7.

 

 

 

「清四郎、寒い」

 

そう言って、彼女は霊に取り付かれた時のように震えていた。

どうやら、冷たい水につかり過ぎて、相当体温を奪われていたらしい。

迂闊だった。医者のフリして悠理を小屋に連れ戻したまでは良かったが、その後の状態を気遣って様子を見てはいなかった。

 

「少しだけ待ってろ」

清四郎は、すぐさま火を起こすと、小屋の中を暖めた。

「悠理、身体を温めるには、人肌が一番なんですよ」

身につけていた上着を悠理の目の前で脱ぐと、「やだ、なにす・・・・・」と抵抗する悠理の上着を脱がせ、腕の中に抱え込んだ。

悠理は「スケベ。離せよぉ」と口では言いながら、清四郎を押し退けようとする手に力が入らず、寒さに震えてますます身体を強張らせる。

清四郎は力強く腕の中へ彼女を引き寄せた。

 

 

「身体は見えませんから、大丈夫ですよ」

小屋にあったありたけの布を二人の上にかけ、片手で小さな肩を、片手で背中をさすってやると、恥ずかしさよりも寒さが堪えたのか、悠理は清四郎にしがみついてきた。

「トイレに行きたくなったら言いなさい」

耳元で囁くと、言葉の代わりに悠理は清四郎の胸に歯を立てて抗議をした。

 

その様子は、獣のようであり、ベッドに慣れた女のようでもあり。

 

清四郎は、無意識に煽る無垢な悠理の魅力に囚われていた。

 

 

 

 

 

やがて、一週間が過ぎ。

 

元気になった悠理は、海で遊んでいる。

時々、浜辺へとやって来る大亀を相手に、調教を試みていた。

「犬や猫じゃないんだから」

諌める清四郎の言葉は気にもしていないようだ。

 

清四郎は砂浜に座り、のんびりと悠理をながめていた。

 

悠理を温めながら過ごしたあの夜以来、二人の間は微妙にぎくしゃくしていた。

あれ以来、悠理は「一緒に寝ようよ」などと無邪気なことは言わないし、清四郎は微かに指が触れるだけでビクンと反応し、照れて真っ赤になる彼女に手を出す気にもなれない。

医者面、保護者面をはずして、今更「お前が好きだ」などと押し倒すこともできず。

しばらくは、明るくはしゃぐ彼女を見ていられたらいい、と思っていた。

「まるで拷問だな」と、清四郎は自業自得の展開に苦笑した。

 

年齢の割りに知識も経験もそれなりにあると自負していた清四郎だが、こんなに甘い痛みを伴う責め苦は初めてだ。

いつか、男3人でくだらない話をしていたことを思い出す。

清四郎を指して「こいつは絶対Sだよな」と魅録が言うと、美童は「わかってないなぁ、魅録は」としたり顔で言った。

「こいつは、自己陶酔タイプだからさ。Sに見えてMなんだよ」と自信たっぷりに断言する。ついでに「僕は典型Mで、魅録もどっちかって言うとMだけどさ。」と笑いながら。

美童のすごいところは、女に対する情熱とテクニックだけじゃないな。人に対しての観察力のするどさに、清四郎は今更ながらに感心した。

今、美童に「甘い責め苦を楽しんでいますよ」などと言ったら、彼はどういう反応を示すだろう。「だから、言ったろ?」と彼は甘いマスクで親指を立てるような気がした。

 

ふと空を見上げると、大きな入道雲が迫っている。

林の向こうは、すでに暗い。

「悠理!小屋に戻りましょう。嵐になりますよ」

悠理は、海の中から手を振って答えた。

 

 

 

*****

 

 

 

「雨季にでも入ったかな」

ここが、南半球のどこに位置するのかわからないが、数日間雨が降り続いている。

大きな雷が鳴り、時折、嵐のように風雨が強まった。

清四郎と悠理は、外に出ることもできず、小屋に閉じ込められたままだ。

幸いなことに、こういう日も来ることもあろうかと、魚を塩漬けにしたり、果物を青いうちにもいだりと保存食は蓄えてあった。

悠理がどこかで捕まえてきた、つがいの鶏もいる。当分の間、食うには困らない。

二人で火に当たっていると、清四郎はいつかの続きを話したくなった。

 

