6.

 

 

 

「なんか、ロビンソー・クルソーみたいだね」

悠理は笑った。

確かに、そんな気分だった。

悠理が物語に出てくる犬のようで、とは口に出さなかったが。

 

久しぶりに屋根のある生活。

突然振り出した雨に、二人で身を寄せ合い、寒さをしのぐこともない。魚や鳥を料理した時に残った油を集めて蝋も作ってある。小さな炎が暖かく小屋の中を照らしていた。

生きるために水を汲み、獲物を捕らえ、火を起こし。

そんな生活に二人はくたくただった。

「今日はゆっくり休むといい」

落ち葉の上に帆を敷くと軟らかなベッドができあがった。

清四郎は悠理に先に休むように勧める。

「うん」

悠理は素直に従った。もぞもぞと敷物の上を移動していく。

「ほら、これを毛布代わりに使うといい」

清四郎は大きな箱から一枚の布切れを悠理に放り投げた。

「何これ?」

悠理は両手で端を持ち広げてみる。その布はずっしりと重かった。

「昔、帆船で航海していた人が、異国の地で結婚式をあげる為に船に積んでいたんでしょうね。実際、それを花嫁が着たかどうかはさておき」

「なんか、もったいないね」

金持ちの令嬢らしくもなく、悠理がぽつりと呟いた。

「さぁ、早く寝るといい」

いつまでもドレスを持ってじっとしている悠理を清四郎が促した。

「うん」と再び言い、悠理はころん、と横になると、「お前は?」と聞く。

半分、瞼が落ちかけていた。

「もう少し。仕掛けの網をほどいたら寝ますよ」

ゆっくり答えると、「一緒に寝ようよ」という小さな声と共に、悠理は眠りに落ちていった。

 

彼女の寝息が静かに聞こえる。

蝋の明かりを頼りに眠る彼女を見ると、まるで花嫁衣裳を纏っている様に見えた。

 

 

島に漂着してから、二人は絶妙のコンビネーションでサバイバルをしていた。

清四郎は網をしかけ、海で魚を取り、林の中で薬草と食べられそうな木の実を探してくる。

悠理は、貝を拾い、素潜りをしては伊勢海老を探し、林の中では清四郎に教えられた果物を取ってきた。

時折、彼女は「父ちゃん、魅録大丈夫だったかな?助かったよね?」と弱気なことを言ってきたが、こちらは、中世時代のボロ船でここまで辿り着いたが、あちらは最新の救難設備を整えたハイテクのゴムボートだ。船長も一緒にいる。どこかの船に直に救助されただろう、と清四郎は思っていた。

二人が助かれば、必ず見つけに来てくれる。

 

それまで、生き延びればいい。

今は、悠理と二人きりの時間が有り難い。

助けがくるまでに、どうしても手に入れたかった。

彼女を。

 

「むむ・・・・・せいしろぅ、それあたいのごはん・・・・・せいしろぅ」

悠理が身動ぎして彼の名を呼ぶ。

「無防備すぎるぞ」

清四郎は微笑むと、蝋の火を消し、悠理の横に身を寄せた。

 

 

翌朝。

清四郎が目を覚ますと、いつもは叩き起こしても起きない悠理の姿がなかった。

危険を避けるため、用を足したい時でさえ声をかけてから行くように、と悠理には言い含めてある。

「乙女に向かって、なんつーデリカシーのないことを言うんだ!」と悠理は怒ったが、「今更どこが乙女なんだか」と清四郎は取り合わなかった。

「何が出ても知りませんよ」そう言い放つと、渋々「わかった」と悠理は言った。

だからこそ、これまでに呼んでも返事が聞こえないほど彼女が遠くに行ったことはない。

清四郎は慌てて小屋を飛び出した。

「悠理!」

海で泳いでいるのだろうか?

