シャンディガフに乾杯  

      by にゃんこビール様

 

 

 

氷のような星空の下、高い塀の上を器用に走る白い猫。

その猫の名前は多満自慢。

この剣菱家のご令嬢、悠理の愛猫である。

 

 

(あー、早くしないとクリスマスパーティが終わっちゃうよ)

タマは音もなく、塀から庭へと飛び降りた。

とはいえ、屋敷まではまだ距離がある。

(あんまり帰りが遅いと悠理に怒られちゃう)

暗くて静かな広い庭をできる限り早く走っていた。

日頃贅沢をしているせいか、お腹についた肉が先を急ぐ足の邪魔になる。

(ぼく、絶対にダイエットするんだ!)

ふん!とひとつ力強い鼻息を吐いた。

なにしろタマは人(猫)生がひっくり返るくらいの運命的な出会いをした。

タマはぴたりと足を止めてそっと彼女の名前を呼んだ。

「ニャオ〜ン…(シャンディ)」

(あのシルクのようなシルバーブラックの毛並み!魅惑的に輝くペリドットグリーンの瞳!

そして…ぼくにからませるしなやかに長くて大胆なしっぽ!)

今夜のクリスマス集会で初めて出会った魅力的な彼女。

ご主人様が元駐英大使というだけあって、彼女も気品に溢れていた。

おたふく顔のフク(豊作さんに言われたとフクが怒っていた)とは比べものになりゃしない。

彼女と目が合ったとたん、まるで雷に打たれたように耳の先からしっぽまで電流が流れた。

それからというもの、タマの瞳にはシャンディの姿しか入らなかった。

タマ、今世紀最大の恋に落ちたのだ。

何とかシャンディとお近づきになろうと、あれこれと理由をつけてフクを先に帰した。

シャンディは甘えるような仕草をしたと思うと、つれない態度を取ってタマを虜にした。

それはもう、神様がタマにくれた心地よくて夢のような甘いクリスマスプレゼント。

冷たい北風にタマはふっと現実に戻った。

出掛ける前、悠理に「今日はみんなでクリスマスパーティなんだから遅くなるなよ!」と

きつく言い付けられたことを思い出したのだ。

シャンディと甘いクリスマスを過ごすか、悠理からの虐待…いや厳しいお仕置きをされるか。

タマは泣く泣く愛しいシャンディと別れてきたのだ。

悠理を怒らせることを考えると、タマはフルフルッと体を震わせて先を急いだ。

やっと見えてきた大きな窓からツリーに飾られているイルミネーションが光っている。

まだパーティは終わってないらしい。

タマは急いで猫用の扉をくぐった。

 

 

家の中はほんわかと暖かい。

タマは慣れない運動をした体をほぐすように伸びをした。

「こんな遅くまでどこほっつき歩いてきたんだ?」

突然、声を掛けられてタマは飛び上がった。

タマが見上げるとバイクのメットをふたつ持った魅録が立っていた。

「そんなにびっくりすることないだろう」

魅録はしゃがんでまだビクビクしているタマの頭を無造作に撫でた。

「なんか悪さでもしてきたのか?」

ツンッとタマの鼻の頭を指で触って魅録は笑った。

魅録は真新しいホワイトシルバーのライダージャケットを着ている。

胸元にはスワロスキーで「to from K」と飾られている。

タマはくんくんと鼻を近づけて新品の皮の匂いを嗅いだ。

「おいおい、汚すなよ!今日下ろしたばっかりなんだから」

ひょいと魅録は立ち上がった。

「誰としゃべってるの?」

魅録とタマが振り返ると、ワインレッドのライダースーツを着た可憐がいた。

「あら、タマ。ずいぶん遅かったのね」

タマに向かって可憐はウィンクをした。

可憐ご自慢の豊艶なボディラインを強調しているライダースーツをタマは茫然と見とれていた。

「どう?似合うかしら」

可憐は左手で髪をかき上げながら魅録に聞いた。

「おう、よく似合ってるぜ」

少し後ろに下がって魅録はぐっと親指を立てた。

「魅録も… すごい似合ってるわ」

可憐はそっと魅録の胸のスワロスキーを指でなぞった。

にっこりと微笑み、見つめ合うふたり。

そんなふたりを見て、タマは気恥ずかしくなってきた。

うろうろし始めたタマに魅録が微笑みかけた。

「俺たちちょっと走ってくるからさ」

可憐はしゃがんでタマの頭を撫でた。

「まだ悠理たちはパーティやってるわよ」

可憐の魅惑的なオリエンタルフローラルな香りにタマはうっとりとした。

「ほら、可憐専用のメット作ったぜ」

魅録はライダースーツに合わせてワインレッドのメットを可憐に投げた。

「いやん、すごく嬉しい!」

しなやかに腕を絡ませる可憐。

幸せそうに出掛けていくふたりをタマは羨望の眼差しで見送った。

 

