5.



よく晴れた日の朝。

悠理は魅録の為に朝食を用意していた。
昨夜遅く仕事から帰ってきた魅録は、まだベッドの中だ。


スープとサラダを作り、トーストを焼く。
コーヒーメーカーから芳醇な香りが立ち昇る頃、魅録が起きてきた。
「悠理、早いな」
「おはよ、魅録」

大きなあくびをしながら、ピンク色の髪をガシガシと掻いている。
コーヒーをカップに注ぎながら、そんな夫の様子を横目で見て、悠理は少し目を細めた。


魅録はちっとも変わらない。
いつもつるんでいた学生時代と同じに、おおらかで優しい。
魅録といるといつも安心できた。
自分が自分らしくいられる。
あいつとは正反対だ。


倶楽部の仲間として一緒にいたときから、悠理は時に清四郎が怖いと思うことがあった。
何もかも見透かしたような黒い瞳。
あの瞳にじっと見つめられると、落ち着かない気分になった。
自分が自分でいられなくなりそうで。
―――そんで、実際そうなっちゃったな。

と、悠理は苦笑した。




テーブルの向かい側に座り、魅録は悠理の表情をじっと見ていた。
自分の前では全く普段どおりのような顔をしているが、いつもどこか遠くを見ているような悠理。
そして、時々見せる彼女の透明な笑みが彼をひどく悩ませた。
今、また悠理の顔にその笑みが浮かぶ。

あの日、彼女の不貞を知った日に、相手の男が浮かべたのと同じ笑み。

悠理がその笑みを浮かべる理由は―――?
がたん、椅子を引いて立ち上がると、魅録はコーヒーを注ぎ終えた悠理に近づいていった。


「な…に?みろく……」
目を丸くして彼を見つめる悠理の手から、
コーヒーサーバーを取り上げてテーブルの上にに置くと、魅録は彼女を抱きかかえるようにしてリビングのソファへと引きずっていった。
悠理は
抵抗する間もなく、どさり、とソファに投げ出された。
魅録が覆いかぶさってくる。
怖いくらいに真剣な瞳。魅録の唇が近づき、悠理はぎゅっと目をつむった。





「………」

身体を強張らせ、かわいそうなほどに小さくなって震えている悠理。
魅録はその姿を見つめ続けた。


いつまでたっても降りて来ない口づけに、悠理はそっと目を開けた。
至近距離に怒っているような魅録の顔。
魅録の唇がゆっくりと開かれる……




「バ〜〜〜カ!」




ひっ、と縮こまった悠理の額に……ビン、と容赦のないデコピンがかまされた。


「ふぇっ、なにすんだよぉ〜」
「おまえなぁ〜、いい加減にしろよっ!そんなやせ我慢されて、俺が喜ぶとでも思ってんのかよっ!」
両手で額を押さえ、涙目の悠理に魅録の怒声が響く。


ソファに転がった悠理の脇に膝を突いてまたがり、魅録はなおも怒鳴りつける。
「俺が…お前にプロポーズした時になんつったか覚えてるか?」
「へ?」
「『どんなことがあっても、お前を幸せにする』って言ったんだよ!」
「…うん……」
「俺はなぁ、あいつと違って嘘はつかねぇんだよ。だから……」
息を詰めて、悠理は魅録の言葉を待つ。
魅録の瞳が潤んだ。


「……行けよ。あいつの…清四郎の所に」
悠理の瞳が大きく見開かれた。
「それが、今のお前にとっての『幸せ』だろ?」
そう言うと、魅録はゆっくりと立ち上がり、悠理に背を向けた。



「だって、みろく…なんで、知って……」
ぼろぼろと涙を流し、ソファから起き上がりながら悠理が問う。
「何でって……他にいるかよ。お前が俺の他に惚れそうな男なんてよ」
悠理に背を向けたまま、魅録は言葉を継いだ。
「だから、行けよ。これからはあいつに幸せにしてもらえ」
そう言うと、寝室に向かって歩き出す。
「俺、もうちょっと寝るわ。あ、お前が出てけよ。この家のローン払ってんのは俺だからな」
少し
振り返ってそう言うと、寝室のドアがバタンと閉められた。





*****






清四郎は手に持った携帯電話を眺めていた。
夜勤明けのけだるい身体。今日は久しぶりに休みを取り、自宅に帰ろうとしていた。


ずっと考え続けていた。

自分とって、一番大切なものは何か。
地位でも、名誉でもない。
仕事、家族、友人。
だけどそれ以上に大切なものが今の彼にははっきりとわかっていた。
だから……


意を決して携帯のナンバーを押した。
一回目のコールで、相手が出た。


「もしもし」
「魅録ですか?僕です」



「よぉ。この間は、悪かったな」
いつもと変わりのない、肩の力の抜けたような魅録の声。
清四郎の胸が鈍く痛んだ。
「魅録、今日時間ありますか?話したいことがあるんです」
僕は、普通に話せているだろうか?


