『こんなにも長い君の不在』
朝目覚めると、まず枕元のノートパソコンを開いてメールをチェックする。 そんなことがすっかり習慣になってしまった。 彼女からのメールがあれば、その日一日は順調に過ごせる。 もし、なければ……僕の周りの人間には誠に「お気の毒」と言うしかない一日になる。 我ながら、こんなことで一喜一憂するなど馬鹿げた事だとは思うのだが。
今朝は……メールは来ていない。 もうこれで3日になる。 あいつはいったい何をやっているんだ。 僕のことを忘れでもしたのか?
「だ〜、うっとうしい!そんなに気になるんなら自分からメールでも何でもすればいいじゃん」 美童が自慢の金髪を掻き毟りながら言うのが目に見えるようだ。 「仮にも企業のトップにそんな顔されてると、仕事がやりづらいんだがな。清四郎さんよ」 続いて咥え煙草で仏頂面をして見せる魅録の姿が浮かんだ。 ハイハイ、わかってますよ。 それで次にこう言うんだろ?お前らは。
「「いい加減、結婚しちまえばいいじゃん」」
結婚……か。 そういうことは、僕の一存で決められることではないし、時期というものもあるだろう。 第一、僕は彼女を「束縛しない」と決めているわけなのに、「結婚」という言葉を持ち出すのは、それに反してはいないだろうか?
……とはいえ、最近この状況を「寂しい」と思わないでもない、矛盾した僕もいる。
とりあえずベッドの上に起き上がり、彼女にメールを打つ。
『おはよう。 僕は今起きたところ。東京は今日もいい天気ですよ。 悠理、3日もメールをくれないで何をしているんです? 忙しいのはいいが、身体に気をつけてくださいよ―――』
後に続く思いは、指からキーボードには伝わらない。
*****
テーブルの上に、朝の光が踊っている。 トーストを焼き、コーヒーをドリップしている間に軽くシャワーを浴びる。 ワイシャツとスラックス姿でテーブルに座り、新聞を読みながら朝食をとる。 いつもどおり、一人きりの朝の風景だ。
トーストを一口かじった時、携帯がメールの着信を告げた。 新聞を置き、脇に置いてあった携帯を取り上げる。思ったとおり、悠理からのメールだ。 トーストを噛み砕きながら、文面を目で追う。
『おはよ。って言ってもこっちは夜。月がキレーだぞ。 ゴメン、仕事でトラブッててメールできなかった。あたしは元気。 お前こそ、夜遅くまでコン詰めて仕事してんじゃないの?風邪ひくなよ。 えっと…愛してる』
最後の言葉に、僕は破顔する。 悠理は、「好きだ」とか「愛してる」という言葉を滅多に言ってはくれない。 付き合いだして何年にもなるが、口に出して言ってくれたのはほんの数回。メールでも、同じだ。 おそらくは、この3日間連絡をしなかったことへの侘びのつもりだろうが、素直に嬉しい。 だから僕は、彼女へ一文だけのメールを返した。
『僕も、愛しています』
*****
「清四郎、そろそろ取材の時間」 社長室のドアを開けて、美童と魅録が入ってきた。 美童はいつもは後ろでまとめている自慢の金髪を、今日はまとめずに垂らしている。取材仕様である。 「はい、行きますか」 僕は二人と共に部屋を出、応接室へと向かった。
美童のセンスで、重厚な北欧製のソファとテーブルが置かれた応接室には、既に雑誌の編集者とカメラマンが待っていた。 今日は25歳以上の女性をターゲットにした、ファッションとライフスタイルの雑誌の取材だと聞いている。 普段は、こういった取材は広報担当の美童に任せているのだが、今回は是非三人にお話を伺いたいと申し入れがあったのだそうだ。 女性編集者とカメラマンに一通りの挨拶を終え、まずは3人並んでの写真撮影だ。 僕を挟んで両脇に魅録と美童が立ち、それぞれ「営業用」の顔でカメラに向かった。 何枚か写真をとられた後、ソファに腰掛けると取材が始まった。
