4.

 

 

港では慌しく出航の準備が進んでいた。

「いやぁ、ダイキリのおかげで助かっただよ」

万作は、見送りにきてくれた息子のピンガに挨拶をしている。

 

マイタイに到着した一行は、3日前から王家の世話になっていた。

未だに美童、可憐、野梨子は床に伏したままだが、豊富な南国の果物のおかげで、元気を取り戻しつつあった。何しろ、島での生活は、水と果物さえあれば糖分とビタミンの補給が自然とできる。

美童は御希望のラバさんを見つけ、療養というよりはナンパに忙しいようだった。

「元気になったのなら、一緒に行きますか?」

清四郎が何度誘っても、いや、まだ頭痛がとか、時々吐き気がと垂れた目で訴え、出かけようとしない。

「こんな奴ほっといて、さっさと行こうよぉ」

悠理は清四郎の袖をひっぱった。

「ですな」

 

清四郎も同意し、先ほどから港で出航準備を手伝っているところだ。

 

「魅録は?」

清四郎が聞くと、「あっちでロープ引いてる」と悠理が指差した。

「甲板が終わったら、機関室見てくるって」

汗だくになって働く魅録を、二人は目で追った。

「働いていた方が気が紛れるんでしょうね」

「・・・・・そうだけどさ。なんか、こっちの気分も晴れないっていうか」

「二人で決めたことですよ」

「わーってるよ!」

水、汲んでくる、と悠理はバケツを持って走って行った。

今朝から少しばかり彼女は挙動不審だ。

その理由を思い、清四郎はクスリと笑った。

 

 

*******

 

 

マイタイに到着し、魅録とチチは再会を果たした。傍から見ていても緊張が伝わるほど、二人は互いを前にぎこちなく固まっていた。桟橋に立った魅録は、チチを抱き寄せることも、挨拶の手を出すことさえもできず「お久しぶりです、王女」と恭しく頭を下げた。

 

今にして思えば、その時、チチの姿を見ただけで魅録には二人の結末がわかったのだろう、と清四郎は思う。

 

チチは、その日の歓迎夕食会に、一人の青年と共に現れた。

ダイキリがその青年を「彼女の婚約者です」と紹介した。

「戴冠式の時に、息子のピンガが結婚式も挙げたでなかったか?おめんとこは、めでたいこと続きで羨ましいだよ」

万作が満面の笑みで祝いの言葉を言うと、ダイキリは万作の手を握り返し、幸せそうに笑った。

「チチはずっとプロポーズを断わっていたけど、ついこの前結婚すると言ったね。ワタシもう長くない。チチの結婚望んでいた」

ダイキリの言葉に魅録は、はっと顔を上げ、チチを見た。

彼女は婚約者の後ろでずっと下を向いている。

「なに言うだ!おめは、もっと長生きするだよ。新しい王もこんなにりっぱになったし、娘も幸せになるだ。そのうち孫の顔も見れるだよ」

万作が必死で思いを告げるが、ダイキリも息子ピンガもチチも、悲しそうな顔をして微笑むだけだ。

ダイキリを支えるようにして立っていたピンガが父の代わりに答えた。

「この国の寿命は日本ほど長くありません。病気を持っている父は、それほど長くは生きられないだろうと医者から宣告されているのです」

ダイキリ・・・・・と万作は涙を浮かべた。

「マンサク、そんな顔しない。ワタシまだ生きてるし、娘の結婚決まって嬉しいね」

ダイキリの言葉に、ようやく全員は心から再会を祝うことができた。

 

そうして、美童、可憐、野梨子は参加できなかったものの、和やかに夕食会は進み、夜もふけるとチチの婚約者は「王の恩人と会えて幸せです」と名残惜しそうに帰って行った。

ダイキリの部屋で泊まるという万作を置いて清四郎、魅録、悠理が部屋へ戻るべく中庭沿いの回廊を歩いていると、チチが追いかけてきた。

 

「待って!待ってください」

真っ先に立ち止まったのは魅録だった。

振り向くと、チチが目にいっぱいの涙をためて立っていた。

「僕の部屋を使って話すといい。二人きりではまずいでしょう?」

再会した時のように再び固まる二人に、清四郎は助け舟を出した。優しくチチに微笑みかけ、女性もいた方がいいでしょう。悠理も来てください、と誘う。

悠理は、う、うん、と頷くと「チチ、行こう」と彼女の手を取った。

 

