9.
数日経つと清四郎の怪我も完治した。
「清四郎ちゃん!」 「煩いですな」 「ねってばーーーー!」 「わかったから騒ぐな」 清四郎の傷が完治するのを、悠理は今か、今かと待っていた。 洞窟で見つけた物を取りに行こう、と煩いのだ。 それと、途中で見つけた酒も。
「問題は、あの洞窟の先にどうやって入るか、ですよ。魅録がいるわけでなし。ダイナマイトは作れませんからね」 「入ることができたんだからさ。どっかに入り口があるんだよ」 「そりゃそうですけど」 清四郎はため息をついた。 あの日、岩の隙間から見えたのは、数々の宝石と骨董品の山だった。 恐らくは、海賊が隠していたものであろう、と想像できるが、簡単には宝の山に到達できそうにない。 「そのうち、仲間にここを見つけてもらったら案内すればいいじゃないですか」 清四郎は、もう一度洞窟に戻ることに消極的だ。 「宝石なんかここでは役に立ちませんよ。酒なら使い道はありそうですが」 消毒の他に、彼女を酔わせて甘い雰囲気にでも、と思っていることは口に出すまい。 あれから、二人の仲は全く進展していなかった。
「悠理、約束のキスは?」というだけで、真っ赤になり挙動不審になる彼女で楽しんでいたら、悠理は、いよいよふてくされてしまった。 これ以上、仲たがいするつもりはない。 「いいですよ、悠理がその気になったら、で」 楽しみは多いほどいいですし、と清四郎は笑った。 「減るもんじゃないし」 顔を近づかせ思わせぶりなフリをして、最近は彼女の反応を楽しんでいる。
それでも。 身体の反応は正直だ。我慢をするのも限界だった。 酒の力でも借りたい気分になり、もう一度あの洞窟へ行くことを承知したのだった。 悠理の第一目的は宝の山。 清四郎の目的は酒。 と、互いに目指すものは微妙に違うのだが。
「棒でも使ってさ。梃子の原理で開けるとか」 先を歩く悠理はまだこだわっている。 「いっそ、開けゴマの呪文の方が効きそうですけど」 後ろから水を挿すように言うと、 「お前、あたいのこと完全に馬鹿にしてるだろ」 と彼女は勢いよく振り向いた。 「してませんよ。率直な意見を述べただけでしょうが」 「やな奴〜」 これは、また怒らせたかな?と清四郎は思うが、鼻歌を歌いながら彼女は再び歩き出した。 こんな彼女の反応も、清四郎は楽しくて仕方がない。
言い争いながらの道中はあっという間に過ぎる。 酒樽の場所を二人で確認して、再び洞窟へ入ると、勇ましかった悠理は先へ進むごとに静かになった。 「何だよ、これ〜」 悲鳴を上げながら清四郎にしがみついてくる。 うるさい割りに震えていないところを見ると、骸骨の山が怖いだけで、いつものように霊に取り付かれている訳ではないようだ。 「だから、止めておけば良かったのに」 帰りますか?と聞くと、「いい、行く」と涙声で答えた。 半分以上意地だろうに、と清四郎は苦笑する。
「ほらほら、ここですよ」 行き止まりで足を止め、清四郎が指差した場所から悠理は中を覗き込んだ。 「うわっ!」 悠理が驚きの声を上げる。 「海賊の宝なんて絵空ごとと思ってましたけどね。感心しましたよ。まるでトロイの木馬の気分だ」 清四郎も悠理の頭の上から中を覗き込む。 「ねぇ、あの中にダイヤあると思う?」 「コー・イ・ヌールでしょう?さぁ、どうでしょうね」 「・・・・・・でもやっぱり、皆で見つけた方が楽しいよな」 悠理がぽつりと言った。 「ああ。僕もあいつらが恋しいですよ」 清四郎は悠理の頭に手を乗せ、あやすようにポンポンと叩きながら言った。 懐かしさに二人の胸が痛んだ。
「もどろっか」 悠理は中へ入ることを諦めたようだった。 明るい顔で、振り向き、後ろに立つ清四郎を見上げた。
