「奇跡」

 

 

 

偶然が重なり合い、起ることを奇跡と呼ぶのなら、今、目に映る光景は、まさしく、奇跡。

 

 

 

黄色く色づき始めたイチョウの木。

清四郎の大学からの帰り道に並ぶその木は、この季節には特に彼の目を楽しませてくれる。

風がそよぐたびに、はらり、はらりと、小さな扇を思わせる木の葉が落ちてくる。

何冊かの本を小脇に抱えて歩きながら、清四郎はイチョウの葉の舞を楽しんでいた。

 

週末であるためか、並木道には秋の光景を楽しむ二人連れが多くいる。

睦まじく、舞い落ちる木の葉を追う恋人達をほほえましく思いながら、清四郎は家路を急いでいた。

彼の頭の中は、今日家に帰って仕上げることになっている、研究のレポートのことで占められていた。

 

―――並木の先に、ほっそりとした友人の姿を認めるまでは。

 

 

 

「悠理?」

 

清四郎は、呼び慣れた名を呼んだ。

あちこちに飛び跳ねた髪と、凹凸の少ない少年のような体躯を持つ彼女は、その声に振り向くと満面の笑みを浮かべ、跳ねるように駆けて来た。

 

「久しぶりだな、清四郎!」

「こんなとこで、何してるんですか?まさか、僕に会いに来てくれたとか?」

冗談めかしていうと、悠理は笑いながら首を振った。

「そんなんじゃないよ。母ちゃんのお供でこっち来たんだけどさ〜。退屈だったから、抜け出して散歩してたんだ」

 

言われてみれば、確かに彼女はシフォンのシャツに、光沢のあるシルクサテンのベストとスラックスという、ドレッシーな格好である。

「パーティだったんですか…」

清四郎が頷くと同時に、悠理がくしゃんと、大きなくしゃみをした。

夕暮れ時、陽の光が翳り始めた中で、彼女の薄いシャツはいかにも寒そうだ。

 

清四郎は、迷わず彼女を近くの自分の部屋に誘った。

何か羽織るものを貸してやりたくとも、清四郎自身長袖のシャツ一枚きりの姿だった。

一人暮らしの男の部屋に、女性を呼ぶことの意味を考えないではなかったが、彼女とは長い付き合いの友人同士である。

悠理も屈託なく申し出に頷き、二人は清四郎の部屋へと足を速めた。

 

 

*****

 

 

「ほら、とりあえずこれでも着ててください」

 

この部屋にたどり着くまでに何度もくしゃみを繰り返していた悠理に、手近にあったトレーナーを頭から被せると、清四郎は「コーヒーでも入れましょう」と、キッチンに向かった。

  

1LDKの瀟洒なマンション。一人暮らしには広すぎるリビング。

そこに置かれたソファの前にちんまりと座り込み、悠理はすぽんとトレーナーから頭を出した。

続いてゆっくり右手、左手と袖を通す。腕をぐっと伸ばしても、袖口から悠理の手の先も出ない。

着痩せして見えても、実際は逞しい体つきの清四郎の服は、女にしては背の高い悠理にとっても、かなり大きい。

余った袖をぶらぶらと振りながら、悠理はキッチンに立つ清四郎の後姿を眺めた。

 

ほんの半年ほど前までは、いつも一緒にいた男。

 

高校を卒業すると、そのまま聖プレジデント大学に進んだ悠理たちとは別に、清四郎はひとり医大に進んだ。

そして通学のために住み慣れた街を離れ、この部屋を借りて一人暮らしを始めた。

 

初めの内こそ、悠理は仲間達とともに毎週のようにこの部屋を訪れた。

けれど大学での生活に慣れ、それぞれが忙しさを増すうちに、だんだんと足が遠のき、

この前に訪れたのはいつかと、記憶を辿らなければならないほど間遠になっていた。

清四郎がいないことに、悠理が慣れる事はいつまで経ってもなかったが、メンバーのうちでも、さほど「仲が良い」とはいえない関係だっただけに、誘われてもいないのに自分からここに来ることも出来ずにいたのだ。

  

やかんがしゅんしゅんと音を立てだし、清四郎がコーヒードリッパーに湯を注いでいる。

悠理はソファにもたれ、立てた膝の上に腕を組んで、顎を乗せた。

鼻先にあたるトレーナーから、懐かしい匂いがした。

美童のオーデコロンの匂いとも、魅録の煙草の匂いとも違う。清四郎の、匂い。

大きく息をして、その匂いを胸いっぱいに吸い込むと、心が安らぎ、幸せな気持ちになった。

 

