今日はまだ冬の最中だというのに、えらくぽかぽかとした陽気だ。 「暖かい」というのは今日に限ったことではなく、この冬を通してずっとそうで、せっかく買ったかわいいマフラーも手袋も、ほとんど使う機会がない。
このまま、冬らしい寒さも無いままに、春になってしまうんだろうか? 悠理は、前を歩く男の広い背中を見つめながら考えた。
このまま、何の恋人らしさもないままに、あたい達は過ごしていくんだろうか?
奇跡のそのあと。
「悠理?」 前を歩いていた清四郎が、急に振り返って声をかけてきた。
「どうしました? さっきからずっと、黙ったままですね」
大学からの帰り道。 「いい陽気ですから、少し歩きましょう」と言われて、悠理は彼の後を黙ってぽてぽてと歩いていた。
「…別に。話す事がないから、黙ってるだけ」 明後日の方向を向いて答えた悠理に、清四郎は立ち止まって悠理と向き合うと、困ったように少し眉を下げた。
「何を、怒ってるんです?」 「別に、何も」
ふぅ、と清四郎が溜息をつく。
「別にじゃないでしょう?さっきからずっと、不満そうな顔をして」 「……」 「何か僕に言いたいことがあるのなら、はっきり言ってください」
それでも悠理は、ぎゅっと口を結んだまま、上目遣いに清四郎を睨みつけていた。
―――1週間前。
「もうすぐ、バレンタインだな」 大学の有閑倶楽部の部室で。悠理はそう呟くと大口を開けて固焼きせんべいに噛みついた。 ぱりん、と噛み取り、ばりばりと盛大に音を立てて咀嚼する。
「そうね」 「そうですわね」 可憐はファッション誌のページを捲りながら、野梨子は湯飲みに口をつけながら答えた。さほど気をひかれた風も無い。
「可憐、今年はチョコ作んないの?」 「今年は有名店のチョコを買うことにするわ。これだけ色々なチョコが雑誌やテレビで取り上げられてるんだもの。手作りより、そっちの方がいいかもと思って」 悠理の問いに、可憐は読んでいた雑誌のバレンタイン特集のページを開いて、悠理の方へと押しやった。
「わ、うまそ」 「でしょ? 問題は、これだけ多くの中から、どこのチョコを選ぶかよね〜。ねぇ、これから見に行かない?」 「いいですわね、私も父様のを買いますわ」 「今年もおじさまにしかあげないの?あんたも相変わらずよねぇ」 呆れた口ぶりで言いながら、可憐は雑誌を鞄に仕舞い込み、椅子から立ち上がった。
「悠理も行くでしょ?」 「うん。あいつにやるチョコ買わなきゃ…」
「チョコをあげる? 誰に?」 「誰に渡しますの?」 悠理の呟きは彼女らしくもなくとても小さな声だったが、耳ざとく聞き取った可憐と野梨子が、頓狂な声を上げた。
「誰にって…決まってるじゃん!」 同時に聞き返してきた二人に、悠理はぐっと眉を寄せて答えた。
「ああ…あんた達、付き合ってるんだったわね…」 どこか遠い目をして、可憐が言った。
*****
「あんたにだって、チョコを渡したい相手の一人くらい、いるでしょ?」
そう言って可憐がくれたチョコを、悠理が清四郎に渡したのは一年前。 ホワイトディには清四郎が悠理をお返しのデートに誘い、晴れて二人は恋人同士となった。 その翌日、清四郎が仲間達に交際を始めたことを報告し、皆の祝福を悠理は面映いながらも嬉しく受けたものだった。 そしてそれから一年、特に波風も立つことなく交際を続けているというのに、先ほどの可憐の発言である。 しかしそんな風に言われても仕方がない理由を、悠理はよくわかっていた。
自分達二人には、周囲から見てそれとわかる「甘さ」が全く無い。
最初は仲間達の手前、照れもあってのことかと思っていたが、二人きりでいても同じ。 一緒に歩いていても、手を繋ぐでもなく、肩を抱いてくれるでもない。 悠理の方から清四郎の腕に手を絡めたり、後ろから飛びつくことはあるけれど、そんなことは付き合う前からやっていたこと。 話す事も友人時代となんら変りはないし、デートと言っても、遊園地やアスレチックなど、共に身体を動かすようなところばかり。
高等部を卒業し、聖プレジデント大学に進んでも、清四郎の悠理に対するぞんざいな扱いは相変らず。 あまりに変化の無い二人の様子に、最初のうちは仲間達も「あんた達、本当に付き合ってるの?」と尋ねてきたものだったが、最近では二人が付き合っていることさえ忘れがちなようだ。 仲の良い友人達でさえそうなのだから、同じ大学の学生達は皆、二人が付き合っていることすら気付いていないようである。
高等部時代は、清四郎よりも中性的な魅力を持つ悠理の方が、女生徒にはもてていた。 しかし、彼女達も現実を見据える年頃になった今は、顔良し、頭良し、家柄良しで将来性抜群の、理想の結婚相手に見える清四郎の方がもてている。 相変わらず外面が良くて、近寄ってくるどの娘に対してもむげな態度など取らないばかりか、「経験の為」などと言って、誘われた合コンに参加したりもする清四郎に、悠理は苛立ちさえ感じていた。
