『 清四郎の告白 』〜Pain 番外編〜
                  
作:麗



日差しが暖かく降り注ぐ日だった。
その日、清四郎が入院していたサナトリウムの応接室に菊正宗、剣菱両家の面々が集まっていた。
応接セットの4人掛けのソファのひとつに万作氏、百合子夫人、豊作が陣取った。
テーブル脇の一人掛けの椅子にはそれぞれ修平氏と、婦人が。
そしてもうひとつのソファに清四郎、悠理、和子が座っていた。
事務員の女性がお茶を配り終え、一礼して立ち去った後、しばらくは誰も無言のまま、室内に重苦しい空気が立ち込めていた。
いたたまれなくなった悠理が、何か話そうとかと口を開きかけた時それを手で押さえ、清四郎が口を開いた。


「剣菱のおじさん、おばさん、豊作さん、今日はわざわざご足労いただき、ありがとうございます」

前に座る3人の顔をまっすぐに見つめ、はっきりとした声でそういうと、頭を下げる。
―――ああ、清四郎だ。
悠理はそう思うと、泣きそうになった。
背筋を伸ばした、堂々たる態度。低くて張りのある声。
この5ヶ月の間にかなり痩せてしまってはいたが、きちんとスーツを着こなしてそこにいるのは、あのいつも憎たらしいぐらいに自信に満ち溢れていた男そのものだった。


「……それで、何のお話ですの?」
悠理の感慨をよそに、答えた百合子の声は冷たいものだった。
彼女はまだ、清四郎を許してはいないのだ。
娘を陵辱し、孕ませた憎い男だとしか思っていない。
かつては娘の婿にと望んだほど彼の事を気に入っていただけに、余計に許せないのだ。


だが、清四郎は怯みはしなかった。
じっと百合子の目を見つめ、静かに話す。
「今日は、皆さんにあのときの事を僕の口からきちんとお話したいと思い、来ていただきました。聞いていただけますか……?」
誰も無言であった。
無言で、ただ清四郎の顔を見つめていた。
清四郎は一人一人の顔を順番に眺めていき、言葉を継いだ。
静かな部屋に、清四郎の落ち着いた声が響いてゆく。


「聞いてください。あの日の事を……何故…こんな事になったのかを……」



*****




「僕は、ずっと悠理の事を見てきました。
初めて悠理に会った幼稚舎の入園式の日、悠理に蹴り倒されたあの日から、僕はずっ
と…
ずっと、悠理の事が、好きでした。

高等部に進学し、仲間の一員として毎日つるむようになり、いつからか僕の思いは、男女のそれへと変わって行きました。
いつも悠理と一緒にいて、悠理を見ていたかった。彼女を守りたかった。
けれど、悠理は…まるで少女の、いや、少年のようなままでしたから、その思いを口にしようとは思っていなかったのです。
いつか…いつか悠理が大人の女性になって、僕を一人の男として見てくれる時が来たら、その時が来たら打ち明けよう…ずっとそう思っていました。」


一気にそこまでを話すと、清四郎は悠理の方を見て、照れたように少し笑った。
悠理も微笑を返す。


「でも、ある日…」
清四郎は視線を落とし、また語り始める。
「僕は、悠理に縁談が進められている事を知りました。
相手はある財閥の御曹司、その財閥と姻戚関係を結ぶことは、今後の剣菱家にとっては非常に有益な話です。
相手の男性自身も素晴らしい人で…おじさんやおばさんがその話に乗り気なのは無理のないことだと思いました。
だから僕は、悠理を諦めようとしたのです。でも……」
顔を上げ、隣に座る悠理を見つめる。
「どうしても…諦められなかった」
その黒い瞳には、深い愛情が浮かんでいた。


ゆっくりと視線を前に座る剣菱家の人へと向きなおす。
「諦めようとして、でも諦められなくて、毎日眠れない夜が続いて…あの頃の僕は、少しおかしくなりかけていたのかもしれません。
だんだん、思考がおかしな方に傾いていくようになり…そうして、思ったのです。
諦められないなら、奪ってしまえばいい。他の男に取られるぐらいなら、たとえ卑怯な手を使ってでも…
そして、あの日…


あの日、両親と姉は翌日の早朝から出かけて留守にすることになっていました。
僕は悠理といつものように泊り込みで勉強を見る約束になっていました。
その日しかない、と僕は思いました。
誰もいない家に悠理を呼んでも、彼女は来はしませんからね。
家族がいる夜なら、悠理も安心して泊り込む。
一晩だけ、悠理を騒がせなければいいと思ったのです。一晩だけ…」


