one-sided love By hachi さま
清四郎の後姿は、見る見るうちに遠ざかってゆく。 それが完全に人込みの中へと消えたのを確かめてから、可憐は肩にかかる髪を払い、大袈裟に溜息を吐いた。
最高で、最低の男は、可憐がもっとも信頼する仲間であり、同時に、捻くれ者の悪友でもあった。
彼の遅咲きの初恋が実ることを、真っ暗な夜空を見上げながら、願う。 可憐は、彼の恋が成就することを祈りながら、夜の街へと歩き出した。
歩きながら、記憶を辿る。 悠理が泣きそうな瞳で清四郎を見つめはじめたのは、いつからだろう? 可憐の記憶が確かならば、一年以上は経つ。
清四郎を見つめる悠理は、とても綺麗だった。 普段の野生児面が、想像できないほどに、可愛らしくて、切なかった。 清四郎から子ども扱いされるたびに、大袈裟におどけて、そのあとすぐに哀しげに顔を歪めていた。髪を掻き回され、怒ってつっかかりながらも、口元は嬉しさを隠しきれていなかった。 でも、それは、ほんの少しの変化であって、気をつけていなければ、見落とす程度のものだった。 可憐は、他人の恋には興味がない。
なのに、どうして悠理の変化に気づいたのか――
その理由を知ったら、仲間たちは驚きのあまり引っ繰り返るだろう。
今晩は充分すぎるほど飲んだ。 ひとりで街をうろついて、また変な輩に絡まれるのも嫌だし、そろそろ帰ろう。 可憐は車道の際に寄り、タクシーを捜した。 そして、反対側の歩道を歩く、悪友のひとりを見つけた。
彼は、少し背中を丸め、細くて長い足を投げ出すようにして歩く。 僅かに右肩が下がる癖も、彼を構成する、大事な要素のひとつだ。
それにしても悪友たちとよく会う夜だと感心しながら、反対側の歩道に向かって、手を振り上げた。
「魅録!!」
「家まで送るから、たまには電車で帰ろうぜ。」 そう言う魅録の顔は、笑っているのに、寂しげだった。 だけど、可憐は何も聞かずに、そうね、とだけ答えた。
二人並んで、駅までの道程を、ゆっくりと歩く。 どちらも、口を開かぬままに。
魅録が重い口を開いたのは、歩き出して五分ほど経った頃だった。
「・・・お前、悠理が清四郎を好きだって、気づいてたか?」 男はこちらを見ようともせず、流れるテールランプに眼を向けたまま。 可憐も同じく前を見たまま、当然のことのように、あっさりと答えた。 「ええ。」 「そうか。」 「そうよ。」 また、沈黙が訪れた。
駅に着き、それぞれに切符を買った。 魅録は女だからといって、仲間を甘やかさない。 だから可憐も、魅録には甘えない。 女性を女性として扱う清四郎や美童には甘えても、可憐を人間として見てくれる魅録にだけは、甘えたくなかった。
人影まばらなホームのベンチに、並んで腰を下ろす。 ここからだと、ネオンが遠い。 ただ、不夜城の明かりが、暗いはずの空を薄ぼんやりと照らしていた。
「ねえ、魅録。」 「あん?」 「あの二人が付き合い出したら、あんた、どうするつもりなの?」 魅録は答えない。 二人の前に、電車が滑り込む。 しかし、二人はベンチから立ち上がらなかった。
電車のドアが無愛想に閉まり、最初はのろのろと、やがてスピードを上げて走り去っていく。 可憐と魅録は、黙ったまま、それを見つめていた。
「なあ、可憐。」 「なによ?」 「お前、清四郎が好きだったんだろ?そっちこそどうするつもりだ?」 魅録の見当違いな質問が可笑しくて、可憐は思わず吹き出した。 いきなり笑い出した可憐に驚いて、魅録がこちらを向く。 やっとで、可憐を見てくれた。
可憐は笑いながら、細長い屋根に切り取られた空を見上げた。 「そりゃあ、昔は好きだったわよ。でも、四年近く前の話だわ。今はただの悪友。清四郎が誰と付き合おうが、あたしの知ったことじゃないわ。」 そうか?と魅録が困った顔で言う。 可憐は笑いながら、そうよ、と答えた。
可憐が、清四郎を好きだったのは、中三の終わり。 はじめて仲間たちが集ったあの日、拉致された可憐と野梨子は、清四郎に助けられた。 そのときの凛とした格好よさに、初心な恋を抱いた。 でも、その恋は、告げる前に終わってしまった。
あのとき、清四郎が助けたのは、可憐ではなかった。 そして、野梨子でもなかった。
清四郎は―― 悠理を助けたのだ。
清四郎に恋したからこそ、彼を見ていたからこそ、気づいた。
本人すら気づいていないかもしれない、静かな恋情に。
「あたし、あの二人には上手くいって欲しいって、心の底から思っているの。あんたには悪いけど、ね。」 清四郎に抱いた恋心は、彼の恋を知って、溶けて消えた。 もしかしたら、恋にも満たない想いだったのかもしれない。
魅録が仰け反るようにしてベンチに凭れ、スレートの屋根を見上げる。 「やっぱさ、女ってもんは、清四郎みたいな優等生タイプの男に惹かれるもんか?」 「あたしは、あんな最低男なんて、御免被りたいけどね。」