「・・・・・悠理」 ほの暗い松明の明かりの中で清四郎が顔を近づけると、悠理は観念したように目を閉じた。
地面に落とした炎が、二人を照らす。
唇を離すと、悠理は小さな息を吐くように呟いた。
「清四郎、大好き」
――― 愛してる。
******
椰子の葉の隙間から、波の音が静かに聞こえていた。 寄せては返し。 同じリズムを繰り返している。
小屋へと戻り、清四郎は静かに悠理を横たえた。 ついばむようにキスをすると、彼女はビクンと身体を強張らせる。 「大丈夫だ。怖いことなんて何もしない。キスだけですよ」 そうだ。 もう、彼女を怯えさせるつもりはない。 清四郎は、額に、頬にと耳の後ろに、とゆっくり唇を這わせていった。 悠理が怖いと言うなら、無理に抱くつもりはなかった。 「くすぐったいよ」 悠理は身体をよじりながら笑う。 「それなら、悠理も僕にやり返せばいい」 ほら、と身体を回転させ、悠理を腹の上に乗せてやった。 悠理は、きゃはは声を立てて笑う。
「えっと・・・・・・」 ひとしきり笑うと悠理は戸惑った表情を見せた。 自分からキスをするのは、やはり恥ずかしいらしい。 「イタズラは得意でしょう?」 おどけて片目を閉じ、清四郎は助け船を出した。
だが。
酒の力も、清四郎の気遣いも。 彼女には必要なかった。
「目をつぶれって!」 いきなり怒鳴ると、乱暴に唇を押し付けてきたのだ。
まったく。 大胆というか。 そんなことをすれば、男は煽られるだけだと言うのに。
清四郎は耐え切れず、悠理の髪に片手を差し入れ、滑らかな背に手の平を這わせた。 背骨をなぞるように上下に手を動かす。 わずかに開いた唇から舌を侵入させ、ゆっくりと軟らかく味わう。 「んっ・・・・・・・」 悠理が切なげな声を上げると、強く抱き寄せ熱烈な貪るようなキスへと変化させた。
「悠理」 唇を離すと彼女の頬を包み込むように手の平を当てた。 「お前を抱きたい」
悠理は文字通り、ボンと音を立てて真っ赤になった。 「嫌か?」 もう一度聞くと彼女は静かに首を振った。 そして、今にも泣き出しそうな顔をする。 「・・・・・お前が嫌なら、止めますよ。無理に犯すつもりはない」 半分は嘘だった。 その証拠に声が掠れる。 もう止められないほどに思いはあふれ、欲望は高まっている。 それでも、もう二度と過ちを繰り返したくなかった。
高校時代の婚約のように。 いつかの嵐の日のように。
悠理を腹の上から下ろし、身を起こそうとした時だ。
「・・・・・あたい、お前に触れられるのちっとも嫌なんかじゃないよ」 震える悠理の瞼から涙が零れ落ちた。 「なら、どうして泣く?僕が怖いか、悠理?」 「・・・・違う、違うよ、清四郎!」 悠理は激しく首を振った。 「だって、お前、付き合ってる人がいたじゃんか」 大粒の涙が、清四郎の胸に落ちる。 「・・・・・・あの人は関係ないと言ったでしょう」 清四郎は身を起こすと、両手で悠理の頬を挟み込んだ。
彼女が目をそらすことができないように。
「悠理、僕が愛しているのはお前だけだ。何度告げたら信じてくれるんですか?」 唇を近づけると、悠理は拒むように下を向く。 「清四郎、ずるいよ、ずるい!」 悠理は、清四郎の胸を泣きながら拳で叩いた。 「お前、婚約解消してから優しくってさ。あたい、ずっと一緒にいたくてたまらなかった」 「・・・・・悠理?」
清四郎の胸はいつになく高まっていた。 武道で鍛えた心身は、大抵のことでは平静を保っていられるというのに。
