「花の舞ホテルにて…」




「ぶえっくしゅ!!」


バラの花が咲き乱れる古い洋館の一室で、悠理は垂れてくる鼻水を拭きながら、一人ベッドで膝を抱えていた。



ここは伊豆。富士山を望む街道沿いにひっそりと立つ花の舞ホテル。

夏休みを伊豆のホテルで食い放題&富士山を眺めながらのカラオケ大宴会を過ごす予定が、予約したホテルが食中毒を出して営業停止になり、たまたま入ったこのホテルに縁があって宿泊することになった。

素晴らしい食事の後、皆はホテルのラウンジで楽しい夜のひと時を過ごしていたのだが、風呂上りにクーラーの前に裸で立っていたために風邪をひいたのか、悠理はくしゃみを連発して、「早く寝ろ」と一人部屋に追いやられたのだった。



「あーあ。つまんないなぁ〜」

ポツリと呟き、ベッドにごろんと横になる。

「やっぱり、みんなのとこに行こうかな…」


悠理は一人でいるのは苦手だ。

ましてやせっかくの楽しい旅行の夜、仲間とわいわい騒いで過ごしたい。

やはり皆のところに行こうと身体を起こしかけた時、コンコン、と軽いノックの音が聞こえた。



「悠理?具合はどうです?」


ドアを開けて入ってきたのは、清四郎だった。

つかつかとベッドの脇に歩み寄ると、そっと悠理の額に触れた。


「…熱はないみたいですね。くしゃみは?」

「まだ…ぐしゅんっ!」

「ひどいですね…」


渡されたティッシュを掴み、ぶーっと勢いよく鼻をかむ悠理を見て、清四郎は溜息をついた。



「皆、何してる?」

「まだラウンジにいますよ。美童と可憐が、互いの恋愛論を戦わせてるとこです」

「退屈だよぉ、清四郎!やっぱりあたいも下に降りていってもいい?」

「駄目ですよ。ひどくなって、熱でも出たらどうするんです?今日はおとなしく、もう寝なさい。」

「だぁーってぇ〜」

涙目で清四郎の服を掴んでねだろうとした時、清四郎の暖かい手が悠理の頭を撫でた。



「さびしがりやさんですからね。一緒にいてあげますよ」



ぽんぽんと悠理の頭を軽く叩き、くしゃ、と髪がかき混ぜられる。

清四郎の手が離れると、悠理の身体はゆっくりと倒れ、ぽすっ、とベッドに収まった。

清四郎は悠理の身体の上に布団をかけ、自分はベッド脇に椅子を引き寄せて座ると、文庫本を広げた。



伏目がちになると、驚くほどに睫毛が長い。

悠理は上目遣いに清四郎の高い鼻や、男らしい顎の線を眺めた。

そばにいてくれると言う清四郎の言葉を思い出し、不思議にふんわりと優しい気持ちになったとき、ふと部屋の中に漂う香りに気が付いた。



「薔薇…いい匂い」

「え……?」

清四郎は、悠理の視線を追って窓の方を眺めた。

窓枠の上に、洒落た花器に赤い薔薇の花が活けてある。



「ああ、本当だ。そういえば、このホテルは薔薇の木に囲まれていましたね」

「可憐が気に入るの、わかるよな」

「ロマンティックな雰囲気がありますからね。赤い薔薇か…確か、花言葉は情熱でしたかね?」

僕にも悠理にも縁の薄そうな言葉ですな、と呟く清四郎に、悠理は口を尖らせた。



「んなことないぞ。あたいは食べることにかける情熱はすごいぞ!」

「確かに、そうですね」


清四郎がハハハと、声を立てて笑った。

普段は大人びた(と、いうより老けている)清四郎も、笑顔は年相応だ。


「清四郎は?あたいをからかうことに情熱を傾けてる?」

「…どこの世界に、そんなことに情熱を傾ける人がいるんです?」

「ここに」



たわいもない事を言い交わすうちに、悠理の瞼は段々と落ちそうになってきていた。

会話がふと途切れ、清四郎が文庫本に目を落とし、再び目を上げた時、悠理は既に寝息を立てていた。



「眠って、しまいましたか…」



そっと手を伸ばし、悠理の柔らかな頬に触れた。

手を滑らせ、優しく髪を梳いてやる。

剥き出しになっていた肩に、きちんと布団を掛けなおしてやると、清四郎はそっと部屋を出た。

 

 

彼の黒い瞳には穏やかな光が宿り、口元は優しく綻んでいた。

悠理に対する恋心を、清四郎は自覚している。

このホテルに漂う、バラの香りのように甘く芳しい感情を。



「さびしがりやさんですからね。一緒にいてあげますよ」



悠理にそう言った時、彼は無意識のうちに言葉をひとつ省略した。

その言葉は、悠理にはまだ早いとわかっていたから。



出会ってから、15年。

悠理は今、彼の隣で屈託なく笑ってくれる。その笑顔を、ただ見守るというのも悪くない。

そう、まだ今は、この関係が心地よい。

いつか固い薔薇のつぼみが花開き、その縁から麗しい香りが零れるように、悠理の気持ちが育ち、その身体から恋情が溢れ出す時がきっと来る。

その時が来たら、清四郎は悠理に伝えるつもりだ。

今日は、省略した言葉も、全部。



さびしがりやさんですからね。一緒にいてあげますよ。これからも、ずっと―――





end




16巻の「時をかける恋」の隙間妄想〜。

あのお話のラストで清四郎は、「悠理の時は止めませんから」なんて言っていますが、本当に悠理が連れて行かれそうになったら、命を賭けてでも止めると思います。原作の清四郎でもね。

このお話の原案&萌え台詞を振ってくれた「天然受&あがき女」ちゃん、ありがとう〜。

「思っていたよりもゲロ甘な話になっていて恥ずかしい」ということで、原案者名は伏せてくれと言われたけど……バレバレと思うぞ。(笑)






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