思い切って、口を開く。

「悠理」

「ん?」

彼女は小さな子供がするように首をかしげた。

それだけで、清四郎は微笑みがこぼれた。

「この島を出ることができたら、もう一度やり直しませんか?結婚しよう」

文字通りずりっと音を立て、悠理は落ち葉のベッドから滑り落ちた。

「おま、お前、な、何冗談言って・・・・・」

「冗談なんかじゃありません」

清四郎は真っ直ぐに悠理の目を見た。

彼女から目をそらすことができない。

「か、からかうならもう少しマシな・・・・・」

「からかってなんかいません」

悠理は逃げ腰だ。やはり、他に好きな男でもいるのかと思い、清四郎の胸はチクチク痛んだ。

奪いたい、奪いたいと思う心を理性が何とか押さえつけている。

 

怯える悠理を壁際に追い込み、両手で頬を包みこんだ。

 

「お前を、愛してる」

 

ピカっと光ったかと思うとすさまじい稲妻が走り、耳を裂くような轟音が響いた。

 

 

 

******

 

 

 

清四郎は呆然と立ち、悠理は真っ赤に目を腫らして立っていた。

「ひどいよ」

悠理は涙を流す。ポタポタと流れ落ちるのもぬぐいもせず。

「こんな冗談、言って欲しくなかった」

悠理に殴られた頬がヒリヒリと痛む。

ついでに、悠理の拒絶の言葉と態度にもヒリヒリと胸が痛んだ。

「どうして、冗談だと思うんです?」

熱くなっていた思いは、一気に温度を失い冷たく低い声に変わった。

「お前、最近つきあってる女と結婚するって聞いた。あたいなんかより、ずっと綺麗で、頭もいい人で、お前にぴったりだって・・・・ひっくっ・・・」

「彼女のことは・・・・・・」

付き合っているのは事実だ。だが、悠理への気持ちを持て余したまま、結婚する気などなかった。ずるいことはわかっている。

「ただの噂ですよ」

嘘をつく。

悠理など騙すのは簡単だ。そう思っていた。

 

「僕が愛しているのはお前だけだ。だからもう一度僕とやり直してほしい」

懇願だった。

 

「悠理・・・・・」

愛を乞うように名を呼ぶ。

 

「清四郎の嘘つき!」

悠理は叫んだ。

もう一度、地面を裂くように稲妻が走る。

「・・・・・・嘘じゃない、と言ってるでしょう」

清四郎は悠理との距離をつめ、彼女が思わず手を振り上げた隙に、手首を掴んだ。

力強く腰を引き寄せると、悠理は身動きが取れなくなる。

「あんな女、どうだっていいんですよ」

冷たく言い放つと、清四郎は無理矢理、悠理の唇を塞いだ。

 

悠理は拳を握り、清四郎に歯向かう。

悠理の涙が口に流れ、強引に奪った彼女の唇は、涙の味がした。

「お前が好きな男は、どこの誰なんです?」

一旦唇を離すと、息をつごうと口を開けた悠理の唇を再び塞いだ。

次は口を塞ぐだけではない。舌を押し込み、思うがままに彼女の口の中を蹂躙した。

時折解放しては「愛してる、愛してる」と呟く。

 

高まった欲望を抑えきれず、耳の後ろで彼女の髪を掻き上げると、首筋へと吸い付いた。

 

「・・・・嫌っ、やだぁーーーーーーーっ!」

 

彼女の叫び声に我に返る。

身体を冷やし、熱を出して寝込んでいた時以上に彼女は震えていた。

「・・・・ひっく、怖い、怖いよぉっ・・・・・・・」

支えていた手を緩めると、ガクン、と彼女は膝を折った。

 

「ごめん、悠理。ごめん、悪かった」

「うっ・・・・・ひっく・・・・・・」

清四郎は、嗚咽を漏らす彼女をもう一度腕の中に抱え入れ、あやす様に髪を梳き続けた。

 

いつまでも泣き止まない彼女を横抱きに抱え、ベッドの上に寝かせてやる。

「頭を冷やしてきますよ」

そう、言い残し、小屋を出た。

 

外はまだ嵐だった。

 

 

 

*****

 

 

 

強い雨に打たれながら林を抜け、清四郎は滝の裏へと回った。

そこは、薄暗く、湿った洞窟になっていた。

ちょうど、東村寺の裏山にある修行場に似ている。突き出た岩の一つに座ると、清四郎は頭を抱え込んだ。

あんなに、性急に悠理に思いを迫るつもりはなかった。

ましてや、男の欲望を押し付けるようなことなど。

 

自分が、こんなに情けない男だとは思わなかった・・・・・・

 

弱みなど見せたことのない男の呟きは滝の音に掻き消された。

 

 

 

しばらく時間を置いて小屋へ戻ると、悠理は寝息を立てていた。

そっと覗き込むと、瞼は真っ赤に腫れたままだ。泣き疲れて眠ってしまったらしい。

いったい、どれだけ泣いたのか。

 

