワインに酔ったんですか?」

清四郎が、グラスに残ったワインを飲み干しながら聞いた。

「うん、酔ってる」

―――幸せだぁ〜って。

熱くなった頬にワイングラスを当て、その冷たさでほてりを冷ます。

一度は諦めた、清四郎との楽しいクリスマス。でも今、それを満喫している自分がいた。

清四郎の、温かい心遣いによって。

 

清四郎はそんな悠理を黙って見つめ、「ああ、忘れるところでした」と脇に置いたコートのポケットを探った。

「はい、メリークリスマス。悠理にこういうのは似合わないかとも思いましたけど、そのドレスには合いそうですよ」

渡された小箱を開くと、中には真珠のピアス。悠理は言葉をなくし、ただじっとそれを見つめた。

 

「白い真珠はね、知恵の象徴なんです」

「…イヤミかよ?」

そう言い返しながらも、悠理はピアスから目が離せなかった。

「そうじゃなくて…」

清四郎が、言い繋ぐ。

「何かプレゼントをと考えたら、それしか思いつかなかったんです。どうも僕は、こういうことは不得手でね。…気に入らなかったか?」

 

その言葉に顔を上げると、テーブルにひじをついた手で口元を覆い、そっぽを向いた清四郎の姿があった。

隠しているのかもしれないが、明らかに頬が赤い。

 

 

「清四郎……?」

呼びかけると、目だけをちらと悠理の方に向け、清四郎は思い切ったように大きく息を吐き出した。

「さて、デザートが終わったら、夜景でも見に行きましょうか?ロマンチックなクリスマスの、総仕上げですよ」

おどけたように言う清四郎に、悠理は焦りを感じた。

 

待って、待って。

そうじゃない、ただロマンチックなクリスマスを過ごしたかっただけじゃない。

あたいが過ごしたかったのは―――

 

 

「清四郎」

「はい?」

 

 

まっすぐに悠理を見つめる清四郎に、悠理はまっすぐな言葉を伝えた。

清四郎の瞳が、微笑む。

 

 

波乱万丈だった今宵。

清四郎と悠理の二人には、何よりも似合いのクリスマスだったかもしれない。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「ただいま〜」

 

昼と夜、かけもちのデートを終え、可憐が帰宅したのは夜の11時前。

クリスマス、イブの夜の締めくくりは、ママと二人で飲むシャンパンと決めている。

 

「はぁ〜」

「お帰りなさい、可憐ちゃん。デートどうだった?」

ソファに身体を投げ出し、一息ついていると、母親がシャンパングラスを運んできた。

「うん、うまく行ったわよ。夕方からの彼なんて、このままずっと一緒にいたい、なんて……そうだ!あいつらどうだったかしら?」

可憐はカバンを探って携帯を取り出し、手早くメールを打った。

送信ボタンを押すと、携帯をおいてシャンパンが注がれたグラスを手に取る。

 

 

「メリー・クリスマス。ママ、来年は仕事ばっかりじゃなくって、誰かイブを一緒に過ごす人を見つけてよね」

「メリー・クリスマス。いいわよそんなの、面倒くさい」

 

 

シャンパンを一口飲んだとき、携帯からメールの着信を告げるメロディが流れた。

携帯を取り上げて見ると、ディスプレイ画面に「Re:どうだった?」という件名。

ボタンを押して、本文を表示させる。そこには、添付の写真が一枚。

 

それは、頬と頬をくっつけるようにして撮られた、友人達の笑顔の写真。

その下に、ただ一言、

「ありがとう。」

 

 

「よかったわね、悠理」

可憐は微笑んで、ぐっとシャンパンを一息に飲み干した。

 

 

 

今宵は特別な夜。

空を翔るサンタクロースが運んでいるのは、きっと人が人を思う「心」なのだろう。

大きなプレゼントをもらった恋人達は、最高の一日を過ごすことができる。

暖かな、想いとともに。

 

 

 

 

Merry,Christmas!

 

 

 

 

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