Find you.
幾つもの季節を過ごしてきていても、忘れられない季節というものがある。 ―――大学一年の夏。僕にとっては、あの夏がそうだ。
あの夏も、いつものように夏休みには仲間達と共にバカンスに出かけた。 茅ヶ崎の海辺の別荘。 毎夏と同じように、気心の知れた仲間達との楽しい日が過ぎてゆく。 ただその中に一点、いつもとは違う友人の姿があることが、僕の胸を重くしていた。
彼女の変化は、僕の所為。
海辺の別荘の第一夜は、思いもかけない熱帯夜。 エアコン付きの主寝室を女性陣に譲り、僕達男三人はそれぞれ小さな寝室に散ったが、こう暑くては寝るどころではない。 寝付けないままに本を読んでいると、夜半頃、魅録がふらりと部屋に入ってきた。
「よぉ、眠れないんだろ。もうちょっと飲もうぜ」 そう言って、手にしたウィスキーの瓶を掲げて見せる。 「いいですね。美童は?」 「あいつは、女に電話の最中」 互いのグラスに酒を注ぎ合い、氷をいくつか放り込む。カラン…小気味いい音が、蒸し暑い部屋に響く。
「で?」 一口飲んだ後、煙草に火をつけ、魅録が聞く。 「…何がです?」 「とぼけんなよ。悠理と何かあっただろ?」 「…魅録にしては、察しがいいですな」 「誰でも気付くさ。あいつ、泣きそうな顔してお前を見てる」 「……」 立ち昇る紫煙を見つめながら、僕は言葉を探す―――。
二週間前のことだ。悠理が、僕の家に来た。 僕のことを好きだと告げる、真摯な瞳。 「今はまだ、悠理のことは友人としか考えられない」と答えると、顔を歪め、その瞳に涙が盛り上がった。 「ああ、泣くな」と言いながら、思わず手を伸ばして彼女の髪を梳いた。 その指先に触れた、異質な煌き。悠理の耳たぶに、昨日までは無かった、ピアス。
僕の胸の中に、戸惑いが広がった。 いつも僕にじゃれついてきた、無邪気な少女。 それが僕の知らないうちに、大人になろうとしている?女になろうとしている?
悠理のことは好きだ。かわいくて堪らない。 けれども、自分が彼女に恋をしているとは思えない。 でも、何処にも行かないで欲しい。他の誰かのものには、なって欲しくない。 男の、傲慢で我侭で、矛盾した感情。 それをそのまま、僕は悠理に押し付けてしまった。
「友人としか思えない」といったくせに、「恋をするなら、相手はお前しかいない」と言い、 「待ってろっていうこと?」と聞かれれば、「待てとは言えない」。 突き放すでも、受け入れるでもない、残酷な返答。
僕の部屋を出て行くときの、悠理の言いようのない表情が、脳裏にこびり付いて離れない。 きっと今もまだ、納得できない思いを抱えて苦しんでいるのに違いない。 何とかしてやりたいと思うのに、僕の心も、まだ答えを見出せないでいる―――。
「…俺は、あんたも悠理のことが好きなんだと思ってたんだがな」 責める様子でもない、静かな口調で魅録は言い、グラスの酒を一口飲んだ。 「好きですよ。でも、それが恋愛感情かと言われると…」 「違うってのか?」 「恋って、どんなものですか? 僕は恋をした事がないから、それがどういうものか、よくわからない」 「……」
魅録は無言で煙草をふかし、遠くを見るような目をした。 きっと、昔の恋を思い出しているのだろう。 はっきりと、「これは恋だ」といえる感情を経験している、彼をうらやましいと思う。 たとえそれが、ハッピーエンドを迎えなかったとしても。
「恋をしたら、そいつの事ばっかり考えるようになったりするさ。別のこと考えてても、いつの間にかそいつの事を考えてたりして…」 「……じゃあ僕は、悠理に恋をしていない」
僕の答えに、魅録は大きな溜息をついた。
