8.

 

清四郎の身体が、疾風の如く室内へ滑り込む。

今まさに、悠理のブラを剥ぎ取ろうとしている男の胴に、一発必中の蹴りがめり込ん
だ。
男は、部屋の隅まで吹っ飛んだ。

悠理のジーパンを脱がしていた男には、顎に拳を突き入れる。

三人目の、携帯電話で悠理を撮影していた男には、みぞおちに容赦のない一撃を食ら
わせ、瞬く間にすべてが終わった。


不健康さが漂う暗い室内に、男たちの呻き声が響く。
涙と涎を流しながら、床の上をのた打ち回る男たちを一瞥し、清四郎は、言い放っ
た。
「殺されないだけ、運が良かったと思いなさい。」
よほど壮絶な形相をしていたのか、清四郎を見上げた男たちが、恐怖に慄いた。
しかし、清四郎は彼らに構わず、悠理に駆け寄った。

悠理は、あられもない姿のまま、泥酔している。自分が、何をされようとしていたか
も知らずに。
なのに、その瞼には、確かな涙の痕跡があった。

清四郎は、三人目の男が持っていた携帯電話を拾い上げると、記録メディアを抜き
取ってから、何の躊躇もなくへし折った。
それから急いで悠理に服を着せて、抱き上げる。
「・・・せい、し、ろ・・・?」
清四郎の温もりを覚えているのか、悠理は夢うつつを彷徨いながらも、手を伸ばし
て、首に抱きついてきた。

ふわふわの髪が、頬を擽る。
久々に嗅ぐ、甘い匂いに、今すぐ悠理を貫きたい衝動にかられた。
そんなことをすれば、この場にいる男たちと、同じになってしまうというのに、心は
悠理を求めて暴れ回っている。
もう、自分では制御が利かないほどに、悠理が欲しくて堪らなかった。


この想いにつける名前を、清四郎は、まだ知らない。



*********************



悠理を抱えて外に出ると、すぐに可憐が駆け寄ってきた。

可憐は、悠理の無事を知ると、安堵するよりも先に、怒髪天を突く勢いで怒り出し
た。
「・・・この馬鹿!いったい何を考えているのよ!!本当に馬鹿な娘!!」
待っている間、よほど心細かったのであろう。口調とは裏腹に、自慢の美貌は、涙で
濡れていた。

三人でタクシーに乗り、一路、剣菱邸へと向かう。
その間も、悠理は清四郎の首に抱きついたまま、決して離れようとはしなかった。

清四郎は、タクシーの中で、可憐に経緯を問うた。
問われるのを待っていたのか、可憐は堰を切ったように話し出した。
「清四郎も知っていると思うけど、悠理ね、大学に入ってから、別人みたいになっ
ちゃったの。鼻にもかけないような、下らない男たちと遊びはじめて、身形も軽薄な
女みたいになって、私たち、すごく吃驚したわ。いくら問い質しても、訳を話してく
れないし、結局、心配するしかできなかった。だって、悠理ったら、派手に遊んでい
ても、ちっとも楽しそうじゃないんだもの。」

悠理が、清四郎の胸に顔を摺り寄せてきた。
その表情は、赤子のように安らかだった。

「私と野梨子は、二人で協力して、なるべく悠理の傍にいるようにしたわ。悠理の家
に泊まったり、週末は一緒に出かけたりして、とにかく傍から離れないようにした
の。今までの悠理からは想像もできないでしょうけど、あの娘、ひとりで隠れて泣い
ていることもあるのよ?信じられないでしょう?」
タクシーは、夜の街を進んでいく。
「ようやく理由らしい理由を聞けたのは、ついこの間よ。一緒にお酒を飲んでいると
き、ぽつりと話してくれたの。」
可憐は、そこでいったん言葉を切った。
車窓を流れる景色に眼をやりながら、哀しげに、小声で呟く。

「忘れなくちゃいけない人がいるのに、どうしても忘れられない、って。」

振り返った美貌は、泣き出しそうに歪んでいた。


「清四郎には、信じられる?あの悠理が、苦しい恋をしているなんて。」


「・・・恋?」
呻くような声が、咽喉から出た。
「・・・いったい、誰に?」
「それが分からないから、困っているのよ!」
可憐は、それきり黙り込んでしまった。

清四郎は、答を求めて、腕の中で眠る悠理を見た。
悠理は語らなくても、幸福に満ちた寝顔が、すべてを語っている気がした。



タクシーは、何事もなく剣菱邸に滑り込んだ。
清四郎は悠理を抱えたまま、出迎えた使用人に、彼女を自室へ運びたいと告げた。
すぐに奥へ連絡が飛び、慌てて出てきた彼女の両親や使用人たちは、意識を失うほど
酩酊した令嬢に驚くと同時に、右手から血を流す清四郎を見て、顔色を変えた。

見れば、悠理の着衣にも、清四郎の血が付着している。ずっと抱いていたのだから当
然だが、何も知らぬ人間が見れば、確かに慄く事態であろう。
「清四郎・・・あんた、怪我をしていたの!?」
明るい中に来て、可憐もようやく清四郎の怪我に気づいたようだ。
「僕は大丈夫です。それよりも、早く悠理の靴を脱がせてください。」
清四郎に急かされ、可憐は慌てて悠理の靴を脱がせ、ベッドカバーを大きく捲った。
そこへ悠理を寝かせて、ようやく一息つく。

「・・・ん・・・」
悠理の手が、何かを探すかのように、宙を彷徨う。
そこに、可憐がベッド脇から取り上げたものを、握らせた。
悠理は、それを胸に抱きしめて、安心したかのように微笑んだ。

清四郎は、その光景に、愕然とした。

悠理が抱きしめているのは、クリスマスパーティの夜、薄着の彼女が凍えないよう、
清四郎がその首に巻いてやったマフラーだった。

可憐が、小さく苦笑する。
「変でしょ?この娘、いつもこのマフラーを抱いて寝るの。もう夏だし、暑苦しいで
しょうに、これがないと眠れないって言うのよ。」
見事なマニキュアを施した指が、慈しむかのように、悠理の頭を撫でる。
「きっと、好きな人との思い出の品なんでしょうね。本当に馬鹿な娘よ。こんなあり
ふれたマフラー、どこでも売ってあるのに・・・」
「可憐、済みませんが、傷の手当てをしたいので、救急箱を借りてきてもらえません
か?」
震えそうになる声を、何とか絞り出す。
可憐が出て行ったのを見計らってから、悠理を起こさぬよう、そっとベッドに膝を乗
り上げた。


悠理は、清四郎にいつも何かを求めていた。
クリスタルの天使をキューピットに見立てて、願っていた。
快楽に喘ぎながら、離れないで、と何度も訴えていた。
卒業の直前、妊娠の不安の中でも、清四郎の言葉を待っていた。
だが、清四郎は、悠理が何かを求めていることにすら、気づかなかった。

だから、悠理は絶望し、清四郎から離れたのだ。


頬に触れ、くちびるにそっとキスを落とす。
一度、二度。 三度。
「・・・悠理・・・もう手遅れだと分かっていますが、お前がずっと欲しがっていた
言葉を、伝えさせてください。」
柔らかい髪を手で梳き、寝顔を見つめる。

「僕は、お前を愛している。ずっと僕の傍にいてください。」

悠理は目覚めない。
清四郎は、彼女から離れ、部屋を出た。



もう、二度と、悠理に今の言葉を伝えることはない。


二度と―― 悠理と会うことは、ない。


そう思いながら、足早に屋敷を後にし、ひとり夜の中へ消えた。
 
 
 

back next

Top