2.

 

 

 

蝉が、うるさく鳴き続けている。今日もまた、暑い夏の一日。

僕はいつもの場所に車を止めると、重い扉を開いた。

 

 

「こんにちは、五代さん」

出迎えた剣菱家の執事に笑顔で挨拶をし、僕は彼女を待つ。

だだっ広い玄関のロビーにたたずんでいると、バタバタと足音が聞こえてくる。

見上げればエスカレーターの降り口に、すらりとした姿がある。

一足飛びに駆け下りてきて、僕の前に立った彼女を見つめ、僕は微笑む。

「綺麗だ」と、手を伸ばしてその頬に触れ、耳たぶに軽いキスを。

これは、僕たち二人のいつもの挨拶。

 

 

 

 

 

 

「おはよう!」

 

あの夏、次の日の朝、

どんな顔で悠理に向き合おうかと、思案しながら別荘のリビングに入った僕を迎えたのは、はじけるような悠理の笑顔だった。

 

「…おはようございます。今日も元気ですね」

「うん! だって今日はあたしの誕生日だぞ! 今夜はパーティだ!」

虚を突かれた格好の僕に、悠理は明るく答えた。

 

 

「今日は悠理の好きなもの、何でも作ってあげるわよぉ」

「朝食が済んだら、買い出しに行かなくてはなりませんわね」

「わーい! 酒もいっぱい買い込もうぜ!」

可憐と野梨子の言葉に、悠理は両手両足を挙げて喜ぶ。

 

「これで二十歳だとよ。信じらんねぇな」

「まぁでも、最近ちょっと女らしくなったんじゃない?」

「「「どこが?!」」」

美童の言葉への可憐、野梨子、魅録の突っ込みに、悠理はぶぅと頬を膨らます。

 

 

あまりにも、あまりにも普段どおりの悠理の様子に、僕は拍子抜けし、戸惑いすら感じた。

昨夜の事は、夢だったのか?

思わずまじまじと悠理の顔を見つめていると、僕の視線に気づいた悠理は、ん?と首をかしげた。

あわてて視線をそらせたのは、僕の方。

 

横目で悠理の様子を伺うと、無邪気な様子で魅録や美童と話をしている。

まさか、たった一晩で吹っ切ってしまったというのか?悠理は。

もともと単純バカの悠理なのだから、素直に僕の願いを受け入れたと言うべきなのか…

しかし、あまりにもあっけなさ過ぎる。

 

その日一日、今度は僕の様子がおかしいと、仲間たちにいぶかられることになってしまった。

 

 

 

 

それからというもの、悠理のことが頭を去らない。

気がつけば、彼女のことを考え、目で彼女を追っている。

あまりにもあっけなく、悠理が僕への態度を変えたから?…いや、元に戻ったというべきか。

 

「忘れてしまえ」と願ったくせに、いざ本当にそうなったと思ったら、面白くない自分がいる。

もともと、それほど強い思いじゃなかった?でも、僕に告白してきたときの彼女の様子は…

 

毎日毎日そんな風に考え続け、そして、ふと気がついた。

 

 

これは、恋じゃないのか?

 

 

 

あまりにも単純な答えに、僕は本気で動揺した。

それまで「悠理に恋をしていない」と思い込んでいたのに、ただ一度抱いただけで、情が移ってしまったとでもいうのだろうか?

 

改めて悠理を見れば、あの夏から悠理はやはり少し変わったようだ。

今までは、男か女か判別不可能な生き物だったのに、今では誰が見ても立派な女だ。それも、とびきり美しい。

かといって、悠理らしさが損なわれたわけではない。のびのびとして、自由で、活力にあふれている。

そんな彼女に、惹かれる男たちも何人か現れはじめている。

僕は焦った。誰かに取られてしまう前に、悠理を僕のものにしなくては。

 

 

 

そうと決めれば、行動を起こすのは早い方がいい。

二人きりになる機会を作り、僕は悠理に告白した。

「貴女のことが、頭から離れなくなってしまいました」と。

 

 

きちんと彼女の目を見て、「僕と付き合ってください、悠理」と僕は言った。

悠理は、喜んで承諾してくれるだろうと疑いもせずに。

 

 

ところが。

 

「やーだよっ!」

悠理はあっさりと僕の予想を外し、笑いながら断ったのだ。

「あたしが、待つことに耐えられないって言ったのは、お前だろ?」と。

 

呆然としながら、僕の頭は忙しく思考を巡らせた。

やだよ?なぜ?本当に僕への思いを忘れた?まさか、誰か他に好きな奴でも…?