部屋に魅録とチチを残し、テラスで悠理にジュースを飲ませていた清四郎は、二人がどんな話をしたか知らない。

けれど、魅録が「悪かったな」とテラスの窓を開けた時、チチの姿はなかった。

「魅録ちゃん・・・・・・」

何かを言おうとした悠理を清四郎は遮った。

「悠理、部屋まで送りますよ」

「何だよ、清四郎。あたいの部屋なんか、すぐそこ・・・・・・」

「魅録、自分の部屋に戻る時は、これをかけて行って下さい」

魅録に鍵を放り投げる。

「僕はもう一つ持っていくから心配いりません」

清四郎は悠理の背を押し、部屋を出た。

 

「清四郎!」

廊下に出ても大声を出す悠理を、清四郎は後ろからはがい締めにして手の平で口を塞いだ。

「しっ!皆が起きてしまいますよ」

悠理は腕の中でふがふがともがく。

きつく抱きしめても大人しくならない悠理に、清四郎は耳元で囁いた。

「静かにしないとここで襲いますよ?」

唇を手の平で撫でながら言うと効果はてき面だった。

襲います、という言葉を彼女がどう捉えたのかはわからないが、ビクンと身体を硬直させ、大人しくなる。そして、わなわなと震えながら徐々に耳まで真っ赤になっていく様が後ろからでもわかった。

不謹慎にも、魅録とチチの状況を知りながら、彼女のウブな反応に清四郎は頬が緩む。

こいつに好きな男が?と不安になっていた気持ちが嘘のように晴れて行った。

彼女を腕の中に入れていると、悠理はまだ自分の手のうちにあるような気がした。

「ここまででいい」

抱きしめていた腕を緩めると、悠理はくるりと向きを変え、真っ赤な顔を隠すように下を向いたまま歩き出した。

 

「部屋まで送ると言ったでしょう?」

女性たちの部屋は中庭の向こうだ。清四郎は彼女を引き止めるためにちょっとした意地悪をしかける。

「昔、この国は戦場だったんですよ。何が出てもおかしくない」

素知らぬ顔で呟くと、彼女は髪を逆立て、慌てて清四郎の腕の中に戻ってきた。

今度は彼女自らしっかりと抱きついてくる。思った通りの反応。素直な反応に清四郎は喜びを隠せない。

宥める様に背中をポンポンと叩き、引き離すと、清四郎は「さぁ、もう遅いですよ」と悠理の手を引いた。悠理は大人しく手を引かれたままついてくる。

握った手の指をからませようとすると、彼女は少しだけ逃げようと手を引いた。

それでも、強引にからませた指に力を入れると、悠理は観念したようにかすかに指を動かした。

 

月夜に照らされる回廊は、青く静かに二人を包んでいる。

“まるで獲物に慎重に近づく猛獣の気分だな”

清四郎は微笑みながら横を歩く悠理を見下ろした。

 

「悠理、魅録もチチも大人です。二人で出した結論は誰にもどうすることもできない。わかりますね?」

彼女の部屋の前まで来ると清四郎は静かな声で悠理を諭した。

コクン、と悠理は頷く。

「あたい・・・・・魅録もチチも大好きなんだ。だから幸せになって欲しいって思ってただけだよ」と涙ぐむ。

「悠理の気持ちはちゃんと二人に伝わっていますよ」

「そっかな」

「ええ」

清四郎が自信を持って頷くと、悠理はようやく微笑んだ。

 

泣き笑いを浮かべた悠理の姿は、高校時代とまるで変わらない。懐かしさにひどく胸が痛み、清四郎は、彼女に触れようとする手を必死で耐えた。

ここで悠理を脅えさせたくはない。

 

「お休み、悠理」

ゆっくりと告げると、

「え?あ、ありがと」

悠理は焦ったように向きを変えた。慌ててドアを開ける。

中へ入ろうとする悠理を清四郎はもう一度引き止めた。彼女の華奢な背中を見ると、どうしてもこのまま部屋へ返すことができなかった。

「悠理」

「なに?」

「お前も女なんだから、送り狼には気をつけなさい」

 

慎重に近づけた唇は、彼女の紅色の頬に落ちた。

 

“恋は盲目”などと、良く言ったものだ。

清四郎は苦笑する。

バタンと音を立てて閉まったドアは、悠理が閉めたのか、自らが欲望を抑えるために彼女を押し込んで閉めたのか、清四郎にはわからなくなっていた。

 

 

********

 

 

船は清四郎、魅録、万作、悠理を乗せて午前10時に出航した。

マイタイで海賊の島の話をすると「本気か?万作」とダイキリは不安な色を隠しきれず聞いた。

ダイキリは、「島の位置の検討はつくが、その辺りは海流が恐ろしく複雑で、地元の者さえも近づかない。たとえたどり着けたとしても断崖絶壁で昔作られた港を探すのは困難だろう」と言った。

