終章
剣菱邸の広い庭には、大きなモミの木を初め、枝振りのよい木々が並んだ一角がある。 毎年、クリスマスが近くなると、その一角には色とりどりの装飾が施される。 おじさんとおばさんの趣味が混ざるから、それはそれは派手な…というか、わけのわからない装飾になっていた。
僕の記憶の中にあるその場所は、ずっとそうだった。
今、僕の目の前に広がる庭には、すっきりと洗練されたイルミネーション。 大きなモミの木をはじめ、すべての木々にはただ温かい色合いの電球が絡めてあるだけだ。 白、黄色、オレンジ。寒い冬の夜の中で、そこだけが暖かい灯の中にある。
悠理は、その場所の真ん中に立っていた。 オフホワイトのタートルに、淡いオレンジがかったツイードのズボン。 上着もなしに、寒いのだろう、細い手で自分の肩を抱いている。 淡い色の髪がふわふわと跳ねて、灯りに透ける。 儚げで、イルミネーションの中に溶けていってしまいそうなその姿。
後ろから抱きしめるつもりで、そっと近付いていった。 だが、人の気配に気付いたか、悠理が振り向く。あいかわらず感覚の鋭い悠理。
「せい、しろ…?」 夢の中にいるかのように、喘ぐように彼女が僕の名を呼ぶ。 「風邪をひいてしまいますよ」 微笑みながら、彼女を腕の中に抱き入れた。 抵抗もせず、素直に僕の胸に頭を寄せる悠理に、ほっとする。
よかった。悠理はやっぱり、僕のものだ。僕のものだった。
「連絡してもなしのつぶてだし、痺れを切らしてこっちから押しかけてきましたよ」 柔らかな髪を撫でて、キスを落としながら僕は恨み言を囁く。 「どうして、1ヶ月も会ってくれないんです?」 「だって…」 消え入りそうな泣き声に、僕は悠理の顔を見つめた。 顔をくしゃくしゃにして、悠理が泣き出している。学生時代とちっとも変わらない、素直な泣き顔。 「ひと月ぐらい我慢しなくっちゃ、圭一に悪いもん。清四郎にも、悪いもん。あっちからすぐこっちなんて、そんなの…」
―――そういうことだったのか。
いつの間にか、そんな気遣いまで覚えていたなんて。
「圭一さんにはいい気遣いでしょうけどね。僕にとっては、つらい仕打ちですよ」 「ご、ごめん…」 ふぇ…と、悠理が泣き声をあげた。 いとおしくて、かわいくて、抱きしめる腕に力を込める。 「もう、いい。僕を嫌いになったとかじゃないのはわかったから」 「キライになるわけないじゃん。好きだから、あたいも辛くって…会いたくって会いたくって…でも、1ヶ月は会わないって自分で決めたから、必死で我慢して…」 「馬鹿…」 「馬鹿だもん…」 ひっくひっくと、悠理はしゃくりあげる。 「知ってますよ。でも、好きです」 僕の言葉に、悠理は少し目を見開いた。まだしゃくりあげながら。
「それに、下品だし、大食らいだし…」 「それも知ってます。でも、好きです」 「トラブルメーカーだし、喧嘩っ早いし」 「そういうとこが、好きですね」
ああ言えばこう言う…悠理はやがて、笑い出した。泣き笑い。 「あたい、ずるい女だぞ」 「女なんて、皆そうですよ。でも、好きです」 「結構嫉妬深いぞ。お前のこと、縛り付けちゃうかも」 「悠理なら、そうしてくれていいですよ。他の女ならゴメンですけど」 「他のオンナぁ〜?」
わざと腹を立てたように揚げ足を取ると、悠理は僕の腕から離れた。 少し離れたところから、僕を睨みつける。 楽しそうに、嬉しそうに。茶色い瞳が、きらきらと光った。
「あたいでいいのかよ?」 「悠理が、いいんです。悠理でないと、駄目です」
ふわり。 僕の大好きな、太陽のような笑顔。 悠理が、僕の腕の中に飛び込んでくる。
しっかりと受け止めよう。僕の、運命の人――
暖かな灯りの中、僕は悠理を抱きしめた。 あの秋の日から、ずっと胸の中で疼き続けた思いが、甘い幸福感に変わる。 冬の空気の冷たささえ、二人で抱き合い、温もりを感じあう幸せを高めてくれる。 ちらり、視界に白く輝くものが映った。
「悠理、雪ですよ」 「雪?」
今年初めての雪だった。 舞い落ちてくる雪の妖精を手の平で受け止めて、悠理に見せる。 手の上ですぐに溶けてはまた落ちてくる雪を、悠理は嬉しそうに見つめ、僕の顔に視線を移す。
僕への思いに、輝く笑顔。 手の平を悠理の頬に滑らせ、そっと口づけた。 離れた唇から吐息が漏れ、思わず強く抱き合う。
白い雪、暖かな光のイルミネーション。 悠理が風邪をひかないように僕のコートに包み、僕達はいつまでも見つめていた。 二人でいられることの幸せを、強く胸に刻みつけながら。
君以外の他の誰も、愛せなかった。 長い間、ずっと悩み続けて、悔やみ続けて。 今、ようやくこの腕に掴まえた君に、僕はこれからもずっと伝え続けよう。 素直な言葉で、消えぬ思いで。
―――君だけを、愛していると。
end
(2005.12.25)
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