もしも、あの日に時が戻せたなら。 その後に続く、押しつぶされそうなほどの胸の痛みを知っていたとしても、それでも僕達は、また同じことを繰り返すのだろうか?
あの日。 君の吐息が、僕の中の何かを壊した。 あの、二人が堕ちた夜。
我侭な吐息 fallin' 〜First night
はじまりは、いつもと変わらぬ酒の席。 人目を避けるでもなく、ただの友人同士のたわいもない会話を繰り返し。 二人とも、大事なことには一つも触れず、お互いに見つめ合うのをわざと避けて。
ふと、言葉が途切れた一瞬。 僕は次の会話の糸口を探して、手元のグラスに目をやった。
その時。 耳元で、彼女の溜息が聞こえた。 僕の手からグラスを奪い取ると、彼女は一息にそれを飲み干し、ぐっと拳で口元を拭った。 その仕草に―――僕への苛立ちを見たような気がして、衝動的に彼女の腕を掴んでいた。
「出ましょう」
振り解かれることのない、腕。 乗り込んだタクシーの中で、互いに別の方向を見つめたまま無言でいても、彼女の手は、ずっと僕の手の中にあった。
ホテルの一室で。 ドアを閉めるなり、僕は彼女の身体を壁に押し付けて、唇を奪った。 すぐに応えて、僕の首に回される腕。絡み合う舌に、頭の芯が痺れた。 強く抱き合い、身体を擦り付け合いながら、僕は彼女のセーターを剥ぎ取って、ベッドに押し倒す。 小ぶりな胸を手のひらで包んで揉みながら、首筋に唇を這わせた。 彼女の手が、僕のシャツのボタンに伸び、急くように外していく。 肌蹴られた胸を彼女の胸にぴたりと合わせた途端、彼女が喘ぐように息を吐いた。
「ああ……」
その吐息が、僕を狂わせ、溺れさせる。 まるで少年のように、自制の効かない己が器官を彼女の中に埋め、滅茶苦茶に突いた。 喘ぎ続ける彼女の唇を自分の唇で塞ぎ、細い腰を抱きしめて。 よすがを求めて彷徨う手が、僕の肩に傷をつける。 その痛みさえも甘美に感じた時、離れた唇から、笛の音のような呼吸音が漏れ、次の瞬間に彼女が上げたのは、悲鳴にも似た嬌声。 押し寄せる凄まじいほどの絶頂感に我を忘れ、呻き声を漏らしながら、僕は彼女の奥深くに精を放出した。 空白になる意識。 ためらいも畏れも罪悪感も、その瞬間だけは僕の中から消えていた。
「悠理……」 "愛している"とは口に出来なくて、僕は彼女の名を呼んだ。 激しい情動が去った後でも身体の中の熱は退かず、抱き合ったままに互いの身体をまさぐり続けて。 彼女の足の間に自分の足を割り込ませ、ゆっくりと擦ると、すぐに僕の腿がねっとりと濡れた。 熱すぎる彼女の息が耳をくすぐる。
愛おしくて、離せなくて。 彼女の手を取り、白い指を一本ずつ、口に含む。 猫のように細められる、長いまつげにふちどられた瞳を見つめながら、舌で舐め上げ、唇で吸う。 薬指まで来たとき、そこに残る白い指輪の跡に気がつき、思わず強く噛んだ。 悔しくて。彼女が僕のものではないことを思い知らせる、この跡が憎くて。 |
イラスト By ぴぐぴぐさま
「つっ!」と声を上げ、彼女が僕を見詰める。 「…すみません」 僕は謝罪し、僕の歯形が赤く付いた場所に、ゆっくりと舌を這わせた。 目を逸らした彼女が、そっと涙を零す。 僕はそれを横目で見やりながら、細い身体に愛撫を施していく。 愛の刻印を刻めぬ身体に、すぐに消えてしまう口づけの線を描いた。 くっきりと浮き出た鎖骨に、震えている小ぶりな乳房に、形良く窪んだ臍に。 今だけは―――腕に中にあるこの時だけは、彼女の全ては僕のものだと念じながら、再び身体を繋いだ。
必要以上に大きく足を広げさせ、僕自身が彼女の中に埋まっていくさまを眺めた。 大きく腰を動かして彼女を揺らしながら、僕は背徳の快楽に酔いしれる。 抉り続けるほどに、彼女の吐息が高まり、腕が、胸が、腰が、彼女の全てが僕に絡みつき、締め上げてくる。
もう逃れられない。逃れようとも思わない。 肉体の高揚と、精神の高揚。 彼女の胸に顔を擦り付け、吐息で濡らしながら僕は彼女の中に全てを注ぎ込む。 彼女の腕が僕の頭を抱きかかえ、何度も何度も僕の名を呼ぶのを、遠雷のように聞きながら―――
なんと我侭なのだろう。人の恋というものは。 許される筈のない仲だからこそ、ただひたむきに僕達は求め合った。 二人の前に、明日など無く。 ただ闇の合間に、揺れる吐息が漂うだけ。
いつかは途絶える運命。それを知りながらも、求め合い、溺れ、共に堕ちた。 あの夜―――それが、二人の、罪の始まり。
end
(2006.6.7up) |