二人がいなくなった日

   By にゃんこビールさま

 

 

 

悠理はゆっくりとカーテンを開けて外の様子を見た。

昨日の夜に降っていた雨は夜明けとともに上がった。

木々の新緑はきらきらと光り、空気は雨に洗われて澄んでいる。

何もかもが輝いている朝。

「やった、晴れてる。」

自然と悠理は微笑んだ。

今日は特別な日。

清四郎と悠理の結婚式だ。

太陽も、空も、風も、木も、みんなが祝福しているような晴天。

悠理は窓を開けて外の空気を吸い込んで伸びをした。

足元に柔らかくて温かい感触。

悠理は顔を下に向けてにっこりと笑った。

「タマ、フク、おはよう」

まだ眠たそうなタマとフクが悠理の顔を見上げている。

「まだ眠いんだろう?いいよ、まだ寝てても」

そう言うと悠理はタマとフクを抱き上げた。

もう一度外に目を移す。

木々の向こうに見える屋根は清四郎と新しく暮らす家。

「今日から清四郎と新しい家に引っ越しだぞ」

タマもフクも悠理の顔を見て「にゃう」(楽しみだね)と返事をした。

「みんなで仲良く暮らそうな」

タマとフクは目を細めて(そうだね)と悠理の頬に頭を擦りつけた。

 

今日のこの日が来るまで紆余曲折があった。

清四郎と悠理の結婚が決まったとき、またもや万作と百合子が仏前式だ、

教会だと言い合いを始めた。

愛娘のめでたい話だというのにエスカレートしていくケンカ。

さすがの清四郎もこの夫婦喧嘩には手出しができない。

別居だ、離婚だと一触即発のところを止めたのは悠理だった。

「ふたりともいい加減にしてよ!!」

万作、百合子、清四郎も悠理の顔を見た。

「あたしは清四郎のとこにお嫁に行くんだ!だから菊正宗家のしきたりに従う!」

悠理の迫力に万作・百合子は大人しくなった。

そんな悠理の発言を聞いた修平夫婦は大喜びした。

清四郎は婿養子にはならないが仕事は剣菱を継ぐことになっている。

事実上、一人息子を婿に出す気分だった修平夫婦は悠理の

「お嫁に行く」という言葉がとても嬉しかったのだ。

教会での挙式を泣く泣く断念した百合子は披露宴に俄然力を入れた。

よって会場となるホテルは前日より貸し切り、新郎新婦の衣装は百合子の趣味に

統一されることになった。

 

澄み切った青空の下、菊正宗家の氏神である八幡神社で挙式が始まった。

悠理の白無垢、綿帽子姿は参列者のため息を誘う程の美しさ。

万作・百合子夫婦もそんな悠理の花嫁姿に涙をこぼして喜んだ。

当の本人、悠理は着物とかつらの苦しさに不機嫌そのものだった。

憮然とした花嫁は綿帽子の下に隠されて、そばにいる花婿以外には見えない。

でもどんなに悠理が不機嫌でも、純粋無垢な花嫁姿に清四郎は大満足。

清四郎の頬は始終緩みっぱなしだった。

厳かな雅楽が流れる中、家族、仲間たちに見守られながら滞りなく挙式は終わった。

厳粛な挙式の後は、テン・サウザン・ホテル東京に場所を移して披露宴。

両家の親族、知人、関係者はもとより、幅広い交友関係だけに膨大な招待客である。

長かった披露宴が終わり、一行は剣菱邸へと向かった。

剣菱邸の新居で有閑倶楽部だけの二次会である。

 

