「もしもし、清四郎?」 「ああ、悠理か。すまない、今ちょっと出先で…」 「あ、ゴメン!」
慌てて電話を切った。 清四郎の抑えた声と、その向こうに聞こえた女性の笑い声。 妙に胸がザワついて、携帯を持つ手が震えた。 部屋の温度が、三度ほど下がったような気がした。
【CHE.R.RY】
剣菱邸の広い広い自室で、悠理はソファに足を投げ出して横向きに座りっていた。 胸に抱えた大きなクッションにあごを埋め、ぼんやりと携帯プレーヤーをいじりながら、お気に入りの音楽を探した。 選んだ曲のイントロが流れ始め、なんとなくほっとして息を吐き出したとき、傍らに置いた携帯電話が振動し始めた。 メールの着信を知らせるメロディとバイブレーション。 携帯を取り上げた悠理は、小窓の「清四郎」という表示に顔をしかめた。
--------------- 宿題しましたか?
-------------- うるさい
悠理は手早く返信を打つとパシッと携帯を閉じた。 そして、イヤホンから聞こえる音楽に集中しようとしたが、またすぐに携帯が鳴り出した。 小窓の表示を確かめるまでもなく、さっきの返信だとわかっていた。
---------------------- 最近、電話して来ませんね。
---------------------- 話すことないもん
そっけない返事を返してまた携帯を閉じ、これ以上聞いている音楽の邪魔をされないように、マナーモードに設定した。 イヤホンから聞こえる音楽に身をゆだねて軽く身体を揺らしだしたときに、携帯が振動を始めた。 悠理はいまいましげに舌打ちをしつつ、携帯を手に取った。
------------------ 取り付く島もないな。 …今、何してる?
絵文字も何もない短い文章は彼の常なのに、今の悠理はそのそっけなさに無性に腹が立った。
---------------- まったり中 ジャマすんな
閉じた携帯を手の中で温めている間に、もう携帯が着信を知らせて震えだした。 「しつっこいなぁ、もう!」 思わず叫び、イヤホンを乱暴に耳からむしりとりながらメールを見た。
----------------- 何を、怒ってる?
何を怒っているか? なんでこんなに清四郎に対して腹が立っているのか。 それがわからないからむしゃくしゃするんだと答えても、清四郎にだってわけがわからないだろう。 だからメールを返すことが出来ないまま、悠理は携帯のディスプレイを眺め続けていた。 しばらくすると節電機能が働き、真っ暗になったディスプレイに泣き出しそうな自分の顔が映った。
「なんであたい、こんな顔…」 自分の表情にぎょっとして、悠理は呟いた。 まるで小さな女の子のようで、そのくせ妙に大人びた女のようでもある表情。 じっと見つめていると、いきなりディスプレイが明るくなり、シニカルなアニメーションと振動が電話の着信を告げだした。 さっきまでの暗さから一転、急に明るくなった画面に驚き、悠理は思わず通話ボタンを押して携帯を耳に押し当てた。
「もしもし?」 「悠理?」 電話の向こうから聞こえる低い声に、「しまった」と思った。 「何…?」 声が震えているような気がして、悠理は空いた手で自分の喉を押さえた。
「久しぶりじゃないですか? こうやって話すの」 ゆったりとした、清四郎の声。 「うん…」 その声の調子になんだか救われた気分になり、悠理は小さく頷いた。
「毎日話していたのに、急に電話が来なくなると寂しく感じますよ」 「ガッコで話してるじゃん」 「それはそうですけど…」
電話の向こうで、苦笑している清四郎が目に浮かぶ。 困ったように笑う時、清四郎はいつも視線を一瞬ふっと下に落とす。その後で、真っ直ぐにこちらを見つめてくる黒い優しい瞳。 何か心にふつふつとわいて来る感情があった。ここしばらくこうして話すことを避けていたことが嘘のように思えた。
「この間はすみませんね、電話をくれたのに…」 「え? あ、こっちこそゴメン」 殊勝な清四郎の声に、心臓がドクン、と音を立て、悠理はクッションをぐっと抱きしめた。 「あの日は姉貴の代理でちょっとした会合に行かされましてね」 「……」 悠理はあの時、受話器の向こうに聞こえた女性の笑い声を思い出していた。華やかで、艶っぽい大人の女性の声だった。
