お前ら二人の関係ってどうなんだ? よく聞かれる質問。 恋人同士。それは間違いない。お互いの思いは通じ合っている。
少し距離がある?そうかもしれない。 だけど、それが心地よい。 こんな関係があったって、いいんじゃないか?
『束縛しない、だけど君が好き。』 ―Side S
「おっかえり〜、せいしろっ!」 リビングのドアを開けると、ソファに座った悠理が満面の笑顔で迎えてくれた。 週末の夜、午後10時。
ぱたん、とテーブルの上に読んでいた雑誌が置かれる。 僕の方に向かって歩いて来る、顔一杯に笑顔を乗せたまま。 僕の首に廻される、すんなりとして長い腕。 キスを交わす。一度…二度。三度目は少し深く。 抱きしめる、まるで伸びゆく若木のようにしなやかなその身体を。
「久しぶりですね。この前会ったのは…3ヶ月前ですか?」 うっとりと僕を見上げる悠理の顔を覗き込み、そう囁きかけた。 「そんなになるかぁ?」 こくん、と首を傾げる仕草。 「なります。あんまり会えないと自分に恋人がいるってこと、忘れそうになりますよ」 うーん、と眉間に皺寄せて悠理が答える。 「だって、お前もいろいろと忙しそうだしさぁ。あ、雑誌見たぞ。三人で載ってた奴…」
僕達―――僕と魅録と美童は、聖プレジデント大学の2年の時にそれぞれケンブリッジ、M.I.T、ソルボンヌへと留学した。 4年後、留学を終えて日本に戻った僕達は3人で金を出し合い、会社を作った。 僕の経営能力、魅録の機械工学の技術、そして美童の世界規模の人脈を持つ社交性。 この三つを生かした企業経営は非常にうまくいき、会社は年々規模を拡大している。 雑誌の取材は引っ切り無しだ。
「ほら、ワインとつまみ持ってきたじょ。飲むだろ?」 テーブルの上にはロゼワイン。チーズや生ハム、凝った飾りつけのカナッペ。 おそらく剣菱邸のコックが用意してくれたのだろう。 僕は実家を出てマンション住まいだが、悠理は相変わらず実家に住み続けている。 最近は家業の手伝いにも身を入れだして、豊作さんと共に海外にも出かけているようだ。
「ええ、戴きますよ。でもその前に、シャワー浴びてきますね」 「うん」 風呂に向かう僕の背中に悠理の声が飛ぶ。 「先にやってるぞ〜!」
シャワーを浴びながら、僕の口元は綻んでいる。 (3ヶ月ぶりの逢瀬、か……) 全くあいつは猫みたいだ。 普段は好き勝手しておいて、甘えたいときだけ擦り寄ってくる。 もちろん、電話やメールは常に交わしているけれど。
「明日行く。時間ある?」 「ないけど作ります。僕の家で待っててくれ」 そんな短いメールのやり取りが、僕の心を躍らせる。
*****
悠理と交際しだしたのは大学2年の春のことだ。 その前から倶楽部内では魅録と可憐、美童と野梨子という、二組のカップルが出来上がっていた。 僕と悠理は…おたがいに意識しながらもなかなかそれを口に出せず、却って傷付け合ってしまう有様だった。 けれど仲間達の手助けもあり、ようやく思いが通じ合い、僕達はいわゆる恋人同士という関係になった。
初めて悠理をこの腕に抱いたとき、僕はひとつの決心をした。 決して彼女を束縛するようなことはすまい。彼女にはいつも自由でいさせてやろうと。 それはやがてイギリスへと留学することを決めていた僕の、悠理を一人にさせてしまう僕の、身勝手な罪滅ぼしの感情だったかもしれない。 だが僕は信じてもいる。悠理は自由に羽ばたいていてこそ、輝いていられるのだと。
―――それから僕達は、お互いのペースで共に生きている。
*****
シャワーを終え、パジャマに着替えてリビングに入った。 これから過ごす時間が嬉しくて、やや頬が上気しているのは僕らしくもないな。