翌朝、魅録と美童は寝不足だとソファに寝転んでいた。 僕もさすがに身体が重く、あくびが出てくるのを止められない。 可憐と野梨子が朝食の準備をしている間、僕はぼおっとしている悠理に声をかけた。 「悠理、お前も一応女でしょう?可憐と野梨子をちょっとは手伝ったらどうなんですか?」 いつものようにぽんぽんと頭をたたくと、悠理は一瞬身体を強張らせた。 そしてうっとおしそうに僕の手を払いのけると、庭に出て行ってしまう。 僕はその後姿を、目で追った。
朝の光を浴びて、薄い色の髪が輝く。 しなやかに長い手を伸ばして、潮の香りを胸に吸い込んでいる。 「早く朝メシ食って、泳ごうぜ!」 明るい声が聞こえ、野梨子が「元気ですわね、悠理は」と笑う。 いつもと変わりのない彼女の様子に、僕はほっと笑いかけて、また口をつぐんだ。
遠目に僕を見つめている悠理の瞳が、揺れて泣き出しそうに見えたから。
「解放してやれ。応えてやれないのなら、な」 頭の中で、昨夜の魅録の言葉が響く。
悠理の為に。 僕は悠理を、手の中から逃がしてやらねばならないのだろうか。
その日も、また蒸し暑い夜。 寝付けずに寝返りを繰り返していた僕は、ふと浜辺に置かれていた白い寝椅子のことを思い出した。 あそこなら、きっと海からの風が涼しいだろう。 この部屋で、眠れぬ夜をすごすよりも、外に出たほうがいいかもしれない。
蚊遣り器を持って、僕はそっと部屋を後にした。庭を通り抜け、浜辺へと続く道へ。 別荘の敷地から一歩出たとたん、涼しい海風が頬を撫でる。 僕はわけもなく立ち止まり、後ろを振り向いた。 暗い庭には、ただ静寂があるだけ。白塗りの別荘の、どの窓にも明かりは見えない。
我知らず、ため息が口から漏れる。 そのままきびすを返して歩き出し、月明かりに照らされた砂浜に出た。 波打ち際から離れたところに、二つの寝椅子が並んでいる。 間に立てられた深いグリーンのパラソルは、用無しとばかりにたたまれ、少し斜めにかしいでいた。
蚊遣り器を下に押し込み、寝椅子に横たわる。 月の光を眩しく感じ、片手を顔の上にかざした。 そうして、目を閉じる。 取り留めのない考えが脳裏をよぎり、時々それが途絶える。 夢とうつつを往復しながら、僕は徐々に眠りの中に引き込まれていく。
深く浅くを繰り返す眠りのリズムの合間に、ふと僕は近づいてくる人の気配を感じた。 隣の寝椅子が微かにきしむ音。 目を閉じたまま、「悠理?」と聞いた。 「…なんで、わかんの?」 怪訝そうな、悠理の声。
―――何故って、待っていたから。 頭に浮かんだ答えを無視して、僕はただ、「なんとなく、気配でわかります」と答え、口をつぐんだ。 まぶたの裏に、月の光。そして、僕を見つめる悠理の視線を感じる。
もう一度、好きだと言われたら? 僕はたぶん、「あなたは、大切な友人だ」と答える。 悠理の泣く顔は見たくない。けれど、嘘をつくこともできない。 だから―――
思考が途切れ、眠りに入っていこうとしていた時、突然、唇に柔らかいものが押し付けられた。 考えずともわかる、それは、悠理の唇。 そして、僕の胸に寄せられた、悠理の頬。
じっと黙ったままの悠理の中に、行き場のない感情が暴れているのを感じた。 僕はそれをなだめるように、悠理の背を撫でた。 悠理が、頬を強く押し付けてくる。 無意識のうちに僕は、手のひらを悠理のTシャツの裾からしのび込ませていた。 滑らかな、肌。昼間に散々泳いで日に焼けているだろうに、少しも荒れた感触を感じさせない肌。 指で背筋をたどり、下降させる。さらりとした肌の感触が心地よくて、何度もそれを繰り返した。 悠理の身体が、明らかな反応を示す。びくりと身体が震え、吐息を漏らす。 僕のTシャツがまくられ、胸元に何度もキスが降ってくる。まるで羽毛でくすぐられているかのようだ。 「好き…好き…」と囁く、悠理の声。 目を閉じたまま、僕は唇を噛み締めた。悠理の思いが、切なくて。
僕は、悠理が本当に望んでいる答えを、彼女に言ってやることが出来ない。 それでも、悠理が僕を望むなら。今だけでも良いと、彼女が願うなら。 僕は、それを拒めない。
