10.

 

 

放課後、皆がいる生徒会室に、悠理が躊躇いがちに入ってきた。
悠理は、あたしがいるのを見て、扉の前で立ち竦んだ。
あたしは、それを予想していた。
立ち竦む悠理を見もせずに、予定どおり席を立つと、皆に向かって、本当に、本当に突然、唐突な告白をした。


「あたし、三月になったら、本格的にジュエリーの勉強をするために、イタリアへ行くの。」


突然すぎる告白に、仲間たちは、言葉も出ないようだった。

「せっかく行くんだから、ジュエリーだけじゃなく、ジュエリーを生かす服のデザインも学ぶつもり。アメリカでも良かったんだけど、デザインを学ぶなら、やっぱりイタリアのほうがカッコいいでしょ?言葉のほうも、豊作さんに良い学校を紹介してもらったし、どうにかなると思うわ。」

豊作さんと会っていたのは、留学についての相談を持ちかけていたからだった。
ともかく早くイタリアへ行きたい、というあたしに、豊作さんは、学校やアパートの世話だけでなく、剣菱のコネクションを使って、早めに就学ビザが取得できるよう、手配してくれたのだ。いくら感謝しても感謝しきれない。
そのせいで、悠理に誤解された挙句、怪我をするなんて、夢にも思っていなかったけど。

「今のところ、心配なのは、イタリア男が束になって言い寄ってきそうなことと、あたしを失った日本の男たちが嘆き哀しむことくらいかしら?」
ちょっとコケティッシュに、顎に指を添えて、思案顔を作ってみせる。
だけど、部屋にいる誰もが、何も言おうとはしなかった。

「かれん・・・」
ドアの傍で立ち尽くしていた悠理が、呻くようにあたしの名を呼んだ。
「・・・あたいのせいで、遠くに行っちゃうの・・・?」
悠理は悠理なりに、あたしとどう対面するか、考えていたはずだ。
なのに、部室に入るなり、いきなりあたしの爆弾宣言を聞いたのだ。動揺するなというほうが無理だろう。
「違うわ。誰のせいでもない。あたしは、あたしのために、イタリアへ行くの。」
あたしが答え終わる前に、悠理の瞳から、涙が零れ落ちた。
「ごめ・・・ごめん・・・かれん・・・ごめん・・・」
「だから、誰のせいでもないって言っているでしょう?あんたが泣く理由なんて、どこにもないの。」
あたしは肩にかかる髪を払いのけから、視線をぐるりと回して、皆を見た。
「卒業式の前には日本を出るわ。学校に来るのも、今日が最後。明日からイタリア語の猛勉強よ。」
皆、沈鬱な表情をして、あたしを見つめている。
だから、あたしは、明るい表情を作って、皆に言った。
「ありきたりな餞別はいらないわ。ちゃんと頭を捻って素敵なものを準備してちょうだいね。送別会も、思いっきりゴージャスにしてくれないと、出席しないわよ。」
そこで、やっと魅録が笑った。
「やれやれ、やっぱり可憐には敵わねえな。」
魅録に続いて、美童も苦笑する。
「パーティなら任せておいて。可憐が泣いて喜ぶような、ゴージャスで、ファッショナブルな演出をしてみせるよ。」
「もう・・・先に餞別まで要求するなんて、可憐らしいですわ。」
野梨子も、一応は笑ったけれど、目元だけは泣き顔が残っていた。


あたしは、少し首を傾げて、清四郎を見た。
「清四郎は、祝ってくれないの?」
「もちろん祝いますよ。何ならここで胴上げでもしましょうか?」
「馬鹿。」
あたしを見つめる清四郎は、とても穏やかな眼差しをしていた。
もしかしたら、あたしがずっと望んでいたのは、清四郎からこんな優しい眼で見守られることだったのかもしれない。


清四郎から視線をそらし、次は魅録に顔を向けた。
「魅録。あんたからの餞別には、その時計を貰いたいわ。」
魅録は驚きに眼を丸くして、左腕を顔の高さに上げた。
「これか?」
「そう。それ。」
彼がしているのは、深海から宇宙まで持っていっても平気だという、無骨でがっちりした時計だ。
けっこう値の張るものらしいけど、離れ離れになるのだから、このくらいのワガママは許容範囲のうちだろう。
「駄目?」
「いいけどよ。でも、サイズは違うし、可憐の腕にゃ似合わないぜ。」
「いいの。ちょうだい。」
あたしが手を伸ばすと、魅録は、仕方ないな、と呟きながらも、気前よく時計を渡してくれた。
「ありがとう。」
あたしは受け取った時計を、左腕ではなく、右手の拳に嵌めた。

「ねえ魅録。コレ、すっごく頑丈なんでしょ?」
「ああ、車で踏んでも壊れないくらいの強度はあるぜ。」
「なら、人を殴ったくらいで、壊れないわよね。」
「え?」

戸惑いの色を浮かべる魅録に、もう一度、礼を言い、あたしはドアのほうへ向かった。
ドアの前では、まだ悠理が泣きじゃくっている。
「お、おい、可憐・・・」
魅録の声が追いかけてきたけれど、あたしは振り返らなかった。

