-Lesson-  By さるさま

 



悠理は虚空にいた。


背中にふれる滑らかなシーツの肌触りは確かに感じるのに。
それはひどく頼りなく、まるでぽっかりと空に浮かんでいるような心持ちがする。
ひんやりとした夜気だけが、何も身につけていない悠理の全身を包んでいる。

いや、何も、ではない。
ただひとつ悠理がまとっているもの────目を覆うやわらかな布。
悠理の視覚を奪うそれは、逆にそのほかの五感をひどく敏感にさせていた。


悠理を閉じ込める闇のどこかで、息遣いが聞こえる。
それは、時折、悠理の身体に近づき、吐息が悠理の皮膚をかすめていく。
触れなくても感じ取れる皮膚の熱。
自分のものではない汗の匂いが鼻腔をくすぐる。懐かしい、好ましい匂い。
早くその匂いに、その熱に包まれたいと、悠理は願う。
けれど、その願いは叶えられない。
ただ、すべてが露わにされた肌に、痛いほどの視線を感じる。
まるで、全身の神経が皮膚の表面にあるかのように研ぎ澄まされて。
たとえ何も見えなくとも、どこを見られているのか分かるような気がする。


「・・・・せい、しろ?」
悠理は、心細い声で、確かにそこにいるはずの男の名を呼ぶ。
先ほどからずっと、何の言葉もくれず、悠理の身体にけっして触れようとしない意地悪な恋人の名を。
「いるの?」

「・・いますよ」
耳元で囁かれ、熱い吐息が耳朶に吹きかけられる。
悠理の身体がピクリと跳ねた。
「・・あ・・や・・」

まだ何もされていない、どころか触れてさえもらえない。
それなのに、悠理の中心はすでに潤み始めていた。



*******



昼に待ち合わせて食事をして映画を見て、散歩をした。
映画が他のものに変わることはあるが、ふたりのいつもの休日の過ごし方。
明るい陽の下では、ふたりはどこから見ても健全な恋人同士だ。

けれど、陽光の中でさえ、清四郎の瞳は不意に夜の艶を帯びる。

並んで歩いていて、悠理がふと目をあげると、じっと見つめる黒い瞳にぶつかった。
その視線は、悠理の唇をなぞり首筋から胸元に滑り落ちていく。
悠理の全身にさざ波が走る。
真昼の街頭で、悠理は突然疼き出す自分の身体に狼狽した。
「な、なに見てんだよ・・」
視線から逃れようと慌てて身を捩る。
と、清四郎が悠理の肩を抱き寄せた。
「悠理を・・・」
清四郎のすっきりとした唇が近づき、微かに耳たぶに触れた。
悠理の肌がゾクリと粟だった。
かすれた声があからさまな色を含んで耳元で囁く。
「・・・悠理を見てました」
肩に廻された手に力がこもる。その手が触れた部分から伝わる熱が全身に巡っていく。




でも、悠理は清四郎の手を振り払えない。
悠理もその手を、その熱を、そしてその先に起こることを望んでいるからだ。
それはもう、悔しくなるほどに。

悠理が何も言い返せずにいると、清四郎は、ポンと背中を叩き、クスっと笑った。
「さあ、お茶でも飲みましょう」
その声からも瞳からも、先ほどまでの欲望の色はきれいさっぱりぬぐい去られていて、悠理はまた悔しくなる、と同時に切なくなる。
恋人と名は変わっても、自分は相変わらず清四郎の玩具にすぎないのではないか。
清四郎はただ、お気に入りの玩具を人に取られたくないから、悠理に「恋人」という名前をつけたのではないかと。



ほんの少し前まで、悠理は、色めいたことなど何一つ知らなかった。
そういうことが世の中にあることは理解していても、自分がその当事者になることなど思ってもみなかった。
清四郎が悠理に、恋を、告げるまでは。


何もかも、清四郎から教えられた。

最初は、指が触れるだけで心が高鳴った。
初めて手をつないだとき、清四郎の大きな手のひらのぬくもりに安堵した。
そっと唇をふれ合わせただけの初めてのキス。
「悠理、目を閉じて」
清四郎にクスクス笑いながらそう言われ、慌てて目を閉じた。

それから。
それだけで、身体が溶けそうな深い口づけも。
ぴたりと合わされた素肌の心地よさも。
女になるための痛みも、未知の歓びも。
すべて清四郎から与えられた。

清四郎は、勉強を教えるのと同じように忍耐強く丁寧で、そして執拗な教師だった。
時間をかけて、さまざまなことをひとつひとつ悠理の身体に教え込んでいく。
彼は、けっして無理強いしたりはしない。
悠理が、いつも最後には、彼の望みを受け入れることを知っているから。



