3.

 

 

 

「野梨子、久しぶり!」

「悠理、相変わらず元気そうですわね」

 

 

剣菱邸の応接室で、幼馴染の二人は久しぶりの会合に弾んだ声をあげていた。

白鹿流の次期家元として修行に励む野梨子は、百合子夫人主催のお茶会の相談の為に、悠理の家を訪れていたのだ。

二人は野梨子が持参した和菓子を前に、緑茶を飲みながら会話に興じた。

 

 

「式の日取りが決まったんだよな。おめでとう、野梨子」

互いの近況報告の締めくくりの、悠理からの祝いの言葉に、野梨子は微笑みながら礼を述べた。

「ありがとうございます。で、悠理の方は、どうですの?」

「ん? どうって…」

「美童から聞いていますわよ。清四郎に、プロポーズされたのではありませんの?」

ストレートな野梨子の問いに、悠理は不意を突かれたのか一瞬大きく目を見開き、やがて頬を赤く染めた。

 

 

「昨夜、プロポーズされたんだけどさ…」

手に持った湯飲みの中を見つめながら、悠理はぼそぼそと呟いた。

「まぁ。それで?」

「ん〜、ちょっと考えさせてって言ったんだ。仕事のこともあるし…」

「まぁ。清四郎はさぞかし、がっかりしたことでしょうね」

野梨子は口元に手を当てて、ころころと笑った。

 

「清四郎は自信家ですから、少し焦らしてやるのもいいかもしれませんわ」

「…焦らすとか、そういうつもりでもないんだけど…」

少し俯き加減で呟くように言った後、悠理は野梨子の顔を真正面からじっと見つめて、聞いた。

「野梨子はさ、不安じゃなかった? 美童との結婚を決めたとき」

「不安?」

「うん。だってさ、美童って今は野梨子一筋かもしんないけど、昔はすごいプレイボーイだったじゃん? だから…」

そこで悠理は、もごもごと言葉を濁した。そんな悠理に、野梨子は穏やかに答える。

 

「確かに、昔はそうでしたわね。けれど、私とお付き合いを始めてから、そういったことは一切無くなりましたし、その点では彼の誠実さを疑ったことはありませんわ」

そこで、野梨子はにっこりと笑った。

「第一、私がそばにいるのに、他の女性になど、目もやらせませんわ」

「相変わらず、怖い女だな、おまえって…」

悠理はおびえたように肩をすくめて見せた。

 

「それで、悠理は何が不安なんですの? 清四郎は昔から悠理一筋でしたから、浮気の心配なんてないでしょう?」

「うん、それは別に。でもさ…」

言いよどむ悠理に、野梨子は少し首をかしげる仕草で、続きを促した。

「その、やっぱさ、“奥さん”ってなると、恋人とはチガウだろ? あたし、やってけんのかなーなんて思って。料理とか、家事とか、そんなの出来ないし…」

「まぁ、悠理ったら」

野梨子はおかしくてたまらないというように、笑いはじめた。

 

「大丈夫ですわよ。清四郎は悠理にそんなことを期待して、プロポーズしたわけではないでしょうから」

笑いながら、万が一、期待されていたとしても出来ませんでしょ?と続けた野梨子に、悠理はムッとした様子で唇を尖らせた。

「そ、そりゃそうだけど、でも…じゃなんで、結婚したいんだ? それも今」

「好きだから、じゃいけませんの?」

悠理の疑問に、ようやく笑うのをやめた野梨子が答えた。

「え……」

「清四郎は、悠理を好きだから、ずっと一緒にいたいから、結婚したいと思ったんじゃありませんの?」

 

 

悠理の頭に、昨夜の清四郎の姿が浮かんだ。

何度も悠理を求めて、腕の中から離そうとしなかった彼の姿。

 

 

黙り込み、うっすらと頬を赤らめた悠理に、野梨子は静かに問いかけた。

「悠理は、清四郎とずっと一緒にいたいとは、思いませんの?」

「あたしは…」

 

悠理が答えようとしたその時、テーブルに置いた彼女の携帯電話が鳴り出した。

悠理が手を伸ばし、携帯を取ろうとした時、今度は野梨子の鞄の中で、彼女の携帯電話が鳴り出した。

二人は目を合わせ、お互いにくすりと笑いながら、手に取った携帯電話の通話ボタンを押し、耳に当てた。

 

「もしもし、魅録? 久しぶり〜、何?」

「はい、野梨子です。美童? ……え?」

 

 

『悠理、清四郎が誘拐された!すぐにこっちに来てくれ!』

 

 

一瞬、魅録の話すことの意味がわからず、悠理はぼんやりと野梨子を見た。

同じように悠理の方を向いた野梨子の顔が、ひどく蒼ざめて見えると、悠理は思った。

 

 

 

*****

 

 

 

悠理と野梨子が清四郎達の会社に着いたのは、電話で連絡を受けてから、約半時間後だった。

受付で名を名乗ると、すぐに社長室に案内された。部屋の中には、見知った友人達の姿。

部屋の中央奥にある机の前に魅録が立ち、その手前に置かれたソファに、可憐と美童が向かい合って座っていた。

 

 

「魅録、美童、可憐!」

「ああ悠理、野梨子!」

 

悠理が駆け寄ると、可憐がソファから立ち上がり、悠理の身体に手を回した。

 