「だぁ〜〜〜〜〜〜っ やっと終わった」

悠理は荷物を放り投げてソファに倒れ込んだ。

「何ですか、そのだらしない格好は」

という清四郎もさすがにヘトヘトである。

「でもいい結婚式だったよな」

警察庁に入庁して、春から所轄で研修中の魅録が、婚約中の可憐に微笑んだ。

「でも菊正宗のおじさまが泣くとは思わなかったわね」

ワインレッドのドレスを着た可憐はくすっと笑った。

今や可憐は若手に人気のジュエリーショップの社長。

披露宴で悠理が身につけていたジュエリーは、すべて可憐のお見立てだった。

「あんまりにも悠理が大人しくて驚いたからじゃない?」

国際弁護士を目指している美童は法科大学院に進んだ。

まだひとりお気楽な学生である。

「あまりにも清四郎がデレデレしておじさま情けなくなったんじゃありません?」

美童にエスコートされて、艶やかな中振り袖を着た野梨子は清四郎を一瞥した。

「失礼な。花婿が花嫁に見とれてなにが悪いんです?」

むっとして清四郎が反論した。

「もう二度と結婚式なんないからな!」

ソファからむくっと悠理は起きあがり清四郎をキッと睨んだ。

「…ったり前だろう!」

「結婚は一生に一度に決まってるじゃないの!」

純朴カップル、魅録と可憐に一喝された。

「それにしても披露宴でずいぶんお色直ししたよねぇ〜」

美童はお色直しの回数を思い出しながら指折り数えた。

「剣菱のおばさま、とても満足そうでしたわ」

野梨子は口元を押さえて苦笑した。

なにしろ新郎新婦は百合子プロデュースの着せ替えショーである。

「あれでも少なくしてもらったんだよぅ」

「おばさんも気合い入れてましたからねぇ」

被害者である悠理と清四郎はため息をついた。

「ささっ!そんなこんな話は飲みながらしようぜ」

魅録がパンパンと手を叩いた。

「そーだ!あたし腹ペコなんだ!みんなうまいもん食ってたんだろ!」

悠理は手足をばたつかせて叫んだ。

「そんなに騒ぐと余計にお腹空きますよ。ちゃんと食べ物と飲み物を頼みましたから」

清四郎は騒ぐ悠理の頭を撫でてなだめた。

「そうだ、野梨子、着替えるでしょ?」

可憐がドレスの裾をつまんで野梨子に言った。

「ええ」

野梨子がにっこりと答えた。

「そーだ!早く着替えて飲んで食べよう!」

悠理は可憐と野梨子を連れてリビングを出て行った。

「先に始めてますよ」

清四郎の言葉に「はーい」と悠理が返事した。

しばらくするとメイドたちがたくさんの飲み物や軽食を運んできた。

清四郎たち男3人もタキシードを着替えて先に乾杯をした。

そこに着替えた可憐と野梨子も加わった。

「あれ?本日の主役、悠理は?」

美童がドアの方を伺った。

「タマとフクを探してますわ。」

野梨子が答えると悠理が戻ってきた。

「どうしました?」

なにやら元気のない悠理に清四郎が声をかける。

「タマとフク、こっちにいなかった?」

悠理はキョロキョロと辺りを見回している。

「そういえばいないわね」

可憐も辺りを見回した。

「母屋にいるんじゃねーか?」

魅録はグラスを悠理に渡した。

「出る前にこっちの家に連れてきたんだけど…」

悠理はいつもタマとフクが座るクッションを撫でた。

「人が少なかったからきっと母屋に遊びに行ってるんだよ」

「そうですわ。すぐ戻ってきますわよ」

美童も野梨子もにっこりと微笑んだ。

「大丈夫ですよ」

清四郎は悠理の手を握った。

悠理は微笑んだが、それでも何か落ち着かない気分だった。

 

 