海岸へ出てみるが、姿は見えない。

海にいなければ、林の中だ。腹が減ってどこかでバナナでも探しているか、それとも滝つぼで泳いでいるか、だ。

清四郎は迷わず、滝へと向かった。

 

バシャっと音が聞こえる。

やっぱりだ。悠理は滝にいる。叱り付けようと水に近づき、そして、清四郎は罠にでもかかったように動けなくなった。

 

悠理は何一つ身につけず、滝つぼで泳いでいた。

 

これまで、水着姿なら何度でも見たことがある。短パンやタンクトップ姿など露出度の高い服装をしていることだって、多々あった。だが、一糸纏わぬ姿など、当たり前だが見たことはない。

「これほど、とはね」

清四郎は息を飲んだ。

野梨子や可憐がからかうように、確かに胸はない。だが、長い手足に均整の取れたスタイル、ツンと上を向くように膨らみを持ったバストは、どんな男の目も釘付けにする。

清四郎はしばし見とれていたが、意を決して彼女に近づいた。

 

ここは恐らく無人島で、誰も来ることはない。

 

それでも、彼女の肢体を自分の目以外の全てから隠したくて仕方がなかった。

 

カサリ、とわざと音を立て、悠理に近づく。

悠理は、首まで水につかると、「なっ、なっ!来るな、来るな、来るなーーーーー!」と騒ぎ立てた。

「こら!」

清四郎はつとめて冷静に悠理に呼びかける。

「黙って僕の傍を離れるな、と言いましたよね?」

「わかってるけど・・・・・・」

「急に水浴びでもしたくなりましたか?」

「そ、そう!汗かいて気持ち悪かったし、水に入りたいな〜なんて」

清四郎はため息をついた。

「気持ちはわかりますけどね。いつまでも水に入っていたら身体が冷えるでしょう。帰りましょう」

後ろを向いているから、早く水から上がりなさい、と清四郎は背を向けた。

 

「嫌だ。帰らない」

悠理は水から上がりもせず、きっぱりと清四郎の背に向かって答えた。

「何だって?」

思わず清四郎は振り向く。

悠理が今度は清四郎に背を向けた。

「あ、あたい、しばらく水の傍で暮らすわ。えっと、その・・・・・一週間くらい」

「はぁ?」

清四郎は思わずぽかんと口を開けてしまった。

二人が生活をする小屋が完成し、ロビンソン・クルソーだの、トム・ソーヤだのピーターパンだの、思いつく限りの物語を口にし、喜んで騒いでいたのは昨夜のことだ。

その小屋に戻らず、悠理はここでしばらく野宿をするという。

「馬鹿なこと言ってないで、早く上がりなさい」

手を伸ばし、水から悠理を引き上げようとすると、悲鳴のように悠理が叫んだ。

「あっちへ行けったら!」

振り向いた彼女は目に涙をためている。

 

「ゆ・・・・・」

言葉につまり、しばらくすると合点がいった。

 

「事情はわかりましたから。とにかく水から上がって、何か身体に巻いていなさい。すぐに戻りますから」

清四郎はそう言い残すと、小屋へと走った。

 

ひとしきり作業をして、湯を沸かすと滝つぼへと戻る。

 

悠理は身体を小さく丸めて座り込んでいた。

悠理の前に屈み込むと「僕は医者の卵ですよ」と真面目な顔をしていう。

彼女は「嘘つけ。お前、医学部じゃないじゃん」と涙声で答えた。

「今はそうですけどね。実は、医師免許は欲しいと思っていたんです。戻ったら編入手続きをしますよ。ほら、ドクターの言う通りにして」

清四郎は医者が患者に説明するように事務的に折りたたんだ布を渡すと、落ち着いたら戻ってきなさい。薬草を用意してあるからと諭した。

頭に手を乗せ“心配するな”とも。

 

正直、うまく行ったのかどうか、清四郎には確信が持てなかった。

美童ほど女性の扱いに慣れているわけではないし、自分をデリカシーのある人間だとは思っていない。ましてや、いつも女性扱いしたことのない悠理を相手に、どう接したら良いのか戸惑いが大きかった。

それでも、何とかしようと慌てて小屋に戻り、悠理が大事そうに集めたいくつかの美しい貝殻、髪に挿して喜んでいたハイビスカスの花を見ると、慈しみたい思いが自然と浮かんだ。

 

 

しばらくすると、カサっと音がして、悠理が戻ってきた。

 

「お帰り」

悠理は部屋を見ると、照れくさそうに笑って、

「お前って、やっぱりそっちの気があるの?」と言った。

「・・・・・・・馬鹿」

清四郎が厭きれたように言うと、悠理は「嘘だよ、ありがと」と言い、なるべく大きな布を破いて作っておいたカーテンの後ろへと消えた。

 

