3.
清四郎が、息を弾ませながら、黒い瞳で、あたしをじっと見下ろしている。
背中とシーツの間に挟まった髪が、清四郎から突かれるたびに引っ張られて、後頭部に痛みが走る。
その痛みが、快感に眩みかけた意識を、ぎりぎりのところで繋ぎ止めていた。
下腹の中を掻き回す、異物の圧迫感が、背筋を駆けのぼる間に、快感へと変わる。
清四郎を呑み込んだ部分は、じんじんと痺れて、自分の一部じゃないみたいだ。
そして、清四郎に見られている―― 髪を振り乱し、快感に顔を歪めているところを見られていると思うだけで、身も、心も、熱く蕩けてしまう。
キスを繰り返しながらの前戯や、行為のあとの軽い戯れも、もちろん好きだ。 だけど、あたしは清四郎に貫かれているときが、いちばん好きだった。
だって、その間だけは、確かに清四郎と繋がっていると、実感できるから。
前戯の段階で達してしまったあたしは、清四郎に何度も、何度も強く突き上げられ、息も絶え絶えの状態だ。それでも勝手に腰が動き、さらに深い場所まで清四郎を呑み込もうとする。心だけでなく、身体も、清四郎を離したくないと訴えているのだ。
清四郎が苦しげに息を漏らす。彼も、もうすぐ絶頂を迎えるのだ。
高い声を上げて、髪を振り乱すあたしの胸を、清四郎が強い力で掴んだ。
それが、合図。 清四郎の腰が、二度、大きく動き、かすかに痙攣したあと、止まった。
ふう、と大きな吐息が、耳元で聞こえ、清四郎がゆっくり身を起こす。 その額を流れる汗さえ、たまらなく愛しい。
「・・・気持ち、良かったですか?」 「・・・ん・・・」 あたしは微笑みながら頷き、頭を上げて、清四郎にキスをした。
清四郎の小母さんは、遅くまで帰ってこないし、明日は休日だ。 だから、今日は清四郎とずっと一緒にいられる。それが、素直に嬉しかった。
清四郎が後始末をする姿を見物していたら、さすがにバツが悪かったのか、彼は急に後ろを向いてしまった。
その背中が妙に情けなかったので、あたしは声を上げて笑った。
ふっと、悠理は清四郎のこんな姿まで知らないんだ、なんて、歪んだ優越感が湧いてきて、自分が情けなくなった。
清四郎の背中に頭を押し当てて、無言のまま俯いていると、いきなり彼が振り向いた。 あたしの腰に、逞しい腕が絡みつく。
「やだ、もう二回戦に突入するの?」 「違いますよ。」 清四郎は苦笑して、両腕であたしの腰を持った。
「ふむ。そう言われれば、細くなりましたかねえ?」 疑問形の独り言に、あたしはムッとした。
「週に二回はエッチしているのに、気づかないほうがどうかしているわよ。」 「週に二回もしているから、変化に気づきにくいんですよ。」
もっともらしい言い訳を吐いてから、清四郎は、あたしの乳房に吸いついた。 もしかしたら、話を逸らしたかったのかもしれない。
本心からも、虚構の現実からも逃げる、ずるい男。 だけど、あたしは、そんなずるい男が、愛しくて堪らないのだ。
清四郎は、まるで赤ん坊みたいにあたしの乳首を吸いながら、繁みの奥の、蕩けて潤んだ場所を指で探った。 快感に、きゅう、と子宮が収縮する。
あたしは口惜しさをぶつけるように、清四郎の頭を抱いて、その黒髪を思い切り掻き乱した。
それが気に障ったのか、清四郎が、じんじんと痺れる乳首を、かり、と噛んだ。 痛みと同義の快感が、電流のように背筋を走る。 「・・・っ!!」
PPPP・・・ あたしが声を上げる代わりに、清四郎の携帯電話が、けたたましく鳴りはじめた。
いくら放っておこうが、電話が鳴り止む気配はなかった。
清四郎は、小さく舌打ちしてから、億劫そうに立ち上がり、携帯電話を手に取った。 「・・・もしもし、ああ、魅録ですか・・・」
魅録と聞いて、あたしは深々と溜息を吐いた。 魅録に邪魔をしているつもりは毛頭もないだろうけど、タイミングが悪すぎる。
「え?門の前?見てみろって・・・今どこにいるんですか?ああ、はい、今すぐですね。分かりましたよ。」
清四郎は、電話を切ると、忌々しそうな溜息を吐いて、こちらを振り返った。
「魅録が、門の前に面白いものがあるから、見てみろと言うんです。すぐじゃないと駄目らしいので、ちょっと見てきます。」
そう言うと、清四郎は手早く服を身に着けて、部屋から出ていった。 残されたあたしは、また溜息を吐くと、ぐちゃぐちゃに乱れた髪を掻き揚げた。
ひとりになって、改めて清四郎の部屋を眺めてみる。
綺麗に整頓された室内。部屋を彩る装飾品がひとつもない中で、椅子にかけられた女物の制服と、ローズピンクの下着だけが、やけに浮いて見えた。
やっぱり、清四郎の中で、あたしは不要な存在なのだろう。
なかなか清四郎は戻ってこない。
男の部屋で、女がひとり素っ裸でいるというのは、けっこう心細いものだ。
あたしは出しっ放しにしてあった清四郎のセーターを身につけると、ベッドの上で膝を抱え、清四郎の帰りをじっと待った。
