Summer time

 

 

 

 

「夏」ってもんは、暑いものだけど、その年の夏はいつにも増して暑い夏だった。

大学1年の夏。あたしは、二十歳の誕生日を迎えようとしていた。

 

 

 

夏休み、

可憐のママの知り合いが持っているという、茅ヶ崎の別荘に6人で向かった。

いかにも「海辺の別荘」らしく、白いペンキで塗られた家はそこそこ広く、またそこそこ古びていた。

特に管理人も置いていないらしく、埃の積もった家の中を皆で大騒ぎしながら掃除する。

夕食にカレーを作り、皆でわいわいと食卓を囲んで、後はお決まりの酒盛り。

美童のこの夏の恋愛話に、可憐と野梨子が突っ込みを入れ、清四郎と魅録はなにやら男同士の話。あたしはそんな皆の間を飛び回ってはしゃいで。

 

高校時代と何も変わらない、真夏のひと時。気の合った仲間たちとの、楽しい夜。

けれど、いつまでも子供のままでいられないことは、皆よくわかっていた。

わかっているからこそ、こうして無為のひと時を過ごすことが大切だったのかもしれない。

ただ夏のきらめきを、いつまでも胸の中に閉じ込めておけるように。

 

 

 

2週間前、あたしはピアスの穴を開けた。

可憐の店で選んだのは、ホワイトゴールドにダイヤが入った小さなピアス。

「あんたにしちゃ、地味なのを選んだわね」

可憐がそう言って笑った。あんたも、大人になってきたのかしらね、と。

まだじんじんする耳たぶを押さえ、あたしはあいまいに笑った。

小さな決意って奴をそのピアスに込めた事を、彼女にさえ、話せずに。

 

 

 

翌朝、エアコンの付いている主寝室をあたしらに譲った男3人は、暑くてよく眠れなかったらしい。野梨子と可憐が朝食の支度をしている間も、魅録と美童はリビングのソファにぐったりと寝転んでいた。

「海辺の別荘だから、夜風が気持ちいいだろうと思ったんだけどさ〜。蚊がすごくって」

窓も開けられなかったらしい。

清四郎でさえ、いつもより少し動作が緩慢で、あくびを繰り返している。

けれど、あたしの頭をぽんぽん叩きながら、

「悠理、お前も一応女でしょう?可憐と野梨子をちょっとは手伝ったらどうなんですか?」

などと、いつもながらのいやみったらしい口調。

「…うっさい」

あたしは小さな声で答えながらあいつの手を払いのけ、勝手口を開けて別荘の庭に飛び出した。

 

きらめく朝の光、海辺の風、潮の匂い。

両手を広げて思いっきり息を吸い込み、「早く朝メシ食って、泳ごうぜ!」と叫ぶ。

 

「元気ですわね、悠理は」

野梨子の笑い声が聞こえる。

「ほら、朝ご飯できたわよお!」

可憐があたしを呼ぶ。

 

開け放たれたドアから、魅録と美童がゆっくりと起き上がり、リビングのテーブルに着くのが見えた。その向こうには、新聞を小脇に抱えて立っている清四郎が。

朝とはいえ、夏の強い日差しに、室内はまるでモノクロームの写真のようで。

あたいは鼻の奥にツンとした感触を覚えながら、皆のいる場所へと歩き出した。

また今日も、楽しい一日が始まり、終わっていくのだと自分に話しかけながら。

 

 

 

その日の夜は、遅くまで騒ぐこともなく、珍しく皆早めに寝室に引き上げた。

あたしはなんだか眠れなくって、寝室の窓辺に置かれた椅子に座って、ぼんやりと暗い庭を眺めていた。

12時近くになった頃、勝手口の開く音がして、誰かが庭に出て行くのが見えた。

夜目に映える、白いTシャツに白いラフなコットンパンツ―――清四郎だ。

彼がゆっくりとした足取りで庭を通り抜け、浜辺へと続く道へと向かうのを確かめて、あたしもそっと部屋を出た。

足音を忍ばせて階段を下り、勝手口から外へ出る。

夏の夜風が、そっと頬を撫ぜて行く。清四郎が歩いていった後を、あたしもゆっくりとたどった。

 

