6.

 

 

悠理が学校に来なくなって、三日が経った。

清四郎は、何ごともなかったみたいに登校しているけれど、顔からは、いつもの皮肉屋っぽい微笑が消え、険しい表情をするようになった。そのせいで、清四郎に近づく生徒は、誰もいなくなった。辛うじて、あたしたちとは一緒にいるけれど、以前のように楽しく会話することは、完全になくなっていた。

そして、あたしは、そんな清四郎が痛々しくて、さらに食欲を失った。


「はいどうぞ。今日のノルマですわよ。」
昼休みの生徒会室。
野梨子があたしの前にトレイを置いた。
トレイには、細かく刻んだ白身魚のマリネ、手作りのパン、温めなおしたばかりのカボチャのポタージュが載っていた。
悠理が学校に来なくなってから、あたしは皆から無理矢理食事を摂らされるようになっていた。
「今日のランチは僕のママ特製だよ。味は保障するから、いっぱい食べてね。」
美童がテーブルに肘をつき、あたしの顔を覗き込む。
学食では味気ないからと、仲間たちは、あたしのために色んな料理を準備してくれる。
そんな篤い友情が篭った料理を食べなかったら、それこそ本当に罰が当たってしまうだろう。
「ありがとう。」
あたしは礼を言ってから、パンをひと口齧り、ポタージュを少し飲んだ。



悠理の姿が消えた、あの朝。あたしは眩暈が治まるとすぐ美童にSOSを発した。
美童は直ちに魅録へ連絡し、手分けして悠理を探してくれた。
だけど、悠理の姿は、どこにもなかった。もちろん携帯電話も繋がらない。
昼休みになり、悠理の家に電話をしてみると、彼女は帰宅していた。
電話を取り次いでくれと頼んだものの、悠理は決して電話口に出ようとはしなかった。
悠理が心に受けた傷の深さを考えれば、当然だった。

あたしたちは、相談した結果、野梨子にすべてを打ち明けることにした。
当事者であるあたしや、男性より、野梨子が会いに行ったほうが、悠理も心を開きやすいだろうという結論に達したからだった。
放課後、すっかり投げやりになった清四郎を、魅録が生徒会室まで引っ張ってきて、悠理以外の面子が揃ったところで、話し合いははじまった。
美童が経緯を説明する間、野梨子はずっと黙っていた。


野梨子が言葉を発したのは、すべて話し終えたあとだった。

「可憐が悠理の気持ちに気づいたのは、いつですの?」
「・・・二週間と少し前よ。」
あたしが答えると、野梨子は、数秒の間、黙り込んだ。
「もしも、清四郎が悠理に告白する前に気づいていたら、今のような関係にはなりませんでした?」
「当たり前じゃない!」
野梨子は、間髪入れずに叫んだあたしを見て、すぐに視線を清四郎に向けた。
「事情はすべて理解しましたわ。」
そう言うと、野梨子は立ち上がり、何故かキッチンコーナーに向かった。
何をするのかと見ていたら、野梨子は空っぽのコーヒーポットを手に取って、蛇口を捻って中に水を入れはじめた。

コーヒーでも淹れるのか、と思っていたら、何故か野梨子は、水を満々と溜めたコーヒーポットを持って、テーブルに戻ってきた。

そして、清四郎の真後ろに立つと、いきなりポットを清四郎の頭上で逆さにした。

ニュートンの万有引力に従って、水は清四郎へと降り注いだ。
その光景を見て、あたしだけでなく、美童も、魅録も、あっと声を上げた。

清四郎は、全身から雫を滴らせ、呆然としている。
「コーヒーポットで頭を割られないだけ、幸運だったと思いなさいませ。」
野梨子は冷たい視線で清四郎を見下ろしてから、ふい、と歩き出し、ポットを棚に戻した。
清四郎はまだ呆然としている。しばらくして、ようやく我に返ったようだったけれど、何も喋らないまま、ハンカチで流れる雫を拭っていた。


野梨子が次にどんな行動へ移るのかと、固唾を呑んで見守っていたら、彼女は何とあたしに近づいてきた。
あたしの目の前で立ち止まり、気の強さを表した瞳で、真っ直ぐにこちらを見る。
「可憐。わたくしは、今、とても怒っているんですの。」
野梨子の手が、ふわりと浮く。
殴られる―― 直感したあたしは、眼を瞑って、身体を硬くした。

殴られて当然のことを、あたしはした。
野梨子が激怒しても仕方がない。
あたしは覚悟を決めて、野梨子の平手を待った。

だけど、あたしを待ち受けていたのは、平手打ちではなく、野梨子の抱擁だった。

「・・・え?」
あたしは驚いて眼を見開いた。
眼の下で、野梨子の艶やかな黒髪が揺れている。
「どうして・・・相談してくださらなかったの?わたくしは、そんなに頼りない友達ですか?可憐が食事もできないほど苦しんでいたのに・・・わたくしは、何の役にも立ちませんの?」
野梨子が泣いている気配が、制服を通して、胸に伝わってきた。
あたしは嬉しさのあまり、野梨子を力いっぱい抱きしめて、何度も、何度も、ごめんね、と謝った。

こんなに友情が有難いものだなんて、あたしはこの年になって、はじめて知った。

だから、悠理にも、あたしが貰った以上の友情を、あげたかった。



パンをポタージュで食道に押し流し、マリネをオレンジジュースと一緒に飲み込んで、何とかランチは終了した。
「ごちそうさま、美味しかったわ。」
きっと食欲があるときなら、とても美味しく感じるだろうから、嘘は言っていない。
トレイをキッチンコーナーに運ぶとき、そっと清四郎を見てみた。
清四郎は、出窓に腰かけ、皆に背中を見せるようにしながら、本を読んでいた。

皆とは、つかず、離れずの距離。本当は、ここに居たくもないのだろう。
その証拠に、あの日から、清四郎はあたしに触れなくなった。
だけど、清四郎はここにいる。
あたしが、それを願ったから。

季節はもうすぐ春。三月はすぐそこだ。
卒業を前に、あたしはある決意をしていた。
今さらかもしれないけれど、その決意がかたちになるまで、少しでも多く清四郎の姿を見ておきたかった。


魅録が、後ろからあたしの手元を覗いてきた。
「おっ、ちゃんと食べたな。偉い偉い。」
「せっかく美童のママが作ってくれたんだから、残したら申し訳ないでしょ。」
皆のお陰で、貧血で倒れることはなくなった。
激減した体重は、なかなか元に戻る様子はないけれど、肌の調子はずいぶんと良くなった。春がきたら、きっと体重もベストに戻るだろう。

食器を洗い、人数分のコーヒーを淹れる準備をする。
あたしの後ろには、好き勝手に寛ぐ仲間の姿。
いつもと同じ光景のようで、決定的に違うものがある。
それは、悠理がいないことだ。
そして、清四郎も、あの日以来、笑顔を失っていた。
悠理に何とか話を聞いてもらおうと話し合うあたしたちに向かって、そんなことをしても意味がない、なんて言葉の刃を振りかざしながら、苦しげな表情をする。
清四郎も、悠理と同じくらい傷を負っているのだ。

だから、あたしは決めた。

お仕舞いでも、手遅れでも、構わない。
とにかく持てる力のすべてを尽くすんだ。


清四郎を、悠理へ返すために。

あたしは、あたしができることを、やろう。

 

 

 

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