「けど、お前が選んだのは、綺麗で頭のいい上品な女でさ。やっぱりあたいなんか、おもちゃかペットに過ぎなかったんだって、諦めようと思ったんだ。なのに、お前、あんな女って・・・・・・ひどすぎるよっ!」 ひっく、と嗚咽をもらし、悠理は泣き出した。 「悠理、お前が好きな男って・・・・・・」 「・・・ひっく、お前以上の強い男なんて、あたいが好きになる男なんているわけないじゃん!」 悠理は拳を握りしめて、清四郎に殴りかかった。 「清四郎には、ちゃんとふさわしい人がいるのに!愛っ・・・・・・・愛してるなんて言われたら、あたい・・・・自分が怖いよ。あたい、馬鹿だからどんなに汚い手を使ったって、お前を離せなくなっちゃうよ・・・・・」
優しくする余裕などなかった。 これ以上にないほどの愛しい思いが、激情となって身体を駆け抜ける。 「僕が、いつからお前を愛してきたと思ってる!」 強引に唇を奪うと、清四郎は悠理をそのまま押し倒した。 上着の下から、手を差し入れ、触れたい、触れたいと望んでいた膨らみを手の平に包み込む。 そして、ぐっと力を入れた。 「ずっとだ・・・・・思いを自覚してからずっと」 貪るように手と舌を動かし、唇をきつく吸う。 「せいしろっ、・・・・・・やめっ・・・・・・」 彼女の指が清四郎の髪にからみつく。 初めて受ける男からの愛撫に、可愛く小さな声を漏らし、荒い息遣いで逃げる彼女の身体を追った。ささやかな膨らみの上のさくらんぼのような果実を咥え、下から揉み上げるように摩ると、悠理は苦しげな声を出し仰け反る。 露になった喉に口付けると、もう一度しっかりと両手で頬を掴んだ。
きかん気な悠理を、弱みを見せまいと強がって意地を張る悠理を、愛しくて愛しくてたまらない悠理を。 二度とこの手から逃がすようなことはしない。
「正直に言う。婚約を決めた時から、お前を愛してた。お前だから結婚してもいいと、結婚しようと思っていた」 悠理の目が驚愕に見開かれた。 「婚約が破棄されて、一度はお前を諦めた。何度か諦めようとして、他の女とも付き合った。でも、諦めきれなかった。お前が欲しくて欲しくてたまらなかった・・・・・・・」
こんな、甘い責め苦はない。 清四郎はもう一度思う。
彼女を愛しいと思う気持ちを、これ以上どう伝えればいいのか。 小さな頬を撫でる手がわずかに震えた。
「あたい・・・・清四郎の傍にいていいの?」 強気な彼女らしくなく、悠理が、震える手で清四郎の肩を掴む。
「・・・・・・馬鹿」 清四郎は、腕の中にきつく悠理を抱きしめた。
――― 馬鹿は分かってるよ。
――― 違いますよ。僕のことです。もっと早く気付けば良かった。お前の想いにも。自分の想いにも。
一緒にいよう。ずっと。
二人で行う営みは、波に似ている。 「・・・・・・力を抜け、悠理・・・・・」 清四郎の指が動くたび、男から与えられる動きに彼女がその身を揺らす。 「せいしろっ・・・・・・・・・・」 「いい子だ、悠理。僕につかまっていればいい」
愛してる 愛してる 愛してる。
押し寄せる波のリズムに合わせて彼女の中に入って行く。
「・・・・・・・清四郎っ!・・・・・・・・」
彼女は、波のようなリズムの収縮で彼を受け入れてくれた。
*****
幾夜、ここで南十字星を見上げただろう。
灼熱の太陽が照りつける、青い珊瑚礁に守られた名も知れぬ小さな島。 この島に暮らすようになって、数年が経つ。
ザァー、ザ、ザー
海風が波の音を運んでくる。 単調なリズムは、遠い記憶を呼び覚まし、懐かしい人達の顔を思い出させた。
椰子の葉と流木で作られた簡素な小屋の窓から、満天の夜空を見上げ、流れる星に向かって心の中で呟く。
“僕達は幸せに生きている”
そう伝えて欲しい。
仲間達に。
同意するかのように、腕の中で眠る彼女が微笑んだ。
|
Photo by POさま