「久しぶりね、元気?」

「うん、可憐も?」

「ええ」

 

可憐は、悠理とその後ろに立つ野梨子に頷いてみせると、ソファに座るようにと手で促した。

悠理は、机に向かい合う位置に置かれた一人がけのソファに腰を下ろすと、正面に立つ魅録を真っ直ぐに見つめた。

 

 

「で、どういうことなんだ? 清四郎が誘拐されたって…」

「昼過ぎに、清四郎は可憐の店に寄ったんだ。一人でな」

魅録は胸の前で組んでいた手を解き、片手で可憐をさした。

「で、店を出たところで二人連れの男に拉致されたんだ。可憐の話では、何かを頭に振り下ろされて、車に押し込まれて連れ去られたらしい」

「清四郎は、抵抗しなかったのか?」

「おそらく、ピストルを背中に突きつけられていたんだろうな」

悠理の問いに、魅録は同意を求めるように可憐を見、可憐も頷いた。

「たぶんね。頭もそれで殴られたんだと思うわ」

 

「それで、警察には連絡したんですの?」

「ああ。可憐の話では、車は黒のベンツだったってことだから、オヤジに連絡して、今、検問かけてもらってる」

「あいにく、ナンバーまでは見られなかったのよ。ナンバーがわかっていたら、話は早いんだろうけど…」

申し訳なさそうに可憐が唇を噛む。

「でも、可憐の連絡が早かったからね。清四郎が拉致されてから10分後には検問の態勢をしいてもらえたから、車が見つかるのは時間の問題だよ」

可憐を慰めるように、美童が明るい声で言った。

 

 

「そっか。じゃ、連絡待ちだな」

悠理はほっと息を吐き出し、ソファの背にもたれた。

「そういうことだ」

魅録は頷き、机の上の電話機に目をやる。

タイミングよく秘書がコーヒーを運んできて、皆の間にくつろいだ空気が漂った。

 

「それにしても、清四郎が誘拐されるなんて…犯人に心当たりはありますの?」

「まぁ、うちをライバル視してる会社は多いからな、その辺の関係者とか…」

「どーせあいつのことだから、あまりにもビジネスライクなやり方で、反感かってるんじゃねーの?」

「失礼だね、他社との交渉窓口は僕だよ。恨みを買うようなことなんてないよ」

キシシと笑う悠理に、美童がムッとした様子で言い返す。

 

「昔の美童なら、女からの恨みを買ってるとこでしょうけどね」

「わかんないぞ〜、野梨子と結婚するんで、野梨子に振られた男の恨みを買ってるかも」

いつものように、美童をからか出だした悠理の言葉に、魅録が呆れたように口をはさんだ。

「あのなぁ、それでなんで清四郎が誘拐されんだよ? …悠理に振られた男の恨みか?」

「あ、それはないね!」

「ありませんわね」

「ないわね」

「な、なんだよおまえら! あたしだって、最近は男にももてるんだぞ!」

悠理の憤慨した声に、皆は声をあげて笑った。

 

 

高校時代、しょっちゅう仲間内の誰かが誘拐されたり拉致されたりしていた所為で、皆はこういう事態に慣れてしまっているところがある。

ましてや今回誘拐されたのは、仲間内で最も強い清四郎だ。危険な事態になど、陥るはずがない。

そんなふうに、皆の心の中には、どこか楽観的なものがあった。

 

しかし、警察からの連絡が一向に来ないまま、10分、20分と時間が過ぎていくにつれ、だんだんと皆の口数は少なくなっていった。

魅録はイライラした様子で煙草をふかし、可憐は意味なくコーヒーをスプーンでかき混ぜていた。

美童は溜息をついて壁の時計を見上げ、野梨子は俯いてじっと何か考え込んでいる。

悠理は、そんな仲間の様子をじっと見つめながら、何か話をするきっかけを探していた。

 

 

「なぁ、あのさ…」

悠理が口を開いたその時、電話が鳴った。

「はい、オヤジ? ああ、ああ、……そうか、うん…」

魅録が電話を取り、話をしているのを、みんなは固唾を飲んで見ていた。

 

「…わかった。ああ、頼む」

カチャ。魅録は静かに、受話器を置いた。

「どうでしたの、魅録。 見つかりましたの?」

野梨子の問いに、魅録はゆっくりと口を開いた。

 

 

「可憐の店から5キロほど離れた空き地に、車が乗り捨てられているのが見つかったそうだ」

「清四郎は?」

悠理が、ソファから腰を浮かせながら聞いた。

 

魅録は、首を振った。

「車はもぬけのカラ。バックシートに、少量の血痕があったらしい」

「…血痕?」

意味がわからぬという風に、悠理はオウム返しに呟いた。

美童と野梨子が互いに顔を見合わせ、可憐は両手で口元を覆った。

 

 

 

「くそっ! ちょっと行って来るぜ!」

バンッと机を叩き、魅録は大股に部屋を出て行く。

「待って、あたしも行く!」

その背中に、悠理は叫んで駆け出した。

 

 

 

清四郎、清四郎、清四郎…

悠理の胸に、不安が広がっていく。

 

 

ほんの一時間前まで、悠理は想像すらしたことがなかった。

清四郎を、失うなんていうことは。

 

 

 

 

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