「…悠理のことか?だったら一足遅かったな」
遅かった?何が……
「悠理がそっち行くと思うから。よろしく頼むわ」
「は?もしもし?今、なんて言ったんですか?」
あまりに思いがけない魅録の言葉に、頭が真っ白になった。声が裏返る。
「あいつは…あんたと一緒にいるのが幸せなんだよ」
「………」


「まいるぜ、毎日毎日無理しちまってよ。俺はあいつの作り笑顔なんか見たくないっつーの!」
「でも…魅録……」

彼に言うべき、言葉が出てこない。
「いいか、絶対にあいつを泣かせんなよ!それが条件だ」
「……」
「…誓えよ。俺とお前の友情にかけて」


ゆっくりと清四郎はポケットに手を入れ、指先に当たったものを握り締めた。
「誓います。魅録……絶対に、大事にします」
ポケットから手を出し、手を開いてじっと見つめる。
少女がくれた、お守りの小石。


「頼んだぞ。じゃな」

「あ、魅録!」
もっと何か言わなければ、と思ったが電話は切れていた。



清四郎はしばらく呆然と携帯電話を眺めていた。
頭の芯が痺れたようだ。
(悠理が、僕の許に来る?)
ゆるゆると、魅録の言葉を思い出す。
(僕と一緒にいることが、悠理の幸せ……)


ゆっくりと、清四郎の唇に笑みが浮かぶ。
胸の痛みは消えたわけではない。二人の罪が消えるわけでもないだろう、けれど……



白衣を脱ぎ捨て、ジャケットを手に取ると清四郎は医局を走り出た。
長い廊下を突っ切り広いロビーを早足で歩きながら、清四郎はふと気づいて携帯を取り出す。
いつも見つめるだけで、決して押すことの出来なかった番号を選択し、通話ボタンを押した。


トゥルルルル……
「はい」

夢にまで見た、愛しい人の声。
「悠理?僕だ」
「清四郎?」
こちらもまた、夢の中にいるような声で悠理が応えた。


「さっき、魅録と話しました。悠理…辛い思いをさせて悪かった。今、どこだ?」
外へと歩き続けながら、清四郎は話しかける。
「車ん中。剣菱の家に帰ろうかと思って……」
「じゃあ、僕もそっちへ行きます。いや……」


「どこかで、待ち合わせしましょう」
菊正宗病院の玄関を出た清四郎は、陽の光に眩しげに目を細めた。
「太陽の下をお前と歩きたいんだ。もう、誰にも遠慮しないで、隠れることもなしに」
清四郎の目の前には、悠理にふさわしいと彼が焦がれ続けた、太陽の光が満ち溢れてい
た。
携帯を握り締め、清四郎はずっと言いたくて、けれど口に出せずにしまいこんでいた言葉を悠理に告げた。






「悠理…これから、僕と共に歩いてくれますか?この先もずっと……
悠理、聞こえていますか?悠理…?」

 

 



 

 

end

(2006.6.2.加筆修正)




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うーん、いいっ!たむらんさまのイラストが。
このお話は、
EXILEの「fallin'」を聴いた途端に、頭の中にばーっと浮かんできたシーンを書きたくて書いたお話なんですが、それを見事にイラスト化してくださいました!ありがとうございます〜。この絵をはじめて見た時には、狂喜乱舞しました、私。

最初はぽちさんちでアップして頂いたのですが、その時の壁紙があまりに素敵だったので、許可を得てこちらでも「似たような」てか「そっくりな」壁紙にしてしまいました。

ぽちさん、我侭聞いてくれてありがとう。
しかし、このお話は書いてて無茶苦茶辛くて、逃避を繰り返しましたね。
魅録がいい男なのは、私のせめてもの罪滅ぼしです。ごめんよ、ミロ。




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