「挨拶だけして早々に退出する気だったんですが、なかなか機がつかめなくてね。電話もかけなおそうと思っていたんですけど」 「ふうん」 消えかけていた気まずさがまた戻ってきてしまい、悠理は気のない調子で相槌を打った。
「…やっぱり、それで怒ってました?」 「なんで? 別におまえがどこで何してよーと構わないし」 気まずさが手伝って、噛み付くような答え方をした。 「でも、あれから電話してこなくなったじゃないですか」 「別に…話すこともないからかけなかっただけじゃん」 「話すことなんかなくても、かけてきてたじゃないですか」 言われて、悠理はぐっと答えに詰まった。
「そもそも…あたいなんでおまえに毎晩電話してたんだろ?」 湧き上がった疑問がそのまま口をついて出た。
「…僕しか、相手になってくれなかったからでしょ?」
憮然とした清四郎の声が聞こえた。 「可憐や美童はデートで忙しい、野梨子は寝てる、魅録は片手間にしか相手になってくれない…って」 「そうだっけ?」
悠理は首をかしげ、記憶を辿った。 確かに最初に電話をした時、そんな風に言った覚えがある。 けれど悠理が「何故?」と知りたいのは、その後のことだ。
何故、倶楽部内でも特に仲がいいわけでもないこの男に、自分は毎晩電話をかけ続けていたのだろう? 特に話したいことがあるわけでもなく、実際毎日たわいもない話を繰り返していただけだったのに。 気がつけば悠理は毎晩、清四郎に電話をかけていたのだ。風呂から上がって一息つくと必ず、習慣のように。 飲み物やお菓子を回りに並べ、ハンズフリー用のヘッドフォンをセットし、「よし!」と気合を入れて。
楽しいから。 清四郎と話していると、彼の低くて落ち着いた声を聞いていると、何故だか安心するから。 電話を切ったあとも、心が温かくて自然と口元が緩んできて、一人の夜でも幸せな気持ちで眠れるから。
この感情は、なんなんだろう?
「…悠理?」 黙り込んでしまった悠理に、気遣わしげな清四郎の声が聞こえた。 「毎日電話をくれていたのが急になくなってしまうと、寂しいですよ。落ち着きません」
「ふーん…」 清四郎の言葉に思わず笑みが浮かんできて、悠理はクッションを抱いたままソファの上で身体を前後に揺らした。 「あたいからの電話がないと、寂しいんだ?」 「だからね、習慣のようになっていたものが急に途切れると、ってことですよ」 清四郎は弁解するように語尾を強めていった。
「わかったわかった。お前が寂しいんなら、また電話するようにするよ」 「だから…」 ケタケタと笑いながら、ちゃかすように答えた悠理に、清四郎が反論しようとする声がふっと止まり、やがて、はぁ、と小さく溜息が聞こえた。
「まぁ…そうしてください」 「苦虫を噛み潰したような」とはこういうことかと思うような、清四郎の声。
「わかった。また、電話する」 満面の笑みを浮かべて、悠理は清四郎に答えた。 「でも、今日はもう眠いから切るよ。じゃあな」 そう言うと、 「ええ。おやすみ」 という返事が返ってきて、電話がぷつりと切れた。
パチン、と携帯を閉じた後も、悠理はくすくすと笑い続けていた。押さえても押さえても、自然と頬が緩んでしまう。 なんなんだろう? この温かい気持ちは。「楽しい」じゃなくて、もっと深い―――。
閉じた携帯を再び開くと、悠理はカメラのレンズを自分に向けてぐっと腕を伸ばした。 いーーーっ!と思いっきり顔をしかめて、ボタンを押す。パシャ!と撮影音が鳴った。 ディスプレイで撮った写真を確認すると、悠理はそれを添付してメールを打った。
件名は「また明日!」、本文は無し。
送信すると、すぐに返信が来た。
------------------- 待ってます。
心のホットラインは、もう繋がっているのかもしれない。
end (2008.3.6)
前回拍手お礼「Telephone Call」の続きです。 「CHE,R.RY」ってことで、今回はメール。(笑) ↑こういうふうに表記すると、初恋、特に甘酸っぱい恋を強く意味することになるんですってね。かわいいなぁ。
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