今夜だってそうだ。

いつもの休日のように、ふたりは夜になって悠理の部屋に帰ってきた。
まず、一緒にシャワーを浴びた。
湯気の立ち込める中で、清四郎は壁に悠理を押しつけ片足を抱え上げて、さんざんに責め立てた。
意識が飛びそうになるほどに激しく貫かれて、悠理は、自分で立っていることさえできず、ただ、その逞しい首にすがりついていた。
力の抜けた身体を、優しく拭われ、そのままベッドに運ばれた。
素肌に触れるシーツの心地よさと、先ほどの激しい行為の疲れで、悠理はぐったりと身を横たえる。
このまま、清四郎の肌に包まれて眠ってしまいたい・・・・。
でも、夜はまだ始まったばかりだった。


ぎしり。
清四郎が、ベッドに片膝をついて、悠理の顔を見下ろす。
濡れた黒髪が額にかかり、それが彼の顔をひどく艶かしく見せている。
いつもは理性的な黒い瞳に、紛れもなく湛えられた強い欲望の色。
惜しげもなく露にされた彫刻のように美しい裸体。

何度も見ているはずなのに。
もう数えきれないほど、この身体に抱かれてきたというのに。
いまだに、間近に迫る清四郎の裸体は、悠理を陶酔させ、思考を停止させる。
そして、猫に追い詰められた鼠のように、悠理は清四郎に抗うことができなくなる。

「今日は、これをしてみましょうか」
そう言いながら、清四郎が手にしたのは、なめらかなシルクのスカーフ。
先ほどまで悠理が首に巻いていたものだ。

悠理の身が緊張で強張る。
「・・し、縛るの?」
清四郎が口端を歪める。
「そんなことはしませんよ。悠理がして欲しければ別ですが」
悠理は、必死で首を振る。
「して欲しくないっ!」
「まあ、それはそれで興味はありますけど・・・」
ちらりとこちらを見るその目つきに、いずれはそうさせられることを予感して、悠理は思わず身を竦めた。
「冗談ですよ」
とても冗談とは思えない口調で男は笑う。
「・・そうじゃなくて。ちょっとね。目隠ししてみませんか?」



*******



「・・・っつ!」
突然与えられた刺激に、悠理の身体が跳ねる。

触れてもらえるのを待ち焦がれて。
自分自身でもわかるくらいに硬く勃ち上がった胸の突起。
そこを、ツンと突いていったのは、男の指なのか舌先なのか。
その鋭い快感は、まるで痛みにも似て。

身を捩ると、脇腹にぬるりとした感触が走る。
「あ・・や」
そして、今度は反対側の乳首がしっとりしたもので包み込まれ強く吸われる。
舌が蠢き、悠理の蕾を転がす。
「んんっ・・んっ」
耐えきれず、胸元にあるはずの男の頭を腕に抱え込もうとしたら、するりと逃げられた。




今度は、臍に、そして太股の付け根に。次々と触れていく、これは男の唇。
腿の内側を、つうっと辿っていく、これは男の指。

いっそ、抱きしめてくれればいいのに。
そうしたら、見えなくても清四郎の身体の形を確かめることができるのに。
その滑らかな肌に、厚い胸に、逞しい腕に、悠理を求める彼自身に触れることができるのに。
せめて、手のひらで触れて欲しい。
それならば、清四郎が確かにそこにいると分かるのに。

だけど、清四郎は、悠理の望むものを与えてはくれない。

闇の中で。
次はどこに触れられるのかもわからず。
ただ、点で与えられる快楽。
悠理は、ただ身体をしならせ、捩り、泣き叫ぶだけ。

別に手足を縛られているわけでもない。
目隠しなんて、自分で取ってしまえばいい。
こんなのはいやだと言えばいい。
そして、思う存分に、焦がれてやまないその肉体にしがみつけばいい。
清四郎も、けっして怒りはしないだろう。

でも、できない。
どうしてできないのか。
悠理は自分で自分が分からない。

気づけば、再び空気だけが身体を包んでいる。
あれほど辛かったのに、どこにも触れてもらえないと不安になる。
また視線だけが悠理の肌を舐めている。

「せい、しろ?」
小さな声で呼ぶと、いきなり耳たぶに、ざらりとした感触が与えられた。

「・・はうっ」

「・・いつもより、感じやすくなってる」
掠れた声と共に、熱い息が耳朶に吹き込まれた。
「・・・・お前の身体は敏感だな」

「・・やっ」
不意に激しい羞恥が突き上げてきて。
悠理は、横向きになって海老のように身体を丸める。
自分の身体をぎゅっと抱きしめ、清四郎の視線から身を守ろうとした。

