「…それで、全部なの?」 百合子の静かな声に、見つめあい、微笑み合っていた恋人達は我に返った。 「はい…これが、あの日起こったことの全てです」 清四郎はゆっくりと剣菱家の3人に向き直った。 「全てが僕の…僕の歪んだ心が起こしたことです。謝罪して許されることではありませ 深々と頭を下げる。声が上ずり、頭を上げようとしない。 肩が、小刻みに揺れている。
「清四郎だけが悪いんじゃないよ。あんなに…あんなに傍にいたのに、清四郎の気持ち 悠理は清四郎の上着の袖を軽く引っ張った。 清四郎は頭を下げたまま小さく首を左右に振り、なおも続ける。 「悠理に責任はありません、全て僕が起こしたことです。おじさん、おばさん、豊作さ 清四郎の声が詰まる。 「ですから…悠理がお腹の子を産む事を認めてください。一生、悠理と子供を守っていく 「…ですから……お願いします……おじさん、おばさん……お願いします…」 頭を下げたままの清四郎の瞳からこぼれ落ちた涙の染みが、足元の絨毯に広がっていく。 悠理はその染みをじっと見つめながら、自分も涙を流した。 普段、雄弁で言葉を自在に操る清四郎が、ただ「お願いします」としか言えずにいる。 それが、かえって素直に清四郎の胸の内を語っているような気がした。
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「…なんか、疲れたな。お前も疲れたんじゃない?」 清四郎の病室に戻った悠理は、ベッドに腰掛けてネクタイを緩めている清四郎に話しか 「ええ。あんなに長く喋ったのは久しぶりですからね」 清四郎はそう言うと眉を下げ、大きく溜息をついた。
悠理はポットから急須に湯を注ぐと、二つの湯飲みにお茶を注ぎ、ベッドに運んだ。 「…結局、許してもらえなかったな」 はい、と清四郎に渡しながら、呟く。 「ええ…まぁ、しょうがないですね。いつか、許してもらえるようにがんばりましょう」 清四郎は、ありがとう、とお茶を受け取った。
結局、万作と百合子は「剣菱としては、二人を認めることは出来ない。子供を産みたいのなら、悠理は勘当する」と言い、清四郎の両親も清四郎に対し、「自分のした事をもっとよく考えるがいい。身体がよくなるまでは面倒を見るが、その後は自分で何とかしろ」と、突き放した言い方をした。
「ま、しょうがないよなぁ」 悠理はお気楽にそう言うと、ベッドにパタン、と倒れた。 清四郎も一緒になってベッドに倒れ、二人して部屋の天井を見つめた。
「なぁ……」 「ん?」 「何であんなこと言ったんだよ?」 「…何がですか?」 「自分で…刺したなんて、嘘……」 「…嘘じゃありませんよ」 「だって、あん時お前、ナイフなんか見てなかったぞ。あたいを支えるのに精一杯で 「だからですよ」 「へ?」 悠理はベッドに片肘を立てて頭を載せ、清四郎の方を見た。 清四郎は、頭を悠理に向けて答えた。 「普段の僕なら、ナイフもお前が倒れることも防げたはずです。なのに…あの時の僕は 「……」 「お前の事も、自分自身すら、守る事が出来なかった。だから…自分で刺したと同じこと 「…清四郎……」 「本当に、あの時の僕は何だったんでしょうね?お前を愛してると言いながら、追い詰め 「でも、あの時でも、お前があたいを愛していてくれたのは本当だぞ。あたい、よくわか 「…そうです、それだけは、いつでも真実ですよ」 清四郎の手が、悠理の頬に伸びる。 「お前を、愛しています。悠理、二人で幸せになろう。いつか、回りの皆に認めてもらえ 悠理がしっかりと頷き、二人は、キスを交わした。
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「いいんですか?父さん、母さん。あんな事を言って……勘当なんかされたら、悠理は 東京へと帰る車の中で、豊作が重い口を開いた。 サナトリウムを出てから小一時間、誰もひと言も発しないままだった。
「…豊作、おめは本当に何もわかっていないだがや」 万作が溜息をつく。 「は?」 「…表立って許す、とはいえないでしょう?警察沙汰にはしなかったけれど、二人はそ 豊作の疑問に百合子がきっぱりと答え、少し微笑んでみせた。
「大丈夫ですよ、あの二人なら。素晴らしい仲間もいますしね。それにお前だって、今ま 「…知ってたんですか?」 「おめのすることなんて、お見通しだがや」 万作が口を尖らせながら言うのに、百合子も深く頷き、豊作の瞳を見つめた。 「……これからも、二人をサポートしてやって頂戴」
「はい…はい!父さん、母さん!」 豊作は嬉しそうに頷き、急にそわそわとし始めた。 「と、なると…忙しくなるぞ。そうだ、二人のこれからの事を、和子さんと相談しなくっちゃ あたふたと携帯電話を取り出す豊作を横目で見ながら、万作と百合子は溜息をつい 「孫をこの手に抱けるのは…いつになるでしょうねぇ、あなた……」
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コンコン…… 軽いノックの音の後、部屋のドアを勢いよく開けて、和子が入ってきた。
「清四郎、悠理ちゃん、入るわよ!あのね……あら」
清四郎の病室のベッドの上に、抱き合って眠る二人。 天井まで大きく取られた窓から降り注ぐ日差しが、二人を照らしていた。 額を寄せ合って眠る二人の、子どものようなあどけない寝顔。 |
「…幸せそうね」 和子は、思わず微笑んだ。 二人に伝えたいことがあって部屋を訪れたのだが、二人を起こすのはしのびなかった。 「ま、後でいいか。清四郎、スーツのズボンがしわくちゃになっちゃうわよ」
ひらひらと手を振りながら、和子は部屋を出た。 幸せそうな二人を、後にして。 廊下を歩きながら、ポケットから携帯電話を取り出し、短縮ボタンを押す。
「…もしもし、豊作さん?ごめんなさい、ふたりったら仲良くお昼寝しちゃってるのよ。え
ぱちん、と携帯を二つ折りにすると、和子は鼻歌を歌いながら表に出た。 緑の風が、降り注ぐ陽光が、弟達の明るい未来を暗示しているかのように思えた。
end
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