―― すべてをこの夜に By hachiさま
繁華街と隣り合った公園。木々の隙間から零れるネオンと、沢山の男と女のざわめきが、やけに遠い。動かないブランコの上で、あたいは止まらない涙を持て余していた。清四郎が好き。清四郎が好き。清四郎が好き。いくら繰り返しても、足りないくらいに好き。なのに、清四郎は、あたいを好きじゃない。清四郎にとって、あたいは「女」じゃなくて「友人」なんだ。清四郎にとって、あたいは、がさつで、野生児で、馬鹿で、とてもじゃないけど、「女」として捉えられる存在じゃないんだ。それを思い知らされた夜、どうしようもなく涙が溢れて、あたいは途方に暮れていた。嗚咽に震える髪を、誰かが優しく撫でた。顔を上げる。木の間越しのネオンを背景にした、優しい笑顔。あたいは、笑顔の主の名を呼んだ。「・・・魅録。」怒る女を残し、僕は地下を這い出た。地上は、眩いネオンに溢れていた。ネオンの渦の中を、僕は彷徨い歩く。どうしようもない恋心を、持て余しながら。「止めてよ!離して!いきなり何なのよ、あんたたちっ!!」突然、聞き慣れた声が、雑踏から飛び出した。人込みを押し退けて進むと、輪の中心に、可憐がいた。自慢の肢体を強調するデザインのドレス。大降りのアクセサリー。否応なしに男の欲をそそる、その美貌。可憐のすべてが、男を誘き寄せる、誘蛾灯のようなものだった。可憐は、泥酔した若いサラリーマンの一団に絡まれていた。連れの男は、既に逃げ出した後らしい。雑踏の中に、僕を見つけた可憐の顔が、ぱあっと輝いた。「清四郎!ちょうど良かった!助けてよ!」マスカラに縁取られた視線を追って、ギャラリーと、可憐に絡む男たちの視線が僕に集中した。こうなれば、早く片付けてしまうに限る。僕は手近にあったガードレールに拳を落とし、男たちに向かって薄く笑んだ。魅録は、泣きじゃくるあたいの隣に座って、何も言わずに煙草を吹かしていた。革パンを穿いた足に合わせて、ブランコが、ぎいぎい、と音をたてる。「お前・・・清四郎が、好きなのか?」唐突過ぎて、答えに詰まる。涙を流しながら眼を見開くあたいを見て、魅録は困ったように微笑んだ。「そうか、なら、いいんだ。」何がいいのか、あたいには分からなかった。聞こうかとも思ったけれど、魅録の横顔が寂しげだったから、どうしても声がかけられず、あたいは黙ったまま、俯いた。ぎいぎい、とブランコが鳴る。遠いざわめき。木々の間から漏れるネオン。隣には、そっぽを向いて煙草を吹かす魅録。最低の夜が、静かに過ぎていく。可憐から引き摺られるように入ったのは、天空に近いバーだった。「たまには傷心のあたしを慰めてくれたっていいでしょう!?それとも野梨子じゃなきゃ慰める価値がないとでも言うの!?」強引というか、理不尽な理由に首を傾げながらも、僕は可憐と一緒に樫の扉をくぐった。しかし、今の僕に、眼下に広がる夜景など、眼に入るはずもなく、上等なスコッチも、味などしようはずがなかった。「・・・あんた、悠理と何かあった?」散々愚痴を零した後、可憐がそう尋ねてきたのは、三杯目のスコッチに口をつけたときだった。僕はポーカーフェイスを崩さぬまま、琥珀の液体を煽った。「どうしてそう思うのです?」尋ねた横顔は、僕ではなく、夜景を眺めている。「悠理もあたしと同じ女だから。」可憐の答えは単純かつ明快で、僕は反論する手立てを失った。沈黙の中、可憐がよく手入れした爪で、グラスを弾いた。かん、と澄んだ音が、マホガニーのカウンターに小さく響いた。「知ってた?悠理が泣きそうな瞳をしているときは、いつもあんたを見てるって。」夜景から眼を離さず、可憐が言う。「あんたって、最高のようで、最低の男なの。ステイタスや偏差値に眼が眩んだ女には、あんたの最低っぷりなんて、分からないでしょうけど、あたしに言わせれば、清四郎は史上最低の男よ。」答える気力も、今の僕にはない。「そんな最低男を見ていたら、誰だって、泣きたくなるわ。」