取材は、お決まりのように僕たちの経歴、会社の業務内容やこれからの展望といったものを中心に進められていく。 僕と魅録、美童は4年前、それぞれケンブリッジ、M・I・T、ソルボンヌでの留学を終えて、一緒にIT関連のこの会社を作った。 僕が経営、魅録が技術開発、そして美童が広報や営業を担当と、それぞれの得意分野を生かしての会社運営は非常にうまくいき、会社は年々規模を大きくしていっている。
20代後半と見られる女性編集者は、次に僕たちの趣味やプライベートでの過ごし方を質問してきた。 女性誌の取材なのだから、おそらくはこちらが本題なのであろう。 美童は相変わらずの、思わず微笑み返したくなるような笑顔で答え、魅録は少々照れながら、バイクやメカいじりといったことを話し、僕は得意のポーカーフェイスで相手の鋭い突込みを交わし続けた。
「では、最後に…」 女性編集者が、申し訳なさそうな笑顔を浮かべつつ、おそらく最も聞きたかったのであろうことを口にした。 「松竹梅さんはご結婚なさっていて、お子さんがいらっしゃるんですよね?」 「ええ、3歳になる娘がいます」 魅録は、4年前に可憐と出来ちゃった結婚をし、せりなちゃんというかわいい女の子がいる。 「奥様は、高校時代からのご友人だったそうですが…」 「ええ。一緒に生徒会役員をやっていた仲間です」 魅録は苦笑しつつも、真面目に答えた。
「グランマニエさんは、白鹿流の次期家元とご婚約なさっているそうですが」 「よく調べてるんですね。そうですよ」 美童と野梨子は婚約中だ。 お互い忙しい身ゆえ、なかなか一緒には過ごせないらしいが、美童は昔日のプレイボーイ振りはどこへやら、野梨子に対し誠実な愛を捧げ続けている。 「その方も、高校時代のご友人だったとか」 「ええ。そうです」 美童も、苦笑しつつ答えた。
「それで、菊正宗さんは…」 「僕は独身ですし、婚約者もいませんよ」 きっぱりと答えたのは、このインタビューに飽きてきていたからだ。 「お噂では、剣菱財閥の会長令嬢とお付き合いされているということですが…」
僕は、胸の前で組んでいた手をはずし、片眉を上げた。 僕と悠理のことは、経済界の一部では噂になっているようだが、そこまで調べているのか。
「ええ、まぁ…」 プライベートなことだ。答えることはない。 だが僕の口は、頭で考えるのとは全く違う答えを吐き出していた。
「彼女とは、真剣にお付き合いをさせてもらっています。近いうちに結婚も、と考えていますよ」
「ああ、驚いた。どうしちゃったんだよ、清四郎」 「全くだ。いつもなら、適当にかわすくせによ」
取材を終え社長室に戻ると、ソファにどかっと腰を下ろしながら美童と魅録が口々に僕に問いかけた。 どうしちゃったのかは、僕が自分に聞きたい。
「さぁ…何となく、口から出てしまったんですよ」 「悠理とそういう話をしたって訳じゃないんだ?今日は朝から機嫌がいいから、悠理から連絡があったんじゃないの?」
美童の鋭い突っ込みに、僕は思わず笑った。
「そんなに、わかりやすい顔してますかね?」 「悠理のこととなると、ポーカーフェイスが崩れるんだよ。学生時代から、ずっとそう」
ムッとした僕の横で、魅録がくっくっと笑う。
「形無しだな、清四郎さんよ」 「…もう、なんとでも言ってください」 「で、プロポーズしたの?」
僕は机の上に肘を突き、その手に顎を乗せて考えた。 ゆっくりと、自分の心の中を確かめるように言葉を繋ぐ。
「……結婚するのなら、相手は悠理以外にいないとは思っています。でも、今がその時期なのかどうか、わからないんですよ」
「…結婚なんて、勢いだぜ」 魅録が煙草に火をつけながら、ぼそり、と言った。 すかさず美童が、茶々を入れる。 「出来ちゃった婚した奴に、言われたくないね」 「それも含めての、勢いなんだよっ!」 「ほぉ。可憐に「出来ちゃったかも」と言われて、ひどく動揺していたのは誰でしたかね?あの時のメールを公開しましょうか?」 「おまっ!まだ保存してあんのかよ、消してくれよ!」
魅録の狼狽ぶりにひとしきり笑った後、美童がさらりと口にした。 「…そうだ、6月のはじめあたり、2週間ほど休みとっていいかな?」 「…仕事の方の都合が付くなら、構いませんけど。バカンスですか?」