だが、万作が、「本気だがや。だから十分な装備をしてきただよ」と胸を張ると、そこまで言うならと協力を申し出た。

 

マイタイを出航し外洋に出ると、操舵室でダイキリにもらった航海図をもう一度確認する。

これまで利用していた地図以上の無数の島に髑髏マークがいくつもつけられていた。

「ここが、一番怪しいそうだがや」

一点に赤く印がつけてある。しかし、その周囲の海流図は、万作ではなく本物の船長が眉をひそめるほど複雑だった。

「会長」

船長は万作をそう呼ぶ。

「うむ。わかってるだよ」

万作は頷いた。

「会長、あらかじめ申し上げておきます。私が危険と判断したら船を戻します。宜しいですね?」

「安全第一だがや。おめを信頼して任せるだよ」

万作が船長に力強く告げると、彼は「ありがとうございます」と微笑み、目一杯舵を切った。

 

船が方向を変えると悠理は、

「あたい、外であの山を探すよ!」と操舵室を飛び出して行く。

清四郎は、「全く、騒々しい奴だな」と笑いながら目で彼女の後ろ姿を追った。

「俺たちも外へ行くか?」

魅録が清四郎を誘う。

「ええ、あいつを一人で外に置いておくと、海に落ちそうな気がして仕方がない」と清四郎は笑った。

「全くだ」魅録もあきれて言う。

万作は「清四郎君と魅録君がいれば安心だがや」と豪快に笑った。

 

若者が操舵室を出て行くと、船長が「お嬢様は良い騎士(ナイト)をお持ちだ。どちらが本命なんです?」と万作に微笑んだ。

「ワシの心は昔から決まってるだよ。でもこればっかりは、うまくいかねーだ」

万作はため息をついた。

 

 

悠理は双眼鏡を手にマストの上に設えた見張り台に登っていた。

「悠理!これから海流の複雑なところに行くんだ。危ないから船の揺れが大きくなったら降りて来なさい」

清四郎は甲板で声を張り上げた。

「わーってるよーーーーー!」

悠理は手を振り答える。

「やれやれ。本当にわかっているのか怪しいもんですな」

後ろで、クッともれる笑い声が聞こえた。

「相変わらず猿と変わらねー奴」

「調教によっては、猿の方がもう少し聞き分けが良いんじゃないかと思いますけどね」

清四郎が言うと、「お前もひでー奴」と魅録が言い、二人は声をあげて笑った。

 

ひとしきり笑うと魅録は言う。

「俺、なんか振り切れたんだ」

おや?というように清四郎の片眉が上がった。

「チチは王女として国に一生を捧げる決心をしたんだ」

そう言った後魅録は、同じ思いで支えてくれる男と結婚を決意した彼女を尊敬していると語った。

「そうですか」

清四郎は静かに頷く。

「後悔はないんですか?」

「ない」

彼はきっぱりと言いきった。

「彼女は生まれながらの王女だよ、そんな女に惚れた事を、俺は少しも後悔してない」

「やっぱり魅録はいい男ですな。羨ましいくらいに」

清四郎は目を細めた。

「お前も、はっきりさせるんだろ?」

魅録は聞いた。

清四郎は、黙ってマストの上の見張り台を見上げる。

隣で魅録も上を見上げた。

 

「本命は、キン斗雲の上ってか」

 

その言葉で清四郎は、はっと魅録を見る。

魅録も視線を戻し、清四郎に向かって片目を閉じた。

「僕は釈迦じゃありませんけどね」

「どっちにしても、噂の女よりは似合いだぜ。廊下で堂々と手を出しやがって」と魅録はからかった。

「見ていたんですか?」

眉を少ししかめながら清四郎は聞く。

「見せていた、の間違いだろ。俺に鍵を渡しておいて、あんなところで抱きついた挙句キスされた日には、挑発かと思ったぜ」

魅録はなおも笑いながら清四郎をつついた。

「考えてみれば、あいつが惚れそうな男なんて一人しか思い浮かばないもんな・・・」

何ですって?清四郎がそう聞き返したところで船が大きく傾いた。

 

うわっ!

