「セイシロー!おっきろ起きろおっきろ〜♪」 早朝、心地良い眠りを貪っていた僕を目覚めさせたのは、僕にまたがって飛びはねながら唄う彼女の調子っぱずれな歌声だった。 僕がこの屋敷に来てから、2年目のある朝のこと。
「…止めてくださいよ、ユーリ様」 僕は寝台にうつ伏せに寝たまま、不機嫌さを隠しもせずに言った。 「起きろよ。今日は馬術稽古の日だぞっ!」
はぁ…溜息が出る。まったく、僕が昨日寝たのは何時だと思ってんですか? ―――乳母から怖い話聞いちゃって眠れない。一緒にいて。 僕がそういって呼び出された時点で、かーなーり遅い時間だったんですがね。 大体眠れなくなるのはわかってるのに、何で怖い話なんか聞きたがるんでしょうね?この人は。 はぁ…また溜息が出た。 でも仕方がありませんね。起きるとしますか。
くるんと、仰向けに寝返りを打つ。 僕の上に乗っかっていたユーリ様の身体は、そのままの体勢ですとんと僕の横に落ちた。 「わかりました。朝食を頂いてから行きますので、先に厩に行っててください」 「あっ、あたいも食べたい!!」 朝食、と言う言葉に反応して、ユーリ様の目が輝く。全く… 「お屋敷で召し上がらなかったんですか?」 「食べたけど、お前が食べてるもん食べてみたい」 「単なるスープとパンですよ、僕らが頂くのは。まぁ、いいと思いますけど…」 「やったぁ!じゃ、行こうぜ!ほら、起きろよ〜」
ユーリ様は満面の笑みを浮かべて、そう言いながらぐいぐいと僕の手を引っ張る。 まったく、こと食事の事となると呆れるほど積極的だ。 僕は仕方なく上体を起こすと、掛けていたシーツを片手で剥ぎ取って立ち上がった。 あれ?……そうか、昨夜は疲れていたから、部屋に戻って服を脱いで、そのまま寝てしまったんだ。……と。 ゆるゆると起き抜けの頭でそこまで考え、僕は自分自身に向けていた視線をユーリ様の顔に移した。
ユーリ様の顔が、ぼんっと音を立てて赤くなる。
「お、お、お前〜!早く服着ろ〜〜〜〜!!」
*****
はぁ…。僕は大きな溜息をつきながら、ぷりぷりと怒った顔で前を歩くユーリ様の背を眺めた。 先程のユーリ様の絶叫。 あれでまた、僕達に対するこの邸の人間の目が訝しくなることだろう。 ただでさえ、僕達二人の関係を妙な風に勘繰る輩は多いのだ。 「僕にはその気は全く無いんですがねぇ…」 思わず嘆きの言葉が口をついて出た。 大体、どうやったらこの人が女に見えるんですか? 確かに顔立ちは綺麗だけどその言動と言ったら… いいとこ山猿じゃないですか。
食事をする小屋に入ると、中にいた2〜3人の奴隷達が、驚いたように僕達を見た。 「おばちゃ〜ん、あたいにもちょーだい!!」 満面の笑みを浮かべ、テーブルをどんどんと叩きながらねだるこの邸の「お嬢様」に、料理女は目を丸くしている。 「ま、まぁ。そんな、お邸で立派なお食事をお召し上がりになれるでしょうに…」 「僕達が食べているものを食べてみたいそうですよ。すみませんが、ユーリ様の分もお願いします」 僕がそう頼むと料理女はいそいそと奥に入って行き、二人分のスープを入れた椀を運んできた。 僕の椀はいつもの白無地だが、ユーリ様の椀には綺麗な花柄が描かれている。せめてもの…ということか。
「わ〜、うっまそー!いただきまーす」 ユーリ様は「幸せ」と言う言葉を表情で表すとこうなるのか、と思うような笑顔でスープを貪りだした。 「うっまーい!なぁセイシロウ、これ何のスープ?」 「羊の胃袋を煮込んだスープですよ。ユーリ様は食べたこと無いでしょうね」 大体、ユーリ様のような身分にある人は臓物の料理など食べない。 動物の臓物は召使達の食べ物だ。
「胃袋?でも、すごくうまいぞ、あたいこんなうまいスープ初めて食べた!」 ユーリ様のその言葉に、側で心配そうな顔をして見ていた料理女はとても嬉しそうに笑った。 「まぁ、まぁ、こんなものでよろしければ、いくらでも召し上がってくださいな。お嬢様」 「うん!有難うおばちゃん。おかわり〜!」 そんなユーリ様の様子に、小屋の中にいた他の者の表情も自然と穏やかになる。 僕は、こういう屈託の無いところがこの人のいいところだと、そう思った。
*****
「あ〜、食った食った!」 はちきれそうなお腹を抱えて、ユーリ様は満足げな様子だ。 「大丈夫ですか?そんな状態で馬に乗って、気持ち悪くなっても知りませんよ」 僕は、やや呆れ顔で呟く。 「大丈夫だって。おっはよ〜リゼルヴァ!」 厩に近づくと、ユーリ様は自分の馬の名を大声で呼びながら駆け出した。 嬉しそうに囲いから頭を覗かせる、栗毛のリゼルヴァの鼻面に頬擦りしている。 そんな彼女の様子に、いつも僕は微笑んでしまう。 かわいい人だな、と。
