「さよなら」 その言葉は、言えないから、言いたくないから。 ただ、何も言わずにキスを交わした。何度も、何度も。 もう一度だけ…これが最後…そう思いながらも、離れがたくて。 涙が零れて、キスと交じり合って、しょっぱくて。 涙のキス…もう一度…
誰よりも、愛してる―――
「涙のキッス」〜夏の終わり、恋のあと。
二人がお互いの想いに気付いたのは、夏の初め。 特に告白の言葉などなくても、ごく自然に二人の気持ちは寄り添った。 手を繋ぎ、見つめあい、たわいもない言葉を交わす。 ふざけあって、じゃれあって。ただそれだけで幸せで。
仲間には、まだ内緒。 知られるのはなんとなく気恥ずかしくて… そのことを後悔する日が来るなんて夢にも思わず、二人は仲間達とお定まりのバカンスへと出かけた。 海辺の別荘へと。
6人で過ごすのはやっぱり楽しい。 特に何をするというわけではなくとも、皆で一緒に遊び、海で泳ぎ、食事をして、飲んで騒いでゴロ寝して。 楽しい時間は瞬く間に過ぎていき、明後日は東京に帰る、という日の夜。 夕食後に、花火をするために皆で海岸に行った。 色とりどりの花火を楽しんでいたら、すぐにビールもつまみも品切れになった。 「あたい、買ってくる!」 「待てよ悠理、俺も行くから!」 駆け出した悠理の後を、魅録が追った。 「ねぇ、小腹空かない?冷蔵庫に夕食の残りのローストビーフあったわよね。アレ、サンドイッチにして持ってきましょうか?」 「いいね、手伝うよ」 可憐と美童が、別荘へと戻っていった。 波打ち際には、清四郎と野梨子が残される。
「ねぇ、清四郎?」 「何ですか?野梨子」 「来年も、こんな風に皆でバカンスに来ることが出来ますかしら」 「そうですねぇ…きっと来れますよ。腐れ縁ですからね、あいつらとは」 くすくすと笑いながら、清四郎は答えた。 来年は、悠理と二人で来たい―――そう思いながらも。
「…で、来れたらいいですわね」 「え?」 「来年は、清四郎と二人で来たいですわ」 「野梨子……」
野梨子の気持ちに、まったく気付いていなかったわけではない。 伊達に、19年も幼馴染をやっていたわけではないのだから。 けれど、はっきりとは気付きたくなかった。 清四郎の心には、悠理しかいなかったから。
「野梨子、僕は……」 きちんと答えないといけない。曖昧には出来ない。 「魅録も、ちゃんと悠理に告白できましたかしら…」 「え?」 「魅録と約束しましたのよ、お互いちゃんと気持ちを伝えようって」 「そう…ですか」 「返事は、今でなくてもいいですわ」 はにかんだ顔でそう言うと、野梨子は僕に背を向けて歩き出した。 向こうから、美童と可憐が手を振りながら近づいてくる、その方へ。
魅録も、悠理を…… 胸が、苦しいほどに締め付けられる。 魅録も、悠理を……
「おい、待てったら、悠理!」 「だって、皆待ってるじゃん。早く戻ろうぜ!」 駆け足で戻ろうとする悠理の腕を、魅録が掴んだ。 「…きだ」 「え?」 「お前が、好きだ。悠理」 「何言って…」 頭が、パニくる。真剣すぎて、怖いような魅録の眼差し。 「返事はいらない。お前が俺のこと、ダチとしか思ってないのはわかってるからな。でも、野梨子と約束しちまったから…」 「野梨子と?何を?」 「お互い、ちゃんと相手に思いを伝えようって、な」
誰に?そんなこと、聞くまでもなくわかっていること。 野梨子が、清四郎を? 野梨子が、清四郎を、好き…… そんなこと、わかっていて当然のことだったのに、何であたいは気付かなかったんだろう? そして、魅録はあたいのことが好き…… 頭が、ぐらぐらとしてきた。 周りがよく見えない。
「おーい、買って来たぞ〜!」 魅録が、向こうに立つ皆に向かって手を振りながら叫んだ。 清四郎が、小さく手を上げて答える。 その姿が、滲んでぼやけて見えた。 清四郎…あたい、どうすればいい? 立ちすくむ悠理に、夏の終わりの少し冷たい夜風が吹き付けた。 風が告げるのは……恋の終わり?
*****
楽しかったバカンスが、二人の中で一変してしまった。 お互いに、目を合わせることが出来なくなってしまった。 ―――魅録に、告白されたんでしょう? ―――野梨子に、告白されたんだってな。 そんな会話は、交わしたくはなかった。 ―――どうするんです? ―――どうするんだ? そんなことを聞いても、どうしようもないから。 魅録の、野梨子の気持ちに応えるわけにはいかない。 お互いに好きなのは、たった一人だけだから。 でも……
二人の気持ちを、無視して振り切ることも出来なかった。 清四郎も、悠理も、そうして仲間達との関係を崩すのが嫌だった。 このままお互いをあきらめて、まったく恋愛感情のない今までどおりの関係を続けていくのが、一番のことだと思えた。 そうすれば、誰も傷つけなくて済む。 たとえそれが、お互いの心に癒せないほどの深い傷跡を残すことになろうとも。 4年間、ずっとつるんできたかけがえのない仲間達との和を乱すよりは、ずっといいことのように思えた。 自分の心にだけ、蓋をすればいいのだから。
翌日、外にテーブルを持ち出しての夕食の後。 その日一日中別荘に篭って本を読んでいた清四郎が、首を回しながら言った。 「ちょっと目が疲れましたね。気分転換にその辺を散策してきます」 ゆっくりと歩み去る、清四郎の後姿を皆が見送った。 白いヨットパーカーが風にはためいている。 「…風が出てきたね。そろそろ片付けようか」 「そうね。野梨子、テーブルの上とか片付けてくれる?私は洗い物の方やっちゃうから」 「ええ、わかりましたわ」 「食器運ぶの手伝うぜ」 あたふたと片付け物を始めた皆からそっと離れ、悠理は清四郎の後を追った。
波打ち際に、清四郎がぽつんと一人で腰掛けていた。 寄せては返す波の音の中で、ただひたすら足元の砂を掬ってはさらさらと零していた。 白いパーカーが、風にはためく。 夕闇が、押し寄せてくる。 悠理は音を立てずに清四郎に近付き、そっと隣に腰掛けた。 波の音が、大きくなる。
「…やっと、二人きりになれましたね」 清四郎が、視線を手から零れる砂から離さずに言った。 ここに来てから1週間。 その間、二人きりになったことはなかった。 ことさらに避けていたわけではないけれど、ただお互いに仲間達との楽しい時間を壊したくなかったから。 だけど、目を上げればいつも清四郎の優しい視線があった。 振り返れば、悠理の弾ける様な笑顔があった。 それだけで、二人には十分だった。
波の音が、低くなる。 清四郎の手から零れる砂が、風に流される。 波の音が、高くなる……
「清四郎…」 「わかっています、悠理」 清四郎が、やっと顔を上げて悠理を見つめた。 夜のような黒い瞳に、泣きだしそうな悠理の表情が映る。
「友達に、戻りましょう。今までのように、ずっと、これからも…」
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