 

タマはくるりと向きを変え、軽快に階段を上った。

パーティが終わってなければ、悠理との約束は守られるはずだ。

「そこ!違いますわっ!」

手厳しい声にタマは足を止めた。

声のした方は、客間である和室のはず。

パーティは違う部屋でやっているのかと、タマはそっと声のする方に近づいた。

「何度言ったらわかりますの?左手でお箸を添えるように持つ!」

声の主は野梨子。

「ごめーん。どうしても忘れちゃって…」

情けない声は美童。

タマは普段聞いたことのない野梨子の声に、そっと襖を開けて中を覗いた。

「そんなことじゃ新年の茶事には無理ですわ」

伏し目がちな野梨子はそっと菓子器を横に寄せた。

「そんなこと言わないでよ!ぼく一生懸命お稽古してるじゃないか〜」

菓子器を横に置いて美童が野梨子にすり寄った。

「そうですかしら。うちにお稽古に来ているのかお弟子さんたちとおしゃべりに

 きているのかわかりませんもの」

野梨子は膝の向きを変えた。

「野梨子… もしかしてヤキモチ?」

さっきまで情けない声を出していた美童は一変、長い指を口元に寄せて笑った。

「ヤキモチなんてやいてませんわ」

ぷいっと顔を背けた野梨子。

タマには野梨子の頬がポッと桃色に染まったように見えた。

「野梨子がぼくにヤキモチやいてくれるなんて嬉しいな」

正座していた足を崩して美童は野梨子にすり寄った。

「美童にヤキモチ焼いてたら体が持ちませんわ」

野梨子は潤んだ大きな瞳で美童を見上げた。

美童も野梨子も、もうお稽古の気分ではないように見える。

「クリスマスくらいお稽古をお休みしてもいいって、神様はおっしゃると思うよ」

そっと美童は野梨子の小さい手を取った。

「神様は日々お稽古に精進しているか、きちんとご覧になってますわよ」

さっき声を張り上げていた野梨子とは別人のように優しい声で答える。

「明日から真面目にお稽古するよ。今日は愛を語らうクリスマスだよ。」

美童は野梨子の手にチュッと音を立ててキスをした。

「美童は年中、愛を語ってる気がしますわ」

くすくす、と野梨子が小さく微笑む。

厳格なお稽古の場が、しなやかで甘い空気に変わった。

タマはそっと襖から顔を引っ込めた。

 

 

玄関で魅録と可憐、そして和室で美童と野梨子を見かけた。

するとパーティには悠理と清四郎のふたりしか残っていないことになる。

パーティに顔を出さないと悠理に怒られるが、ふたりしかいない部屋には入りたくない。

自然とタマの足取りは重くなった。

悠理の部屋の前を見るとフクが中の様子を伺っていた。

とぼとぼと近づいてくるタマにフクは気が付いた。

(…ずいぶん遅かったじゃないの)

フクは目を細めてタマを見つめた。

(オトコには色々と付き合いってものがあるんだよ!)

ぷいっとタマは横を向いた。

(へぇー… オトコの付き合いねぇ〜)

タマはフクの突き刺さるような視線から逃げるように扉の向こうを伺った。

(ところでパーティはどうなってんの?)

「ニワトリが金の卵を産む!$80,000もらう!やったー!」

部屋から悠理の声が聞こえてきた。

(えっ!アケミとサユリが?金の卵を産んだのっ???)

タマは慌ててフクに聞いた。

(ゲームよ。清四郎さんと人生ゲームやってるの)

「フリーターのくせに… お気楽人生ですな」

銀行係・清四郎は$80,000分のお札を悠理に渡した。

「次は清四郎の番だよ!」

カラカラカラカラ… と清四郎がルーレットを回した。

「会社がもうかって特別大入袋 $40,000もらう」

「清四郎、医者だろう?医者が何してもうかるんだよー」

「…仕事で儲けて何が悪い」清四郎は独り言を言いながら$40,000を所持金に加えた。

「次はあたい!えいっ!」と勢いよく回したルーレットは「3」を指した。

「なになに… 油田発見 $200,000もらう!やったー、いぇーい!」

「さっきは沈没船を見つけて$100,000、で今度は油田ですか…」

極楽とんぼ・悠理に向かってブツブツと清四郎はぼやいた。

「何だか本当にこうなったらどうするぅ〜?」

ご満悦の悠理を無視して清四郎はルーレットを回した。

「清四郎は、と。男の子と女の子の双子がうまれる みんなからお祝い$2,000ずつもらう

…って、清四郎、子供作りすぎだよ!車にもう子供乗せられないじゃん!」

すでに清四郎の車にはブルーとピンクのピンが満員状態。

「すいませんね、精力旺盛なもので」にっこりと清四郎は悠理からお祝い$2,000を受け取った。

清四郎の言葉を無視して悠理はルーレットを回した。

「えー、と…子供がいなければ世界の子供たちのためにユニセフへ$100,000寄付するぅ?」

清四郎の車と違って悠理の車には夫婦しか乗っていない。

「なんで子供がいないからって寄付すんだよー!」

「ね?子供はたくさんいた方がいいんですよ。ゲームの最後で子供ひとりにつき$30,000

 手に入るんですよ」

(子供ってお金に替えられるんだ…)

タマは清四郎の言葉にブツブツと呟いた。

(バカ!ゲームだって言ってるでしょ!)