可憐はそう言うと、血のメアリーを飲み干した。「辛かったら、いつでも俺に寄りかかっていいぞ。」魅録が煙草を吹かしながら言う。あたいは涙を流しながら、黙って頷いた。魅録は、あたいのぜんぶを受け止めてくれる。なのに、あたいが好きなのは、魅録じゃない。魅録を好きになっていたら、こんなに苦しまなくて済むのに。そう思ったら、余計に涙が溢れてきた。魅録に甘えるあたいは、ずるい女だ。そう思いながらも、魅録が逃げられないよう、わざと弱い言葉を吐く。「ごめん・・・魅録に、嫌な思いさせて・・・ごめん・・・」魅録は弱い人間を捨てられない、冷たくできない。そんな彼を利用して、自分が楽になるように企てるあたいは、最低だ。「謝るんじゃねえよ。人間、弱ってるときは誰かに頼りたいもんだ。」優しい言葉が、胸に刺さった。「ごめん・・・魅録、ごめん・・・」罪悪感が、涙となって吹き出してくる。あたいはしゃくり上げながら、何度も謝った。大きな手が、あたいの頭をがしがし掻き回す。夜風に乗って、煙草の残り香が流れてくる。「悠理。」煙草の吸いすぎでちょっと枯れた、優しい声が、あたいを呼んだ。「俺じゃあ、清四郎の代わりになれねえか?」「女って、基本的に我儘だから、四六時中、好きなひととは一緒に居たいって思っちゃうものなの。」可憐が、溜息混じりに呟く。「でも、傍にいるせいで、嫌われるのも怖いの。だから、わざと強がったり、妙に明るく振舞ったりして、自分を偽るのね。」彼女が言いたいことが分からない。何故にそう言うのかも分からない。「相手の気持ちが分からなければ、余計にそうなるわ。不安で、不安で、一緒にいるのが怖いくせ、それでも好きだから一緒にいたい。」可憐が首を傾げ、僕の顔を覗きこんできた。ペルシャ猫を思わせる、魅惑的な瞳が、僕を捉える。「そんな女心、あんたには、永遠に分からないでしょうね。」呆れ気味の声。どこか、揶揄の響きを含んでいる。男に女の心理など分かろうはずもなく、僕は、グラスに映る夜景ごと、酒を煽った。「数式を解くのは得意なんですがね。生憎と、明快に答が出ない問題は不得手なんです。」早々に酔いが回ったのか、着地位置を見誤り、グラスがカウンターにぶつかった。そんな僕を見て、可憐がもっと呆れた声を上げる。「私、酔った男も嫌いだけど、酔って管を巻く男はもっと嫌いなの。情けない姿を晒して呆れられる前に、女心を解く数式でも思いつきなさいよ。」そんなものを思いつけるなら、僕は今頃ノーベル賞を受賞している。魅録の視線が怖くて、あたいはブランコから立ち上がった。がしゃん、とブランコを吊るす鎖が音を立てる。膝の裏に、揺れて返ってきたシートが当たって、バランスを崩しそうになる。「悪い、冗談だ。」そう言って笑う魅録の声は、煙草のせいでなく、掠れていて。笑っているのに、魅録の顔は、淋しげで。「魅録は魅録だもん!誰かの代わりになんか、ならないよ!」それは、本心。あたいができる、精一杯の返事。誠意、なんて言葉、恥ずかしくて使えないけれど、あたいなりの真剣な答だった。「・・・魅録は、魅録だもん・・・」魅録は魅録で。清四郎は清四郎で。意味は全然違うけれど、どちらも大事で、大好きだ。ただ―― 恋をしているかどうか、それだけの違い。それだけなのに、大きな、大きな、違い。「・・・ごめんなさい。」「謝る必要なんかねえよ。」咥え煙草の先が、ほう、と赤く燃える。溜息混じりに吐き出された煙は、夜に溶けた。シャープなラインの横顔が、ネオンに滲んで見えた。どうしてこんなことになっちゃったんだろ?どうして魅録まで傷つけなきゃいけないんだろ?あたいは、ただ、清四郎が好きなだけなのに―― 可憐が空のグラスを置いた。「ごちそうさま。今日は助けてくれて有り難う。」悪い習性だと思うのだが、可憐は相手が男ならば、恋愛対象外であっても、奢ってもらうのが当然と信じている。僕は可憐から顔を逸らして、軽い溜息を吐いた。