3.

 

 

グラスとポットを両手に持ち、二、三度強く振って水気を切ると、清四郎はそれを棚にしまった。

悠理はと見ると、まだ窓枠に腰掛けたまま、ぼんやりと外を見ている。

「帰らないんですか?」と声をかけると、「うぅん……」と、曖昧な返事が返ってきた。

 

清四郎は少し苦い笑いを浮かべると、テーブルの椅子を引いて腰掛けた。テーブルの上で腕を組み、そこに顎を乗せる。

悠理のわがままには慣れている。きっと何か、話したいことでもあるんだろう。

 

 

「今年はスイカを食べ過ぎたり、お腹出して寝たりしないで下さいよ。花火が出来なくなりますからね」

ほんの少し、からかいの言葉に苦い思いを混ぜて言った。

 

 

あの夏、三十分ほどで目を覚ました悠理は、「おまえ、ずっとあたいの寝顔見てたの?」と戸惑い顔で聞いてきた。

「ずっと見てたってわけじゃないけど…」

完全に否定をすることも出来なかった清四郎は、自分の欲望をさとられた様な気がして、ひどく罰の悪い思いをした。

そして、自分の別荘に帰っていった悠理は、結局その夜、清四郎の別荘を訪れなかった。

お腹の調子が悪くなって寝込んでいたんだと、二日後に遊びに来た悠理は、すまなそうな顔をして言った。

 

「なあに悠理、あんたのことだから、どうせ食べ過ぎたんでしょ?」

「腹出して寝てたんじゃねーの?」

「このあたりは日が落ちると急に冷え込みますからね。気をつけなくてはいけませんわよ」

「でもほんとに涼しいよね。スコットランドに気候が似てるっていうのもわかるな」

 

悠理の後ろで、仲間達が口々に話し出した。

前日、悠理も軽井沢にいることを聞きつけた仲間達が、それぞれの親を説き伏せて軽井沢に乗り込んできたのだ。

可憐、魅録、美童は悠理の別荘に、野梨子は清四郎の別荘に泊まることになっていた。

清四郎の胸を熱くした、悠理とふたりだけの夏は、あの日が最後だったのだ。

 

 

仲間達の訪れに、自分といた時以上に楽しそうな悠理を見た時、清四郎の恋は終わった。

自分は悠理にとって仲間のうちの一人で、その中でも特別な存在というわけではないのだと、わかってしまった。

 

もちろん、清四郎にとっても仲間達と過ごす事はやはり楽しかった。

魅録と釣りをしたり、可憐や野梨子の買い物に付き合ったり、美童が忙しく女の子に声をかけるのを冷やかしたりした。

悠理の別荘の広い客間に6人で雑魚寝をし、朝まで語り明かしたのも、このときが初めてだった。

 

それから毎年繰り返されることになる、6人での最初のバカンス。

仲間達との距離が、ぐっと近づいた夏だった。

 

そうして、清四郎はあの夏、恋を失い、代わりに、かけがえのない友情を手に入れたのだ。

魅録、美童、野梨子、可憐、そして、悠理との。

 

 

 

「花火、したかったな」

ぽつんと、悠理が言った。

 

「え…?」

頬杖をついて、ぼんやりと昔の事を思い出していた清四郎は、悠理の言葉に顔を上げた。

 

「あの日さ、おまえ、花火しようって言ったじゃん」

ぶらぶらと足を揺らし、うつむいてそれを身ながら、悠理は言った。

 

「…覚えて、いたんですか?」

我知らず、声がかすれた。

あの日、浴衣を着てひとり、悠理を待ち続けた記憶が蘇る。

「あたい、馬鹿だけどさ…」

悠理が顔をあげ、窓の外に視線を流した。

 

 

「馬鹿だけど、大事な思い出は忘れないぞ。忘れたことなんか、ないぞ」

そして、真っ直ぐに清四郎を見て、ふっと笑った。

その目がどこか泣いているようにも見えて、清四郎の胸が疼いた。

 

「…っていうか、いい思い出って、後から何度も何度も思い出して、そのたびに、すごく細かいことまで思い出していくもんなんだな」

 

 

ずいぶんと長い時間、見詰め合っていたような気がした。

「…あの時の事を、悠理が話したことなんてなかったから、もうすっかり忘れてるんだと思っていましたよ」

清四郎は、自分から目をそらした。

胸の中に、あの日の喪失感が蘇った。悠理の笑顔は、自分だけに向けられるのではないと知った、短い夏。

 

「誰に、話すの?」

悠理のきつい声がした。

「みんなに? あたいと清四郎だけの思い出を?」

 

―――あたいと清四郎だけの。ふたりだけの。

清四郎の胸に、悠理の言葉がゆっくりと染み込んでゆく。

 

「いつか清四郎と、二人だけで話したかったんだ。あのときのこと、思い出すと楽しくって、でも、なんか…」

悠理の声が、震えた。

「なんか…苦しくなるんだ。何でだろ?」

 

 

清四郎は悠理から視線をそらしたまま、テーブルの上に組んだ手の中指で、テーブルを軽くトントンと叩き続けていた。

あの時の事を思い出すと楽しくて、けれど苦しくなる。それは自分も同じ。

あれから4年。夏がめぐり来るたびに、本当は叫びだしたいほどに苦しかった。

友達でいい。悠理を失うよりは。そう、自分に言い聞かせてきた。

悠理はどうだったのだろう、この4年間。

苦しくなる、そう言った。悠理も……?

