眩しい光に、清四郎は額に手を翳す。
目の前に広がる一面の、白―――銀世界。
清四郎は、一人この景色を不思議な感覚で見ていた。 静寂の中に、キラキラと光の塵が舞う。
どこかで見覚えが?いや、Dejavu 既視感とも違う。 なんと表現したらいいのだろう。 懐かしいような、心の奥底で求めていたような。 このまま溶け込んでしまいたいような景色が、そこには広がっていた。
清四郎は、じっと雪原を見つめ、緩やかに記憶の糸を辿る。 そして、ああ、ここは似ているのだ、と思った。
純粋で、無垢で、真っ白。 清四郎が憧れ、求めてやまなかったあの人の心に。
目の前を、白い野うさぎが横切った。
雪原を、可愛らしい動物が跳ねる。 悠理は、白いうさぎの跡を追っていた。 「あっ!」 小高い丘を越えたと思うとその姿が消える。 きょろきょろと探しながら、小走りで跡を追った。
雪の中に手を突くようにして丘を上がると、うさぎの姿は消え、清四郎が立っている。 何もせず、ただじっと、雪原を見つめながら。
「清四郎!」 悠理が声をかけると、驚いたように振り返った。
「うさぎ、見なかった?」 駆け寄って聞くと、清四郎は一瞬考え、 「ああ、あちらの林の中に入って行きましたよ」と指をさして言う。 そして、こんなところまで追いかけて来たんですか?と呆れたように笑った。 「じゃ、まだその辺にいるよね。清四郎、お前も探せ!」 悠理は強引に清四郎の袖を引っ張った。 清四郎は「やれやれ」と言いながら、後をついてくる。
林の中までくると、二人で木の陰や茂みの中を一緒に探した。 四方別れて探していると、時折遠くから「捕まえて、どうするんです?」とか「まさか、うさぎ鍋にするつもりじゃないでしょうね?」とか、清四郎がからかう声が聞こえてくる。 悠理は「バカタレ、捕まえて一緒に遊ぶんだい!食べるなんて、酷いこと言うな」と、これまた大きな声で返した。 反響するように、清四郎の笑い声が聞こえる。
声は、木々に跳ね返って耳に届いた。 澄んだ空気が、互いの声をすぐ近くにいるように感じさせてくれる。 離れていても、耳元で囁かれているような安心感とくすぐったさがあった。
“いつも、この声くらい近くにいてくれたらいいのに”
時々「よしよし」と頭を撫で「ポンポン」と背中を叩いてくれる清四郎の手。 いつでも見守ってくれる真っ黒な瞳。 それらが、悠理は大好きだった。 いつも玩具かペットのようにしか扱われていないけれど、傍に居て、甘えたいと思う。 けど、こんな気持ちは、たぶん一生伝わらない。 意地悪で、朴念仁なあの男には。
うさぎを探しているうちに、悠理にちょっとしたイタズラ心が芽生えた。 そろそろ探すのに飽きてきていたし、丁度いい。 悠理は、立ち止まると雪を握り締め、遠くの茂みを見た。 数メートル先に、清四郎がいる。 狙いを定めると、塊を思いっきり投げつけた。
ボスっ! 背中に、何かが当たって、清四郎は屈めていた腰を上げた。 再度、ボスっ! 今度は、まともに顔に直撃を受ける。 清四郎の顔は、雪で真っ白になった。 「・・・・・ったく。うさぎを探して欲しいんじゃなかったんですか」 そうボヤキながら、清四郎は、防御の姿勢を取った。
素早く、茂みに身を伏せると、雪の塊を数個作る。 数メートル先で、悠理が「へへへ〜」と得意気に笑っていた。 仕返しのことなど、考えもせずに。 「おめでたいところは、相変わらずですな。少しは学習しろっ」 身を起こして、雪を投げ返した。 悠理よりも硬く握ったため、そのスピードは半端ではない。当たれば、痛さも相当だろう。清四郎はそれを投げた。1個ではない。連続何個も。
「痛ぇ〜〜〜わわわわっ!」と悠理は逃げ、木の陰に隠れる。 その後ろで屈みこんでいるところを見ると、即座にこちらの意図に気づいたらしく、雪の塊をいくつか握り始めていた。清四郎にはバレバレの姿で。
その姿がうさぎより可愛いらしく、清四郎に笑みが零れた。 もっと付き合ってやるか、いや、もっといじめてやろうか、という気分になる。 清四郎は、反撃の雪を準備しながら、悠理との距離を詰め、捕まえてやろうと思った。 互いに、身のこなしは、常人離れしている。たかが雪合戦とて、気を抜けない。 逃げられないよう、悠理の動きに神経を集中させる。 何としても、悠理を捕まえたかった。