一晩中飲んでいる間もタマとフクは戻らなかった。

翌朝、清四郎と悠理は昨日のお礼を言いに母屋に向かった。

朝食の席に着き、清四郎が万作や百合子と談笑している間にも

悠理はキョロキョロしていた。

「ねーねー、タマとフクこっちに来てない?」

「んまぁ、何だか落ち着かないと思ったら!」

愛娘の言葉に百合子は呆れ顔。

「こっちでは見かけねぇだ。なぁ、母ちゃん」

「ええ」

両親の言葉に悠理はがっくりと肩を落とした。

「ねぇ、兄ちゃんの部屋に行ってなかった?」

悠理は静かにコーヒーを飲んでいた兄・豊作に聞いた。

「さぁ。僕の部屋に来た様子はなかったけど…」

豊作の言葉に悠理はため息を付いた。

「どこ行っちゃったんだろ…」

清四郎は優しく悠理の頭を撫でた。

「家の中は広いですから別の部屋にいるのかもしれませんよ」

清四郎に慰められても悠理の顔は浮かない。

「清四郎の家に行ってる間に戻ってきてるかな…」

悠理は清四郎の顔を見た。

「ええ、戻ってきてますよ。僕たちの新しい家にね」

清四郎は悠理を励ますように微笑んだ。

そうは言っても菊正宗家でも悠理は心ここにあらず。

出されたお菓子にも、昼食にもあまり手を付けない悠理に修平夫婦や和子も

心配をした。

ふたりが出かけてる間に、剣菱邸ではタマフク大捜査が行われていた。

数え切れないほどの部屋数に、広大な庭。

従業員総動員しても結局見つからなかった。

 

 

タマとフクが戻らないまま、2日目になった。

以前、タマとフクは身代金目的で誘拐されたことがある。

あのときは未遂に終わったが、今回も考えられなくもない。

清四郎は悠理に内緒で魅録に頼み、秘密裏に捜査してもらった。

しかし1日経過したのに犯人からの連絡が一向にこない。

『…どうも今回は誘拐じゃないみたいだな』

電話の向こう側で魅録がつぶやく。

「そうですね。仕事の邪魔をしてしまって申し訳ない」

清四郎は謝った。

『なに、気にすんな。最近事件もなくって平和だからさ』

魅録がにっと笑っているのが目に浮かぶ。

『ま、知り合いの探偵に頼んでおくから心配すんな』

悠理によろしくな、と魅録は電話を切った。

清四郎はしばらく携帯電話を握ったまま考えた。

一体、誘拐ではなかったら何なんだ。

誘拐じゃなくて、猫が突然いなくなったとしたら…

 

――― 猫は飼い主に死に際を見せない

 

清四郎は頭を振った。

ほんの1日、タマとフクの姿が見えないだけで元気がなくなってしまった悠理に

こんな惨いことが言えるだろうか。

猫によくある気まぐれな散歩だろう。

きっと明日になればお腹空いたと鳴きながら帰って来るに決まっている。

清四郎は気を取り直して書斎を出た。

リビングに行くと悠理がぼんやりと庭を眺めていた。

清四郎に気が付くと悠理は薄い笑顔を浮かべた。

「清四郎、ごめんね。新婚旅行に行くはずだったのに…」

清四郎はくしゃっと悠理の髪に手を置いた。

「そんな顔をした悠理と行っても楽しくないですよ」

清四郎は努めて明るく答えた。

「うん…ごめん。ありがとう、清四郎」

「タマとフクが戻ってきたら改めて行けばいいんですから。

 今度はちゃんと留守番を頼んで行きましょう、ね?」

そう言うと清四郎は悠理のおでこに軽くキスをした。

「昨日の朝、タマとフクに話したのに…清四郎と仲良く暮らそうねって」

悠理は清四郎の方に軽く体を預けた。

清四郎の肩に掛かる悠理が心なしか軽くなった気がした。

 

 