 

 

別荘から少し歩いた砂浜に、白い寝椅子(カウチ)が二つ並んでいる。

そのひとつに、清四郎は寝転んでいた。

片方の足の膝を立て、左腕を顔の前にかざすように乗せたまま、眠っているみたいだ。

きっと、部屋では暑くて眠れなかったのだろう。ここなら、海から吹いてくる風が心地よい。

そっと近づいて、あたしはもうひとつの寝椅子に腰掛けた。ギシ、と微かに軋む音。

寝椅子の下から、蚊取り線香の煙がくゆりと立ち昇る。

彼らしい用意の良さに、あたしは微笑んだ。

 

 

「……悠理?」

目を閉じたまま、清四郎が言った。

「…なんで、わかんの?」

「なんとなく、気配でわかります…」

タルそうな声でそれだけ言うと、清四郎は寝息を立て始めた。

あたしは所在なく寝椅子に腰掛けたまま、清四郎の寝顔をぼんやりと見つめていた。

 

 

 

 

2週間前、ピアスの穴を開けたその足で、あたしは清四郎に会いに行った。

高校時代に何度も訪れた清四郎の部屋で、彼に「好きだ」と告げた。

 

あくまでも穏やかな表情で、優しい瞳で、あたしの告白を聞いた後、清四郎は「今はまだ、悠理のことは友人としか考えられない」と答えた。

その答えに、あたしはくしゃと顔を歪めた。そう言われるだろうと思ってはいた。けれど、心のどこかで「もしかしたら…」とも思っていたから。

 

 

「ああ、泣くな悠理。今は、と言ったでしょう?」

大好きな温かい手が、あたしの髪を梳いた。

「今はまだ、お前のことは友人としか思えない。でも、僕が恋をするなら、相手はお前しかいないと思っていますよ」

 

お前しかいない?

「それは、待ってろってこと?」

清四郎は、微笑みながら小さく首を振った。

「いつかはわからないから、待ってろ、とは言えません。それに……耐えられますか? ただ待つなんてことに」

 

振られたのか、実ったのか、まったくわからない答え。宙ぶらりんな気持ちのまま、あたしは

清四郎の部屋を後にした。

 

 

 

あれから、いくら考えても清四郎の言葉の意味はわからない。

もう一度ちゃんと彼に答えてもらいたいと思って、ここに来た。

 

―――教えてよ、清四郎。あたしは、どうすればいいのかを。

 

 

 

立ち上がって、清四郎の寝ている寝椅子に腰を下ろした。

眠っている男の顔を、上から見下ろす。

ここに来てから少し日焼けをした、男らしい顔立ち。

きっと、いつまでもずっと、この男が好き。

 

湧き上がってくる強い感情に涙がこぼれそうになり、あたしは少し震える唇を、清四郎の唇に押し付けた。

1…2…心の中でカウントして、3数えたところで離す。清四郎は、目を閉じたまま。

泣き出してしまいそうな感情を持て余して、清四郎の胸に頬を寄せた。トクトクと優しい音が聞こえる。

暖かい胸、暖かい鼓動。ずっとずっと、こうしていたい。できれば、強く抱きしめて欲しい…。

 

 

気がつくと、清四郎の手が、あたしの背中をゆっくりと撫で始めていた。

ひどく優しく、慰めるように、慈しむように。

何度も何度も往復する手は、やがてTシャツの裾から侵入して、素肌に触れた。

優しい指が背筋をたどり、肩を軽くつかんだ後、下降していく。

そっと肩甲骨をなぞられて、身体がぞくぞくとした。

清四郎の表情を伺っても、瞳は閉じられたまま。

衝動的に清四郎のTシャツを捲り上げ、露わになった逞しい胸に口づけた。

何度も何度も唇を押し付けていき、「好き…好き…」と、うわ言のように呟いた。

 