それからすぐに、階段をのぼる足音が聞こえてきた。 あたしは安堵し、抱えていた膝を解放した。 足音は、この部屋の前で止まった。
「可憐、いるんだろ?悪いけど、入るよ。」
美童の声だった。
あたしは、膝を崩した格好のまま、凍りついた。
ドアノブが、ゆっくりと回る。 「いや!入らないで!!」 必死の懇願もむなしく、ドアが、開いた。
美童は、清四郎のセーターで裸身を隠したあたしを見て、哀しげに顔を歪ませた。
咄嗟に掛け布団を掴み、剥き出しの足を覆う。
下着もつけていない下半身を、清四郎以外の男に晒せるはずがない。 美童は暗い溜息を吐くと、あたしに背中を向けた。
そして、廊下を向いて、また溜息を吐く。 「・・・まさかとは思ったけど、やっぱりね。」 あたしは布団を握りしめたまま、びくりと震えた。
美童は、こちらに向けた背中をアンテナにして、こちらの反応を探っている。 あたしは、何も言えずに、くちびるを噛んだ。
「可憐は、いつからそんな安っぽい女になったのさ?」 美童の言葉は、刃となって、心臓を貫いた。
「可憐だって、とっくに答は分かっているんだろう?このまま関係を続けていても、傷が深くなるだけだって。」 「あ・・・」
「おっと。あんたなんかに、あたしの気持ちが分かるはずない、なんて、使い古した台詞は言わないでくれるかな?可憐はプライドが高くて、強気な女だもの。そんな言葉を使うはずがないよね?」
黙り込むしかなかった。 美童の言うことは、100パーセント正しかったから。
ドタドタと階段を駆け上がる足音が聞こえてきた。
「美童っ!」 清四郎の声が、廊下に反響して、あたしがいる場所の空気まで震えた。
開いたドアの端から、清四郎の手が伸び、美童の胸倉を掴んだ。 一秒ほど遅れて、清四郎の顔と身体が、ドアの枠内に現れる。
清四郎は、あたしが素っ裸じゃないのを確かめて、安堵の息を吐いた。 だけど、怒りのあまり、端正な顔は青褪めている。
「魅録と一緒にいきなり来て、門前で訳の分からない話をしはじめたかと思ったら、今度はトイレを借りる振りをして、僕の部屋に無断で侵入ですか。いったい何を考えているんです?」
あたしは焦った。清四郎が本気で殴ったら、ひ弱な美童なんて、ひとたまりもない。 「清四郎!落ち着いて!」
あたしが叫ぶと、清四郎は、ちらりとこちらを見て、美童の胸倉から手を離した。
美童は、相変わらずこちらに背中を向けたまま、ふん、と鼻を鳴らした。
「本当はこんなことしたくなかったんだ。でも、動かぬ証拠を押さえないと、清四郎はのらりくらりと上手いこと言って、逃げちゃうからね。」
「僕は逃げるような真似はしません。」 「可憐。」 美童は、清四郎との会話を断ち切り、あたしを呼んだ。
「僕だけじゃなく、魅録だって可憐の異変に気づいていた。だけど、いちばん近くで可憐を見ていた清四郎だけは気づかなかった。これがどういう意味か、分かるよね?」
あたしは俯いた。 清四郎の顔を、まともに見られなくて。 「可憐は悪くない。悪いのは、辛さを紛らわすために、可憐を利用した、清四郎だ。」
「ずいぶんな言われようですね。」 清四郎が、美童を恫喝するように、低い声で言った。
「惚れられているのを良いことに、女を弄ぶような真似をする奴が、最低の男じゃないって言うの?」
辛辣な台詞に、清四郎だけでなく、あたしまで言葉に詰まった。
美童は、ふたりが何も言えないでいるのを確認してから、あたしに話しかけてきた。
「ちょっと清四郎を借りるよ。可憐。申し訳ないけど、今日はこのまま帰ってくれるかな?」
「勝手に決めないでください。これは、僕と可憐の問題であり、美童は関係ありません。」 清四郎が、美童の肩を掴んだ。
帰れ、と意思表示するかのように、その肩をぐっと押す。 いつもの美童なら、ここで怖気づくはずなのに、今日は違った。
「関係なくはないよ。それにね、この件に関しては、僕だけじゃなく、魅録もかなり怒っているんだ。」
魅録まで知っていると聞いた途端、目の前の景色が、ぐらりと揺れた。 「一緒に行ってくれるよね?」
美童の、優しげなのに、氷よりも冷たい問いかけに、清四郎は無言で頷いた。 「じゃあね、可憐。ちゃんと晩御飯は食べるんだよ。」
美童は、優しい口調でそう言うと、清四郎の背中を押した。 清四郎を連れて去ろうとする美童を、眩暈を堪えながら、必死に呼び止める。
「ちょ・・・待って!悠理は・・・?悠理や野梨子は、知っているの!?」 美童は、振り返ると、哀しげな眼であたしを見て、微笑んだ。
「女の子に言えるわけないよ。こんなこと。でも、彼女たちが気づくのも、時間の問題だと思うよ。」
その日、いくら待っても、清四郎から連絡はこなかった。
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