再び、吐息が囁く。
「・・・・だめですよ。まだ、これからだ」
もう、ぎりぎりまで追い詰められている。
それなのに、清四郎が口にしたのはさらにとんでもない言葉だった。


「足を立てて、広げてごらん」


即座に悠理は首を振った。
「・・や、やだ・・」
いうがままにしたときの、自分の浅ましい姿が目に浮かぶ。
生まれたままの姿で、目隠しだけをされ、触れてもくれない男の目を楽しませるだけに足を開く自分の姿が。

甘い声が悠理の耳を責める。
「僕が欲しくないんですか?」

悠理は、唇を噛みしめる。
そして、屈辱的な想いに耐えながら仰向けになり、ゆっくりと膝を立てた。
清四郎は、何も言ってくれない。
やむなく、合わせた膝をおずおずと開いていく。
両手でシーツをきつく握りしめながら。

「ほら、もっと、もっとだ」

どうして、この男の言いなりになってしまうのか。
恋人になって尚、こうして悠理をもてあそぶ、この非道い男の。

本当はその答えを悠理は知っていた。
欲しいからだ。
この男が欲しいからだ。
男の、かぐわしい汗も吐息も、熱く滑らかな肌も、厚い胸も逞しい腕も、いきり立つ彼自身もすべて、自分だけのものにしたいから。誰にも渡したくないから。
だから、悠理は、理不尽な想いに囚われながら、男の要求を受け入れる。
羞恥心もプライドもすべて捨てて。

悠理が膝を開いていくにつれて、男の息遣いが荒くなる。
「・・ああ、悠理」
唇に、口づけが与えられる。
そして、開いた足の間に、熱が移動してきた。

もはや、男の身体に遮られて、足を閉じることさえかなわない。
内腿は、確かに男の熱い身体に触れているけれど、清四郎はその手も唇も悠理に触れてはくれない。
ただ、男の視線が、むき出しにされた恥ずかしい部分に注がれているのを痛いほどに感じる。
身体の中心が疼き、悠理の秘めた花が、自然に潤み綻び出す。深い空洞がどんどん広がっていく。
全身の細胞のすべてが、早くそこが満たされることを望んで皮膚の下でざわめく。

「や、・・・もう、やぁ」
恥ずかしくて、浅ましくて。
けれどそれ以上に、早く、この身体の中心を穿つ空洞を埋めて欲しくて。
この疼きを止めて欲しくて。
悠理は顔を背けて、再び唇を噛みしめる。
目を塞ぐスカーフに涙が滲む。


「あっ!」
大きく開かれた中心から、身体中に電流が走った。
両腿をグイッと掴んで押し広げられ、いきなり舌が中心に押し入れられたのだ。

散々に焦らされ、細胞のすべてで清四郎が触れてくれるのを待ちわびていた悠理の身体が跳ねる。
清四郎の舌が、敏感な芽を捕らえ刺激を与える。
口から溢れる声を自分で止められない。
「・・・やだっ、や、やん、んん、や・・やめ・・」
悠理は無意識に、清四郎の髪を掴んで、この苦しいまでの快感から逃れようとした。
けれど、そんなことは許されるはずもない。
これまでとは逆に、清四郎は、悠理の両腿を腕でしっかりと抱え込み、その舌で奥の奥までまさぐるのをやめてはくれない。
悠理がどんなに泣き叫んでも。

腰が浮き上がり、身体の奥から蜜が溢れ出す。
じゅっと唇で吸い取られて、悠理は激しく喘いだ。


ようやく執拗な舌が、悠理のそこから離された。
軽く達してしまった悠理の身体がぐったりと弛緩する。
恥ずかしいくらいに押し広げられた足は、まだ解放されない。
悠理は、次に来るものを予感して身を震わせた。

それなのに。
「・・・せい、しろう?・・」
動きを止めてしまった男に、悠理はおずおずと声を掛ける。

「何ですか?」
わずかに息が荒くなっているものの、憎らしいほど冷静な声で返事が返ってきた。
この状態で何ですか、と訊かれて何と答えろというのだ。
悠理の望んでいることなど、すべて分かっているくせに。
「あ、あの・・・・」
「気持ち、よかったでしょう?」
目隠しされていても、そう言う男の意地悪な顔が浮かんできて、悠理は唇を噛んだ。
「まだ、足りませんか?」

