やさしい気持ち

                    

 

日差しがきつい。6月も半ばの晴天の日。
気温も太陽の光も、すっかり夏のようだ。
「晴れて良かった♪」
悠理は歌うように呟く。上機嫌で軽やかに歩いていきながら。


パウダーブルーの、タイトなノースリーブのミニワンピース。
さすがにそれだけじゃ恥ずかしいから、細身の白いコットンパンツを下に合わせた。
白いつば広の帽子。
首元と腕にジャラジャラつけたネックレスやブレスで、自分らしさを出したつもり。
それでも普段の悠理の服装に比べれば、格段に女っぽい格好だ。


―――だって今日は、清四郎との始めてのデートだ。
一緒にゆっくりウインドウショッピングでもして、ちょっと小洒落たトコで食事をするつもり。
待ち合わせ場所へと向かう階段をとんとんと上がりながら、悠理は腕時計をちらっと見た。
待ち合わせ時間の五分前。ちょうどいい時間だ。
今日だけは遅刻したくなかった。
今日だけは、清四郎を不機嫌にさせたくない。
だって、初めてのデートなんだから。
階段の最後の3段を駆け登る。いた―――清四郎!




                  *****




悠理と清四郎が付き合いだして、2週間になる。
まさか、いつもいつも悠理をからかっていじめてばかりの嫌味大王が、自分のことを好きだなんて……
悠理は全く思ってもみなかったのだけど。
でもある日突然、気付いてしまったのだ。
何も言わずに、自分を真っ直ぐに見詰めている時の清四郎の瞳の熱さを。
そして、その熱の意味を悠理は本能的に悟ってしまった。
それと同時に、どうして自分がイジワルされても嫌味を言われても、清四郎の傍にいたいのか?
その理由にも気付いてしまった。



それは恋だって。



不思議なことに、恋というものは一度自覚してしまうと加速がつくものらしい。
今までは単なる悪友として傍にいることに、何の不満も抱いたことなどなかったのに。
「好きだ」と思うと、それだけでは我慢が出来なくなった。
もっと近くにいたい。清四郎に触れたい。好きだって言って欲しい。
どうしたらいいのか?一生懸命考えてみたのだけれど、あまり良くない悠理の頭はちっとも答えを見つけられなくて。
焦って馬鹿なことをして、清四郎をすごく怒らせてしまった。
だけど、謝る為に清四郎に会いに行った悠理に、清四郎は言ってくれたのだ。


「僕はお前が好きなんです」って。




                    *****




待ち合わせ場所の公園のベンチに座って、清四郎は文庫本を広げていた。
レモンイエローのボタンダウンのシャツに、ベージュのスラックス。
シャツのボタンは一番上をひとつ開けてある。いつもよりは少し砕けた格好。
目は文字の羅列を追ってはいるものの、書かれている内容は何一つ頭に入って来ない。
小さく溜息をついて、腕の時計を見る。待ち合わせ時間の5分前。
悠理が時間通りに来る筈なんて無いから、まだもうしばらくは待つことになりそうだ。
もう一度文庫本に視線を戻そうと思ったが、大きく溜息をついてそれを止めた。
いくら活字を眺めたところで、内容なんて頭に入りはしない。

 

―――だって今日は悠理と初めてのデートだ。



 

不思議なことだが…と、清四郎は考えた。
最近僕は、以前と変わったような気がする。
それまで他人に対して、どこか一線を置いて冷めた眼差しで見ていることが多かった。
悠理に対してはうまく思いを伝えられないもどかしさに、却ってひどい言葉をぶつけてしまうばかりで。
だけど彼女と想いが通じ合った瞬間から、自分の気持ちのままに悠理に接することが出来るようになっていった。


悠理を見ていると、なんと言うのか…とても幸せで。
心の奥から、温かいやさしい気持ちが湧き上がってくるのを感じる。
大切にしたい。優しくしたい。
泣かせたり、傷付けたりしたくない。


そんな理由で、付き合いだして2週間になると言うのに、悲しいかな、キスどころかまだ手も繋げないでいる。
この菊正宗清四郎ともあろうものが、悠理に対してはまったく不器用なものだ。
でも今、僕はそんな自分が嫌いじゃない。

焦ることなんかない。
僕らはまだ始まったばかりなんだから。



もう一度時計を見る。
さっきから1分も経っていない。
我ながら呆れて苦笑し、何気なく駅から続く階段の方を見やる。
と、こちらに駆けてくる華奢な姿。―――悠理!




