「つきぐるひ」




月が満ちていく。
夜毎、銀色の身体を、丸々と太らせていく。
月に合わせて、僕の中の狂気も、大きくなっていく。


死んだ光が、僕の良心までも、徐々に殺していくのだ。


―― ルナティック。



月と共に満ちる、狂気。
僕は、静かに月を眺めながら、狂気が育つのを待っていた。


 

重厚な玄関扉を押して外に出ると、僅かに欠けた月が、青い空の真ん中で、煌々と照っていた。
深く息を吸い込むと、清冽な、夜の空気が、肺腑に充満した。


「・・・せいしろ、明日も、会える?」
背後から聞こえる、甘えた声。
振り返ると、僕を見送りに出てきた悠理が、潤んだ瞳をこちらに向けていた。
月光を吸い込んだ瞳が、どこか妖しげに揺らめいている。
僕は悠理の頬に触れ、小さく微笑んだ。


「明日は無理です。」

明日は、満月だから。
悠理も僕が言わんとすることを理解したのだろう。天空に浮かぶ月を見上げて、ああ、と呟いてから、じゃあ次に会えるのは学校でだね、と、寂しげに言った。


悠理に見送られながら、帰路につく。
暗い夜道の上では、月が煌々と照っており、路面には青い影が落ちている。



月よ。そんなに照らないでくれ。
僕の中に眠る狂気が、眼を醒ましてしまうから。



いつからだろう?
満月を見ると、心が騒ぎ出すようになったのは。
月を見上げながら、ゆるゆると考えを巡らせる。
恐らくは、思春期のはじまり、女性を性の対象として捉え出した頃だろう。
その頃は、月と狂気の因果関係など、思いつきもしなかった。
しかし、猟奇殺人について描かれている本を読んで、僕の中で起こる異変の正体が何なのか、理解した。


猟奇殺人は、満月を挟んだ前後に頻発する傾向にある。
広大な海ですら、月の引力に引き上げられるのだ。
ちっぽけな人間が、影響されないはずがない。
体液を持ち上げられ、均衡を狂わされ。
殺人犯たちは、月のせいで狂うのだ。
己の中で殺すべき、禁断の欲望を満たすために。


青く醒めた光を浴びながら、そっと眼を閉じる。
視界を遮断すると、体内を駆け巡る狂気がはっきりと感じ取れた。
明日、月が満ちる。
僕の狂気も、完全に満ちる。
悠理に向けられた、凶暴な狂気が。


僕は、悠理を守るために、悠理に嘘を吐く。
満月の夜には、どうしても外せぬ用事があるのだと。

 

ひたひたと満ちてゆく狂気を感じながら、僕は、誰もいない夜の道をゆっくりと進んだ。

 

 

その日、僕は朝から山奥の別荘に向かった。
悠理を意識しはじめてからはほぼ毎月、満月の夜は、ひとりここで過ごしていた。
貸別荘にしては瀟洒で小奇麗、そして、何より気に入っているのは、山麓の景色が一望にできる、巨大なサンルームの存在だった。


周囲が夕闇に包まれる少し前、僕は、いつものように、硝子張りの部屋に入った。
寝椅子に凭れ、暮れゆく景色をじっと眺め、夜を待つ。
空が、徐々に変化してゆく。
水色が黄金に、黄金が茜に、茜が菫色に、菫色が藍に、複雑なグラデーションを描きながら、色を変えてゆく。そして、眼下遠くに広がる街に、ひとつふたつと、灯が点り、やがて地上いっぱいに光が広がった。


そして、空に開いた穴のように、ぽっかりと浮かぶ、満月。


僕は、青く醒めた光を浴びながら、そっと眼を閉じた。



 

月に照らされた部屋の中、悠理が哭いている。
銀の鎖に手足を束縛され、裸体を隠すこともままならない。
嗚咽にあわせ、白い腹が上下する。目尻から流れる涙が、月光を反射する。
僕は、その様子を楽しげに笑いながら見下ろしている。


僕が彼女の体内に白い精を放つことを伝えると、悠理は泣いて許しを乞うた。
ゴムの膜を隔てていては、決して味わえぬ、残虐な快楽。
腕の下で泣きじゃくる悠理の中に、狂った遺伝子を注ぎ込む。
僕が達したのを知って、悠理が高い悲鳴を上げる。逃げるように腰が動く。
悲鳴を上げ続ける細い首を、両手で絞める。
潰れた喘ぎ、恐怖に見開かれた瞳、口の端から垂れる唾液。
僕は笑いながら手を緩め、彼女を死の淵から引き摺り上げる。


青く染まった彼女の身体は、まるでよくできた人形だ。
だから、生きているのかどうか、確かめたくなる。
月光の下、食い千切れんばかりに乳首を噛み、濡れる蕾に爪を立てる。
悠理は泣き叫びながら、許しを乞う。
ひときわ高くなる絶叫。
口の中に、悠理の血の味が広がる。


まだ終わらない。

まだ終われない。


月は、まだ沈まない。





突然のチャイムに、僕は眼を開けた。
硝子張りの天井の上には、煌々と照る月。
ゆっくりと起き上がり、玄関に向かう。


扉の向こう側には、先ほど夢見た悠理の姿があった。


「ごめんなさい・・・どうしても、清四郎に会いたくて・・・」
申しわけなさそうに俯く彼女は、どこまでも無垢で。
「・・・怒ってる?」
不安げに僕を見上げる瞳は、どこまでも澄んでいて。


だから、僕は微笑んだ。



「いいえ。来てくれて、嬉しいですよ。」
僕は微笑みながら、扉を大きく開けて、悠理を招き入れた。


「ここには素敵なサンルームがあるんです。悠理にも見せてあげましょう。」


 

 

狂った月は、まだ沈まない。

 








またもやダークな話を…痛っ!どこからか石礫がっ!

実はこの話、先日、車窓から満月をぼんやりと眺めているとき、ふっ、と頭に浮かんだものです。夜の電車でひとりニヤニヤ笑う不気味な女を見かけたら、ワタクシかもしれません。(笑)

エキセントリックな美青年と、月。それだけで絵になります。それにワタクシの筆力が伴わないのはお笑い草ですが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

麗さん。こんなしょうもない話を押しつけちゃってゴメンね。良かったらまた一緒に妄想を回してクルクルしましょうね♪



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ハチ子から、また頂いちゃいました〜〜。

月の満ち欠けに自身の中の狂気を操られる清四郎が素敵。(うっとり)

ハチ子の描く清四郎って、何でこんなに危うくて色っぽいんでしょう?こんな妄想ならいつでもカモ〜ン!一緒に回っちゃうわよ〜。(笑)






「Dark Bee Collection」

Material by 月素材写真館さま