支払いを済ませ、二人並んで地上に降り立った。可憐が、くい、と顔を上げて、真っ暗な空を見上げる。夜風に、彼女ご自慢の巻き毛が、ふわり、と舞った。「・・・ねえ、清四郎。」可憐が空を見上げたまま、話しかけてきた。「あんた、このままじゃ、明日っから笑えなくなるわよ。」巻き毛が夜に舞い、艶やかな微笑が、僕を捉える。「あんたから、山より高い自尊心を取ったら、何が残るっていうのよ?」す、と、可憐の顔から、笑みが消えた。恐ろしいまでに、真剣な表情が、僕を睨みつける。「うだうだ悩むくらいなら、いっそすっきりしてきなさいよ!」風が、止んだ。そして、僕の心から、迷いが消えた。「やはり可憐は良い女ですね。」僕の言葉に、可憐は大袈裟に顔を顰めてみせた。「今更気づいたの?やっぱりあんたは最低の男ね。」どん!と背中を叩かれ、後押しされる。そして、ウインクつきのガッツポーズ。「最低から脱出するためにも、一発決めてきなさい!!」僕は、何も答えぬまま、夜に向かって、走り出した。魅録が苛立ちも露わに、派手な頭を掻き毟った。「つったくよ!メソメソする女になんか、付き合っちゃいられねえよ!」優しかった魅録の、いきなりの変貌に、あたいは眼を見開いて驚いた。「魅・・・」「お前、この先もずっとメソメソしている気か?それで、本当にいいのか?」魅録の真剣な眼差しに、あたいは、返す言葉を失った。このままでいい、なんて思ってるはずがない。でも、どうしたらいいか分からないんだ。清四郎は、あたいのことなんか好きじゃない。しかも、あたいが魅録を好きだって勘違いして、二人の仲を応援してくれている。そんな男に想いを告げたって、戸惑われるだけじゃないか。車のクラクションが、けたたましく鳴り響く。魅録は、じっとこちらを見ている。「―― 俺が知っている剣菱悠理は、自分に嘘が吐けない、正直な女だ。」女たちの嬌声と、酔っ払いたちの無遠慮な声が、交じり合って、夜に溶ける。「涙を流すなら、一気に流せよ。だらだら泣かれていたら、こっちが困るだろ?自分のためだけじゃない。俺のためにも、すっきりしてこいよ。」頭を、ハンマーで殴られた気がした。あたいは、想いを溜め込むことで、自分だけじゃなく、魅録まで傷つけていたんだ。そして、あたいがこのまま立ち止まっていても、誰も、幸せにならない。涙を拭い、魅録と向き合う。「・・・ぶち当たってボロボロになったら、ヤケ酒に付き合ってもらうからな!」魅録は煙草を吹かしながら、にやりと笑った。「おう。今から楽しみにしているぜ。ほら、さっさと行って来い!!」しっしと手で払われ、あたいは駆け出した。魅録のために、そして、あたい自身のために。僕は、夜の街を駆けながら、携帯電話を取り出し、記憶している番号をプッシュした。あたいは、人ごみに逆らいながら、携帯電話のメモリを使って、清四郎の携帯に繋いだ。繋がらない。繋がらない。舌打ちして、喧騒に包まれた夜の街を駆ける。携帯電話をポケットに突っ込み、騒がしい街を走る。今すぐ会いたい。今すぐ話したい。秘めた想いを告げるために、誰にも負けない想いを告げるために、僕は、夜を駆ける。あたいは、夜を走る。今すぐ、恋しいひとと向き合いたくて。ただ、恋しいひとに、会いたくて。擦れ違う想いは、真っ直ぐに突き進んでいく。すべては、この夜に。すべてを、この夜に。
・・・・fin ?
ゴメンなさい。懲りずに「片恋巡歌」の続編です(爆)
こちらは、前編を読んだF氏(←清×悠ハッピーエンド原理主義者)に「なんじゃこりゃあ!?」と泣かれたため、罪滅ぼしのつもりで描き上げたものでございます。
このあと二人は巡り合えず・・・なんて不幸な続きは(恐らく)ないかと思われるので、F氏だけでなく、読んでいただいた皆さまも安心してくださいませ♪
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