悠理の背に冷たい汗が流れた。
あの時のことは、悠理もまだ清四郎から何の弁明も聞いていなかった。
そこにいる皆の顔が、緊張の為か青ざめて見える。
そっと横目で見ると、清四郎の顔もわずかに青ざめている。
ふと、清四郎の体調が気になった。まだ、意識が、記憶が戻ってから二週間しか経っていないのだ。
「…清四郎」

小さな声で呼びかけると、清四郎ははじかれたように悠理を見、小さく頷いた。
「大丈夫です。悠理」
一度大きく息を吸って吐き出すと、清四郎は続けた。


「あの夜…

食事を終えて2階に上がると僕は、『眠気覚ましだ』と言って、睡眠薬の入ったコーヒーを悠理に飲ませました。

効き目は早くて…悠理はすぐに眠ってしまいました。
彼女をベッドに運んでから僕は、風呂に入りにいきました。
一つは普段どおりにして家族の目を誤魔化す為、それと…身を清めたかったのかもしれません。」


和子は思い出していた。
あの夜…風呂に入る為に下に降りてきた弟と廊下ですれ違った。
悠理ちゃんは?と問いかけると清四郎は、よく寝ていますよ…と、視線をそらせたのだった。
普段の泊り込みなら、弟が悠理ちゃんの眠る事を許しているような時間ではなかった。
あの時、いつもと様子が違うと気付いていれば…


「2階に上がって、ベッドで眠る悠理を見つめながら僕は、冷静にこれから自分がしようとする事の手順を考えていました。
その一方で、僕は悠理に目覚めてくれ、僕を止めてくれと、願い続けていたのです。
でも…悠理は目を覚ましませんでした。
僕が触れても…キスをしても…そして、僕は悠理を……」
ごくり、と、つばを飲み込んだ音が聞こえた。
「悠理を、陵辱しました…」



薄々想像がついていたこととはいえ、やはり当事者である清四郎の口から出たその言葉は皆に衝撃を与えた。
腕組みをしたまま座っていた清四郎の父、修平は深く溜息をついてイスの背にもたれ、目を閉じた。
清四郎の母はハンカチを口に当て、俯いたまま聞いていたが、声を殺して泣き始めた。
悠理の父、万作は口をぐっと引き結び、兄である豊作は溜息をついて首を左右に振っ
た。
和子が悠理を気遣うように、悠理が膝の上においていた手をそっと握った。
悠理が大丈夫、と言うようにしっかりと和子に頷いて見せるのを、百合子はじっと見つめていた。



しばらくは、誰も口をきかなかった。
清四郎は唇を噛み締め、泣いている母の背中を見つめていた。
「悠理ちゃんは…ずっと眠っていたの?」
声がした方に顔を向ける。和子が悠理の向こうから身を乗り出すようにして尋ねてい
た。
「いいえ……一度目の行為の最中に、目を覚ましました」
「睡眠薬を飲んでいたのに?」
「もともと、それほどの量は入れていませんでしたし、悠理はコーヒーを半分ほどしか飲まなかったのです」

「…その前に、嫌って言うくらい食べてて、腹が一杯だったからな」
悠理が、おどけたように言って低く笑った。
しかし、和子は真剣な顔で弟に問い続けた。
「それで?いえ、もうその行為自体を詳しく話す必要はないわ。でも、まだ話さないといけない事があるでしょう?他にも…悠理ちゃんを追い詰めるような事をしたんでしょう?」


清四郎には和子の言いたい事がよくわかっていた。
清四郎に非があればあるほど、悠理の罪が正当化される。しかし――
清四郎は悠理の瞳を見つめ、無言で問いかけた。
話しても、いいですか?――と。
悠理は黙って頷いた。
いいよ、全部話して――


「僕は…悠理との行為を写真に撮影しました」
「な……」
余りの事に、百合子が絶句した。
「な、何でそんな事をしただがや!」
万作が立ち上がり、清四郎を怒鳴りつけるように言う。
「悠理に愛を誓わせる為、です」
清四郎は立ち上がった万作を見上げ、むしろ淡々とした様子で答えた。
「…その写真はどうしたんです?」
百合子が、万作の袖を引いて座るように促しながら清四郎に聞いた。


「あの時は部屋の床に散らばっていたはずですが……姉貴?」
「ええ、弟の机の引き出しに入っていたのを私が見つけて、焼却しました。記録メディアも、消去済みです」
「なぜ引き出しに……野梨子、ですか?」
「たぶんね。救急隊の人たちに見られないように、とっさに隠したんでしょう」
「……」
あのような状況は、潔癖な彼女にはさぞ忌まわしいものだったろうに、彼女は二人のためにおよそ出来うる限りの事をしてくれたのだ。
清四郎は黙り込み、幼馴染の少女に感謝した。


