Knight

By  千尋さま

 

 

 

 髪が、揺れていた。

 おまえの、長い髪が揺れていた。

 おまえが、一歩、また一歩と、足を踏み出すたびに、おまえの長い髪が、俺の隣で、揺れていた。

 

 時折吹いてくる少し冷たい風が、おまえの髪を軽く舞い上げて揺らす。そのたびに、おまえの手は、おまえ自身の長い髪に添えられる。その、さりげなく髪を払う仕草に隠されて、おまえの表情はよく見えない。

 鉄筋コンクリート製の高層ビルが並木のように建ち並ぶ街の中を、俺は、可憐と連れ立って歩いていた。

 タイル張りの歩道の横で、アスファルトの車道の上を、車が何台もすり抜けていく。雑踏のざわめきに消されて、タイルの上に落ちるおまえのハイヒールの足音が、小さく響く。

 その微かで、でも、どこか小気味いい響きのある足音に呼応して、おまえの長い髪が、揺れる。

 

「風、全然止みそうにねーな」

 ジャケットのポケットに両手を突っ込みながら、俺は思ったことをそのまま口に出していた。俺の左手首の、バングルの代わりのつもりで二重巻きした細い革紐が、目に付いた。

「ほんと。今日は特に風がきつ……」

 その時、声も出せないほどの強い風に、背後から突然襲われた。可憐が、返事を返そうとした瞬間だった。風圧に負けたジャケットが、音を立てて俺の腕を叩きつける。目を開けてなんかいられないほどの突風だった。

 細めた目の端に、高く舞い上がって揺れ落ちていく長い髪が、映った。

 

「もうっ、なんなのよっ!! 今の突風。おかげでグチャグチャじゃない!!」

「ぶはっ!! 何だよそれ。すげーことになってんな、おまえの頭」

 悪いとは思いながらも、俺は目の前で立ち止まっている可憐を見て、噴き出して笑わずにはいられなかった。

 長い横髪が可憐の顔の前に何本も垂れ下がって落ち、後ろの髪に至っては不規則に左右に割れてしまっている。

「何笑ってんのよっ、魅録! あんたもデリカシーのない男ね! 笑い事じゃないわよ!!」

 手持ちのバックに手を突っ込んだままで、可憐が一瞬、俺を睨む。

「――… 悪い。それ、俺が直してやるからさ。鏡出さなくていいぜ。探してんだろ?」

 右手で可憐の長い髪に触れる一方で、俺は、左手で可憐の手を制する。左手の革紐越しに、俺の手がおまえの右手に、一瞬、触れた気がした。

 

 可憐が、バックに突っ込んでいた右手を外に出す。静かに下げられたその手には、何も握られてはいない。

 可憐の顔を隠すように垂れ下がっている髪の一筋を、俺の掌の上にのせる。そのまま横へと髪を振り分けて、俺は、髪の上を滑らすようにして手を離す。俺の手の中から零れるような形で、おまえの長い髪は揺れ落ちていく。そうやって、おまえの髪を整え直すたびに、おまえの髪は揺れていた。

 

「よっしゃ。こんなもんだろ。あとは、これでも使って結んどけ」

 整え直した可憐の髪の一房を、俺の左手の上にのせる。そのまま左手首に巻いていた革紐を右手だけで解いて一本の紐の状態に戻してから、俺は、手に乗せていた可憐の髪に適当に括り付けてやった。

「ちょっと!! 直してくれたまではいいけど、なんて中途半端な結わえ方すんのよっ。どうせならもっとセンス良くまとめてよ」

 俺が適当に括りつけた革紐は、一房の髪と共に、可憐の右目を隠すような形で垂れ下がっていた。

「まったく。親切なんだかイジワルなんだか、わかったもんじゃないわね。男って」

髪の革紐を解きながら、可憐は呟いている。

「……鏡……。ああ、もうこれでいいわ」

歩道の脇に立ち並んだテナントビルの中から、手近なもの一つを選んで、可憐はそのショーウインドを覗き込み始めた。高級ブランドのテナントが、いくつも入っているビルのショーウインドの中には、男物の革靴と、華奢な作りのハイヒールが置かれていた。

 

「何見てんだよ?」

 足を踏み出して、可憐の横に回りこみながら、俺は可憐に訊いた。

「何も見てない。ただの鏡代わりよ」

 俺の方を振り向きもせず、抑揚のない声で、可憐が答える。可憐の口には、革紐が軽く咥えられていた。俺が見ている目の前で、可憐は左右の横の髪を編み込んだあと、編み込んだ横髪だけを後にまとめて、革紐で結びあげた。

 可憐が、髪から手を離した瞬間、長い髪と革紐が、揺れた。

 

 俺は可憐から目を逸らして、ショーウインドの中に視線を落とした。

「革靴とハイヒールか。なんか、あいつとおまえが一緒にいるみてぇ」

「そう? ホントに、そう思う?」

 可憐の声が、ほんの少しだけ、小さく聞こえた。

「ああ。あいつの隣が、可憐の居場所なんだよな? おまえの言葉を借りれば、あいつは、おまえの……可憐の、運命の人で、ずっと、捜してた『王子様』ってやつなんだろ? だったら……」