悠理はひどく上機嫌で、テーブルのつまみは既に半分ほどが平らげられている。 「清四郎もワインでいい?」 「ええ、戴きますよ」 悠理の向かいの椅子に腰を下ろし、テーブルの上に肘をついて指を組み合わせ顎を乗せ、悠理を見つめる。 悠理は僕が帰る前に既にシャワーを浴びていたのだろう。 僕が着ているのと色違いの薄ピンクのパジャマ姿。 長袖をたくし上げて、グラスに桃色の液体を注ぐ。 僕のを、そして自分のも。
二人してワイングラスを目の前に掲げて笑み交わす。 「乾杯」 「ん、乾杯。先に飲んじゃっててゴメン」
ワイングラスの中のロゼワインの色が悠理の姿とシンクロする。 甘く、かぐわしいその姿。 ぐっと一息で飲み干してしまおう。
「おかわり」 「お前な〜、少しは味わえ!取って置きのを持ってきたんだぞ!」
口を尖らせながらも悠理は僕のグラスを満たす。 今度は叱られない様に、少しづつ口に含む。 口中に広がる芳醇な香り。ココロとカラダの渇きが満たされていく。
「この間さぁ、可憐ちに行ってさ……」 「せりなちゃん、大きくなってたでしょう?僕もこの間久しぶりに会いましたよ」 「野梨子がお前が全然実家に帰らないんで、おばちゃんが寂しがってるって言ってたぞ」 「ここのところ特に忙しくてね。来月は一度顔出しますよ」
取りとめのない会話。 可憐は3年前、留学から戻った魅録といわゆる…出来ちゃった婚をした。 今は2歳半になる可愛い女の子を育てながら、家業を手伝っている。 美童と野梨子は婚約中だ。 仕事で海外を飛び回る美童と、白鹿流の次期家元として修行中の野梨子。 なかなか会えない時も多いようだが、二人は着実に愛を育んでいる。
二人して杯を重ねる。 軽く酔いが回ってきた。心地のよい感覚。 普段、仕事に追われる日々を重ねる僕には貴重なこの時間。
悠理が僕の傍にいる。 今夜は彼女を抱いて眠ることが出来る。 明日は休みだ。予定は空けてある。 ゆっくりと朝寝をして……それからどこかに行こうか? 一日家でゆっくり過ごすのも悪くないな。
カチャン…皿同士が触れ合う音が、僕の意識を覚醒させる。 空になった皿を悠理がキッチンへと運んでいる。 学生時代には考えられなかったことだが、最近では自分で皿洗いもこなす。 僕も立ち上がり、空になったグラスをシンクに運んだ。 スポンジを手に取り、皿を洗い出した悠理を後ろから軽く抱きしめる。
「なんだよ、洗えないぞ」 「…続けてください。僕のことはお構いなく」 「だからぁ、お前の手が邪魔で洗えないってば」 「これならいいですか?」 腕を少しずらして悠理の腰を抱く。 「……いいけど」 膨れっ面をしながらも悠理は皿洗いを続けた。
「今日はどうします?」 「なにを?」 「場所。スタンダードにベッドがいいですか?それとも…」 「ばっ…」
怒って振り返った悠理の唇を奪う。 ゆっくりと、柔らかな感触を楽しむ。 悠理がくたり、と、僕に身体を預けてきた。 僕を仰ぎ見る、その瞳が潤んでいる。
「……スタンダードでいい」 「…わかりました」
手を伸ばして水を止め、悠理を抱き上げる。 僕の首に廻される悠理の腕に何度も口付けながら、寝室へ。
たまにしか、逢う事はない。 普段はお互いのペースで、それぞれの道を歩いている。 だけど、思い合う心は紛れもない。 僕には悠理だけ。悠理にも、僕だけ。 いつかお互いの道がごく自然に寄り添うのかもしれない。 その時までは、ずっとこのままで。
―――束縛はしない。だけどお前のことを誰よりも愛している。
end
(2005.9.4 加筆修正)
Side Y
novel
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