 

 

 

否―――。

悠理はまだ、僕のことが好きだ。間違いない。

それは、根拠のない自信だったけれど、僕にはそうとしか思えない。

 

 

けれど、悠理は成長したのだ。

あの夏を越え、僕への幼い思いを越え。

ただ、「愛して欲しい」とねだるだけの女ではない、恋に盲目になるだけの女ではない。

大人の、自らをきちんとコントロールできる女に。

 

 

「参りましたね。形勢逆転ってことですか」

僕は、大きくため息をつく。悠理が、笑いながら頷く。

「やれやれ。あの時に、お前の告白を受けておけばよかった。そうすれば、難なく僕の手に入ったのに」

 

嘆いて見せながら、楽しくなってきている自分を感じた。

目の前にいる、たとえようもなく魅力的な女。この女を、何が何でも僕のものにしてみせる。

この菊正宗清四郎が、自ら追いかけてでも、手に入れる価値のある女。

それが、今の悠理だ。

 

 

「まぁいい。またすぐに、僕に夢中にさせてみせますよ」

「出来るかな〜?」

「もちろん」

 

僕は自信たっぷりに、答える。

悠理を扱える男なんて、僕しかいない。いる筈がない。

 

 

 

それからの僕は、仲間たちが半ば呆れるくらいに、公然と悠理を口説いた。

「あなたが好きです」「僕と付き合いましょう」と。

大学でもしっかりと確保していた有閑倶楽部の部室で、校内で、仲間たちと出掛ける、先々の店で。

おいしいレストランを予約したり、悠理が喜びそうなデートコースを考えて、度々彼女を誘った。

いつも悠理は瞳を輝かせて誘いに応じてくれたが、「付き合おう」と言う言葉には、「やーだよ」の一点張り。

いつのまにか、季節は冬を越え、春を迎えていた。

 

 

 

花冷えのある日、僕は悠理をドライブに誘い出した。

景色のいい高台に車を止め、展望台から眼下に咲き乱れる桜の花を眺めた。

「わーい!綺麗だぞ!」とはしゃぐ悠理を後ろから抱きしめ、首筋にキスを落とした。

 

 

「あ、こら!」

口では怒っても、悠理は僕の腕から逃れようとはしない。

そればかりか、ごく自然に僕の胸にもたれてくる。

 

 

「いいかげん、観念したらどうなんです? 僕のことが好きなんでしょう?」

笑いながらそう言ってやると、悠理はむっとした様子で僕の顔を見上げた。

「お前が、あたしを、好きなんだろ?」

「ええ。好きで好きでたまりません。だから…僕と付き合ってください、悠理」

「……」

 

 

僕の目をじっと見つめ、悠理は急に、ふい、と顔をそらした。

そして―――

 

 

「…しょうがないなぁ」

 

 

横顔が、真っ赤に染まっている。

僕はうれしくてたまらなくなり、彼女を抱きしめた腕に、より力をこめた。

 

「やっと、素直になりましたね」

「うるさい!おまえがしつこいから!」

 

暴れだした彼女を逃がさないように、僕はぎゅっと抱きしめ続けた。

「愛してる、悠理」

耳元で囁くと、悠理が動きを止めて静かになった。

僕は彼女の頬に手をやり、こちらを向かせ、唇を重ねた。

 

 

恋人として初めてのキスは、ひどく甘く。僕の胸の中を、愛しさでいっぱいに満たしていく。

あの夏、あの浜辺で、初めて彼女をこの腕に抱いたときと同じように。

 

 

 

 

 

 

「いってらっしゃいませ」

 

深々と腰を折る五代に見送られ、僕と悠理は夏空の下に歩き出した。

明日は、悠理の25歳の誕生日。

5年前から、誕生日は前日から一緒に過ごすのが習慣になっている。

食事をし、ちょっといいホテルに部屋を取り、日付の変わる瞬間には、唇を重ねて。

 

 

 

忘れられない夏。

あの時から、悠理は僕の腕の中で年を重ねていく。

これからも、ずっと。

 

 

君を、離さない―――

 

 

 

end

(2006.9.5up)

 

 

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