―――会いたかったんだ、清四郎に。ずっと。

広い肩の線を眺めながら、悠理は素直にそう思った。

母のパーティの付き添いを命じられたとき、それが清四郎の大学の近くだというだけで、そわそわと落ち着かない気持ちになった。

何の脈絡もなく、「清四郎に会える」と思った。

 

パーティ会場に着くなり、悠理は招待客の中に清四郎の姿を探した。

けれどいくら探してもその姿を見つけることが出来ず、落胆してパーティ会場を後にしたものの、諦めて真っ直ぐ帰る気にもなれずに、辺りをさまよっていたのだ。

それが、本当に偶然に清四郎に会うことが出来た。そして今ここにふたり、一緒にいるということが、悠理の心を暖かくしてくれていた。

清四郎の、大きなトレーナーと共に。

 

 

 

「悠理?寝ないで下さいよ」

 

ソファの前で膝に顔を埋めている悠理を見て、清四郎はそう声をかけた。

自分のトレーナーに包まっている悠理は、いつもと違ってひどく小さく見える。

「抱きしめたい」と思う心を、無理矢理抑え込み、清四郎はコーヒーを運ぶべくカップをトレイに乗せた。

 

清四郎が皆と同じ聖プレジデントの大学部に進まず、一人家を出て医大に入ったのは、不毛な恋を諦めるためだった。

 

出合った瞬間に、彼に強烈な印象を与えた少女。

長い反発の時間を越えて、かけがえのない仲間のひとりとなった彼女に、清四郎はずっと片恋し続けてきた。

 

最初は、側にいられるだけでいい、その笑顔が見られるだけでいいという穏やかな感情が、男として成熟していくうちに、狂おしいほどに激しい恋情へと変わっていった。

抱きしめたい、自分のものにしたいと思っても、出会ったときのままに、無垢で性別すら超越しているかのような悠理に、その思いをぶつけることも出来ず、清四郎は苦しんだ。

彼女から離れれば、会えなくなれば、忘れられるかもしれない。諦められるかもしれない。

そう思った末の、決断だった。

 

 

 ―――けどそれも、無駄なことだった。

 

トレイをソファの前のテーブルに置き、丸まっている悠理を眺めながら、清四郎はそう思った。

どんなに離れようと、会えなくなろうと、悠理を諦めることなど出来なかった。

もはや自分の一部になってしまっているかのようなこの恋を、忘れることなど不可能だった。

さっき、イチョウの木の下に立つ悠理の姿を見ただけで、心が騒ぎ、浮き立った。

まるで、口をきくことすらできなかった、少年の日と同じように。

 

忘れられないのなら、一生この思いを抱えていこう。悠理の側で。

 

コーヒーを入れながら、清四郎はそう心を固めていた。

 

 

 「悠理?本当に寝てしまったんですか?」

騒ぐ心を抑え、ふわふわとした髪に手を伸ばして触れた。

くしゃ、とかき回す。高校時代、悠理に触れたくて、いつもそうしていたように。

 

 「……」

優しい手の感触に、悠理も高校時代を思い出した。

何かあるといつもそうやって、悠理の髪を撫でてくれた清四郎。

温かくて大きな手のひらに、まるで猫のように懐きたくなったものだった。

そう、あの頃からずっと、清四郎の手は悠理にとって特別だった。

 

ゆっくりと顔を上げて、悠理は清四郎を見つめた。

眼の前にいるのは、会いたくてたまらなかったひと。

上気した頬で、じっと見つめ返してくる彼女に、清四郎はたじろいだ。

その瞳の中に、求め続けていた感情の芽生えを感じて。

 

 

奇跡でも起らない限り、彼女が自分に恋してくれることなどないと思っていた。

 

自分が男に恋をしたら、それは奇跡だと思っていた。

 

今―――

清四郎の目の前で、悠理が鮮やかに、恋を知ろうとしている。

 

 

数限りない偶然が、重なり響き合い、今のふたりを形作っている。

同じ時代に生まれ、同じ土地で成長し、同じ学舎に通い。

印象的に出会い、反発の時を超えて、いつしか仲間となった。

そして、引き合う心が今、ひとつに重なり合おうとしている。

 

 

それは今、ふたりが起こす、奇跡。

 

ふたりだけに起る、奇跡。

 

 

 

end

 (2007.10.5 加筆修正再up)

 


 「ふたりのにちじょー」閉鎖の際に、ナオさんに捧げたSSです。

しまい込んでいたのですが、元ネタであるCOLORの「奇跡」を聞いていたら、ちょうど似合いの季節になってきたなぁと思い出して、加筆してアップしました。

「ふたにち」が閉鎖してから、もう一年も経つんだなぁ。(: _ ;)

今もずっと、ナオさんのサイトに巡り会えた奇跡に感謝しています。ラブ♪

 

 

 

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Material By canary さま