パコーンとタマはフクから後頭部にネコパンチを食らった。

「僕がいれば子供はたくさん作れます」

「なっ、なんだよ。なんで寄ってくるんだよ!まだゲームの途中だぞ!」

「すべて僕に任せなさい!!!!!」

「うわーーーーーーーーーっ」

(悠理!たいへんだ!)

尋常ならぬ悠理の声にタマは扉を開けようとした瞬間、パコーンとフクからまたまた

後頭部にネコパンチを食らった。

(痛いっ!なにすんだよ!)

(ほんとうにあんたは不粋なことするわね!)

すたすたと歩き出したフクのあとをタマは急いで付いて行った。

(なにがだよ!悠理が悲鳴あげてるんだぞ)

タマは悠理を守るナイト気分で胸を張った。

立ち止まったフクはタマの顔をみて首を振った。

(相手は清四郎さんよ。ちょっとは気を利かせなさいよ)

フクの言葉にはっとしてそっと振り返って悠理の部屋を見た。

悠理の悲鳴はもう聞こえない。

事態を把握したタマはしばらくその場に立ちつくした。

清四郎が言っていた「セイリョクオウセイ」というパワーを分けてもらえた気がした。

(よーし!ぼくも頑張ってシャンディとこどもを作るぞ!)

ふん!と鼻息荒く、タマは力強く頷いた。

フクはただ黙って、冷たい視線をタマに送った。

 

 

数日後―――

暖かい冬の陽射しを受けながらタマは窓の外をぼーっと眺めていた。

「あれ?タマまだそんなところで寝てんのかよ」

部屋に戻ってきた悠理に話しかけられても、タマはぼーっとしたまま。

「どうしちゃったの?クリスマスのときは何だかウキウキしてたのにさー」

(そんなむかしの話をしないでおくれよ、悠理)

ふん、と鼻息をならしてタマはくるりと丸くなった。

悠理はそんなタマを気にも留めず、鼻歌混じりにクローゼットを開けた。

「今日はさ〜 清四郎の家でもちつきなんだよね〜」

ちらりとタマは悠理を伺った。

(ふーん… それで機嫌がいいわけだ)

「動きやすい方がいいよねぇ。やっぱサラシ巻いて半纏かなぁ〜」

もちつきだからと言って“やっちまったな”風にしなくてもいいと思うが…

「…だめだ!そんな格好したら清四郎に何されるか…!」

悠理は両腕で自分の体を抱きしめながらイヤンイヤンと体をくねらせた。

どうみても嫌がってる顔ではない。

(ぼくは清四郎さんのようにはいかなかったよ…)

ぐすん、とタマは鼻をすすって腕の中に顔を埋めた。

 

タマは清四郎からのパワーをもらい、意気揚々とシャンディのもとへ行った。

そこでタマの目に入ってきたのは、スリムなボディにブルーの被毛がキラキラと光る

ハンサムなネコにメロメロになっているシャンディの姿だった。

(手続きの関係で、彼の到着が1日遅れちゃったらしいわよ)

物知り顔でフクが教えてくれた。

(えっ?なに?フクは知ってたわけ?なんで教えてくれなかったのさ!)

タマはフクに飛びかかった。

(だってあたしのこと先に帰したじゃな〜い)

ふふん、とフクは含み笑いした。

愛しのシャンディには、ガフという英国生まれの彼氏がいたのだ。

タマは電撃的な出会いをしたばかりだというのに、あっという間の失恋。

傷心のタマはしばらく茫然と立ちつくすしかなかった。

 

「じゃ、たくさんおもちついてくるからなー!」

悠理はタマにそう言うと、スキップして部屋を出て行った。

タマは悠理が出て行った扉をしばらく眺めて、ふうとため息をついた。

窓の外へと視線を移すと、黄色く弾けるような冬の日差しが優しくタマに降りそそぐ。

木漏れ日の向こうに、ぴったりと寄り添うシャンディとガフが見えた。

(ぼくだって… きっと…)

タマはいつか現れる愛しいネコに想いを馳せ、ウトウトと夢の世界へと落ちていった。

 

 

 

END

 

 

 

Material by macherieさま