「ほら、これを飲むといい」

「何?」

清四郎はそっと布をずらし、悠理の前に差し出した。

「精神を落ち着かせる作用があるんですよ。呑んで身体を温めたら、横になりなさい」

彼女は素直に受け取って、静かに飲み干した。

「お前って、ドラ@モンみたい」

「喜んでいいのか悲しむべきなのか悩むお言葉ですけどね。一応誉め言葉と受け取っておきますよ」

清四郎は笑って返した。

 

その日の夜。

今日一日、動きまわることのなかった悠理がぽつりぽつりと語った。

「あたいさ。いっつも何で女に生まれたんだろうって思ってた」

明りが、カーテン越しに、両手を組んで上にあげる悠理を映し出す。

「まぁ、お前の場合はね」

清四郎は苦笑する。

「男ならさぁ、生理が来る事もないし、もっと力仕事もできてさ。清四郎と二人なら今頃この島を脱出できているかもしれないじゃん」

「力があれば良いってもんじゃありませんよ」

清四郎は静かに答えた。

「そうだけどさぁ」

悠理ものんびり答える。

 

「僕はお前が女で良かったと思ってますよ」

「・・・・・・・」

清四郎の言葉に悠理は急に黙った。

「嘘だい。お前、あたいのこと女に見えたことなんてないって言ったくせに」

「あれは・・・・・・・」

と苦い思い出を浮かべ、口ごもる。

「あの頃、お前のことは良い仲間だと思っていましたからね。いきなり結婚と言われても、という意味で言ったんですよ」

あの時のことを二人で話すのは、恐らく初めてだ。

「お前には、本当に悪かったと思っている」

清四郎は素直に謝罪した。許しを乞うのと同時に、もう一度やり直すチャンスが欲しい。

 

「・・・・・あれは、うちの母ちゃんと父ちゃんが一番悪いんだし、あたいもあの時はお前を巻き込んで悪かったと思ってるよ」

悠理が仕切りのカーテン越しにこちらを向くのがわかった。

「でも、僕の課した花嫁修業のことはまだ怒っているでしょう?」

「飯くらい、好きに食わせろ、とは思ったけどさ」

悠理は笑った。

「一番嫌だったのは、なんにもできなかった自分だよ。剣菱のことはお前に頼るしかないし、好きな奴を自分で見つけて結婚するなんて自信もまるっきりなかった」

「悠理がそんな風に思っているなんて、思いもしませんでしたよ」

清四郎は少し驚いていた。同じ年でありながら、子供だ子供だと思っていた悠理がこんなことを言うなんて思いもしなかったのだ。

「あの時さ」

悠理は少しだけ身動ぎする。

「女は素直が一番だって、お前言ったろ?」

「そんなこと言いました?」

「なんだよ、忘れたのかよ?」

悠理は、ほんとやな奴、とブツブツ言っている。

「悪かった」

もう一度言うと、

「ほんとはさ・・・・・」

悠理は言葉を続けた。

 

「父ちゃんと母ちゃんがハワイに行っちゃってさ。あたい、どうなるんだろう?って思った時に、素直になろうって思ったんだ」

「素直じゃなかったのは、僕も同じですよ。あの時、外では余裕のある顔してやってましたけどね。内心、いっぱい、いっぱいだった」

清四郎が、皆にはバレバレでしたけどね、と苦笑すると、悠理も「うん、あの時のお前、怖かった」と笑った。

もう、二人で、笑い話にできるほどの年月が経ったのだと思った。

 

「他の男と無理矢理結婚させられるくらいならさ。素直になって、お前の方がいいって思ったんだ」

そういうと、悠理は清四郎に背を向けてしまった。

「今、なんて?・・・・・・悠理?」

 

清四郎は、みっともなく震えていた。

ここにいるのが悠理と二人きりで良かったと思っている。

 

彼女に触れたくてたまらない。

無粋なことはしたくない。

彼女を刺激したくはない。

そう思っても、二人を隔てる布へと手は伸びていた。

 

「悠理?」

そっと覗き込む。

もう一度やりなおそう、と思いを告げるなら、今しかないような気がした。

 

悠理の肩をそっと掴む。

 

彼女も、震えていた。

 

 

 

 

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