二人で甲板に叩きつけられる。

「やばい海域に入ったな」

「ええ」

魅録と清四郎はやっとのことで、船体につかまり「悠理!降りてこい!」と叫んだ。

「清四郎!魅録!」

遠くで悠理の声が聞こえる。彼女はなんとか無事なようだ。

 

悠理をマストの下で待ちうけようと、清四郎は船体につかまりながら甲板を進んだ。

 

 

その時だ。

 

船底から突き上げるような振動があり、ドーンと派手な音と共に、もう一度清四郎は床に叩きつけられた。船が再び大きく傾く。

「魅録!」

振り返ると、魅録が同じように甲板を這いながら、焦った顔をしていた。

「清四郎、爆発だ!船底で何かが起きた」

「清四郎!魅録!何か変だ、後ろの方から黒い煙が上がってる!」

魅録の叫び声と共に、船の異常を伝える悠理の絶叫も上から聞こえてくる。

「悠理!降りろ!」

「わかってる」

だが、船は安定感を失い、立っていられないほど揺れていた。

悠理を降ろさなくては、と思いながらも返って危険かもしれない、という思いが清四郎に過ぎる。

「魅録、僕はとにかく、悠理を下に誘導します!」

「ああ、まかせた!俺は船内を見てくる!」

「気をつけて!」

「お前も」

清四郎と魅録は二手に別れた。

 

ゆっくりと、しかし確実に黒い煙が船を包みつつあった。

 

 

******

 

 

あっという間に船全体が煙にまかれ、今やマストの上は何も見えない。メーデー、メーデー、メーデーというマイク音と共に警報が鳴り響いていた。

多くのクルーが甲板に飛び出てくる。

清四郎の耳に「沈没するぞ!」という声が入った。救難ボートが次から次へと降ろされる。

「悠理!」

だが、叫んでも悠理はまだ降りてこない。

立ち込める煙のせいで、清四郎も声を張り上げることができなくなっていた。

 

やっとの思いで立ち上がり、梯子をよじ登ろうとすると、がしっと後ろから肩を掴まれた。

魅録が、船長、万作を連れて甲板に避難してきたのだ。

「これを付けろ!」

魅録が救命胴衣を渡す。清四郎は受け取り、すぐさま身に付けた。

「清四郎!古いモーターが火災を起こして、エンジンルームで爆発を起こしたんだ。チクショー、もっと早く修理すれば良かった!新しいエンジンだけじゃなく、古いのも使っているから乗船してからずっと気になってたんだ」

魅録は叫びながら、「おい、悠理は?」と聞く。

「まだ上です。濃い煙のせいで意識を失ってしまったのかもしれない」

「なんだって?!」

「悠理!父ちゃんが今助けに行くだ!」

「私が行きます!」

船長も名乗りを上げた。

「船長は、全員を無事避難させる義務がある。おじさんでは無理です!僕に任せて下さい。魅録、二人を救難ボートに乗せたら、僕の上着を水に浸してきてくれませんか。甲板のどこかに掃除用のホースがあったはずです」

清四郎は一旦救命胴衣を外すと、上着を脱ぎ、魅録に手渡した。

「わかった、すぐに戻る!」

「頼みましたよ」

「ああ。さあ、船長、おじさん行きますよ!」

「悠理、悠理」と叫ぶ万作は「頼むだよ清四郎君」と言い残し泣きながら煙の向こうへと消えていった。

 

ますます強くなる熱風と煙に清四郎の気も遠くなる。

目の前にいながら、悠理を助けに行くことができないもどかしさに、腹腸が煮えくり返りそうだった。

数分すると魅録が戻ってくる。

「ほらよっ!」

彼は濡れた上着を清四郎に差し出した。

「魅録、これと救命胴衣を持って僕は上に上がります。悠理を連れて海に飛び込みますから、貴方は先に逃げて下さい」

「馬鹿言うな!こんな状況でお前らを置いていけるわけないだろ!」

「魅録、こんな状況だからこそです。二人で上に登るわけにはいかないでしょう!」

「じゃ、俺が行く」

登ろうとする魅録を清四郎が強引に引きずり降ろした。

「どちらが体力があるか、貴方もわかっているでしょう。先に下船して、飛び込んだ僕らを見つけてください。貴方を信頼して言っているんですっ!」

清四郎が怒鳴ると、魅録は顔を歪めながら頷いた。

「悠理を生きて連れ帰ると約束できるな」

「もちろんです。彼女を失ったら・・・・・僕も生きる意味がない」

 

――― あいつを、愛しているんです。

 

清四郎は魅録に告げた。

 

“わかってたさ”と魅録は微笑む。

 

「安心しろ。あいつは死なない。お前がそう言ったんだ」

 

魅録は清四郎の両肩を手を置き、「海で待ってる、必ず来い!」と言って去って行った。

 

 

清四郎はずぶ濡れにしてもらった上着で口を覆うと、一歩一歩梯子を登り始めた。

 

 

 

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