悠理の前で止まり、あたしは肩幅のぶんだけ足を開いて立った。
右の拳に嵌めた腕時計を見せつけながら、涙に濡れた顔を睨みつける。
「悠理。あんたからの餞別は、この前のお返しをさせてもらうことで許してあげる。」
悠理は、あたしを見て、何も言わず、くちびるを噛んだ。
「止めろ!」
「可憐!駄目!」
「そんなもので殴ったら、いくら悠理でも怪我をするぞ!」
皆が一斉に叫ぶ。
あたしは、悠理を睨んだまま、皆に向かって叫んだ。
「最後にあたしが決着をつけなきゃ、悠理はいつまで経っても前に進めないでしょ!!皆は、黙っていて!!」
「可憐!だからって、悠理を殴って何になる!?」
清四郎が叫ぶ。
あたしは振り返り、清四郎を睨みつけた。

「清四郎は、いつでもあたしの味方だって言ったでしょう?その言葉は、嘘だったの?これ以上、あたしを失望させないで!」

その瞬間、水を打ったように、場が静かになった。


あたしは前に向き直ると、右腕を伸ばして、悠理の頬との距離を測った。
文字盤を覆う強化ガラスが冷たかったのか、悠理はぎゅっと眼を瞑った。

「下を向かないで。ちゃんとこっちを向いておいてよ。」
「分かっている。」

悠理は眼を瞑ったまま、顔を正面に向けた。
あたしは包帯がチタン製のバンドに絡まないよう、腕時計を持ち直してから、力いっぱい拳を握った。

「いくわよ。」

悠理の睫毛に引っかかった涙が、光っている。
結んだくちびるが、嗚咽を堪えて、かすかに震えている。
あたしはそれを見つめながら、右肘を、ゆっくりと引いた。


そして、次の瞬間―――― 



あたしは、悠理に抱きついて、そのくちびるに、キスをした。





悠理が呆然としているうちに、しっかりと頭を抱いて、くちびるが離れないようにする。
舌を入れたら、さすがに悠理も我に返って暴れ出したけど、後の祭りだ。
「んーっ!んんーっ!!」
悠理が声にならない悲鳴を上げたところで、ようやくくちびるを離して解放してあげた。

「なななな、何するんだ!?」
真っ赤な顔で怒鳴る悠理。
そんな彼女を馬鹿にするように、あたしはふんと鼻を鳴らして笑った。
「何って、キスしたのよ。いくら馬鹿でも、そのくらい分かるでしょう?」
「キスくらい分かるよ!あたいが聞きたいのは、何でキスしたのかってことだ!」
悠理は怒り心頭の様子だ。
殴られると覚悟していたら、いきなりキスされたのだから、怒っても当然だろう。

魅録に貰った時計を、改めて左手首に嵌め直してから、もう一度、悠理をせせら笑う。
「ざまあみろ。」
「何だと!?」
「悠理の記念すべきファーストキスは、これであたしのもの。相手が清四郎じゃなくて、残念だったわね。」
あたしは悠理に舌を出してみせてから、窓に向かって歩き出した。

途中、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしている、清四郎の前で一時停止をして、薄い頬をぺちぺちと叩く。
「ご馳走さま。悠理のファーストキス、美味しかったわよ。」
話しかけると、清四郎は、破顔した。
「まったく・・・可憐には、やられましたね。」
「口惜しかったら、さっさとセカンドキスを奪うことね。」
不敵な笑みを返してから、あたしはふたたび歩き出した。


窓辺に着くと、閉まっていた窓を全開にして、外に顔を突き出した。
眼下には、帰宅する生徒や、部活動に向かう生徒が、それこそ無数にいる。
あたしは大きく息を吸い込んでから、地上を行き交う生徒たちに向かって、大声で叫んだ。

「皆さーん!剣菱悠理のファーストキスは、この黄桜可憐がいただいたわー!悠理のくちびるは、とーっても柔らかかったわよー!悠理のくちびるの感触を味わいたい人は、早い者勝ち!今だけのサービスだから、お早めにどうぞー!!」

生徒たちは、一様にぎょっとして、上空を仰いだ。
あたしは彼らに向かって、陽気に手を振ってから、窓を閉めた。


窓を背にして、室内を向く。
そこには、呆然とした顔が五つ、並んでいた。
そのうち、四つの顔が、徐々に緩んで、解けていく。
「さあ、悠理が今からどうするか、見ものね。」
あたしは悠理を見つめたまま、不敵に笑った。
悠理は、ふるふると大きく震えていたけれど、突然、爆発したように叫んだ。

「可憐のバカタレーっ!!」

その瞬間、室内は爆笑に包まれた。


野梨子も、魅録も、美童も、清四郎も、お腹が捩れて切れるくらい、笑った。

最初は怒っていた悠理も、気がついたら、笑っていた。


あたしも、けらけらと笑いながら、眼に浮かぶ涙を、誰にも気づかれないよう、そっと拭った。



こうしてあたしは、新しい人生を歩むため、ひとり、旅立った。

 

 

 

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