2.


 


―――雪原。



動かない清四郎に、悠理は何度も帰ろうと言った。
「ほら、お前いつからここにいるんだよ、風邪引くじゃないか。帰ろう!」
悠理は、清四郎の手を握り、びっくりした。
驚くほど、冷たい。
「おまえ、どうしたんだよ」
悠理は、清四郎が雪のように冷たくなっているのに、気がついた。
暖めようと、全身で清四郎に抱きつく。
「・・・・・悠理」
清四郎が絞り出すように、声を出した。


「帰ろう」

そう悠理に言われた途端、清四郎は全てを悟った。

どこまでも変わらない景色

冷たさを全く感じない雪
突然現れた悠理
そして、ここに来るまでの記憶

清四郎は、吹雪の中を、仲間が待つ別荘へと車を走らせていた。

高校時代から豊作と親しくしている清四郎は、大学の経済学部に進学し、剣菱の仕事を手伝っていた。協同で進めているプロジェクトもいくつかあって、ほとんど剣菱家に住み込むような形で、学業と仕事を両立させている。そして今日も、抜けられない重要な仕事があって、皆より出発を遅らせたのだった。
悠理は、出かける前から「そんなの兄ちゃんが一人でやれよ」と言って不機嫌顔だった。
悠理は、いつも清四郎を頼りにするし、仲間として、人一倍心配もしてくれている。
清四郎は、今は、それが愛情からくるものではなくてもいいと思っていた。

今も昔も、清四郎にとって、悠理は眩しい太陽そのものだ。
悠理は、清四郎にないものをもっている。
子供のように純粋で無垢な心。
思慮が足りない部分はあるが、愛情溢れる優しい心。
それに憧れ、心惹かれてやまなかった。
いつか、手に入れたいと思っていた。
だが、高校時代と変わらない、まだ子供のような悠理に気持ちを伝えるつもりはない。
「結婚なんかしない」と喚いている悠理に、恋心を期待しても無理だ。
少しずつ少しずつ、硬い蕾がほころぶように、心を開いてくれればいい。
長い時間をかけて、二人の間にある感情を愛情に育てていけばいいと思っていた。


別荘へ向かう途中、車を止め、電話を入れる。
魅録が出た。
こちらの状況を伝えた上で、悠理のことを聞く。
何かをしでかしているのではないか、体調は大丈夫か、ケーキを食べられないで拗ねていないか。
電話の途中、そんなことをずっと考えていた。
魅録は気づいていないだろうが。

清四郎は、ツリーに夢中だという悠理を思い浮かべながら、車を再度走らせ始めた。
ラジオから流れる天気予報では、山間部では大雪と言っている。
確かに、視界が殆どきかないほど雪が降っていた。
ゆっくり慎重に車を進める。
もうすぐ着くだろうか?と思った瞬間だった。
突然、目の前に眩しいライトが当たった。

悠理!・・・・・


気がついた時には、雪原にいた。

幼い頃から武道をたしなんできた清四郎は、人よりも多少精神修行をつんできたつもりだ。
だから、運命というものがあるとすれば、たとえ、それが死であったとしても、受け入れることは容易であろうと思っていた。

悠理に気持ちを伝えることはできなかったが、こうして最後に会うことができた。
もう、思い残すことはない。
ここが自分の死に場所なのだと、どこかで理解していた。

霊感の強い悠理は、死を覚悟した瞬間、彼女の名前を叫んだ僕の声を聞いてここまで来たのだろう。恐らく、彼女自身は、今どういう状況にあるのか理解できていないに違いない。
彼女は死んでいるわけではないのだから、このまま二人でここにいることがどんな結果をもたらすのか、わからない清四郎ではなかった。

彼女まで死なせる訳にはいかない。


「清四郎、何か変だ。絶対おかしいよ。ほら、体がこんなに冷たくなって」
悠理は、自身も震える体で、清四郎を暖めた。
「帰って早く暖まらないと、清四郎が死んじゃう!」
悠理は、次第に興奮し始めた。状況がわからないにしても、本能で何かを感じ取っているらしかった。
「清四郎!清四郎!帰ろう」

泣きじゃくり、喚き出す。

「悠理、落ち着け、落ち着くんだ」
清四郎は、安心させるかのように、悠理を抱きしめた。
いつものように、背中をポンポンと叩いてやる。
「僕は大丈夫だ。先に帰ってろ」
宥めるように言っても、悠理は聞き分けのない子供のように首を振った。
「嫌だ!清四郎と一緒じゃなきゃ帰らない。わかるんだよ、わかるんだ。ここに清四郎を置いていっちゃだめだって。あたいがお前を助けてやる!」

泣きながらそう言うと、清四郎の全てを暖めようとするかのように、悠理は唇を押し付けてきた。

氷のように冷たい清四郎の唇。

悠理は、自身の唇から体温を渡そうとするかのように、動かない清四郎に、何度も何度も唇を押し当てた。


「・・・ゆ、ゆうり・・」
“悠理を離さなくては、離せ”と理性は働きかけるが、唇を開けた途端、悠理の温かい吐息を感じ、我慢が出来なくなる。
「悠理!」

片方の手を悠理の背に回し、もう一方の手で頭を掻き抱くようにして激しく口付け、雪に溶け合うように抱き合った。


悠理を手に入れたいと思っていた自分が、悠理の全てを奪いつくしてしまうかもしれない。
その命まで。
思い残すことはないなんて嘘だ。
悠理だけは死んでも手放せないと思った。
危険な口付けに目が眩むほど酔いしれた。