5日経ってもタマとフクは戻ってこない。

悠理は食欲も減り、笑うことも少なくなった。

ずっとそばにいてやりたいが、清四郎は新婚旅行が延期になったので

会社に戻らざるを得ない。

昼間は仕事の合間をぬって可憐や野梨子が、美童も授業が終わると

悠理の顔を見に来てくれた。

だが、悠理に話しかけても「うん」とか「ふーん」などの生返事。

気晴らしにどこかに出かけようと誘っても「行かない」と言う。

食べたいものある?と聞いても「特にない」と言う。

悠理はちょっとの物音でも外に飛び出して行き、そしてがっくりと肩を落として

部屋に戻ってくる。

このままでは本当に病気になってしまうのではないかと思うくらい

悠理は精神的にも参っていた。

そんな悠理の姿が痛々しくて、可憐たちは泣きそうになった。

野梨子はうなだれている悠理のそばにしゃがみ込んだ。

「悠理!しっかりなさい!」

つかんだ悠理の腕はずっと細くなってしまった。

「このままじゃ病気になりますわ」

キッと見つめる野梨子の瞳を力なく見る悠理。

「しっかりしてよ… 悠理」

可憐は涙ぐみながら悠理の隣に座って肩を抱いた。

前よりもずっと華奢になってしまった悠理の体。

「悠理が病気になっちゃったら誰がタマとフクを出迎えるのさ。

 きっと悠理が元気じゃなかったらタマとフクも困るよ」

美童は優しく悠理を見つめた。

太陽のようにきらきら輝いていた瞳はどこにいったのだろう。

「ごめん… みんなに心配かけて」

か細い声で悠理がつぶやいた。

「タマとフクが戻ってきたらいっしょに遊ぶのでしょう?」

野梨子は優しく声を掛けた。

悠理はこくっと頷いた。

「そしたら食べるものを食べないと、ね?」

美童はウインクをして悠理をテーブルに促した。

「今日はね、悠理の好きなミネストローネ作ってきたのよ。食べてくれるでしょ?」

可憐は浮かんだ涙を指で拭ってキッチンからスープを運んだ。

悠理はゆっくりと野菜と豆がたっぷりのスープを口にした。

口からのど、お腹へと温かさが伝わっていく。

「…おいしい」

「当たり前よぉ!魅録だってこれ食べると元気になるんだから」

胸を張る可憐を見て悠理は少し笑った。

「ありがとね、みんな」

仲間たちに一生懸命笑顔を作っている悠理。

あの天真爛漫に笑っていた悠理はどこへ行ってしまったのだろう。

まるでギリシア神話の豊穣の女神デメテルが娘・ペルセポネを冥界の王・ハデスに

奪われてしまったよう。

女神は悲しみに暮れ、娘を捜して地上を彷徨い、女神が天界からいなくなった世界は

作物は育たなくなり、大地の実りがなくなってしまった。

そのあと、ゼウスの計らいによって母の元にペルセポネは戻ってこられたが、

食べてしまったザクロの数だけ冥界にいなくてはならない。

それから毎年、ペルセポネが母の元からいなくなると女神は悲しみに暮れ、

再び大地には実りがなくなってしまった。

それが冬の始まりである。

悠理に春がやってくるのはいつのことになるのだろう。

 

 

10日が経ち、魅録が頼んだ探偵にも成果がない。

美童や可憐や野梨子も頻繁に悠理のところにやってきてる。

しかし悠理は笑うことも忘れ、食欲もないまま、すっかりとやせ細ってしまった。

そんな悠理に清四郎はなにもしてやれない。

あらためて悠理とタマとフクの絆の強さを実感した。

まだ子猫だったタマとフクを悠理はミルクを与え、育てた。

病気になればタオルにくるみ、寝ずに看病した。

忙しい両親や兄に代わって、タマとフクはずっと悠理のそばにいた。

仲間たちができても、清四郎と付き合うようになってからも

タマとフクは悠理といつもいっしょだった。

 “ペットは家族同然”そんな簡単な間柄ではない。

どんなときも、悠理を支え、励まし、癒し、慰めてくれた大事な大事な、宝物。

そして清四郎にとってもタマとフクの存在は特別になっていた。

悠理とケンカすると仲直りのきっかけを作ってくれた。

悠理といっしょになって甘えてきた。

清四郎がひとりで仕事をしているとそっとそばにいてくれるタマ。

清四郎がうたた寝をするといつの間にかそばでいっしょに寝ているフク。

これから悠理とタマとフクとの生活が始まると思っていたのに。

タマとフクが忽然と姿を消した。

清四郎と悠理の結婚式の日に。

その日、悠理はタマとフクといっしょに雨上がりにきらめく空を見つめていた。

“清四郎と仲良く暮らそうね”という悠理の言葉に目を細めて返事したのに。

悠理のそばに清四郎がいるから安心したのか。

清四郎に悠理を託して帰らない旅に出たのか。

清四郎は大きくため息をついた。

どうしても頭の中には悪い方に考えしか浮かばない。

1日も早くタマとフクが戻ってくることを祈らなくては。

そう清四郎は思い直した。

 