ふと、雪を握り締めながら、屈託がなく自由で奔放な悠理を捕まえて、自分の腕の中に閉じ込めておきたいと思ったのは、いつ頃からだったろう、などと思う。 随分昔からだな、と苦笑し、その年月を埋めるかのように、さらに悠理との距離を詰めた。
時折、悠理の作った雪玉が、体をかすめる。 さすが野生児、と関心。だが、如何せん頭脳戦に弱い。ついでに、素直で騙されやすい。 ヘトヘトになってきた頃「悠理、もう十分じゃありませんか?お腹が空いたでしょう?」と言うと「え?」と立ち止まって、笑顔を向けた。 無邪気な笑顔が、清四郎には雪の輝きのように眩しい。
その笑顔の瞬間と、悠理の顔に大量の雪がぶつかるのは、同時だった。 呆然としている悠理に、頭から雪を被せて羽交い絞めにする。 やっと、捕まえた。 「わぁぁぁぁ!」 悠理が叫びながら、腕の中でもがく。 そこらじゅうについた雪で、半身捻りながら、清四郎の顔にやり返してくるところはさすがだ。 「こら!大人しくしろ」 顔をしかめながら言うと「きゃははは」と悠理は楽しそうに笑った。 お互い、走りまわって、さすがに息があがっている。 ハァ、ハァと息を弾ませながら、悠理は真っ赤な顔で胸の下にある清四郎の腕を掴んで、振り返った。
「お前、髪をおろすと別人」 清四郎の顔に、悠理の細い手が伸びる。 雪を落とすように、悠理の手が、清四郎の額から髪を梳いた。 清四郎の腕が緩む。 「悠理、逃げないんですか?」 「うん?もう疲れた。帰ろう、清四郎」 遊び疲れた悠理が、腕を引っ張った。
だが。
清四郎は動かなかった。
いや、動けなかった。
「悠理。僕は帰れない。お前ひとりで帰るんだ」
**********
大学1年のクリスマス。 有閑倶楽部のメンバーは、そろってスキーへ行く計画を立てていた。 長野県にある剣菱家の別荘で、クリスマスを過ごす予定だ。 管理人が、暖炉の前に2メートルを越す、大きなモミの木を準備してくれている。 午後に到着し、皆で飾りつけをした後、パーティーをしようという計画だった。
全員が魅録の運転で現地へ向かう予定であったが、清四郎は忙しく、一緒に出発できないと言う。 後から、自らの運転で別荘に向かうことになった。 昨夜から、豊作に頼まれた仕事で剣菱邸にいた清四郎は、朝食を悠理と共に取り、迎えにきた魅録の車まで悠理を見送ってくれた。 「行く途中で、お菓子を食べ過ぎるんじゃありませんよ。お腹を壊したら、悠理だけ夜のクリスマスパーティーはなしですよ」 清四郎は、悠理の頭に手を乗せながら顔を覗き込む様にして笑う。 「まったくよねぇ。またスルメを食べすぎて、気持ち悪いなんて言わないでよ」 可憐が、すでに乗り込んでいる車の中から、顔を出して言った。 清四郎がいなければ、一番気の効く可憐が助手席だ。 「清四郎がいない間は、私が目を光らせてますわ」 野梨子が、まかせてちょうだいな、といった顔で後部座席からにこやかに笑う。 「なんだよ、皆して。それじゃ、あたいが馬鹿な子供みたいじゃないか」 「あら、違うって言えますの」 野梨子は、相変わらずきつい。 「嫌味ったらしい」 不貞腐れる悠理を、まぁまぁと、清四郎が制しながら車に押し込んだ。 「悠理の荷物はこれだけ?」 美童が手伝って、荷物を車に乗せてくれた。 細やかな気配りができるところは、さすがプレイボーイ。 「じゃ、清四郎、先に行くぜ。気をつけて来いよ。途中で電話をいれてくれ。道路状況を知らせるよ」 魅録が運転席に座ると、可憐の横から、覗くように声をかける。 「ええ、魅録も気をつけて。まぁ、心配してませんけどね」 清四郎がにっこりと笑う。
魅録は、アクセルを踏み込んだ。
別荘には、ちょうどお昼過ぎに到着した。 荷物をそれぞれの部屋に入れ、リビングの暖炉の前に集まる。 大きなモミの木の下には、たくさんのオーナメントが準備されていた。 天使、星、教会、雪の結晶、蝋燭、色とりどりのボール、鐘、リボンetc ・・・・・ 悠理は、綺麗な装飾に子供のように喜んだ。 モミの木のてっぺんに星を飾るのだと魅録に肩車をねだる。