「おはよう、スクリオ」 僕の馬(と言っても、持ち主はユーリ様だが)に声を掛け、首筋を撫でてやる。 スクリオは黒褐色の毛をした3歳の牡馬。 身体つきはがっしりとして大きく、見るからに駿馬だ。 はじめてユーリ様にこの厩に連れてこられた日に、僕はこのスクリオを一目で気に入ってしまい、どうしても乗りたいと思った。 それでユーリ様の許しも得ずに僕はスクリオに近づき挨拶をした。 こんにちわ、美しい馬よ。お前に乗る事を許してくれるかい?と。 スクリオもどうやら僕を気に入ってくれたようで、すぐにその背に乗ることが出来た。 その時のユーリ様や、周りで見ていた馬丁たちの表情は忘れられない。 後から聞くとスクリオは、それまで誰もその背に乗せることはおろか、ろくに触らせることもしなかったらしい。 その事を聞いてから、僕は毎日時間が取れる限り、出来るだけスクリオの世話をすることにしている。 奴隷として儘ならない毎日を過ごさざるを得ない僕にとって、いつしかスクリオは心の支えになっていた。
馬場に馬を引いていき、スクリオに跨る。 「…どうしました?」 いつもなら自分もリゼルヴァに乗って、僕達に競争を仕掛けてくるユーリ様が、横に立って馬上の僕をじっと見ていた。 「なぁ、スクリオに乗るとどんな感じ?」 「どんな感じといわれても…何度か乗ったことあるんでしょう?」 僕が来る前に、ユーリ様は何度か無理やりスクリオに乗ってみた事があると聞いていた。 「すぐに振り落とされたもん」 そうだったのか。
「なぁ、お前がさ、スクリオに言い聞かせたらどうだ?あたいを乗せるようにって」 瞳をきらきらとさせながら、ユーリ様が僕にねだった。 この瞳に僕は弱い。 「ふむ。まぁ、やってみますか?」 「うん!」 少々不安だったのだが、僕はスクリオから降りると、馬の首に手を置いて言い聞かせた。 「スクリオ、ユーリ様を乗せるんだ。…おとなしくしてるんだぞ」 スクリオは静かにブルルと鼻を鳴らした。 「乗ってもいいか?」 ユーリ様がえい、やあっと声を掛けながらスクリオに乗った。 スクリオは身じろぎもしない。大丈夫そうだ。 「やった!乗れた〜!」 ユーリ様が両手を突き上げ、喜びのポーズをとる。 ユーリ様の踵が、馬の腹にぽんと軽く当たり…
やばい、僕が思った瞬間、スクリオの目に怒りが閃き、高くいなないて前足を振り上げた。 「ぎゃぁぁぁ〜!」 ユーリ様の軽い身体が宙を舞う。 「ユーリ様っ!」 とっさにユーリ様を受け止めようと、身体が動く。 どさ。何とか彼女を受け止めたものの、僕は彼女の体重を支えきれずに、そのまま地面に仰向けに倒れ込んだ。
「…ユーリ様…大丈夫ですか?」 地面に倒れたまま、そう尋ねる。ユーリ様は僕の上に大の字になって倒れ伏している。 「つつ…大丈夫…」 そう答えたものの、すぐには起き上がれないようだ。 僕は安堵の溜息を漏らした。ユーリ様の身に何かあったりしたら大変な事だ……
安堵して、ユーリ様ごと自分の身体を起こそうとした僕は、不意になんともいえない気分に襲われた。 僕の上にはユーリ様が乗っかっていて、僕の身体にユーリ様の身体がぴったりと併せられている。 まるっきり少年のような体型だと思っていたのに、その感触は明らかに男の身体とは違ってとても柔らかなもので。 胸なんかも全く無いと思っていたのに、僕の胸に当たっているのは紛れもなく…
……そうか、この人は女の子だったんだなぁ。 そんな当たり前の事をゆっくりと考えながら、僕はそっと彼女の背中に手を回そうとした。 が、
「スクリオ〜、てっめー!」 がば、とユーリ様が起き上がり、スクリオに向かって拳を振り上げて走っていった。 僕は手をついて上体を起こし、そちらを見やる。 スクリオは歯をむき出してうなり、ユーリ様を威嚇していた。 「くそ〜、お前!誰がお前を買ってやったと思ってんだ〜。恩知らず!」
「……」 小さく嘆息しながら僕は起き上がり、背中に付いた土や草を払う。 ユーリ様とスクリオは、まだやり合っている。 ユーリ様がスクリオに蹴りを入れる真似をし、スクリオがその足に噛み付こうと。 やれやれ。 「セイシロぉ〜!スクリオに何とか言え〜!」 ユーリ様が叫んでいる。 はいはい。僕は心に沸きあがってくる感情を、押さえつけて歩き出した。
その時はまだ、はっきりとした形にはなっていなかった感情。 それはやがて、僕を苦しめることになる小さな欲望。 でもその時の僕にとっては、とても柔らかで穏やかな想い。 これから先、何が起ころうと決して捨てられない。 そんな密やかな激情。
―――こうして、僕の恋は始まってしまった。
end
(2006.8.10 加筆修正)
本編を書き終えた後に、急に書きたくなって付け加えた「許されぬ恋の始まり」。
てか、このお話は悠←清←スクリオ。(笑)清四郎ったら、馬にも”オス”にもてるのね♪
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