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「結婚するんだ。あたい。」
悠理が唐突に宣言したのは、寒さが身に滲みる、晩秋の頃だった。
財閥の基盤を磐石にするため、さらなる飛躍と発展に挑むため、剣菱を支える様々な人々のため、悠理はその細くしなやかな身体を、投げ出すのだと言う。 「今まで良い暮らしをさせて貰ったんだから、恩返しくらいしなくちゃな。」 どこか投げ遣りな言葉は、彼女が納得ずくで結婚するのではないことを示していた。 しかし、その裏には、どうしようもない諦観と、悲壮な覚悟が漲っていたことも、僕は見抜いていた。
誰よりも自由で、何にも縛られなかった、奔放な魂が、政略結婚という汚れた檻に、自ら飛び込もうとしている。 僕の愛した、無垢な魂は、汚辱に耐えられぬというのに。
晩秋は、気の早い初冬に押し流され、早々にその姿を消した。 徐々に迫り来る冬将軍の足音に、街を歩く人々は一様に背中を丸めている。 そんな街の景色を、僕と悠理は遠く眼下に眺めていた。
最後に、もう一度だけ、抱いて欲しい―― 悠理の切実なる願いに、僕が逆らえるはずもなく、日中にも関わらず、二人はホテルの一室に閉じ篭もることにした。 部屋に入って、二人きりになっても、悠理は口を開こうとはせず、コートを着たまま黙って窓辺に立っていた。 そんな彼女を後ろから抱きしめ、冬の匂いがする髪に、顔を埋める。分厚いコート越しでは、愛しい体温まで感じられず、僕は僅かな焦燥を覚えた。
コートを脱がすと、その下から、普段と変わらぬ鮮やかな色合いのファッションが現れた。最後の逢瀬と言いながら、飾ろうとしない彼女の心中は、男には読めない。 セーターの上から、まろやかな胸を掌で包んで、そっと指を動かす。それでも悠理は微かな吐息を漏らしただけで、何も言おうとはしなかった。 「悠理・・・僕を見てください。」 悠理は振り返らない。何も言わない。 僕と、向き合おうとしない。 「どうして―― この身体を、他の男に売るのですか?」 微かに、肩が揺れた。 「僕が愛した、唯一無二の魂を、どうして自ら穢そうとするのですか?」
悠理が持つ、悠理だけの世界が、世間に負けて踏み躙られようとしているのが、僕には耐えられないのだ。 悠理が結婚し、自由を失い、徐々に心を腐らせていく様を、他人として傍観するなど、僕にとっては、此の世に地獄が出現するのと同様である。
「それとも貴女は、僕以外の男に身を任せても平気だと?」 「ちが・・・っ・・・!」 栗色の髪がふわりと揺れ、大きな瞳が、僕を捉えた。 戦慄くくちびるが、苦しげに、言葉を紡ぐ。 「・・・だって・・・仕方、ない、もん・・・」 財閥令嬢として生まれた宿命。その細い身に、幾万人もの生活がかかっている。 そのくらい、僕にも分かっている。しかし、それでも。
強引にくちびるを奪い、吐息を貪る。 巨大な硝子に悠理を押しつけ、胸と腕の中に閉じ込める。 僕は眼を開けて、悠理を見つめた。 窓硝子に押しつけられた彼女は、まるで、天空に縫い留められているようだ。
悠理は、小鳥のように臆病で、大風のようにわがままで、春の陽のように暖かだ。 細い肢体は、天鵞絨のように滑らかで、桜の花弁のように柔らかい。 その曲線は、朝未きに浮かんだ山々の稜線のごとく、儚く美しく、爛漫な魂は、天空を彩る虹光に似ている。 そんな彼女が、僕ではない男のものになるなんて――
「―― 嫌なんです。」 どんなに理不尽な感情であろうと、僕には、耐えられない。 「悠理が、嫁してしまうなんて―― 」 花より先に実の生るような、夏から春のすぐ来るような。 そんな理屈に合わない不自然を、悠理が行おうとするなんて。
足から力が抜け、僕は、悠理の前に跪いた。 天空に縫い留められた彼女が、驚いたように僕を見下ろす。
「嫌なんです。貴女が嫁ってしまうのが―― 」
跪いたまま、悠理を抱きしめる。 柔らかな腹に顔を押しつけ、懇願する。
「僕の元から、去らないでください。嫌なんです。悠理が、他の男のものになってしまうなんて、どうしても耐えられない―― 」
見上げれば、冬の曇天を背景に、悠理が僕を見下ろしたまま、泣いていた。
「あ、あたいも、嫌だ・・・お前と別れるなんて・・・お前以外の男に抱かれるなんて・・・絶対に、嫌だ・・・」
悠理の零した涙が、僕に降りかかる。
僕は、求めるように、天に両手を差し出した。
天に縫い留められていた悠理が、僕の上に落ちてくる。
僕は悠理を抱きしめ、悠理も僕を抱きしめた。
「・・・清四郎、清四郎・・・あたい、やっぱりお前じゃなきゃ嫌だ・・・」 悠理は、僕の腕の中で、激しく泣きじゃくった。 僕は、そんな彼女を、折れそうなほど強く抱きしめる。 「分かっています。僕も、お前も、気持ちは同じだ。」 持って生まれた宿命など、惹き合う二人の前では、無力だ。 「ずっと・・・ずっと、一緒にいましょう。どんな困難にも負けずに、ずっと、一緒に生きていきましょう。」
たとえ、全世界を敵に回そうとも、二人は離れられない。
だから――
「だから、もう二度と、誰かのものになるなんて、言わないでください。」
それは、僕の、魂からの願い。
end
……描きたかったんです。
智恵子抄ネタが。
きっと「何やねんコレ」と呆れた方々も多数いらっしゃるでしょう。
言い訳をいたしますと、コレはもともと某姉の誕生日プレゼントとして描いたモノでございまして、そのお気楽な身内意識のせいか、内容などあまり考えていないのでございます。(←殴)
そんな駄作が何故某姉によってラッピングし直され、麗さんの元へ届けられたかは…永遠の謎でございます(笑)
とりあえず、某姉、誕生日おめでとう! そしてハチ子の駄文を拾ってくださる麗さん、愛してるわ
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……欲しかったんです、智恵子抄ネタが。(笑)
この話の構想をハチ子に聞いたときから、ずーーっと「書いて〜、書いて〜」と懇願し続け、某姉の誕生日に贈られたのを幸いに、「くれ!」と横取りいたしましたのでございます。
ちなみに元となった高村光太郎の詩、「人に(いやなんです)」は、かの「智恵子抄」の最初に出てくる詩です。今読み直すと、清×悠を髣髴とさせて泣けますよん。
「Dark Bee
Collection」
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