尋ねながら、はっと気が付く。
「…いよいよ式を挙げるんですか?」
「うん。その頃なら、野梨子もまとまった休みが取れるっていうしさ。式の後、ハネムーンにも行きたいしね」
美童が、幸せそうに輝かんばかりの笑顔で答えた。
「お前もとうとう年貢の納め時かよ。式はどうするんだ?」 「野梨子の家の方に合わせるよ。僕はあんまりこだわりないから」 「野梨子は白無垢が似合うでしょうね」 「そうだな。やっぱ野梨子は白無垢だな。名字はどうするんだ?お前が白鹿を名乗るのか?」 「国際結婚の場合は、特別に手続きをしない限り名字はそのままだよ。だから、野梨子は白鹿のまま」 「婿入りしなくても家名を残せるんですから、いいですよね」 「よっしゃ、今晩はお祝いだ。とことん飲もうぜ!仕事の後、いつもの店な!」 「よしてよ〜、僕は明日も雑誌のインタビューが入ってんだからさ!」
照れ隠しにか、情けない声を出してみせる美童を魅録が小突き、その肩を抱く。
僕も我が事のように友の幸せを喜びながらも、ふと、寂しさを覚えた。
それは、僕一人が取り残されるような感覚。 学生時代から共に多くの時を過ごし、大人になった今も、そしてこれからもずっと付き合っていくだろう友人達が、それぞれの「家庭」を持つ。 自分一人が、そこから浮き出してしまったような…
今まで特に意識もしなかった、考えることを避けてさえいた事が、僕の胸の中で動き出していた。
*****
仕事を終え、3人で祝い酒を酌み交わした後、自宅に戻る。 暗い部屋に明かりをつけ、ソファに沈み込んだ。
―――ひとりっきりの、夜。 慣れているはずなのに、寂しさを感じる今日。 目を閉じて、この部屋に悠理がいる時を思い出してみる。 後ろに回した僕の腕にもたれ、甘えて擦り寄ってくる彼女を。
こんなにも長い、彼女の不在。 愛していても、束縛はしない――その言葉で、僕は自分の心を縛り付けていた。 自由に飛び回る彼女が好きなのは、事実。 けれど、この腕の中から飛び立つことを許せないのも、事実。
離れている時間が長くても、共に生きて生きたい。 病める時も健やかな時も、ずっと共に。お前と―――
♪〜 聞き慣れた携帯のメロディに、僕ははっと目を開けた。 急いで携帯を掴む。確認するまでもない、悠理からの電話。
「もしもし」 『あ、清四郎?あたし……』
弾むような声が、電話の向こうで聞こえた。
『仕事が一段落付いたんだ。明後日には日本に帰れそう。時間、取れる?』 「もちろん。何時にこっちに着くんですか?どこかレストランを予約しておきますよ。一緒に食事しましょう」 『ほんと〜、やった!昼の3時にはそっちに着くと思う』
胸の中に、温もりが生まれる。 悠理にしか作り出せない、心の温もり。 僕はもう、決心していた。彼女に告げたい、ずっと胸の奥に仕舞い込んでいた、僕の望みを。
「悠理」 『清四郎、あのさ…』
同時に、相手の名を呼んだ。 互いに苦笑して、尋ねる。
「何ですか?」 『そっちこそ、何?』 「悠理からどうぞ」 『清四郎から、言えよ』
僕は少し考え、心を決める。 やはり、その言葉は直接悠理に会って言いたい。 だから―――
「悠理、早くお前に会いたい。会って抱きしめたい」 『ん、あたしも。お前に触りたい』 「…愛してる」 『あ、あたしも…』
おそらくは真っ赤であろう、電話の向こうの顔を思い浮かべながら、僕は今日一日に感じたことの全てを思い返していた。
明日、可憐の店に行って指輪を買おう。 とっておきのレストランを、予約しよう。 何気ないお前の温もりが、何よりも大切だと今、思えるから。
束縛はしない。けれどお前と共に、人生を歩んで行きたい。
悠理、僕はこの先も一生、君と共に在りたい―――
.......to be continued.
(2006.1.5)
novel
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