「…それで、悠理君がお前を刺したのか。完全な正当防衛だな」
沈黙を守っていた修平が、口を開いた。
「そこまでお前が彼女を追い詰めたのなら、刺されて当然だったと言うわけだ」
突き放すような、冷たい言葉に、悠理は身震いした。
「違っ、おっちゃん…あたいはただ、逃げ出したかっただけで……刺すつもりなんかなかったんだ!」
「そうです。悠理に僕を刺すつもりはなかった。僕を近づけないためにナイフを振り回していただけです。聞いてください、僕を刺したのは…」
必死で言い募る悠理を押さえ、清四郎が話し出した。
皆の視線が清四郎に集中する―――



「刺したのは、僕自身です」



「な…何言ってんだよ、清四郎!あたしが、お前を刺したんじゃないか!」
清四郎の思わぬ言葉に悠理は驚き、ソファから腰を上げて身体ごと清四郎に向き直りつつ叫んだ。
「座ってください。それと、落ち着いて。お腹の子に障ります」
ぴしり、と言われ悠理は慌ててソファに座りなおした。
「でも、あたしが…あたしが、ナイフを振り回してて…足が滑って……お前が…」
一生懸命にその状況を思い出し説明しようとするが、あの時は極度の緊張状態にあったためか、よく思い出せない。


「ナイフを持って、逃げようとしたのね?ドアの前で、振り回してたのね?」
和子が悠理をなだめるように肩に手を置いてそう尋ねた。
「うん、うん……あの時は、清四郎が怖くて…逃げ出したくって……」
「そう、悠理は果物ナイフを掴んでドアまで走っていきました。でも、鍵がかかっていたので、すぐには開けられなくて。それで僕に向かってナイフを目暗っぽうに振り回していました。僕は…平気でよける事が出来ましたよ」
「よけた……?」
悠理は、その言葉を呆然とくり返した。
清四郎の穏やかな瞳が、自分を見つめている。
あの時のような、切羽詰った、悲しげな瞳ではなく、いつも自分を守ってくれた頼もしい黒い瞳。


「ええ。僕によけられないはずがないでしょう?」
いつものように、余裕の笑み。
「………」
「あの時、僕は逃げ出そうとする悠理を絶望の目で見ていました。
そんなに僕が嫌いなのか、どうしても、僕のものにはならないつもりなのかと…
脅されて言った事とはいえ、悠理は僕を愛していると言ったのに、永遠に、僕だけだと誓ったのに…
そう思ったときに、僕の精神は正常ではいられなくなってしまったのです。
そして僕は、ただ「愛している」と言い続けながら、悠理に向かって歩いていきました。」


静かに、清四郎の頬に涙が流れ始めた。
――あの日と同じように。
けれど、悠理の感情はあの日とは違う。悠理は、そっと清四郎の涙を手で拭ってやった。
拭っても拭っても、涙は滴り落ちる。
見かねた和子が、そっとハンカチを悠理に渡した。


「僕にはその時、悠理の持っているナイフが、僕をこの苦しみから逃れさせてくれるのではないかと思ったのです。
だから僕は、悠理の手を掴んでナイフを自分の方に向けさせました。
その時に悠理が足を滑らせて、二人一緒に倒れたんだ。
悠理…だから、刺したのはお前じゃない、僕自身なのです」


まだ涙を流しながら、清四郎は悠理の瞳を見つめてきっぱりと言った。
「僕が、自分で刺したのです。悠理じゃない」


悠理は、清四郎の黒い瞳の中にあの日の幻影を見ていた。
あの日、あの時。
足を滑らせて倒れる悠理を、清四郎は支えようとしていた。
悠理の右手に握られていたナイフを左手で掴み、右手を悠理の背中に回して倒れるのを防ごうとしていた。
その時ナイフはどうだったか……


――清四郎の目は、ナイフなんて見てはいなかった。
ただ、倒れ落ちる悠理の身体しか見てはいなかった。
――守ろうと、していた。
悠理を。偽りの愛の言葉を吐き、自分から逃れようとする女を。
瞳に、狂気を宿していてもなお――
清四郎は、悠理を愛してくれていた。
ならば、あたいは………


「そう、だったかもしれないな。清四郎」
悠理の瞳からも、涙が流れた。
「ぐちゃぐちゃで、わかんないや。よく覚えてないんだ、あたい」
清四郎が、悠理の涙を指で拭い、頷いた。
「そうでしょう?お前より僕の方がよく憶えていますよ。脳みその皺の数が多いんですから」

そう言って、微笑んだ。

 

 

 

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Material By Silverry moon lightさま