ちゃんと、恋人らしく接してよ。 他の女の子を、近づけないでよ。
かわいらしく、こう言って拗ねてみせればいいのだろうが、何しろ悠理は「女としての自分」にはまるきり自信が無い。 何も言えないままに、日々不満が溜まっていくだけだった。
*****
「……」
黙りこくったままの悠理に、清四郎はまた一つ大きく溜息をつくと、大股に歩み寄って、ぽんと悠理の頭の上に手を置いた。 くしゃ、と髪をかき混ぜる。そのまま、手を悠理の頬に滑らせて、何度か撫でた。
「…今日は、バレンタインデーでしょう?チョコはくれないんですか?」 憮然とした、口調。 「あたいからのチョコ、欲しいのか?」 じっと清四郎の目を見つめて、悠理は聞いた。 「もちろん。何人かチョコをくれると言う人もいたんですけど、「彼女がいるから」と言って、断ったんですから」 拗ねたような口調で清四郎が言う。悠理はふいと視線をそらすと、ごそごそと鞄の中を探った。
「はい」 取り出した有名菓子店のチョコを、清四郎に差し出す。 女三人で色々と吟味した結果、一番おいしいと意見が一致した奴だ。
「ああ、ありがとう、悠理」 ほっとしたように清四郎は笑顔でそれを受け取ると、嬉しそうにチョコの箱を手の中で裏返したり表に返したりして見ている。 そんな清四郎の表情をじっと見つめていたら、悠理の目にじわりと涙が浮かんできた。
「…ずるいの」 「え?」 小さな呟きに、清四郎は顔を上げた。
「なんで、バレンタインが先で、ホワイトディが後なんだよ? なんで、いつも女の方から告白しなきゃいけないんだよ?」 「悠理……?」 「毎年毎年、バレンタインが来る度に、あたいの方から好きになったって認めないといけないのかよ? 清四郎が応えてくれるのを、じっと待ってなきゃいけないのかよ? たまには、清四郎から…」
ぽろぽろと涙がこぼれ出して、悠理の頬を伝う。それを両手のこぶしで拭いながら、悠理は溢れる言葉を止められずにいた。 「ちゃんと、あたいのこと好きなんだって、思わせてよぉ…」
「悠理……」 清四郎は戸惑いを隠せない様子でいた。 自分が悠理をこんなに泣くほど不安にさせていたなんて、思ってもいなかった。 悠理は付き合う前と変らずに、いつも快活で女の子扱いされることを嫌っていると思っていた。 友人同士だったときと同じように接することを、望んでいるのだろうと勘違いしていた。 その為に清四郎は、恋人らしく悠理に触れたりすることを、遠慮してさえいた。
けれど今、こんな風に泣いている悠理を見ては、平静を保ってはいられなかった。 泣きじゃくる小さな肩にそっと手を回して、自分の胸に引き寄せた。 悠理は両のこぶしで顔を隠したまま、おとなしくその胸に収まった。 ゆっくりと手のひらで柔らかい髪を撫でてやりながら、清四郎は言うべき言葉を探した。
「僕は、僕は…悠理はちゃんとわかってると思ってた…」 胸の中で、悠理がふるふると首を振った。 「あたい馬鹿だから、わかんない」
「ちゃんと言葉にしろというのなら、いつだって言いますよ。僕は、悠理が好きです」 口に出すことで気持ちが昂ったのか、清四郎は悠理をぎゅっと抱きしめ、彼女の髪に頬を摺り寄せた。 「本当に、大好きです。悠理」
悠理が自分の顔を覆っていた手を離して、清四郎の背中へと伸ばした。 ぎゅっと強く、コートの背を掴む。胸に顔を押し付けて、大きく息を吸い込んだ。溢れていた涙が、ようやく止まった。 悠理が落ち着くのを肌で感じ、清四郎はほっと息をつくと同時に、改めて強くその身体を抱きしめなおした。
初めての恋だから、二人とも不器用で、互いの心を量りかねているところがあった。 たった一度の恋だから、離したくなくて、無くしたくなくて、臆病になって。
「…今年の冬は、本当に暖かいですね。去年の今頃は、よく雪が降っていたのに」 清四郎の呟きに、悠理は黙って頷いた。 「…でも暖かいのは、お前といる所為もありますかね?」 悠理がまた、うんうんと頷く。 「このまま、暖かくなっていくんでしょうかね? 春まで、ずっと…」 悠理は黙ったまま、清四郎の胸に鼻を擦り付けた。
「こら、鼻水をくっつけないで下さいよ」 悠理がくすくすと笑い出す。 「…何か言ってくださいよ、悠理」
「せいしろう、好き」
小さく呟いた悠理の頬を両手で挟むと、清四郎はそっとくちづけた。
end (2007.2.14up)
甘くないーーーーーっ!ガシャーン!(←ちゃぶ台をひっくり返した)
バレンタインネタを書こうと思ったのに、最初の妄想ではギャグのはずだったのに…(涙) 清四郎と悠理の場合、両思いになった後はタガが外れたようにいちゃいちゃバカップルになるか、でなければ全く何にも変らないかの両極端かなぁなんて思います。 でも全く変らないと、悠理ちゃんが悩んじゃいそうだよなとも思ったりして。
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Material by かぼんや さま