わかってよ、こんなに好きなんだよ。感情を抑えることなんか、もう出来ないよ。

 

 

 

「いいのか?」

 

 

突然、清四郎が目を開き、聞いた。

その言葉の意味もわからぬうちに、条件反射のようにあたしは頷いていた。

 

 

ただ、今だけでいい。

 

 

大きな手が、あたしの頬を包む。引き寄せられて、唇を重ねられた。

これからはじまる事への、前奏としてのキス。

清四郎の手があたしの背に回り、二人の身体の位置が逆転する。

キャミソールが捲り上げられて、清四郎の唇があたしの胸の先端を軽く吸った。

それだけで、まるで電流が走ったように身体が跳ねた。

片方の胸を優しく揉みしだかれ、もう片方の胸の先端をついばまれて、無意識に声が漏れる。

あたしにもこんな声が出せるんだ、なんて、他人事のように思っていた。

ショートパンツを下着ごと脱がされて、膝を割られて。夜気をひんやりと感じた部分に、清四郎の熱い舌を這わされて、一段と高い声を上げて。

 

清四郎が入ってきたとき、あたしは歯を食いしばって痛みに耐えた。

途中でやめられたくなかったから、「痛い」と声をあげたりしないように、必死で彼の背にしがみついていた。

ギシギシと寝椅子が軋む音と、打ち寄せる波の音。見上げる空に、黄色い月の輪郭が滲んで見える。

 

せわしない、清四郎の吐息。あたしの上で、逞しい身体がゆれる。

黒い瞳が、見たこともない色をたたえてあたしを見下ろす。

唇が重なり、熱い息と柔らかな舌が入ってきた。

下半身には同じくらいに熱い塊が、絶えず抜き差しされている。

肌と肌がぶつかる音と、波の音が重なる。

潮が、満ちる。あたしの体にかかる、清四郎の重みが増す。

差し入れられる速度が速まり、思わず清四郎の唇から逃れて、悲鳴を上げた。

その瞬間、熱い塊があたしの中から抜き出され、生暖かい感触がお腹に散った。

 

 

見上げると、目を伏せて大きく息を吐き出している清四郎。

ああ、清四郎はイッたんだ。あたしの身体でイッたんだって、嬉しさがこみ上げる。

清四郎は目を開くと、自分のTシャツの裾を引っ張って、あたしのお腹を丁寧に拭った。

そして、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 

「誕生日、おめでとう、悠理」

清四郎の口づけが、ピアスを付けた耳たぶに。

 

 

あたしは、大好きな男の腕の中で、二十歳になった。

 

 

 

 

 

別荘に戻り、リビングに入ると、魅録がソファに座って小さな音でギターを弾いていた。

あたしの姿を見ると、小さく手を上げる。

「よぉ。どこ行ってたんだ?」

「……散歩。なんか、眠れなくって。魅録も?」

「ああ、暑くってな」

 

 

冷蔵庫からバドワイザーの瓶を取り出し、ソファの横に座り込んでラッパ飲みする。

「俺も」

横から魅録の手が伸びて、バドを奪っていく。代わりにあたしは、テーブルに置いてあった魅録のマルボロを一本失敬した。

ZIPPOで火をつけ、口に咥えると、魅録がそれを取って自分の口に咥えた。

 

「何だよ、さっきから」

魅録はあたしの顔をじろじろ眺めながら、煙草の煙を吐き出す。

「…清四郎は?」

「……外のカウチで寝てる」

「そうか」

 

それ以上何も聞こうともせず、魅録は咥え煙草で再びギターを爪弾きだした。

ステレオから小さく流れる、早逝した女性シンガーのしわがれた声。

 

夏のひと時、ベイビー、泣かないで……

 

 

「ハッピーバースディ、悠理」

不意に魅録にそう言われ、あたしの両目から涙が溢れ出した。

手の甲で拭っても拭っても、涙は後から後から溢れて止まらない。

立てた膝に顔を埋め、あたしは声を上げて泣きじゃくる。魅録は何も言わない。

 

知っているんだろうか? 清四郎への思い。そして、今夜何があったのかも?