そう。 あんな、ひとりの女しか眼に入らない男なんて、こっちから願い下げだ。 それも、つい最近まで自覚もないときた。性質が悪いったら、ありゃしない。
後ろのホームに、電車が滑り込んできた。 可憐と魅録は、動かない。 ドアから吐き出される人。呑み込まれる人。 大勢の人がいるのに、隣に悪友がいるのに、寂しさが胸を締めつける。
「・・・清四郎は、悠理のことをどう思ってるんだろうな?」 今さらな発言に、可憐は呆れ果て、思わず声を荒げた。 「馬鹿じゃない?好きに決まってるじゃないの!そんなことも分からないくせ、ずっと悠理に片思いしてたわけ?」
清四郎も呆れるほど鈍感だが、魅録もどっこいどっこいである。 好きな女が、どこを見ているのか、気づかないのも許せないが、恋敵の視線に気づかないでいるのも、愚の骨頂としか言いようがない。
呆れて黙り込んだ可憐の隣で、魅録は、憮然とした表情で、空を見上げていた。
「・・・最近の駅は、煙草が吸えねえから大変だよな。」 突然、魅録がぼそっと呟いた。 不機嫌そうに、薄いくちびるを窄めて、明るい夜空を見上げている。 「最近は、煙草を吸う男はもてないのよ。あんたもそろそろ禁煙したらどう?」 「無理だな。酒と煙草は死んでも止められねえよ。」 「じゃあ、女なら止められるの?」 ついつい口から出た厭味に、我ながら嫌な女だ、と呆れる。 でも、魅録は厭味にすら気づいていないようで、止めてみなきゃ分からねえよ、とぶっきらぼうに答えた。
魅録はいつも真っ直ぐで、腹芸や嘘が苦手だ。 札付きのワルとつるんでいるくせ、曲がったことが嫌いで、筋を通したがる。 いつも本心で向かってくるから、こちらも本心で迎えなければならない。 出合った頃は、男女の駆け引きも出来ない魅録がうざったくて仕方なかった。
だけど、今は――
「・・・あの二人、うまくいくと良いわね。」 「・・・そうだな。」 ワンテンポ遅れた返答に、彼の複雑な心中が表れていた。 可憐は、夜風に舞う髪を押さえ、隣に座る男を見た。
男性独特の、シャープなラインの頬。 本当は優しいのに、恐ろしげな印象を与えてしまう、鋭い眼。 仲間思いで、不器用な優しさしか表現できない、可憐の―― 大事な、仲間。
四年前、清四郎に抱いた想いは、恋というには淡すぎるものだった。
仲間に恋をするなんて、可憐の主義に合わない。
仲間には、恋をしない。
仲間に恋をすると、辛いから。
だから、今度の想いも、きっと、恋未満のもの。
電車が滑り込んできた。 反動をつけて立ち上がり、まだ座ったままの魅録に手を伸ばす。 「しけた面してんじゃないわよ。男は、失恋した数だけ恰好良くなるものなんだから、これで良かったと思いなさい。」 話しながら、男らしく骨ばった手を掴み、ぐい、と引き上げる。 魅録は苦笑しながら、されるがままに立ち上がった。
繋いだ手から伝わる体温に、少しだけ心音が跳ねる。
可憐は、魅録と手を繋いだまま、心臓に向かって、鎮まれ、と命令した。
二人並んで、電車に乗り込む。
窓辺を流れていくネオンが、妙に空々しく感じた。
電車が揺れるたびに触れる肩が、やけに気になった。
これは、恋じゃない。
魅録を見ていたから、悠理の恋に気づいたわけじゃない。
これは、友情以上、恋未満の感情のはず。
だから、あたしの胸よ、どきどきしないで。
この夜は、悪友たちの恋の成就だけを願っていたいから――
―― 心の奥に眠る片恋を、気づかせないで。
―――end
片恋の陰に隠れた、もうひとつの片恋は、友情以上、恋情未満の切ない女心でした。 またまた消化不良を起こしそうな話を描いてしまいました。皆さま、怒り心頭になってらっしゃらないか不安ですが、広いお心を持って、どうかお許しくださいませ。 可憐はいい女ですから、切ない片恋も糧にして、さらなる成長を遂げていくはずです。そして、魅録も、もしかしたら… この先のストーリーは、皆さまのご想像にお任せいたします♪ 最後に、麗さん。 こんな話まで引き取って頂いて、有難うvv
これに懲りずに、また一緒に遊んでねん!
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うーん、可憐姉さんいい女♪
実は「すべてをこの夜に」をはじめて読んだ時、「可憐が清四郎を好きなのかと思ってドキドキした」と、感想を話したのよね。
有閑女性陣は、すぐ側にいい男が3人もいてうらやましいな〜。
それにしても、「最高で最低の男」「一人の女しか目に入らない男」なんて、相変わらずのツボをつく描写。
Bee's Room
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