 

顔をあげると、悠理と目が合った。

瞳が揺れている。彼女の感情を何よりも映し出す、大きな瞳。

あの夏、ずっと一緒にいたのに、彼女のこんな目は見た事がなかった。

瞳を揺らすような感情など、あの時の悠理は知らなかったに違いない。まだ、幼すぎて。

 

大人びた悠理の顔に、あの頃のふっくらとした頬をした少女が重なる。

あの時はまだ、本当に無邪気な少女だった悠理。それが今は、こんな表情をするようになって。あの夏の事を、思い出してくれるようになった。

 

 

 

清四郎は走り出しそうな感情を抑え、ゆっくりと立ち上がると、鞄を手に取った。

 

 

 

「帰りましょう、悠理」

「え?」

自分を見上げ、戸惑った表情を浮かべる悠理に、清四郎は微笑んだ。

「あの時の思い出を語るには、その場所で話すのが一番でしょう? 三代澤さんも、待っていますよ。またおいしい料理を作ってくれます」

悠理の顔が、ぱぁっと明るくなった。

「三代澤さん、まだあの別荘にいるんだ? あたいのこと、覚えてるかな?」

「もちろん。あの時の食べっぷりのいいお嬢さんはどうしてるのかって、よく聞かれますよ」

「そうなんだぁ…」

 

悠理は窓枠からぽんと飛び降りると、テーブルに放り出してあった鞄をつかんだ。

「早く行こうぜ、清四郎!」

弾んだ声を上げ、部室のドアに手をかける。

「まだ集合時間までは間がありますよ。お茶飲んで帰りましょうか?」

「うん!」

笑いながら、ふたりは部室から出て行った。

ドアがぱたんと閉まり、無人になった部室に静けさが満ちた。

 

 

 

*****

 

 

 

「魅録、準備できたぁ?」

美童が魅録の家に着くと、友人は七人乗りの愛車の窓ガラスを拭いているところだった。

「おう、美童。早いな」

魅録は片手を上げて応えた。

 

「あーもう暑いったらないわねぇ。いやんなっちゃう」

「向こうに着けば、少しはマシですわよ」

可憐と野梨子も到着し、美童がふたりの荷物を持とうと歩み寄った。

 

「あれ? 清四郎は?」

「悠理は? まだ来てないの?」

美童と可憐がそう言って辺りを見回した時、おーいという声が聞こえ、黒塗りの車が止まった。

 

「お待たせ~。 さぁ行こうぜ!」

悠理がぴょんと車から飛び降りる。その後ろから、清四郎が下りてきた。

「皆もう来てたんですね。すみませんね、遅くなって」

「なんだ、おまえら一緒だったのかよ?」

「ええ、まだ時間があったので、お茶してたんです」

はにかむような清四郎の表情と、脇でそれを見上げる悠理の様子に、美童がふと、首をかしげた。

 

 

「じゃ、全員揃ったことだし、行くとすっか」

魅録が運転席のドアを開けた。

「あ、僕、今日は助手席~」

美童がそそくさと車に乗り込むと、野梨子と可憐は当然のように真ん中のシートに二人並んで収まった。

 

 

「いきますよ、悠理」

「あ、待ってよ、清四郎!」

悠理の荷物を持って歩き出した清四郎の後を、悠理が小走りに追い、彼の腕をつかんだ。

 

 

「なぁ、また自転車で競争しようぜ」

「負けたら、オヤツは無しですよ」

言い交わし、二人は顔を見合わせて笑った。

 

 

またふたり、あの場所で。

 

もう一度、君に恋する夏が訪れる―――。

 

 

 

 

end

(2007.9.19up)

 

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君に恋する夏が訪れる―――。…って、もう夏終わってるし!(←セルフ突っ込み)

画伯が「えにっき」に投下されていた悠理ちゃんに、萌えまくって出来たのがこのお話です。

もともとは、春企画の時にユーミンの歌を聴いていて浮かんだお話で、曲の通り悲恋で終わっていたんですが、画伯のイラとそれに付けられていたコメントを読んで、明るい未来への妄想がわきました♪ 画伯、ありがとう!

ちなみに「三代澤」は、長野の地酒です。まだ飲んだことないけど。

 

いちおう投票第一位と二位のお題を意識してはみたのですが、どちらにも見事に嵌ってませんね。すみませんです~。m(__)m

 

 

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