未来へ繋がる今」

       By  hachiさま

 

 

 

 

 

中学生、最後の夏。

 

悠理たちは、学園行事の一環で、懇親キャンプとやらに参加させられていた。

海辺の公共施設に合宿し、子供っぽいオリエンテーションやら、青春のスポーツ大会やらに汗を流して、友情を育むのが目的だそうだ。

 

悠理は、そんなものに参加するのが、非常に面倒臭かった。

まったく、大人ってヤツは下らないことばかり子供に押しつける。たまにはこっちの気持ちだって考えてほしい。幼稚舎から顔を突き合わせてきた連中と、今さら友情なんて育みたくもない。

 

でも、今年はちょっと違う。

去年までは大嫌いだった同級生が、ちょっとした事件がきっかけになり、大好きな友達になっていたからだ。

 

 

 

 

 

―――――――― 一日目。

 

 

 

 

 

「悠理!」

可憐に名を呼ばれ、悠理は歩みを止めた。

吹き抜けになった、大きなホール。壁に沿って作られた二階の通路から、一階を見下ろすと、ロビーの真ん中で可憐が手を振っていた。

「清四郎が今からクライミングに挑戦するんだって!暇ならあんたもやってみない!?」

可憐は右手を口に添えて叫び、残った左手で壁の一方を指した。

 

夕食前の自由時間。広いホールはがらんとしていた。生徒の大半は、昼間のマリンスポーツ大会で体力を使い果たし、部屋で伸びているのだろう。温室育ちは、過酷な環境に弱いと相場が決まっている。

ホールの壁は、その一面がクライミングの練習場になっている。傍らには、清四郎と、宿泊施設のスタッフの姿があった。

悠理は大きく頷くと、二段抜きで階段を駆け下りた。

 

一階に下りて、ホール全体を見渡す。いつも清四郎の傍にいる野梨子の姿はない。彼女は学園一の運動音痴だ。他の生徒同様に、部屋で死んでいるのだろう。

ついでに言うなら、美童もいない。きっと自由時間を利用して、女子との友情を育んでいるのだ。女子生徒のほうも、転入したばかりの金髪美少年とお近づきになりたいと躍起になっているから、このキャンプの目的である「懇親」も、すぐに達成できるはずだ。ただし、美童に限り、との注意書きがつくけれど。

 

悠理は小走りでクライミングウォールに近づいた。

高さ5メートルほどの、でこぼこした壁一面に、カラフルな石が埋め込まれている。色と形だけ見ていると、まるで小さな子供が作った粘土細工みたいだ。

清四郎はすでに落下防止の命綱をつけていた。悠理を見て、ひょいと片眉を上げてみせるのは、挑発しているつもりなのか。

「ねえ、悠理もやってみなさいよ。」

可憐が悠理の前に回り込み、顔を覗いてきた。長い睫毛に縁取られた瞳が、催促するかのように、瞬きを二度繰り返す。

「可憐はやらないのか?」

悠理が問うと、可憐は、とんでもないと言わんばかりに頭を左右に振った。

「こんな絶壁を登ったら、腕が抜けるわよ!」

確かに、可憐の華奢な腕では、早熟なナイスバディを支えるのは不可能だろう。

悠理は可憐から視線を外し、ふたたび清四郎を見た。

「で、清四郎は、いきなり何でやろうと思ったんだよ?」

清四郎は、悠理に目もくれようとせず、手首の関節を回しながら、立ちはだかる絶壁を見上げている。

「別に。どんなものか一度体験したかっただけです。」

彼の視線を追って、悠理も絶壁を見上げてみる。

真下から見るとよく分かる。垂直どころではない。壁は波打ち、大小の隆起がぜんたいに広がっている。隆起を越えるのに失敗したら、確実に宙吊りだ。いくら木登りが得意な悠理でも、やすやすと登られそうにない。

「悠理。」

清四郎に呼ばれ、視線を目の高さに戻す。

清四郎は、いつもの嫌味たらしい笑みを浮かべて、悠理を見ていた。

 

「出来ないのなら、無理しなくていいですよ。」

 

かちんときた。

悠理は清四郎を睨みつけ、鼻息も荒くジャージの袖を捲り上げた。

「誰が出来ないって言ったんだよ!?こんなもん、超楽勝で登ってみせるぞ!」

小学生並みの反応だ。だが、清四郎はそれが楽しいらしく、くすくすと小さな笑声を漏らしている。

「では、お手並み拝見といきましょうか。」

清四郎は、傍らに立つスタッフに、もう一人ぶんの準備を頼んだ。

 

やがて、悠理の準備も整う。

「競争だからな!いいか、競争だぞ!」

悠理は清四郎に人差し指を向け、大きな声で念押しした。

「はいはい、分かりましたよ。」

「それじゃあ、いくわよ。」

可憐が行司よろしく二人の間に立つ。

「よーい・・・」

細い腕がすっと上がり、天を指す。

悠理は手近な石に手をかけた。清四郎はまだ動かない。

「スタート!」

叫ぶと同時に、可憐が上げた手を振り下ろす。

悠理は、可憐の合図よりも一秒早く、壁を登りはじめていた。

しかし、清四郎は何も言わない。フライングした悠理を横目でちらりと見てから、何事もなかったかのように赤と青の石に手をかけた。

 