「もう、 帰ってこないのかな…」

 

力無くソファに座っていた悠理がつぶやいた。

悠理の弱気な言葉に驚き、清四郎は振り返った。

「そんなこと悠理が言っちゃだめじゃないですか」

慌てて清四郎は悠理のそばにいき、そっと手を握りしめた。

「だって… もう、10日も帰ってきてないんだよ…」

悠理は清四郎の顔を見つめた。

一粒、悠理の瞳から涙が溢れた。

タマとフクがいなくなってからずっと我慢していた涙がポロポロと流れる。

「大丈夫。ちゃんと戻ってきます」

清四郎は優しく悠理を抱き寄せた。

悠理はなんてやせ細ってしまったのだろう。

自分はなんて無責任なことを言っているのだろう。

清四郎は胸を締め付けられる気持ちだった。

「うん… そうだよね…」

悠理は顔を上げた。

「大丈夫だよね…」

清四郎は涙に濡れた悠理の瞳を見つめ返した。

「大丈夫。僕が保証します」

いつものように自信にあふれた顔を悠理に見せた。

清四郎は優しく悠理を抱き寄せた。

「…うん、清四郎が、大丈夫、って言えば、絶対大丈夫だよね…」

涙で潤んだ瞳で清四郎に一瞬笑いかけた。

そう言うと堰を切ったように悠理は声を上げて泣いた。

それはまるで二度とタマとフクが戻ってこないことを覚悟したように。

清四郎はただ黙って悠理を抱きしめた。

悠理が崩れてしまわないように、壊れてしまわないように

ただ悠理を包み込むことしかできなかった。

今、清四郎にはこんなことしかしてやれない。

最愛の人に何もしてやれない自分を責めながら

清四郎は悠理が泣き疲れて眠りに落ちるまで黙って抱きしめていた。

 

 

2週間経った。

悠理は少しずつ、元気を取り戻してきた。

でも夏の太陽のような明るさは失ったまま。

前のような悠理にはまだまだ戻っていない。

 

外が少しずつ白く明るくなってきた朝。

悠理は清四郎の腕の中で浅い眠りから目を覚ました。

外で微かな物音がする。

――― タマ?フク?

飛び出して確認したかったが、それで何度もがっかりしたことか。

また悲しい想いをするだけだ。

清四郎やみんなにこれ以上心配はかけられない。

悠理は強く目をつぶって清四郎の胸に顔を埋めた。

まだ夢の中の清四郎は無意識にぎゅっと抱きしめてくれた。

 

「にゃうぅぅぅぅぅぅ」

 

ぱちっと悠理は目を開けた。

あの声は絶対にタマだ。空耳なんかじゃない。

「タマだっ!!!」

悠理は清四郎の腕の中から飛び起きると急いでベッドから出た。

「…タマ?」

清四郎はまだ寝ぼけ眼で飛び出した悠理の背中を見つめた。

悠理は勢いよくカーテンを開けて窓を開けた。

起きてきた清四郎とともに悠理は外を見た。

 

――― いた!

 

少し痩せて、ところどころ汚れているが紛れもない。

タマとフクが、揃ってお座りしている。

悠理は転がるように階段を下り、清四郎も後に続いた。

もたつくようにテラスの窓を悠理は開けた。

行儀良く座っているタマとフクが確かに目の前にいる。

悠理は裸足のまま庭に出ていき、タマとフクを思いっきり抱き寄せた。

「すごーーーく、ものすごーーーく心配したんだぞ!」

悠理はポロポロと涙を流した。

タマとフクは(心配かけてごめんね)と謝っているよう悠理の頬にすり寄った。

もう悠理は何も言葉にできず、ただ二度と離さないというくらいに

タマとフクを抱きしめたまま泣いていた。

タマとフクもただじっと悠理に抱きしめられていた。

久しぶりに悠理の感触を味わっているように。

 