「――… ちがう …――。…… なんかじゃない」

 俺の言葉を遮るように、可憐が呟く。そのか細くて、どこか力の籠もった口調で、可憐のまとった雰囲気が変わったような気がして、俺は可憐の方へと向き直した。

 俯いた可憐の、肩が細かく震えて、長い髪を揺らしていた。 

 

「王子様なんかじゃない。あいつは、あたしの運命の王子様なんかじゃないの」

 

 

 

 

 視線を下に落として、少し俯いた姿勢のまま、可憐が歩き出す。歩きながら、途切れ途切れの話し方で、あいつのことを話す。その歩調と口調に合わせる様に、おまえの長い髪が、揺れる。

 俺はただ黙ったまま、前を見詰めて、ゆっくりと、おまえの隣を歩きはじめる。 

 

「あいつが一番大事にしてる人は、あの子だもの。――… あたしじゃないわ」

 そう言って、前を向いたまま微笑んだおまえの声は、ほんの少しだけ、震えている気がした。

 おまえの髪が、また、揺れた。

 

「――… あたしじゃ、ないのよ」

 

 髪が揺れる。

 可憐が立ち止まった。半歩遅れて、俺も立ち止まった。

 思わず、おまえの名前を呼んでいた。

 

「――… 可憐? 大丈夫……なのか?」

 

 俺を見上げて、可憐が笑った。

  髪が揺れて、肩に零れ落ちた。

 

「もう、こればっかりはさ。仕方がないじゃない? だからね、あたし、あいつを振ってやるの」

「え? だっておまえ、まだ……」

 まだ、あいつを愛してるんだろう?

 と、言う台詞を、おまえは、最後まで、俺に言わせはしなかった。

 

「ちょっと! あいつはあたしの王子様なんかじゃないっていったでしょ。あたしの王子様じゃない男なんて、いらないんだから」

 髪が揺れる。

 強がりを隠すように、おまえは括り残した前髪を掻き揚げる。おまえの細い指の間から、髪が、すれて零れ落ちた。

 

「はいはい。だから、あいつを振るって?」

 可憐へ向けていた視線を逸らして、一歩足を前へと踏み出しながら、俺は少しからかい気味に、返事を返してやった。

 少しの間を置いて、いつの間にか聞き慣れていたタイルを蹴るヒールの足音が、俺の耳に微かに響く。可憐も歩き出したな、と俺が思ったときにはもう、おまえは、俺の隣に追いついていた。 

 

「そうよ。あたしが、あいつに振られるんじゃないの。あいつが、あたしに振られるのっ」

 俺の一歩前を歩くように身体を乗り出して、可憐が、俺の顔を見返す。俺の目の前で、長い髪が、揺れた。それと同時に、自然に、俺の頬は緩んでいった。

「なっ、なによ? なんなのよ? 何笑ってんのよ、魅録。あたし、ヘンな事は言ってないわよ」

「いや……。実におまえさんらしい選択だなって思っただけのことだ。気にすんな」

「何よそれ。時々ワケわかんないヤツになるわよね。あんたってさ」

「おまえだってそうだろ。可憐」

 

 おまえがあいつを振ってやるのは、あいつを幸せにしてやるためだろ?

 おまえがあいつを振ったってことにしとけば、少なくとも、あいつは悪者にはならないで済むからな。

 悪いのは、あいつを振った可憐、おまえの方ってか。

 おまえを選ばなかったあいつは、決して悪くないってことにしときたいんだろ?

 

 ホントに、ワケわかんないヤツだよ。おまえさんは。

 それじゃいつまで経っても、おまえさんの言う「王子様」とやらには巡り逢えないぜ? 可憐。

 

 俺の伸ばした右手が、可憐の髪を揺らす。あいつの額を、俺の指で軽く小突く。

 髪が、風に揺れた。

 

「なっ? なにすんのよ? いきなり。ホント、ワケわかんないわね、あんたってば!」

「……ご褒美かな」

「え?」

「あいつらのために、可憐。おまえさんが、振られてやるご褒美」

 どう聴いてもからかっているとしか思えないような口調で、俺は可憐に笑いかけてやった。

 可憐が、少し顔を赤らめる。

「……っ! だから!! あたしが振られるんじゃないって言ったじゃない!!」

 おまえの、長い髪が揺れる。俺の頬が、また、自然と緩む。

 

 ……まったく、仕方ねえヤツ。

 仕方ねえから、振られたのは、あいつの方。そういうことにしといてやるよ。

 

 だけどな。あいつを振った後、俺のとこに必ず来るんだぞ。

 王子にはなれそうにないけど、騎士の役目なら、いつでもしてやるからよ。

 

 

  

― END ―

 

 


…イイ男じゃないですか、魅録。

魅録みたいな友人がいれば、失恋のひとつやふたつぐらい、ぜんぜん怖くないですよね〜。彼に慰めてもらえると思えば。

千尋ちゃん、素敵なイラストとお話をありがとう〜♪

 

 

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