                      *****




「ゴメン、待った?」
「いいえ。僕も今来たとこですよ。」
恋人同士、お定まりの会話。
お互い見つめあう瞳はどこまでも優しく、とろけるような笑顔を交わす。
「ずいぶん、お洒落して来てくれたんですね」
悠理の日頃は見られない女の子っぽい服装に、清四郎は嬉しげに眼を細めた。
「へへ…だって、初めてのデートだもんなっ!」
にかっと悠理はいつもの太陽のような笑みを見せ、清四郎も笑い返す。
もう少しお互いに見詰め合っていたいけれど……


「さて、と。…行きますか?」
「うん…」
気持ちに弾みをつけるように声を掛け、二人は並んで歩き出す。

 

まだ2週間。二人がこうして歩き出してからの時間。
出会ってから15年。仲間として、4年。ずっとつかず離れずの時間を過ごしてきた。
だけど、こうやって並んで歩き出した2週間という時は、二人にとって今までとはまるで違う空間で。



―――これから、ずっとこうして歩いて行きたい。
至極当然のように頭に浮かぶそんな思いに、悠理は少し戸惑いながらも、素直にその考えを受け入れた。
固い蕾のままだった彼女の中の、女としての感情が少しずつ、綻んでいく。
気持ちと共に綻んでいこうとする口元がふと、つぐまれた。


手の平に触れる暖かい感触。そっと、握られた手。
思わず見上げた男の顔は、普段と全く変わりが無いように見えるけれど。
わずかに目の端が赤いような気がするのは、気のせいだろうか。


繋がれた手から、お互いの体温が伝わる。
―――清四郎の手って、こんなに暖かかったっけ?
付き合いだす前に、幾度か触れたことのある清四郎の手は、冷たいという印象があった。
不意に、悠理は思い出す。昔、清四郎が彼女に話した薀蓄。
「人って、緊張すると手が暖かくなるんですよ」
そう、そう言っていたのは確かに清四郎だった。
だとすれば……


悠理は隣でポーカーフェイスを保ったまま歩く男の顔を見上げ、不意にクスクスと笑い出してしまった。
「…なんですか?」
「なんでもない…」
だけど悠理のクスクス笑いはやがてケラケラと大きな笑いへ広がっていく。
どうしよう、嬉しくって止められない。


「…もう、いいです」
いつまでも止まらぬ悠理の笑い声に、清四郎は繋いだ手を振り解いた。
―――やべ、怒らせちゃった?
すたすたと歩いていってしまう清四郎の後姿に、悠理は慌てて後を追う。



「ね〜、清四郎ちゃん。怒ったの?」
横に並んで歩きつつ、清四郎の顔を覗き込む。
「別に。怒ってやしません」
清四郎はぷいと向こうを向いてぶっきらぼうに言い返す。
―――全く、人の気も知らないで。笑い出すなんてあんまりじゃないですか。
清四郎にしてみれば、ずっと前から手に取りたくて仕方の無かった悠理の手を、やっと掴めたのだというのに。


「な〜、悪かったってば。ごめんって!」
悠理は清四郎の横顔を見上げながら、宥めようと懸命になる。
それと同時に悠理は、胸の中になんともいえない気持ちが湧き上がってくるのを感じていた。
どうやら隣を歩く男はさっきの悠理の反応に拗ねているらしい。
(清四郎って、こんなに子供っぽいトコがあったんだな)
そう思うと堪らなく愛しくて。
(よしっ!)
ニッと口を横に広げて笑うと、悠理は思い切って清四郎の手を取った。



ゆっくりと彼の指の間に自分の指を割り込ませる。
清四郎が小さく息を飲む音が聞こえた。
ぎゅっと清四郎の手を握り締める。
清四郎がその手を握り返す。
強く、だけど優しく。



なんとなく見つめ合い、二人して少し照れたような微笑を浮かべた。
―――これからも、ずっとこうして歩いていきたい。
二人の心に浮かんだのは、同じひとつの思い。
お互いを前にしたときにだけ心に湧き起こる、
お互いを誰よりも愛おしいと思う、やさしい気持ち。


 

照れ隠しに、わざとぶんぶんと大きく手を振りながら歩く。
「なぁ〜、清四郎。お腹空いた〜〜!」
「何か食べたいですか?でも…ねぇ悠理、もう少しこうして歩きませんか?」
「この先に飛び切りおいしいご馳走が待ってるってんなら、いいぞ♪」
「ご馳走ねぇ……」



はぁ、と小さく溜息をつく清四郎をぐいぐいと引っ張って歩いていく悠理。
いつもとは正反対の二人の姿。
それはまるで、二人の新しい関係の、「これから」を暗示するようでした。

 




end

 

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 Material By Abundant shineさま