登りはじめて、見た目よりずっと大変なことが分かり、悠理はぐっと奥歯を噛んだ。

力さえあれば何とかなると思っていたのに、手足の置き場が悪いと、いくら力を籠めようが登られないのだ。それに、進路を見極めていないと、足がかりとなる石が傍になかったり、とんでもない隆起に行く手を阻まれたりしてしまう。

それでも悠理は野生の勘を働かせ、うまくバランスを取りながら、必死に登った。

「悠理!頑張って!」

可憐の応援が聞こえたが、応える余裕はない。

歯を食い縛りながら、必死に登る。その視界の端に、赤いシューズが過ぎった。

はっとして赤い残像を追うと、悠理の斜め上に、清四郎の靴底があった。

 

清四郎は、上を見て、左右を見て、安全かつ最適なルートを計算しながら、危なげなくクライミングウォールを登っていく。彼が掴んだ石からゴールまでは、50センチもない。

「ちくしょう!」

悠理は生来の負けず嫌いだ。ライバルがゴール目前に迫っていると知り、遮二無二なって壁を登りはじめた。しかし、気づいたところで、二人の距離が狭まるはずもない。悠理が眼前に張り出した段差を相手に、悪戦苦闘している間に、清四郎は壁を登りきってしまった。

 

数分後、悠理も何とか壁を登りきり、無事にゴールした。

ぜいぜいと荒い息を吐きながら突っ伏していると、清四郎がタオルを差し出してきた。

「お疲れさまでした。よく頑張りましたね。」

「・・・ザマアミロ、って、心の中で笑っているだろ?」

突っ伏したまま、顔を横に向けて、清四郎を睨む。

「まさか。」

清四郎は、優等生の笑顔を悠理に向けて、軽く肩を竦めた。

 

そこで、間が空く。

何となく、意味もなく、見つめ合う。

 

「・・・汗、凄いですよ。」

清四郎が、もう一度、タオルを差し出す。

でも、悠理は負けたのが口惜しくて、せっかくの好意を受け取らなかった。

顔を逸らして、清四郎を無視する。

すると、頭の上で、くすりと小さな笑い声がした。

「意地っ張りめ。」

「ふが!」

顔面をタオルで押さえつけられる。ごしごしと額を拭かれ、汗まみれの髪もグチャグチャに掻き乱された。

「止めろって!」

タオル攻撃から逃れるために、起き上がろうとしたけれど、清四郎はそれを許さない。

「そんなところで暴れたら危ないよ!」

狭い場所で暴れる悠理に、下からスタッフの注意が飛んできた。

そこで、清四郎の手がふっと動きを止めた。

「あとは自分で拭いてください。」

清四郎は、くすくす笑いながら、悠理の首にタオルを巻きつけ、まるで農家のおじさんみたいに両端を前で結んだ。

 

馬鹿にされていると思うのは、きっと気のせいなんかじゃない。

だけど、怒りきれない。

何故かは、分からないけれど。

 

悠理は憮然としながら、首に巻きついたタオルで、鼻の頭の汗を拭いた。

そんな悠理を、清四郎は微笑みながら見つめている。見つめ返すのも照れ臭くて視線を落とすと、ちょうどそこに清四郎の腕があった。

細いようで、しっかりした腕。

その先にある手の大きさに、悠理ははじめて気づいた。

「清四郎、手、見せて。」

「ん?」

「だから、手を見せてってば。」

訝しみながらも、清四郎は右手を悠理に突き出した。

「違う違う、そうじゃなくってさ。」

突き出された手を握り、掌を悠理の顔のほうへ向ける。清四郎もそこで悠理の意図に気づき、五本の指を立てて広げた。

 

「・・・お前の手、でっかいなぁ。」

清四郎の手は、悠理が思っていたよりも大きかった。

「そうですか?」

「そうだよ!」

ほら、と自分の手を重ねて、大きさを比較してみる。やはり掌の厚みもまったく違うし、指の太さや長さも、ずいぶん差がある。

「へえ、悠理の手は小さいんですね。」

清四郎が、感心したように、重なった手を眺める。

「あたいは普通だよ。お前の手がでかいんだって。」

こんな手をしているから、クライミングウォールもすいすい登られるのだろう。

悠理だって、清四郎みたいに大きな手をしていたら、クライミングで負けることもなかったかもしれないし、喧嘩ももっと強かったかもしれない。

そんなことを考えていたら、急に女であることが口惜しくなってきた。

「男って、ずるいよな。」

「は?」

「だって、男ってだけで、こんな手になれるんだろ?それって、ずるいぞ。」

重ねた手を見つめたまま、くちびるを尖らして文句を言う。

すると、清四郎は困ったように微笑みながら、手を引っ込めた。

「ずるくないですよ。」

それだけ言うと、清四郎は頂上から床を見下ろし、スタッフに向かって、今から降りると声をかけた。

 

 

ロープを使って上手に降りる清四郎を見ながら、悠理はやはり胸が燻るのを感じていた。

自分の掌を見つめ、先ほどまで重なっていた清四郎の手を思い出す。

悠理の手をすっぽりと覆いそうな、大きな手を。

 

男というだけで、力が強くて、身体が大きいなんて、やっぱりずるい。

どうして女なんかに生まれてきてしまったのだろう?

悠理は、もっと強くて、もっと逞しくなりたかったのに。

 

清四郎みたいに、強く、逞しく。

 

 

 

性差に理不尽を感じた、一日目。

 

悠理は年齢よりも、ずいぶん幼い。

 

 

 

 

 

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Material by ivory さま