My First
Sweet...
新緑が萌え始める季節。 ここ、聖プレジデント学園中等部の校庭でも、日に日に木々の緑が鮮やかさを増していた。 そんな、ある放課後のことだ。
「けん…いや、悠理!」 清四郎が、前を走っていく悠理を呼び止めた。
「何?き…じゃない。え、と、清四郎」 足を止め、顔だけを清四郎に向けて、悠理が尋ねた。 最近仲良くなったばかりの二人には、互いの名を呼び合うにも、まだ一瞬の戸惑いがあった。
「今度の球技大会の応援に使う小道具を、買いに行かないといけないんだ。明日、2時に駅前広場で待ち合わせ。いいね?」 「へ?何であたいが…野梨子と行けばいいじゃん」 悠理は困惑したような表情で、清四郎の隣に立つ清楚な少女を指差した。 「あら、これは学級委員の仕事ですわよ。私は関係ありませんわ」 「そういうこと。じゃ、明日。遅れないでね」
問答無用、といった感じで話を終わらせると、清四郎は幼馴染を促して歩き出した。 後に残された悠理が、不満そうに口をへの字にしているのを視界の端に認めて、清四郎はくすくすと笑った。 そんな彼の様子を、隣を歩く野梨子がじっと見詰めていた。
「楽しそうですわね、清四郎」 「そう?」 「よかったですわね、悠理をデートに誘う口実があって」 お得意のポーカーフェイスでしれっと答える清四郎に、野梨子はにっこりと微笑みながら、核心を突いた。
「何言ってるんだ?学級委員としての勤めを果たそうとしているだけですよ。何なら、野梨子も一緒に行くかい?」 「まぁ、ごめんこうむりますわ。後で恨まれるのは嫌ですもの」
口に手を当てて、ほほ、と笑う野梨子に、清四郎は憮然とした表情を作ったが、自宅前で彼女と別れ、後ろ手にドアを閉めたとたん、押さえ切れない笑みが浮かんだ。
「ただいまっ!」 勢いよく奥に声をかけると、自室へと階段を駆け上がった。 「清四郎ちゃん?おかえりなさい…」 いつにない息子の様子に目を丸くした母が、奥の部屋から顔を覗かせた。
*****
「遅い!」
次の日、指定された待ち合わせ場所で、悠理は何度も時計を眺めていた。 「遅れるな」と言うから、時間かっきりに来たというのに、当の清四郎が一向に現れないのだ。 土曜の駅前広場には、同じように待ち合わせをしている人々がたくさんいた。 ため息をつき、時計を眺めては周囲に視線を彷徨わせる悠理をよそに、一人、また一人と待ち合わせの相手が現れ、楽しそうに立ち去っていく。 今も、悠理の隣で同じように何度も時計を眺めていた女性が、待ち合わせ相手を見つけて、嬉しそうに手を振りながら駆け出して行った。
「早く来いよ…」 待ち合わせの時間から、もう30分も過ぎている。 時間には正確そうな奴なのに、まさか、何かあったんじゃ…と、悠理が不安になり始めた時、 「悠理っ!」 どこからか彼女を呼ぶ声が聞こえ、人波を掻き分けて、待ち人が姿を現した。
「…ごめ…ん……出掛けに、急に親父から電話が入って…学会に行くのに、大事な資料を忘れたから、届けてくれって言われて…僕しかいなかったから……それで、タクシーを飛ばしてきたんだけど、道が込んでて…」 相当長い距離を走ってきたのだろう。腰を折って膝に手をつき、肩で息をしながら、切れ切れに遅れた理由を話した。 「…待たせて、ごめん」 顔を上げて悠理を見つめ、謝罪する清四郎の姿を、悠理は物も言わずまじまじと見つめた。
黒く艶やかな髪が乱れて落ちかかる額に、汗が浮かんでいる。 自分をまっすぐに見つめる黒い瞳が濡れたように輝き、色白な頬は上気し、荒い息を吐く唇も赤く染まっていた。 濃いブルーのシャツのボタンは2つ目まで外され、そこから覗く胸元も汗で濡れている。
こんな彼を見たのは初めてだった。
普段の優等生然とした、きっちりと制服を着こなした姿しか知らなかったから、見知らぬ人を見るようで、悠理の胸がドキドキと高鳴り始めた。
「ごめん、悠理」 まっすぐに目を合わせ、もう一度清四郎は謝った。 「いいから、早く行こうぜ」 ぶっきらぼうに答えると、ふい、と顔を背け、悠理はすたすたと歩き出した。 後ろで清四郎が、一度目を見開いた後、ひどく悲しそうな顔をしたことにも気付かない。 仕方なく、清四郎は悠理の後を追って歩き出した。
「やっぱり、メガホンは必須アイテムだよね」 「ああ」 「チームカラーが緑だから、緑色のポンポン作ろうか?」 「いいんじゃない?」
様々な商品が並ぶ、バラエティショップの片隅で、清四郎はあれこれと応援グッズを手にとっては悠理に話しかけていた。 しかし、悠理は聞かれたことには答えるものの、積極的に話すでもなく、清四郎の顔を見ることもなく、笑顔さえも見せてはくれなかった。 清四郎は仕方なく小さく溜息を吐きながら支払いを済ませ、店の入り口で待っている悠理のところへ向かった。
「お待たせ」 「ん…」
ふいっときびすを返して、悠理は前を歩いていく。 黒のキャップ、カーキ色のボレロ、黒いTシャツにカーゴパンツ。まるで、少年のような姿の悠理。 本当は、この後はどこかにお茶でも誘おうと思っていたのに、話のきっかけがつかめない。 まるで、話しかけられることを拒否しているような、悠理の背中に、清四郎は、思わず大きな溜息を吐いた。
「疲れたのか?」 急に、悠理が振り返って言った。 「…え?」 「さっきから、はぁはぁ言ってる。ちょっと座ろーか?」
言うなり、悠理はビルの入り口の段々に、どさっと座り込んだ。 清四郎は彼女の前に立ち、ほんの少し躊躇した。 こんなところに直に座り込むなんて、清四郎には経験のないことだ。通りを歩く人の視線も気になる。けれど、悠理が自分を気遣ってくれたのはよくわかった。 悠理は立てた膝の上に両手を置き、歩道を行き交う人をぼんやりと見ている。 その目が、チラッと清四郎を見上げた時、清四郎はぎゅっと唇を引き結び、悠理の隣に腰を下ろした。
隣に座っても、悠理は清四郎を見ない。近いのに、遠い距離を感じた。 出会ってから、11年。やっと、友達になれたと思っていたのに。 近づきたいのに、容易には近づかせてくれない悠理。
話のきっかけを探して、清四郎は横に置いた紙袋を引き寄せて、ごそごそと中を探った。 さっきの店で、レジ前に並べられていた、可愛い壜に入ったキャンディを取り出す。 「食べる?」 ひとつ取って、悠理に差し出す。ふい、と逸らされる顔。「いらない」という、拒絶。
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