悠理、魅録、美童がツリーを仕上げている間に、可憐と野梨子が夕食の準備をしていた。 キッチンからは、おいしそうな匂いが漂っている。 ダイニングテーブルに赤いテーブルクロスをかけ、蝋燭をともして、ワイングラスを並べる。 清四郎は、元々夕食には間に合わないと言っていたので、5人で食事を楽しんだ。 魅録は、雪の状態が心配だから清四郎が到着するまで酒は飲まない、とアルコールは口にしないでいた。 「結構、降ってきちまったかな」と呟く。 「そうだね」 美童も窓の外を見た。 夕方、パラパラと降っていた雪が、本格的に降り出していた。
ケーキだけは、全員で食べようと食後は全員でリビングに集まって清四郎を待った。 暖炉の前で、ツリーを見ながら、それぞれが好きなことをしている。 だが、アルコールが入った美童、可憐、野梨子は、すでにウトウトしていた。
そんな時、電話が鳴った。清四郎からだ。 魅録が窓に近づき、外の様子を見ながら電話に出た。
『吹雪でなかなか進めない。到着は深夜になりそうだから、先に寝ていて下さい』 「今、どこだ?」 魅録が聞くと、山のふもとまでは来ていると言う。 「まだ、降り始めだからな、4輪スタッドレスなら何とか来れるだろ。気をつけてこいよ。お前の到着が遅いと、悠理を宥めるのがたいへんだ。ケーキをお預けだぞ、こっちの身にもなってみろ」と冗談を言って笑った。 『おまかせしますよ。あ、今悠理はどうしてます?』 「クリスマスツリーに夢中だな。今のところ、腹も壊してない」 清四郎は、笑って「わかりました」と電話を切った。
魅録は電話を切ると、暖炉の傍に戻る。 「清四郎は、到着までにもう少しかかる。先に部屋に戻って寝てろ」 3人を起こし、魅録は、部屋へ戻らせた。 アルコールに強い悠理は、一人だけ元気だ。まだ目をキラキラさせている。 「悠理も寝ろ、ケーキは明日だ」 いつもなら騒ぐくせに、今日は騒ぐ相手が魅録だけで物足りないのか、やけに静かだ。 飽きる事無くツリーを見ている悠理は「もうちょっと見ていたい」とリビングから離れようとしない。 魅録は「しょうがねぇな」と苦笑し「ここでうたた寝すると風邪引くぞ。毛布を置いて行くから、眠くなったら暖炉の前で寝ろ」と言って部屋へ戻った。
深夜、再び電話が鳴る。 眠い瞼をこすり、美童が電話に出た。
「もしも〜し」 「・・・こちら・・・ですが・・・」 電話は、思いもかけない所からだった。 ベッドから飛び起き、慌てて隣室の魅録を起こす。 ドアを壊す勢いで、叩いた。 そして、その勢いで可憐と野梨子の部屋もドンドンと叩く。 全員が廊下に出てきた。 美童は、震える声を絞り出した。
「清四郎が事故に遭った。乗っていた車が・・・大破したらしい」 「キャーーーーーーー!!!」 「う、嘘・・・・」 可憐と野梨子が悲鳴を上げた。 「美童!電話では何て言ったんだ、清四郎の怪我は?!」 魅録が怒鳴る。 「い、意識不明の重体だって・・・」 「すぐに車を出す!支度しろ、俺は先に出て車のエンジンを暖めてる。可憐、野梨子、しっかりしろっ」 魅録は、それだけいうと、パジャマ代わりのスウェットのまま、飛び出して行った。 可憐は、着替えましょう、と震える野梨子の腕を取った。
玄関に全員が集まる頃、魅録が外から飛び込んできた。 「行くぞ!悠理は?」 「あ!」と全員が顔を見合わせた。 「あの子、気づかずにまだ寝てるんじゃない?」 と可憐が言う。 魅録が、暖炉の前で寝ているはずだ、と言うので野梨子と可憐が起こしに行った。
悠理は、魅録の言うとおり寝ていた。毛布に包まり暖炉の前で。 だが、この騒ぎに全く気づいた様子はない。 野梨子、可憐が「悠理、悠理」と声をかける。 反応がない。 顔をあげさせ、頬を叩く。 それでも返事がなくて、二人は異変に気づいた。
―――意識がない。
「悠理!!!」 女性達の悲鳴に似た叫び声に、魅録と美童がやって来た。 「悠理の、悠理の意識がないの」
驚いて魅録は毛布に包んだまま悠理を抱き上げる。
「悠理も病院に連れて行く。美童、ドアを開けろ」と。
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