目を開けて、「いいのか?」と尋ねた。悠理が、深く頷く。 両手で彼女の頬を包み、引き寄せて唇を重ねた。何の技巧も知らぬ彼女の唇を、そっと吸いあげる。 悠理の背を手で支え、そっと寝椅子に横たえさせた。 キャミソールの裾を押し上げると、裸の胸が姿を現した。 微かに震えている先端に舌を這わせ、口に含むと、悠理の身体がびくんと跳ねる。 出来るだけ優しく……ゆっくりと片方の乳房を揉み上げ、もう片方を舌と唇で愛撫すると、悠理が小さく声を上げる。
吐息交じりの、甘いあえぎ声。 それは、寄せては返す波の音に混じり、僕を行為に夢中にさせていく。
ショートパンツの中に手を滑らせ、薄い布に覆われた部分を撫でると、すでにぐっしょりと濡れていた。 悠理の腰を浮かせて、下着ごと剥ぎ取る。閉じようとする足を開かせ、その間に顔を埋めた。 舌を伸ばして割れ目をなぞると、ひときわ高い声が上がる。 暴発しそうな自身の欲望を押さえつけ、僕は執拗なほどに悠理が感じる部分を責めた。 これから先の行為が、悠理にとって辛いものにならぬように。 出来る限り、痛みを軽減させてやりたくて。
それでも、僕が彼女の中にもぐりこんだとき、悠理は小さく息を呑み、唇を噛み締めた。 きつく閉じられた目と、深く寄せられた眉根が、彼女の痛みの激しさを物語っている。 けれど、声ひとつ立てずに、悠理はそれに耐えようとしていた。 僕を見上げて開かれた瞳に、涙が浮かぶ。 その健気さに、理性の糸が切れた。
「悠理…」 彼女の名を呼び、唇を重ねた。 深く、激しく吸い、舌を差し入れる。戸惑う彼女の舌を追い、絡め取る。
愛しい、愛しい、愛しい――― 感情の波が、身体の動きを激しくさせる。 月の光も、波の音も、うつつの情景すべてが僕の周りから消え、 ただ悠理から与えられる感触だけが、リアルに感覚を刺激し、全てが一点へと集中していくのを感じる。
悠理を穿つスピードが速まるのを止められない。 僕の唇にふさがれた悠理の吐息が出口を求め、逃げ出す。 悲鳴にも似た、嬌声。 それを合図に、僕は自分を彼女の中から引き抜いた。
白い腹に散った、白い飛沫。 どくどくと脈打ち、まだ欲望を吐き出している自分自身を、ぼんやりと確認する。 快感に、頭の芯が痺れ、目を閉じた。そのまま、呼吸を整える。 ふいに、潮の匂いと波の音、そして、流れる風を感じた。
ゆっくりと目を開くと、身じろぎもせず脱力した悠理の肢体が目に映る。 僕は自分のTシャツの裾をつかむと、彼女の腹を丁寧にぬぐった。 悠理がじっと、僕を見つめている。 僕はその目を見つめ返してから、彼女の身体をぎゅっと抱きしめた。
視線の先に、悠理の耳たぶのピアス。 「ああ、そうか」と、合点がいく。 このピアスは、僕に思いを告げるための、決意のしるしとして開けたのだろう。 普段の彼女らしくもない、シンプルなデザインに思いを込めて。
「胸がいっぱいになる」というのは、こんな感覚を言うのだろうか。 悠理の思いが、今になってやっと僕の胸にじわじわと染み込んできた。 思わず力を込めて、彼女を抱きしめる。
悠理を、解放してやらなければならない。
「誕生日、おめでとう、悠理」 そう言って、ピアスに口付けた。 悠理の肩が震える。僕の背に回された腕に、力がこもる。 そして、長く大きなため息―――。
僕はこんな男だ。ずるい男だ。 お前の思いをきちんと受け止めることも出来ないくせに、雰囲気に流されてお前を抱くような男だ。
だから、忘れてしまえ。僕への思いなど。
潮の音が聞こえる浜辺で、僕はただじっと悠理を抱きしめていた。 彼女の涙で、Tシャツが湿っていくのを感じながら。
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material By FLOW さま