悠理の熱い吐息と舌を絡めとりながら、清四郎の体は熱を持ち、思考は熱に溶けて次第に無になった。





雪の中へ…






ふもとの病院に駆けつけると、清四郎は意識不明の重体で様々な医療機器をつけた状態でベッドに寝かされていた。家族はまだ東京から到着しない。
魅録と美童が付き添った。

隣の病室に悠理が寝ている。こちらも意識不明だが、その原因はわからない。
医者も首をかしげていた。
だが、仲間の全員は、過去の経験から、悠理の意識は清四郎の病状と関係しているに違いないと思っていた。
こちらの病室には、可憐と野梨子が付き添っている。

ベッド脇の椅子に座り、鎮痛な面持ちで二人は悠理の手を握り締めていたが、ふいに、異変に気づた。

呼吸、心拍ともに正常だが、昏睡状態で眠り続ける悠理が、目を閉じたまま涙を流し始めたのだ。それは、止まる事無く流れ続ける。
驚いた野梨子と可憐が、ナースコールを押した。

それと同時に、隣室で、魅録と美童もナースコールを押していた。
意識不明の重体であった清四郎が、わずかに瞼を動かしたのだ。

慌てて医師が駆け込み、呼吸・心拍・血圧を確認する。


清四郎は、一命を取りとめた。


清四郎が目を開け、覚醒すると、魅録は「心配させやがって」と涙をにじませ、美童は男泣きに泣いた。
悠理に付き添っていた可憐、野梨子も清四郎に縋りつき泣いている。
医者は、もう大丈夫だと言った。

翌朝、清四郎は掠れた声で「悠理は?」と聞く。
東京から到着した両親も姉も仲間も、困ったような笑みを浮かべた。
「悠理は、隣で寝ている。霊体験すると、あいついつも爆睡するじゃないか、心配いらない」
まだ虚ろな清四郎に、悠理のことは告げられない。
魅録は、精一杯明るく振舞った。
「元気になったら、会いに行ってやってくれ」とだけ言う。

その後、2〜3日で、清四郎は驚異的な回復を見せ、ベッド脇に立てるようになった。
頭もしっかりとして来る。
ここへは、毎日仲間や家族が来てくれるが、悠理の顔はまだ一度も見ていない。
「悠理は、隣で寝ている」と教えてくれた魅録もどこかよそよそしく、何かを隠しているのではないかと、不信感が募っていた。
頭に包帯、右足にギプス。
松葉杖をついた情けない格好ではあるが、とにかく、悠理の顔を見ようと部屋を出た。
廊下に出たところで、仲間や部屋を出ていた家族に見つかり、しまった、と思う。
だが、かまわず隣の部屋へ進むと、魅録と美童が駆け寄り、手を貸してくれた。
野梨子は、黙って部屋のドアを開けてくれる。

病室へ入ると、悠理の両親が座っていた。
清四郎は軽く会釈すると、眠る悠理に近づく。
清四郎が意識を取り戻しても、悠理は昏睡から覚めていなかった。
悠理は人形のように、白い顔で眠り続けている。

清四郎は、全てを覚えていた。
雪原で悠理に会ったことも、悠理が全身で、熱いキスで自分を救おうとしてくれたことも。
だが、あの時助けにきてくれた悠理と違い、清四郎は再びあの雪原へ行くことはできない。
死に直面した者だけが彷徨う、魂の集う場所。

「悠理、お前は今、どこにいる?」

ベッドの端に腰掛け、松葉杖を置き、清四郎は悠理の髪を愛おしそうに梳く。
その手を頬に滑らせると「悠理・・・」と涙を流した。
清四郎の涙が悠理の頬に落ちる。

清四郎は、あの時のキスのように、悠理の唇に自分のそれを押し当てた。
冷たい悠理の唇に、熱を吹き込むかのように。

「僕のところへ戻って来い」と。


「うっそ!」
可憐は唖然。


「きゃーーーー!」

野梨子は顔を覆って赤面。

「気でも狂ったか」
真っ赤になって俯く魅録。

「へぇ〜〜〜」
感心する美童。


百合子は「まぁぁぁぁ!」と万作に抱きつき、万作は娘が・・・と悲しげに泣いていた。
清四郎の母も「あらあらあら」と喜び顔。
「案外やるわね、あいつも」
とは清四郎の姉和子。

これで、童話のように、悠理に意識が戻るのなら・・・・・
誰もがそれを願っていた。

長い時間が経過し、周囲にいたメンバーと家族が、そろそろと指の隙間から二人を覗く。

―――二人はまだキスをしたまま。

だが、悠理の手が、清四郎の肩にかかっていた。




**********





数日後

清四郎と悠理は、手を繋ぎ、院内の廊下を歩いていた。
窓の外は、銀世界。

「ねぇ、悠理。僕がこちらの世界に帰った後、悠理はどうしていたんです?」
「ん?ずっと暖炉の前で、ツリーを見てた。綺麗だなって」
隣にお前もいたよ、と小さな声で聞こえた。

臨死体験。

その体験は、人によってそれぞれだ。
清四郎の場合、『静かで平和な感覚』を体験したらしい。
悠理の心のような、真っ白な銀世界―――それが、清四郎にとっての平和だった。

ならば、悠理は?

彼女が、清四郎と共に戻りたかった場所。
それは、暖炉の前に美しいクリスマスツリーのあるリビング。

「悠理、退院したら、二人であの別荘で療養しましょう」

その時には、告げよう。あなたを、愛している、と。





end




暖炉の前へ…


 

snowtop