清四郎はしばらく悠理と、腕の中のタマとフクを見つめていた。

よかった。

悠理のところにタマとフクが戻ってきて本当によかった。

清四郎は心の底からほっとした。

が、しかし。

いったいこの2週間、どこでなにをしてたんだろうか。

どうやって戻ってきたんだろうか。

ほっとしたのもつかの間、清四郎は次々と疑問がわき上がってきた。

ふと、タマとフクが座っていたところに目をやった。

何やら置いてある。

清四郎は目をこらしてよくよく見た。

「…これはっ」

清四郎は自分の目が信じられなかった。

「どうしたんですか、これ!」

清四郎の声に涙と汚れかついてぐちゃぐちゃのになった悠理が顔を上げた。

「へ?どうしたの、清四郎」

清四郎が黙って指をさした方に悠理は顔を向けた。

 

そこには立派な真鯛が置いてあった。

 

清四郎と悠理が真鯛に気が付くと、タマとフクはぴょんと悠理の腕から飛び降りた。

真鯛の横にちょこんと座り、「にゃー♪」(すごいでしょう♪)と誇らしげに鳴いた。

「ま、まさか、タマとフクが持ってきたんですか?」

清四郎の言葉にタマとフクは目を細め(ご名答!)と答えた。

「サカナを持ってきたって?何で?」

悠理は清四郎とタマとフクの顔を交互に見た。

「も、もしかして僕たちに鯛をプレゼントしようとしたわけか?」

「あたいたちに?タイ?」

呆然としている清四郎と悠理を前にして実に嬉しそうなにしっぽを振るタマとフク。

「まさか…!」

清四郎は鯛を指さし、タマとフクに聞いた。

「鯛を捕りに行ってたのか?」

あり得ない清四郎の質問に「にゃ!」(当たり!)と返事をしてタマとフクは胸を張った。

「なに?なにがどういうこと?」

清四郎とタマとフクの会話がまったく見えない悠理の頭には???が浮かぶ。

そこへ五代が走ってきた。

「嬢ちゃま、起きてましたか!」

「五代〜。タマとフクが帰ってきたよ〜」

悠理はまたタマとフクを抱き上げて五代に見せた。

「あ!もうこっちに来てましたか…」

五代はぜーぜーと肩で息をした。

「その、表に、明石漁連の、トラックが、来まして…」

「「あかしぎょれん?」」

清四郎と悠理は同時に声を上げた。

 

 

悠理が真っ黒になったタマとフクをお風呂に入れている間に

清四郎は五代から詳しい話を聞いた。

「まったく… なにを考えているのやら…」

清四郎はため息が出た。

とりあえずお世話になった明石漁連の人たちに鄭重に御礼をするように

五代に頼んで清四郎はリビングにひとり座った。

 

悠理と結婚式の朝を迎えた後、タマとフクはお祝いを考えた。

新居ではお世話になるし、何か手みやげでも下げて行かなくては。

ここは結婚のお祝い、めでたい、…鯛を贈ろうと思い付いた。

そこでみんなが出払って人が少なくなった頃、家を抜け出した。

ふたりは電車を乗り継ぎ、トラックに入り込み、何とか明石市まで辿り着いた。

さて、漁港に着いたはいいが、どうやって鯛を手に入れよう?