たりない、まだ、こんなんじゃ全然足りないよ────。

でも、そう口にしてしまったら、まるで清四郎の思うつぼみたいで、あまりに悔しい。





悠理が口ごもっていると、清四郎の低い声が聞こえた。
「どうして欲しいんだ?悠理?」
指が、頬をなぞり唇に触れる。
悠理の秘めた部分の入口を、熱い堅いものが焦らすように擦っている。
中心がずくんと疼き、ふたたび内から、とろりとした欲望が流れだす。

「ちゃんと言わないと、分かりませんよ」
言葉と同時に、胸の尖りを強く吸い上げられた。


「!!ああっーー」
強すぎる刺激に耐えきれず、かわそうとしても、組み伏せられた体は逃れることなどできはしない。
代わりに、悠理は激しく首を打ち振った。


「いやなんですか? じゃあ、やめましょうか?」
花園に押し当てられていた塊が、離される。
「やっ」
悠理は、離れていこうとする熱い体にしがみついた。
男が本気でないことなどわかっている。
案の定、クッと笑う気配がした。

─────悔しい、悔しい、
こんなふうに嬲られ、いいように扱われて、それでも、なお・・・・

「ほら、どうした? お前の望みは何だ、悠理?」
頬を大きな掌が包み、唇に指が触れた。


「・・・お、ねが・・い・・、・・・・・れて・・」
ようやく、悠理は声を絞り出した。
なのに、返ってきたのは意地悪な声。
「聞こえない。もっと、はっきり言わないと聞こえませんよ」

内腿を、中心に向かってさわりと撫でられ、指が芽を摘んだ。
全身の細胞がドクリと波立ち、悠理は悲鳴を上げる。


─────もう、耐えられない。欲しい、欲しい、欲しい。
この男が欲しくて欲しくてたまらない。


そして─────ついに、悠理は無我夢中で恥ずかしい言葉を叫んだ。



堰き止められていた激流が、一気に奔流となってあふれ出すように。
悠理の中に、清四郎が流れ込んできた。
力強く太い流れが、身体の真芯をまっすぐに貫き、悠理は悲鳴を上げた。
体内の乾ききった水路の隅々にまで、清四郎が行き渡り、満ち満ちる。
その激しさに、悠理の身体は突き上げられ波打った。

その身体を力強い腕が、熱い身体が抱きとめる。
耳元に押し当てられた唇からもれるせわしい吐息が、呻きが、清四郎もまた、このうねりに溺れていることを教えてくれる。

「あっ、く・・」

熱い塊が内壁を執拗に擦り立てる刺激に耐え切れず、悠理は本能的に身を捩って逃げようとした。
でも、身体に廻された腕はそれを許してくれない。
がっしりとした腕が、悠理の身体を抱き起こす。
悠理の身体の重みが、清四郎のそれをますます奥深くまで誘い込む。
「あっ、あっ、ああっ」
悠理の内壁が、清四郎の分身に絡みつき締め上げる。

清四郎が、苦しげに呻いた。
「っく・・ゆ、うり・・ゆう・・り!」

いま、彼はどんな顔をしてる?
いつものあの憎らしい程冷静な仮面ははずれてる?
ちゃんと、悠理が欲しいとその顔に書いてくれている?


「お・・願い・・取って・・これ・・見たい・・せい、しろの顔、顔、見せ・・てよぉ」


悠理は懇願した。

腰に廻った腕に力がこもり、より激しく突き上げられる。
繋がった部分から身体の隅々にまで突き抜ける快感に意識が途切れそうになったとき。




不意に目隠しが乱暴にむしり取られた。
悠理は、眩みそうな瞳を必死で見開く。
その目に映った清四郎の顔────。

いつもの意地悪い満足げな微笑みを浮かべているかと思ったのに。
清四郎の表情は、まるで苦痛を堪えているかのように歪んでいた。

────なんで・・?
思う間もなく、口に舌をねじ込まれる。
「・・んー、んふん、ん・・・んんん」
また、何も考えられなくなる。

上も下も、圧倒的な、そして愛しい質量に満たされて。
喉から子宮まで、身体の中心を電流が走り抜けた。



身体の真芯を貫かれ揺さぶられ、白く霞んでいく意識の中で。
ただ、ひとつわかっていることがあった。           


自分はもうこの男から離れられない。
清四郎の手が、身体が導くままに、悠理はどこまでもついていくだろう。
昇っていくのか、それとも堕ちていくのか。
その先にあるのは、天国なのか地獄なのか。


それは、終わることのないレッスン。
永遠に続く、甘い責め苦────。
                          

 

  

 fin.

(2007.5.21up)

  

 

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