それでも、何も聞かずにいてくれる彼の優しさに、あたしは甘えて、ただ泣いた。

 

 

終わったのだろうか? あたしの恋は。

ピアスをした耳が、じんじんと痛みだす。

清四郎の言ったとおりただ待つなんてことは、あたしには出来なかった。

思いが深すぎて、強すぎて。

 

後悔なんて、していない。

一生に一度の暑い夏を、ただ彼の肌のぬくもりとともに、胸に焼き付けておきたかった。

清四郎は、その思いに応えてくれた。

あたしが一番欲しいものはくれなかったけれど、ひと夏の、そして永遠の思い出をくれた。

 

 

 

だから、あたしはこの恋にさよならをしよう。

ひとつ、大人になるために。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「Summer〜 timetime〜♪」

 

鼻歌を歌いながら、あたしは白いワンピースに着替えて鏡に向かう。

窓の外では、蝉がせわしなく鳴いている。

今年は夏の訪れが遅かったけど、やってきてみれば、いつもと変わらぬ、暑い夏。

それでも、あの夏の暑さよりはマシかな。

 

 

手早く化粧をして、ピアスをつける。

ホワイトゴールドにダイヤの嵌った、小さなピアス。

髪を手で整えると、一歩下がって全身をチェック。

鏡に映るのは、少し大人になったあたし。

 

 

「嬢ちゃま」

コンコンとドアをノックする音と共に、五代の声がする。

「はーい」

と答えて、あたしは部屋を出ると、玄関へと続くエスカレーターへと走った。

 

階下には、あたしの姿を認めて、柔らかく微笑む男がいる。

エスカレーターを駆け下りて、彼の前に立つ。

「綺麗だ」と、彼は手を伸ばしてあたしの頬に触れ、耳たぶに軽いキスを。 

 

 

 

あの夏の日の後、半年も過ぎた頃になって、突然清四郎があたしに告白をしてきた。

「貴女のことが、頭から離れなくなってしまいました」って。

そして、ふいと目をそらすと、口の端を下げて、こう言った。

「もうずっと前からですけどね。流されたように付き合うのも、嫌だったので……」

口調は不本意そうだったけれど、ほのかに染まった頬が、言葉よりも多弁に彼の心を語っていた。

 

 

「僕と付き合ってください、悠理」

改めて、あたしの目を真っ直ぐに見てそう言ったあいつに、

あたしは、「やーだよっ!」と答えてやった。

 

「悠理?」

思いもしなかった言葉を聞いたかのように、清四郎の目が真ん丸くなった。

「あたしが、待つことに耐えられないって言ったのは、お前だろ?」

そう言うと、清四郎は視線を彷徨わせ、やがて大きな溜息をついた。

 

「参りましたね。形勢逆転ってことですか」

あたしは、笑いながら頷く。

 

「やれやれ。あの時に、お前の告白を受けておけばよかった。そうすれば、難なく僕の手に入ったのに」

清四郎は軽く首を振りながら苦笑し、

「まぁいい。またすぐに、僕に夢中にさせてみせますよ」

そう言うと、微笑んだ。

 

「出来るかな〜?」

「もちろん」

自信たっぷりの、あいつの言葉。

 

それからの清四郎は、仲間達が呆れ返るぐらいに、日々情熱的にあたしを口説きだした。

以前では考えられなかった、熱を帯びた瞳で、言葉で、求められる喜び。 

しょうがないから、落ちてやった。

 

あいつの、腕の中に。

あたしを、好きで好きでたまらないと言う、男の腕に。

 

 

 

その後、二人で幾つもの季節を数えて、あれからもう、5回目の夏。

そして、25歳の誕生日も、あたしは大好きな男の腕の中で迎える。

 

 

 

きっと、これからも、ずっと―――。

 

 

 

 

                   end

 

 

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