汗で張り付いた前髪を梳いてやろうと手を伸ばし、止めた。

 

小さく切った布を水に浸し、目を覆ってやる。

清四郎はもう一度小屋を出た。

 

 

 

翌朝。

悠理が目を覚ますと、清四郎の姿はなかった。

南国の鳥はうるさく、朝の到来を告げるように、けたたましく鳴いている。

起き上がると、胸元へ布切れが落ちた。

昨日、腫れて痛かった目の上に、ひんやりと何かが乗せられたのは覚えている。

「清四郎・・・・・・ひどいよ」

再び、悠理の目に涙が浮かんだ。

 

 

 

夕方になって、清四郎は戻ってきた。

どさり、と獲物を小屋の前に置く。

「清四郎?」

「こっちへ来るな」

近づこうとした悠理を清四郎は拒絶した。

男の欲望を抑えるために狩に精を出していた、などと彼女に言えようはずもなく、また、残酷に捌かれる獲物を見せたくもなかったからだ。

「ごめん」

悠理が背を向けて小屋に戻って行くのが見えた。

「お前が謝ることはない」

 

清四郎の言葉は悠理に届かない。

 

塩味のスープはちょうど今の二人の気持ちに似ている。

清四郎は、狩によって捕らえた肉にわずかな薬草を入れ、その日のスープを作った。

二人の間に会話はない。

しょっぱくて、ほろ苦い。

 

ごめん、と言い合う言葉も出なかった。

 

夕食を済ませ、離れて横になると、清四郎は静かに告げた。

「明日は、もう少し遠くまで行ってみます。この辺りの獲物は警戒するようになっていて、だんだん捕まえるのが難しくなっているんですよ」

あたいも行く!今までなら、聞かれた元気な言葉はなかった。

「わかった」

悠理に似合わない、静かな返事だった。

 

 

 

*****

 

 

 

「海に行くなら防波堤の手前までですよ」「滝の向こうへは行くんじゃありません」「火を使う時は、火傷に気をつけないさい」

一人で出かける時は、口煩く小言を言っていく男が、今日は何も告げずに出て行った。

「うるさい」

いつもはそう言って返すのに。

そんな些細なことで、悠理は泣きたい気持ちになった。

 

悠理は一人で海岸へ出た。

清四郎が見ていなければ、泳ぐ気にもなれない。魚や伊勢海老を獲る気にもなれなかった。

「さすがじゃないですか」

そういって微笑む男の顔が恋しい。

自己嫌悪に、悠理は砂を掴むと、海に向かって放り投げた。

いくら他人のことでも、「あんな女」と清四郎に言われたショックは大きい。

いつだって、悠理は清四郎に振り回されっぱなしだ。悠理のことをからかい、突き放しているかと思えば、飼い犬か飼い猫を扱うように引き寄せ愛情たっぷりに撫でる。

強引で身勝手な男なのに、時々見せる優しさがずるい、と思う。

 

あんなキスはずるい。

 

怖かったのは清四郎じゃない。怖いと思ったのは、清四郎に心を寄せる女性がいるとわかっていて、身をゆだねてしまいそうになる自分だ。

大嫌いなのは、一人じゃ何一つできないくせに、意地を張る我侭な女。そのくせ、清四郎・・・・と頼ってしまう弱い女。

それが自分だなんて、思いたくなかった。

 

弱い奴は嫌いだ。

 

「愛している」なんて、思ってもいないくせに。

「結婚しよう」なんて、思ってもいないくせに。

 

そう思い込み、意地を張ることで、自分をかばった。

 

満ちてきた汐が、悠理の身体にかかる。

「しょっぱ・・・・・」

 

風が吹き、少しだけ伸びた髪が靡く。

 

「お前はほんとに泣き虫だな」

よしよし、と頭を撫でられた気がして、悠理は振り向いた。

 

誰もいない。

 

静かな波だけが、同じリズムで打ち寄せている。

 

 

 

清四郎、清四郎、清四郎!

 

急に清四郎に会いたくなった。

 

今は、ただ会いたいだけだ。

顔が見たい、声が聞きたい、一緒にいたい。

 

悠理は勢いよく起き上がると、林の中へ向かって走り出した。

 

寂しいわけじゃない。

清四郎とつき合っている女のことを忘れたわけでも。

 

人を好きになるのに、理由なんてない。

そんな単純なことを悠理は初めて知っただけだ。

 

ただ、それだけ。

 

 

 

back  next

 

TOP

Material by LOSTPIAさま