ここまで無賃乗車してきてお金はない。

いや、お金を持っていたとしても猫が「お魚下さいな」と買い物するわけもいかない。

無論、漁船を出すことも、網を仕掛けることも、釣り糸をたらすわけにもいかない。

しばしふたりは瀬戸内に沈む夕陽を眺め、途方に暮れていた。

そこに運良く猫好きの漁師が通りかかり、タマとフクに声をかけた。

ふたりは何とか事情を説明しようとしたが、そこは猫と猟師。

魚つながりだけで話が通じるはずもなく、お互いに頭を抱えた。

「とりあえず家に来るか?腹も減ってるんだろう。」

仕方なくふたりは漁師の家にご厄介になることになった。

漁師の家で新鮮な魚のご相伴に預かっているところに仲間の漁師がやってきた。

その漁師は『タマフク誘拐事件』のことを覚えていた。

「おいっ。このネコはもしかして剣菱財閥の…」

タマとフクは頷き、2匹の素性が判明。

しかしなぜに東京の剣菱邸からお嬢様のお猫様が明石までやってきたのか。

「確か剣菱のお嬢様は盛大な結婚式をしたはずだぞ…」

漁師は急いで週刊誌を広げた。

週刊誌には清四郎と悠理の写真と記事が載っていた。

タマとフクはその記事をパシパシと叩き、事情を説明した。

『ボクたちは悠理と清四郎さんにお祝いをしたんいです!』

『お祝いのめで鯛が欲しくてここまで来たんです!』

必死の形相、手(前足)振り足振りで説明した。

「お前たち… もしかしてお祝いに鯛が欲しいのか?」

さすが魚つながりの猫と漁師、奇跡は起こった。

なんとふたりの必死の想いを漁師たちに理解してもらえた。

あとはお祝いに適した立派な鯛が上がるのを待つだけ。

それまで漁師の家に居候することになった。

そして待つこと2週間。

昨日、今シーズンいちばんの真鯛があがり、タマとフクに進呈された。

早速、築地行きのトラックに乗り込み、いっしょに送ってもらった。

 

清四郎は呆れるやら、おかしいやら。

「何かあったらどうするつもりだったんですかね」

いつだったか悠理が初めて誘拐されたとき、タマは清四郎の家まで悠理の手紙を

運び、学校まで道案内をしたことがあった。

フクも(表向き)犯人の要求を自宅まで運んだことがある。

しかし今度は名古屋、大阪を越した明石だ。

あとさき考えずに思い立ったら即行動、向こう見ずで無鉄砲。

やはり飼い主の悠理とそっくりだ。

バスルームからは悠理とタマとフクの声が聞こえてくる。

「まだ全然汚いぞ!」

「ギャーギャー」

「こら!逃げるな、フク!」

「フギャッー」

清四郎は笑いがこみ上げてきた。

「清四郎―っ!ちょっと来てーっ!」

悠理の叫び声。

こんなに元気な悠理の声を聞くのは何日ぶりだろう。

「はいはい…」

清四郎は笑いをこらえてバスルームに向かった。

タマとフクがきれいになったら、

悠理はいっしょにお腹いっぱいご飯を食べるだろう。

悠理はいっしょにゆっくり眠るのだろう。

悠理はいっしょに遊ぶのだろう。

バスルームに行くと頬を上気させた悠理がびしょ濡れのフクを清四郎に渡した。

「清四郎、よく拭いてやってよ」

「はい、わかりました」

フカフカのタオルにくるまれてやっとフクは大人しくなった。

バスルームではタマがまだ騒いでいる。

「きれいにしてもらいましたか?フク」

清四郎はポフポフとフクをタオルで拭きながら話しかけた。

フクは清四郎の顔を見上げてすっと目を細めた。

(清四郎さんにも心配かけてごめんね)と謝ってるように清四郎に見えた。

遅れて悠理とタマもバスルームから戻ってきた。

「まったく、やっときれいになったよ」

抱えられたタマは大人しくなって反省しているように見える。

この2週間が嘘のようにいつもの悠理に戻った。

清四郎と悠理は自然と笑みがこぼれる。

「みんなに連絡して今夜は祝杯ですね」

清四郎の言葉に悠理も頷いた。

「うん。みんなにいっぱい心配かけちゃったしね」

タマとフクの大冒険を話したらどんなに驚くだろう。

明石漁連から頂いた魚介類がたくさんある。

何より、タマとフクからのお祝いの立派な真鯛がある。

 

腕の中で幸せそうに目を細めているタマとフク。

腕の中の温かさが清四郎と悠理にはとても幸せに感じた。

やっと清四郎と悠理の生活が始まる。

タマとフクがいる生活。

 

 

end

 

 

 

 

 

猫話のお部屋へ

Material By  YAER OF THE CAT さま