「7時20分、か……」
腕にはめた時計の針を読むと、清四郎は溜息をついて中空を眺めた。 「ゴメン、清四郎。車が混んでて…ちょっと遅れる」 彼女がそう電話してきたのは、かれこれ半時間ほど前だ。
コートのポケットから携帯電話を取り出し、着信履歴から電話をかける。
―――おかけになった電話番号は、現在電波の届かないところに…
やけに明るい調子の自動音声を聞きながら、清四郎は目の前にそびえ立つ、きらきらと光をまとった巨大なモミの木を見あげた。
今日はクリスマス・イブ。 街中の木々がきらめくイルミネーションに覆われ、華やかに着飾った男女が楽しげに行きかう。 清四郎が今いる場所も、大きなクリスマスツリーが備え付けられて、恋人達には人気の待合スポットとなっている。 皆、人待ち顔で時計を見たり、携帯電話を取り出してメールの確認をしたりしている。 今も、清四郎のすぐ横に立っていた女性が、顔を輝かせて恋人らしき男性に駆け寄っていった。
そんな光景を横目で見ながら、清四郎は携帯電話をパチンと二つに折って閉めた。 長身を仕立てのよいスーツとコートに包んだ清四郎は、立っているだけで周囲の視線を集める。 そんな彼が、待ちぼうけを食らわされている様子なのだから、なおさら周囲の視線は彼へと集中していた。
もう一時間近くも、ここに立って待っている。 本当に、彼女は来るのだろうか?
「所詮、僕達にロマンチックなクリスマスなど、無理ということでしょうかね…」
またひとつ、大きな溜息をつくと、急に寒さが身に迫り、身震いをした。 ポケットに両手を突っ込む。指先に、硬いものが当たる。 清四郎はそれをぎゅっと握り締めると、人で溢れかえる歩道の向こうへと目を凝らした。
Holy,Hold me Christmas
「清四郎、あんたクリスマスに予定ある?」
可憐がうきうきと楽しげな様子で、清四郎にこう尋ねてきたのは、一週間前のこと。 大学でも確保した有閑倶楽部の部室で、学科のレポートを仕上げていた時のことだ。
「イブですか?それともクリスマス当日?」 清四郎は、ノートパソコンを打っていた手を止めずに、聞き返した。 「クリスマスって言ったら、イブの夜に決まってるじゃない!何か予定があるの?」 気の無さそうな清四郎に、可憐が少しイラついたように尋ねた。
「24日は、確かうちの病院関係で何かあったと思うんですが…」 「それ、断れない用事なの?」 清四郎の答えに、可憐は不安げな表情になる。 「そういうわけでもないですけど…何故です?」 清四郎は、キーボードを打つ手を休めて、脇に立つ可憐の顔を見上げた。 「……」 可憐はしばし口ごもり、視線をさまよわせた。
「はっきり言ってくださいよ、可憐。用件しだいでは、予定を空けることも可能ですよ」 机にひじをつき、その手に顎を乗せて、清四郎は聞く。可憐が自分のクリスマスの予定を気にするなど、何か理由があるに決まっている。 しばらくの逡巡の末、可憐は諦めたように軽く首を振り、口を開いた。 「…あんたって、嫌な男よね。まぁ、いいわ」
「イブの夜、悠理をデートに誘ってやって欲しいの」 「はぁ?悠理を?何故?」 思いもかけない可憐の言葉に、清四郎の声が裏返る。
「あの子だって、もう二十歳じゃない?それなのに、相変わらずまったく色気ナシで…クリスマスぐらい、ちょっとは女の子らしいときめきを味わわせてやりたいと思って…」 「いいじゃないですか。悠理は悠理なんですから、あれで」 憂い顔の可憐に、清四郎は答えにならない答えを返す。 悠理をデートに誘えと言われただけで、なぜか鼓動が高まり、思考が形を成さなくなった。
「でも…何故僕に?そういうことなら、美童が適任でしょう?」 きわめて妥当な疑問を呈する。 「あら、あの男がイブに予定が空いているわけがないじゃない。かといって、魅録とじゃロックのライブでも行って、オシマイでしょうしね」 こちらも、きわめて妥当な答えを返す。
「でも…悠理は、クリスマスに僕とデートなんて御免でしょう?」 「そんなことないわよ」 上目使いに聞いた清四郎に、可憐はきっぱりと答えた。 そして、一瞬の間をおいてゆったりと微笑む。
「ってことは、オーケーなのね?」 「……」 しまったという表情が、清四郎の端正な顔の上に浮かぶ。 「イブの予定、空けてくれるのね?」 嬉しげに顔を覗きこみ念を押す可憐に、清四郎は気圧されたように頷いた。
「じゃ、決まりね!待ち合わせは6時半、ソニービルのツリーの前ね。レストランは予約しておいたわ。食事のあとは、どこかに夜景でも見に連れて行ってあげて」 可憐は清四郎の手に、折りたたんだメモ用紙を握らせると、さっさと部屋を出て行こうとした。
「じゃあ私、悠理に話してくるわね〜。あ、プレゼントも忘れちゃだめよ!」 「はぁ?ちょ、ちょっと待ってくださいよ、可憐!」 清四郎がメモに目を落とし、再び顔を上げたとき、既に可憐はひらひらと手を振りながら扉の向こうへ消えていくところだった。
「まったく」 苦々しく呟いて、もういちどメモに目をやる。 そこには、さっき聞いた待ち合わせ場所と、超高級レストランの名前とその電話番号。
「やられた…」 その名を見て、清四郎の顔が更に苦々しいものに変わる。 可憐は「予約しておいた」と言ったが、そう簡単に、イブの夜にディナーの予約が取れるような店ではなかったのだ。 きっと、かなり前から予約して押さえてあったに違いない。
「いったい何を企んでいるんでしょうね?」 謀略を巡らすのは得意な清四郎だが、ひとの策略にかかるのは気分がよくない。 しかし、手の中のメモをくしゃと握りつぶしたあと、清四郎の口から出た言葉は―――
「プレゼントって、何がいいんでしょうねぇ?」 で、あった。
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material By FLOW さま