「体温−6」
「清四郎ってこんな顔してたっけ・・・。」 悠理は最後にふたりで撮った写真を見て呟いた。 清四郎はとても穏やかな表情をしている。 そして、その傍に寄り添う自分も。 あの日ずっと繋いでいた手は暖かかった。 ひどく安心できるその手を離したくなかった。 見上げればいつでも優しい眼で応えてくれる清四郎も、きっと自分と同じように想ってくれていると自然に思えた。 あの日初めて気付いた、自分と清四郎の気持ち。 これからも、ずっと一緒にいられると思っていた。 言葉で確かめたわけではないけれど、そう思っていた。 昨日までは。 だが、清四郎はあの時にはもうイギリスへ行くことを決めていたのだ。 『世界中に繋がってるんですよ』 そう言ったのは、日本を離れることを決めていたからだろう。 「なんだよ!あたい応援するって決めたんだろ!!」 自分に喝を入れてみるのだが、止めど無く溢れる涙をどうすることもできなかった。
「悠理のこと、お願いしますね。・・アイツはほっとくと何しでかすかわからないし。それに、すぐ泣くから。」 悠理が帰った後の生徒会室で二人の男が静かに対峙していた。 「そんなに心配ならお前が傍にいてやれよ。好きな女のこと、他の男に頼むんじゃねーよ。」 「それができればこんなコトわざわざ頼みませんよ。まだ、怒ってるんですか?」 「別に、そんなじゃねーよ。だけど一体なんなんだよ。お前がそうまでして叶えたい夢って。お前、悠理と上手くいったんじゃないのか?!なんで、アイツは留学のコト知らなかったんだよ。すぐ泣くからだぁ?お前が泣かせてんじゃねーか!」 魅録は清四郎の胸倉を掴むと一気にまくし立てた。 だが、清四郎のその眼は悲しげに笑うだけだった。 「――悪い、言いすぎた。」 魅録はゆっくりと手を離すと、そばにあった椅子に疲れた様に腰掛けた。 「いえ、魅録の言う通りですよ。よかった。やっぱり魅録になら安心して悠理を任せられます。」 「ホントにそう思ってるのか?」 「えぇ。」 「なら、さっきの質問に答えろよ。俺には聞く権利があるだろ。」 「悠理が、留学のコトを知らなかったのは僕が別に悠理に何も言ってなかったからですよ。」 「何もって。お前ら上手くいったんじゃないのかよ。さっきだって・・。」 「僕にはまだ、何も言う資格なんてないんです。さっき抱きしめたのは、・・抱きしめてしまったのは、悠理の、アイツの体温を覚えておきたかったから・・。」 清四郎が顔の前で自分の両手を見つめている。 「なんだよ、それ。全然わかんねー!資格だぁ?なんの資格だよ。好きならさっさと気持ち伝えて抱いちまえばいいじゃないか!アイツだってお前のこと好きだよ。そうじゃなかったらあんな風に泣かないさ。それぐらい俺にだってわかったんだ。お前にだってわかってるんだろ、アイツの気持ち。アイツがどんな思いでお前に頑張れって言ったか!」 「気持ちを形にするのは簡単です。だけど、今の僕じゃ、また同じ失敗を繰り返してしまう。アイツをまた苦しめてしまうんです。」 「失敗ってなんだよ。アイツが今以上に苦しむことってなんなんだよ。」 「悠理はなんて言うかわからないですけど、僕は悠理の傍にずっといたい。だからその為にも、自分を鍛えたいんです。」 切なげに、それでもその言葉には力が篭っていた。 「お前、もしかしたらまだこないだのコト気にしてるのか?」 「あの時、僕には余裕がなさすぎたんです。余裕のつもりで全然周りが見えていなかった。悠理のコトも全くね。」 「確かにあのときのお前には余裕なんてなかった。だけど、今は違うだろ?あのときの自分がちゃんとわかってる。もう、同じ失敗なんてしないさ。」 「それでも、まだ僕には自信がないんですよ。それに・・。」 一度言葉を切る。 思い切るようにして、続けた。 「・・・もし僕に剣菱を動かしていけるだけの手腕が持てたなら、例え悠理がさっき言ってた様に悠理に他に好きな人ができたとしても、剣菱の中にいて悠理の傍にいるコトができるでしょ。」 魅録に吐き出したことで完全に心を決めてしまったのか、清四郎は笑顔でそう言い切った。 「・・・・・自分勝手なやつだな。」 「僕もそう思いますよ。」 「ホント、完全主義者のお前らしいよ。もういい、わかったよ、好きにしろ。そのかわり。」 「なんですか?」 「アイツに他に好きなやつができても、俺は止めないからな。」 「頑張りますよ、その前に帰ってこれるように。」
半年後、悠理達は大学生になっていた。 清四郎は、公言通り卒業式の日にイギリスへと旅立っていった。 見送りは、決心を鈍らせそうだからと冗談混じりに断られた。 結局あの日の写真も渡せないまま、それから一度も会うことも声を聞くこともなかった。
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